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オチと言えばオチ。
後書きと言えば後書き。
蛇足と言えば蛇足。
記館さんには今度こそ、最初の予定通りの金額を支払って、別れた。
彼女は美笑ちゃんについて何も言わなかったが、最後の最後に「女性の恋は深いですからね」と言って、タクシーに乗っていった。
あの後、美笑ちゃんの処分は、福友井店長によって下された。
クビ――ただそれだけだった。
美笑ちゃんも驚いていたが、福友井店長は、
「もう二度と、金を恋に絡めないことだ」
と言っていた。
弩頭くんはそれにつられて、理由もなく辞めていった――理由は、あったのかもしれないが、今のところ知る由もない。
だから今、あのコンビニは絶賛バイト募集中というところだ。
「……馬鹿げた事件だったよ、本当にさ」
僕は独り言を呟きながら、レジの仕事をこなしていた。
すると、コンビニに客が入ってきた。
黒いハットに、黒いサングラス、黒いスーツに黒い靴、そして黒い鞄を持った男は、何も商品を取らずに僕のところへ寄ってきた。
アツアツの出来立てほやほやの、から揚げの注文かな――と身構えると。
その男は僕の方へグイッと顔を寄せてきた。
「なんでしょうか? お客さん」
「…………」
「エロ本コーナーならあちらですよ」
「…………」
……いい加減、他人のふりをするのはやめるか。
「なんですか? 万丈目さん」
「いっっっっやぁぁああ! 久しぶりだな! か、み、な、し、ね、ん、と!」
「……あなたそんな性格でしたっけ。というか、口調がまるっきり変わっているように思うんですが」
「ああ!? 気のせいだよ、気のせい。俺様は前からこんなだった」
俺様は変わらないのか。
でも、その口調なら俺様も似合っている気がする。
「ていうか、今、僕仕事中なんですけど」
「知るか!」
切り捨てられた。
せめて悪びれようよ。
ほら、〈ああ、そりゃあ悪かったな。また今度〉みたいな感じで帰ってくれると助かるんだけど。
「それで、何の用ですか?」
「つれないこと言うなよ相棒」
つれないことも言いたくなるし、僕はいつから万丈目さんの相棒になったんだ。
「事件に巻き込まれたって聞いてよー」
「どっから聞いたんだ……」
警察沙汰にもしていなければ、記館さんも広めるつもりはないだろうし、ネットにすら乗らないくだらない事件だったはずだが。
「おいおい、俺様を甘く見るなよ。この世の万事万物あらゆる事件を解き明かす、最強の万屋万丈目得々だぜ」
「長いキャッチコピーですね――それと、違いますよ。この世の万事万物あらゆる金になる謎を喰らい尽くす、金積万屋万丈目得々ですよ」
「それだと語呂わりぃだろ」
否定しないのか……。
折角ツッコませてやろうと思ったのに。
それに語呂、そこまで悪いか? お互い様だと思うんだけど。
「で、事件について何かあるんですか?」
「ねーくんはあれで納得?」
「…………」
「ほら、図星みたいな顏」
「いや違いますよ。あなたに〈ねーくん〉と呼ばれたことが気に喰わないだけです」
「ねーくんやさしい、ねーくんかっこいい、ねーくんだいきらい、ねーくんせいじつ、ねーくんそんけい、ねーくんもてもて」
「途中で悪口入っているんですけど」
この人って、どうしてこう、人の気持ちを逆撫でするんだろうか。
逆撫で? 撫でてもないだろ、こんなの。
逆殴り――いや、もう普通に殴っているだけだ。
「で? 納得してんの?」
「していますよ、そりゃあ。だって記館さんが解決してくれたんですから」
「へえ――随分と信頼を置いているようだな。でもよお、いくらその人が信頼できるからって――」
万丈目さんは言う。
