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無忘探偵の偽物暴ーニセモノアバキー  作者: 厳原玄彦
1話 てんさいスティール
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 信用を得るということはつまり、相手に対して自分を丸裸になるようなものだ。信頼を勝ち取るということは、ようは相手を信頼した上で、自分の弱点を教えることだ。

 記館さんのとった手段は、信用されるという意味において、それは非常に有効だったのだ。あえて自分が損をし、あえて相手にしか得のない状況を作り出した。


 そもそも、記館さんが信用を求められたのも、記館さんの異常なまでの能力――〈完全記憶〉に原因がある。そしてその結果、その能力の弱点を晒し出してしまったのだ。

 しかし仕方のないことだった。弱点を晒すことが、次に進む一歩になるのであれば、記館さんは迷わず教える。迷わず進もうとする。そういう女性であったのだから。


 それはたとえ相手が、最強の万屋であろうとも、だ。


 結論から言えば、ものの見事に、記館さんの記憶から調査したことがすっぽりと抜け落ちていた。質問に関しても完全に忘れているようで、質問をしたことは覚えているが、何の質問をし、何を返されたかは綺麗さっぱり忘れていた。

 つまるところ、この問題、僕が記館さんに依頼した直後の状況に戻ってしまったのである。


 異常事態と言ってもいいだろう。こんな状況、普通の探偵ならば、ありえないのだ。どんなに物忘れがひどい探偵でも(そんな探偵がいるかは別として)、さすがに事件が後戻りすることはない。

 それどころか、記館さんは絶対に忘れない記憶力を持っているのだ。そうであればなおさら、この状況は起こるはずもないのである。

 ただし弱点がなかったら――


 いや、あるいは、記館さん自身、これは弱点なのだと分かっていないのかもしれない。なぜなら、記館さんは記憶消去の説明において、守秘義務についての安全性を確保するために使うとだけ言っていたのだから。

 うろ覚えすらもしない、完璧に永遠に絶対に忘れない記憶力は、相手は勿論のこと、依頼者においても、不安要素を作り上げる――だからこその、記憶消去だったはずだ。

 僕としても、あの万屋にやられるまでは、それが弱点だとは全く思いもしなかった。

 とはいえ、ここでぐちぐちと言っていてもどうしようもないだろう。

 けれど、ここから先に進もうにも、何処にも進むところがないのだ。一寸先は闇――どころか、すでにここが闇なのである。


「詰みましたね」


 すでに僕は、半ば諦めていた。いや、八割方諦めていただろう。


「ふふふ。詰みって、これは将棋ではないのですから、そんなことはありませんよ」


 そうは言っても、これ以上どうしようもないのだ。向こうはあえて挑発に乗り、僕にチャンスを二度も与えてくれた。だが、無念にもそれを生かすことはできなかった。何も、記館さんのせいだなんて、これっぽっちも思っていないけれど、それでも心残りというのものはある。

 これは敗北と言っても過言ではないのだ。


「そうでしょうか?」

「そうですよ。いや、だって、今の状態、記館さんに依頼したときの状態に戻ってしまったんですよ? タイムスリップもいいところだ。いや、タイムスリップならいくら良かったことか。だってもう彼ら、きっと調べさせてくれないでしょうし」

「タイムスリップですか。ふふふ」


 何の意味も込めていない、単純な笑顔を見せる記館さんに「だから、違うんですってば」と、僕は少し声を荒げたが、彼女はそれを気付かずに流した。


「ええ、まあ、そうでしょうね。当たり前です」

「だとすると、もう無理ですよね……」

「ああ、そういえば、天心さんの部屋を調べた後、私なんて言ってました?」

「へ?」


 そこすらも忘れているのか。一体、万丈目さんはどうやってここまで忘れさせたのだろう。〈部屋で記館さん自身がしたこと〉とすれば、忘れるかもしれないが、それだと彼女が天心先生に質問したことすらも、忘れていなければならない。

 いや、そういえば万丈目さん、二度くらい記館さんに触っていた。一度はソファから立ち上がらせるとき、もう一度は部屋から出ていかせるとき――か。

 そうすれば一応辻褄はあう。……今となっては、どうでもいい推理だが。


「神梨さん?」

「あ、ああ。分かっています。ええ……っと、全く、と言っていました」

「全くというのは、全く何の手かがりもつかめなかったということでしょうか?」

「はあ、多分そうだと思いますが、はっきりとは分かりません」

「もしかしたら、〈全く難しいところがありません、超簡単〉という意味だったかもしれませんね」

「何を変な冗談言っているんですか……」

「ですね。すいません。まあ、私がそう言ったなら、おそらく本当に何も分からなかったんでしょう」


 記館さんもそういう冗談を言うのだと、僕は今知ったばかりだが、生憎それを喜んでいる状況でもないだろうから、仕方ない。


「ですが、昔のことなんてどうでもいいんです」


 と、記館さんが開き直ったようにする。


「そうかもしれませんが、この場合、昔のことも重要なことでしたよ」


 そうだろう。

 たとえ、記館さんが何も分かっていなくても、忘れていいわけがない。忘れてしまっては、いざという時に思い出すことができない。


「思い出す必要はないんですよ、この場合」

「必要がない――って、じゃあ、何か分かったんですか?」

「はい、全く」

「え?」

「全く難しいところがありません、超簡単」


 もしかしたら、僕はかなり弄ばれているのかもしれない。意外とお茶目な記館さんとも思いたいところだけれど、ここは――お茶目だと、正直にそう思う。


「あえて言うならば、私の記憶がなくなったことこそに、意味がありました」


 記憶をなくしたことにヒントがあるというのは、何だかとても奇怪な状況だが、記館さんがそう言うのだ。きっとそうなのだろう。


「ふふふ。今は、推理小説でいうと、すでに後書きと言ったところでしょうか」


 後書きか。まあ、主人公が天心先生側だというならば、そうかもしれない。けれど、記館さんの言う後書きは――推理小説は、どうやら主人公は僕らのような物言いだった。


「チェックメイト」


 突然、記館さんが僕を指して言った。


「え?」

「犯人はお前だ!」

「な、何を言っているんですか?」


 一体どういうことだ……。


「いえいえ。これは、決め台詞の練習です」


 決め台詞――だとするなら、犯人はもう分かり切っているので(犯人は天心先生だ)、それは不適切のような気もするが、まあ、これは演出というものだろう。

 記館さんは、僕の方を見ると、これまた眩しいくらいの笑顔を見せて言った。


「さて、詰みにいきましょう」


 言って、記館さんは目の前の扉を開いた。

 そして訳も分からず、それでもこれから解決編が始まるのだと、確信した。

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