3
3
そして、記館さんを呼んだところまで戻る。
美笑ちゃんは振られた、らしい。
そこのところは、僕もあまり深入りせずに訊かなかった。といより、訊けなかった。
福友井店長に記館さんを呼ぶ許可をもらいに行くと、〈探偵〉という言葉が引っ掛かるのだろう、あまり乗り気ではなかったが、警察沙汰まで持っていくことはないと説明したところで、渋々納得してくれた。
探偵なんて、ほとんどの場合、殺人事件を解決するイメージしかないのだから、まあ、不安があると言えば、あるだろう。
探偵が行くところに、事件あり。
しかし今回の場合は、順序が逆だ。
しばらくして――
突然、雨の中、女性がコンビニに入ってきた。
それは間違いなく、わざわざ女性と言う必要もなかったほどに、記館さんだった。
全身真っ赤。
外は血の雨でも降っているのか?
いや、違うな、あれはレインコートだ。赤いレインコートだ。にしても、なんて趣味の悪い服だと、改めて思う。それこそ、探偵が行くところに、事件ありなのだから、赤は不吉すぎやしないだろうか。
記館さんはレインコートのまま、レジを担当している僕に向かってきた。
今日は木曜日。ちなみに――結局昨日は、手伝わされた。
「こんにちは、神梨さん。お久しぶりですね」
「ええ、はい、そうですね」
「これで三度目でしょうか。いやはや、すっかり常連さんになりましたね」
常連か。
嫌な言葉だ。
よりによって、探偵に言われたのだから。
「というか、どうして今日なんですか? 明日って、話じゃあ……」
「敵を欺くなら味方からって言うじゃないですか。あれですよ」
「は、はあ――まあ、解決は早いに越したことはないので、構いませんけれど」
ただのボランティアでレジをしているのも、いい加減面倒だったので、僕は記館さんを連れて控室に向かった。
そして、控室の扉を、記館さんが開ける。
皆驚いていた。
固まっていた。
当然だ。僕ですらも、記館さんは明日来るものだと思っていたのだから。
「皆さん初めまして、無謀探偵事務所からやってまいりました、記館創子です」
「……こ、こんにちは。僕は福友井友哉で、ここの店長をやっております」
福友井店長。
「やっべ、まじやっべ! 赤すぎ! やべー!」
弩頭くん。
「こんにちは、五十嵐美笑です」
美笑ちゃん。
そして、僕。
皆は案外、対応が早かった。驚きを通り越して――みたいなものだろうか。
犯人にしてみれば、最悪の展開である。
「では、まずレインコートを脱ぎたいのですが……暑くて」
「あ、ああ、それじゃあ、そこに置いてください」
福友井店長は、使われていないロッカーを指して言った。中に入れたら蒸れない? そもそも、レインコートでここまで入ってきたこと自体、最初に僕が何とかするべきだっただろう。
記館さんは了解して、ロッカーを開けたまま、中のハンガーにコートを掛けた。
真っ赤。
真っ赤っ赤。
赤のロングコートに、赤のシャツに、赤のジーンズ。
微妙な色合いこそ違うものの、それは赤すぎるくらいに赤すぎた。
弩頭くんも、やばいを通り越して、唖然としている。
「それでは始めましょう」真紅の探偵は、一度僕ら全員を、一人一人しっかりと見た。「まずは私との信頼関係を結びましょう」
これは、天心先生のときと全く同じ展開だ。
まずは信頼。
信頼がなければ、先には進めない。
「いえ、要りません。あなたの信頼は、神梨君により証明されています。あなたを信頼しないということは、神梨君を信頼しないも同然ですから。それは店長として、失格でしょう」
「そうですか。それは助かります。かなり、時間短縮になるので」
僕としても、店長のその一言はとても嬉しい限りなのだが、弩頭くんと美笑ちゃんからしてみれば、どうなのだろう、はたして信頼を寄せていいものか微妙だろう。
記館さんの特性については、僕が先に説明している。加えて、ここは控室。皆がそれぞれ、見られたくないものもここにあるはずだ。
例えば福友井店長にしたって、ここの経済状況などがばれてしまうのは、不安でしょうがないだろう――それもこれも、記館さんが沈黙を貫けばいいのだろうが(というか記館さんはそういうつもり)、彼らの気持ちも分からなくはない。
そして、正直なところ、福友井店長は愚かなことをしただろう。
記館さんには記憶が消せる能力もある。これには僕もびっくりしたが、特定の記憶だけ、それも消すのは記館さん以外だと言うのだから、これ以上にないくらい便利な能力だ。
便利な能力。
それは、
犯人にとっても――
便利な能力。
困るのは、記館さんだけだ。
だからこそ、記館さんは、この能力をできることなら隠したいはずだろう。ばらしてしまえば、犯人がそれを利用してくる可能性があるから。
「で、何するつもりなの?」
美笑ちゃんが不安そうだ。
恋については、僕はどうでもいいのだが、美笑ちゃんは、泣くほど傷つけられたのだろう。チケット一枚――どころか、数十枚。それを、〈ざまあみろ〉と言わんばかりに見せつけられている。
だとしたら、犯人は、その美笑ちゃんの元彼氏であり、弩頭くんの後輩――の今の彼女ではないだろうか。
いるかどうかは知らないが、あるいはその後輩に思いを寄せている女の子という可能性も、あるにはある。
嫉妬。
嫉んで、妬んで、嫉妬し尽くす。
「何をする、ですか……あえて言うならば、何もしないことをする、ですかね」
頓珍漢なことを言って、記館さんは控室の小さな椅子に座った。
何もしないって……。
確かにここは、さっきの状況とは全く違っていて、チケットが机の上にきちんと並べられ、弩頭くんのロッカーに入っていた数十枚の千円札も隣に置いてある。おそらく福友井店長がしておいたのだろう。
厚さは全く同じのようで、何度も確認したが、チケットと千円札の数は、全く同じの二十三枚だった。
ちなみにチケットの値段もきっかり千円。
偶然というのには、あまりにも重なりすぎている。
とはいえ、前とは状況が全く違うにしても、何もしないというのは、どういうことだ?