「――人と言葉の信頼は同じじゃない。信頼できる人だから信頼できる言葉だと思っているなら、それは間違いだ」
「…………」
「いいや、お前は知っているはずだ……それをな。今回、疑問に残ったことがいくつもある――けれど、〈無忘探偵〉を言い訳にそれを有耶無耶にしているだけ」
言い訳。
僕が疑問に思ったこと。
無忘探偵。
彼女が疑問を残したこと。
「例えば、五十嵐美笑。彼女が言った動機を、まさかそのまま、本気で受け取っているわけじゃないだろうな?」
ねーくんの気を引くためだよ――
信頼できる人でも、嘘をつく。
確かにそんなことは、知っていた。
「そんなもの、たとえ嘘だとしても、真実が分からないのでは、信じるほかないですよ」
「そうか? 信じるとも疑うともせず、知らないという選択肢もあるだろ」
「知って知らぬふりってやつですか。そんなことができるならば、したいものです」
「知って? 知らぬふり? はッ……お前は何も知らないままだろ。それとも真実を、実は知っていました――なんて、道化気取りでもするつもりか?」
知らない……何も、僕は何も知らない。
そうなのかもしれない。
「そもそも美笑ちゃんが嘘をついたって証拠がないですし」
「証拠証拠証拠証拠。しょうこ。そんなもん、逮捕するわけでもないんだからいらねーんだよ。いるのは真実だけだ」
「それで、じゃあ嘘を言っていると思う理由はなんですか?」
万丈目さんは黒い財布から千円札を二十二枚、取り出した。
「チケット二十二枚……あーん? こんなもん、何に使うってんだ? おまけにそれに使ったはずの千円札も、盗んだのではなくちゃあんとある。おかしいだろ? わざわざそんな大量に買わなくったって、精々二枚あれば充分だ」
二十二枚?
「何を言っているんですか、万丈目さん。二十三枚です」
「は? 二十二枚だろ。二十三枚なら――おかしいじゃねえか」
「おかしいって、何が?」
「このチケットは二枚セットなんだよ。二枚セットでしか販売されていない。合計枚数が奇数になるなんてありえないな。数え間違いかなんかだろ」
なんだって……二枚セット?
だとしたら、だとしたら――こんなのって。
いや、それこそありえない。
あれは嘘のはずだ。
「それで、じゃあわざわざそんな大量にチケットを買った理由は?」
「二十二枚のチケットを買ったら、普通どうする?」
「友人とか、そういう人に配って、みんなで見に行くとか?」
生憎、僕には二十人以上の友達はいない。精々、親戚くらいのものだろう。親戚にしたって、二十人以上集めるとなれば、全国から召集しなければならないが。
「そう。はじめはそうするつもりだったんだ、五十嵐もな。だが、失敗に終わった……それはな、五十嵐とその元彼が本当は行くはずだったチケット――ではない。いや、正確にはそうかもしれないが」
と、万丈目さんは続ける。
「五十嵐は友人二十人以上で、その彼氏にサプライズのバースデープレゼントをするつもりだった。粋なもんだな、優しい女の子だ」
僕は少し安堵する。
彼女の笑顔は、笑顔だけは本物なのだったと。
「だけど、弩頭和義――つまりその彼氏の先輩にあたる弩頭が、密告した。あることないこと、ないことあること、彼氏に色々話したんだ。弩頭は、そのためだけにあのコンビニにバイトとして入り、話のネタを着々と溜めこんだのさ」
「う……嘘、だ。そんな、そんなふざけた話があるか」
「嘘じゃない。だっておかしいだろ? 弩頭がこのコンビニを辞めていく理由なんて、一つもなかったはずだ」
「そんなことする奴なんて……」
「悪気はなかった――ってやつだよ。人間関係による会話なんてそんなものさ。人の不幸は蜜の味……確かに、ありゃあ最高だな。俺様にしてみれば、金の味だが」
