エピローグ
帰りの車は、少し空気は重く、気も重かった。
記館さんの家は、ナビで検索して、後はそれに従うように進むだけで良かった。記館さんは寝ることこそしなかったものの、車の中は静寂が続いた。
その空気に耐えられなかったのか、それとも本当に知りたかっただけのか、僕は思わず記館さんに訊いた。
「記館さん。どうして壊破さんは、わざわざ一万円を盗んだと思います?」
「……カモフラージュ、ですかね」
万丈目さんもそう言っていた。
「何のカモフラージュだったんでしょうか」
「……実は、米野上さんの家を歩き回っているときに、見つけたんです」
「何を?」
「娘さんの仏壇です」
信号が赤になり、僕は車を停止させる。
「そこに、何かあったんですか?」
「いいえ……でも、実はこっそり万丈目さんに、その娘さんの写真を調べてもらったんです」
「……そしたら?」
何となく、分かった。
「そしたら、ばっちり、兎々多さんの指紋がついていました」
これに、一体どういう意味があったのかは分からない。
二つ目の証拠としてつけたのか。
罪滅ぼしとして写真を見ていただけなのか。
それとも、米野上さんの娘にだけは、恨まれたかったのか。
僕は、もう考えるのをやめた。
時刻はもう、〇時を回ってしまい、記館さんには申し訳ないことをしたと思っているが、彼女はきっと、はやくこの事件を解決したかったから、むしろ今日中に解決できて良かったと、思っているのかもしれない。
それからしばらくして、ようやく記館さんの家――というより事務所に着いた。無謀探偵事務所を直で見るのは初めてだったので、少し感動したものの、暗い上に僕のテンションもそこまで高くなかったため、ノーリアクションになってしまった。
「それでは送っていただき、ありがとうございました」
「こちらこそ、こんな夜中まで仕事をしてもらって、感謝しています」
どちらも深々と頭を下げたところで、僕が車を発進させようとすると、
「…………あっ、ちょっと待ってください」
と、記館さんが僕を引き留めた。
「なんですか?」
「少し、言いづらいのですが――」記館さんはもう一度、今度は頼み込む形で頭を下げた。「私の記憶から、神梨さんのことを消していただきたいんです。体に触れて、あの方法で」
万丈目さんがやっていた、あの方法。
「……な、なんで――」
「分かっています。本来、人の記憶を消すべきではないことも分かっているのですが……その、何と言いますか――神梨さんはもしかしたら、私のせいで事件に巻き込まれているのではないかと、思っていまして」
記館さんの目が泳いでいる。
僕も困惑していた。記館さんの中から、僕が消えてしまうことが、嫌だった。当然だろう――誰だって、人には忘れられたくない。それを、自分の手で忘れさせるというのだから、馬鹿げている。
「できません」
「私は、神梨さんとこれ以上関わるべきではないんですよ。四回――四回も私たちは、共に事件を解決してきました。だからこそ、一般人を四回も巻き込んでしまったのは、紛れもなく私の責任なんです。私には〈絶対記憶〉以外にも、そういう力があるのかもしれません」
「できません」
「私の気持ちにもなってください!」記館さんは怒鳴った――が、すぐに冷静になる。「……すいません」
「できませんよ」
「どうしてですか?」
「僕は、楽しかったですよ。そりゃあ、事件に巻き込まれるのは大変ですけれど、記館さんを呼べると思うのは、少し嬉しかったりするんです。記憶を消されたり、罠を張られたり、泥棒したり、怒鳴ったり――記館さんの推理を見るのも、楽しかったんですよ」
本音をぶちまける。
僕は消されたくない。
彼女の記憶から、僕はいなくなりたくない。
「私は、辛いです」
「一つ足せば、幸せになります」
屁理屈を言ってみせた。
「ふふふ。あなたは人を引き留めるのが下手ですね」
「そうですね――何せ、素人なもんで」
「では、プロになれるといいですね」
記館さんは大きく息を吸って、吐いた。
「……分かりました。だったら、二度と忘れません。この〈無忘探偵〉の名に懸けて、神梨ねんとさんのことは絶対に忘れません。たとえ記憶が消されようとも、私はずっと覚えています」
彼女は笑って、頷いた。
僕も頷いたが、思い直して、車から降りる。
「どうしたのですか?」
記館さんの言葉を耳に入れず、僕は記館さんの肩に触った――そして、離す。
「……何をしたんですか? 神梨さん」
よし、成功。
「何でもありませんよ。それじゃあ、さようなら。記館さん」
「……? ええ――さようなら」
これで、僕の記憶は消えることがなくなった。
記館さんの中から、僕は残り続けるだろう。
だって――
記館さんは、自分の記憶が消せることを、忘れてしまったのだから。
そして僕は、思い返す。
ゴーストペインターを使って、世の中を騙してきた画家。
色恋沙汰で、幸せだった恋愛を壊された女の子。
誰にも恨まれずに、誰も恨めずに生きてきた化物。
金に溺れて、どんな仕事も請け負う万屋。
どいつもこいつも、どうしようもないくらいに偽物。物語の犯人にすらなれなかった偽物共。
そして〈無忘探偵〉記館創子。
無忘と言いつつ、記憶を失くす彼女もまた――
偽物。
この物語は、偽物の、偽物による、偽物のための、偽の物語。
暴いたのは、無忘探偵だ。
終
これにて無忘探偵の偽物暴は完結です。
ここまで見てくださった皆さん、本当にありがとうございました。