万丈目さんは言って、先程出した千円札二十二枚を財布に戻す。
「そして、そうやって彼氏が〈信頼できる人間の言葉〉を〈信頼した〉挙げ句、二人は別れた……そしてほどなくして、彼女はその事実を突き止めてしまう」
「突き止めるったって、それは難しいはずですが」
「金さえ払えば何でもしてくれる奴がいれば、余裕だろうなあ」
と、万丈目さんは他人事のように言った。
……この人のせいか。まあ、それも仕事のうちだろうから、僕がとやかく言うことではない。
「ていうか、美笑ちゃんにそんな金あったんですか?」
「無かった。だがな、俺様は神梨っつー野郎がそのバイトで働いていると聞いたもんだから、こりゃあ前回――いや前々回の借りを返さないといけないと、思ったわけよ」
最低な野郎だ。
畜生、そいつは僕じゃないか。
だから〈ねーくん〉って僕が呼ばれていること知っているのか。
不運な出会いがあったものだから……出会いこそ違えば。いや、出会いさえなければ。
「そういうわけで、五十嵐美笑の動機は――弩頭への復讐。まあ、最初に容疑を押し付けられなかった時点で、あの犯行は失敗に終わったようなものだ」
復讐。
恨み恨んで、恨み尽くす。
嫉妬なんて。
嫉妬なんて、甘いものじゃなかった。
色恋沙汰であれば、まだ良かった? いや、色恋沙汰だからこそ起きた事件だ。恋さえ絡まなければ、こんなことにはならなかった。
「ちなみに、だ。ねーくん」
「ねーくんはやめてください」
「コーヒー事件についてだが、あれは記館探偵、一つだけ間違っていたな」
「……へ?」
「実は睡眠薬の量もいじっていてな。福友井にはより深く、そして弩頭にはできるだけはやく起きてもらうつもりだった。何度も下調べした結果、福友井がコーヒーを入れて、渡す順番は、五十嵐、弩頭、ねーくん、福友井の順番だった……が、何か知らないが、恐らくねーくんがいなくなったせいだろうか、福友井と弩頭の順番が入れ替わった――だから、弩頭は深く眠った」
「どうしてそんなことしたんですか?」
「お前が控室に帰ってきたとき、一人だけ起きていたとしたら――普通そいつを疑うだろ」
そうか。確かに僕は、寝てはいたものの最初に起きた、福友井店長を疑った。
「まあ、無忘探偵は誤魔化せたかと言えば、微妙だがな。けど、五十嵐は初めからずっと、弩頭に罪を――自分を陥れた罪を背負わせるために動いていた」
そう言って、万丈目さんは僕の後ろにある煙草を指差した。突然の注文にちょっと驚いたが、それでもマニュアル通りに仕事をして、彼に手渡した。
「そういうわけで、これが全ての真実だ。事件についちゃあ、無忘探偵は概ね正しかったな。そういうわけで〈真実はいつも一つ!〉ってな。あばよ」
万丈目さんは言って、嵐のように現れ、嵐のように消えていこうとした。
が、僕は万丈目さんを呼んで引き留めた。
「なんだ?」
「……真実はいつも一つとは、限りませんよ」
「あ?」
万丈目さんは頭にクエスチョンマークを浮かべつつ、そのまま帰っていった。
「金積万屋、あなたも一つだけ間違っていましたね」
ぶつぶつと呟きながら、僕はレジの仕事を中断し、控室に戻る。まだ福友井店長は来ていないので、レジに誰もいないのは困るだろうが、多少の間はいいだろう。
僕のロッカーを開けて、背伸びで上段にある靴をとると――
ひらり。
と、一枚、紙が落ちてきた。
それは何処からどう見たって、ライブのチケットだった。
ねーくんの気を引くためだよ――か。
くだらない。
本当にくだらないな。
そういえばこのライブの日は暇だったな……。
僕はおもむろに携帯を取り出して、電話を掛けた。
『……はい、もしもし!』
「もしもし――」
僕はまた、彼女の笑顔が見れそうだった。