「何もしないって、そんなので解決できるんですか?」
福友井店長も同じ疑問を持ったようで、そのまま記館さんに投げかけた。
「できるかどうかは、やらなければ分かりません。やって何も分からないのと、やらないで何も分からないのでは、その成果の意味は全く異なります」
「ですが、あなたは何もしないって……」
「だから、何もしないのを、するんですよ」
「屁理屈ですよ」
「それでも、理屈です」
記館さんは何を言われようと動かないだろう。福友井店長も、ため息ながらに近くの椅子に腰かけた。
時間はある――とは言っても、時間は限られている。
今、レジには誰もいない。この間に客が来ないとも限らないので、できることならば、早めに解決してほしいものだ。
それを記館さんは感じ取ったのか、僕の方を向いて、
「レジ、いいですよ」
と言った。
「まじふざけんなってー。先輩が犯人かもしれないのに、ここでレジ行かせるのはおかしいっしょ」
ふざけた口調で言うが、確かに弩頭くんの言うとおりだ。
僕は、僕が犯人ではないことを知っているが、周りは違う。僕が出ていけば、そのまま記館さんの捜査から除外されるのは、僕からしてみても不安だ。
「いえ、私喉が渇いたので、買い物したいんですよ。ですから、レジに誰かいてくれないと困るんです。そこでまあ、最初レジを担当していた神梨さんに頼んだだけです。私が消えても、ここには三人いますから――まあ、三人が三人とも共犯だというのであれば、別ですけれど、五十嵐さんの様子を見る限りは、そうではないでしょうね」
つまり僕の見張りを担当するのは、記館さんだ。
そして他の三人は、お互いを監視し合う。
犯人がこれから、何をしてもおかしくない――という判断だった。探偵という存在は、犯人にしてみれば脅威でしかないのだ。
それから、僕と記館さんは共に控室を出て、それから記館さんは飲み物を即決で取り(ちなみにコカ・コーラ。こういうの買うとは意外だ)、僕のいるレジのところまで来た。
僕らが控室で話している間、幸いにもお客さんはいない様子だった。正確には、もしかしたらいたのかも――というレベルだが。
赤の財布を取り出して(財布まで赤とは、本当にこだわりがあるのだろう)、小銭を探している。
と、ここで記館さんが声を出した。
「はい、一三〇円」記館さんは、百円玉一枚に、十円玉二枚――それからペットボトルのキャップをレジに出した。「今、これを見てどう思いました?」
「え……」
一瞬何を言っているのか分からなかったが、推理の一環であることをすぐに理解できた。
「あ、ああ、どうって……」
「ふざけんなよ!」
…………。
びびった。
めっちゃ怒られたのかと思った。記館さんの顏は冗談と言わんばかりに笑顔であふれているが。
「――と、思いませんでした?」
「そんなことは……いや、少し、思いました」
〈ふざけんなよ!〉とまで、強い想いではなかったにせよ、おかしな行動をするなあ、とは思った。
「ですよねえ。ちなみに、コーラのキャップを勝手に開けてしまいましたが、まあ、どうせ買うのでいいですよね?」
「はい、大丈夫ですよ」
言って記館さんは、キャップと十円を入れ替えた。
お釣りは二円。
「神梨さんをレジに呼んだのも、少しお話がありまして」
「ああ、まあそんなことだろうと思っていました」
さっきは、僕がやっていたからという、もっともらしい理由で僕を呼んだが、レジを担当させるならば、どう考えたって被害者である美笑ちゃんの方がいいだろう。
記館さんは気を取り直した具合で、「それでは改めて」と、言った。
「チケットはあれで、本当に本当に、絶対に絶対に、確実に確実に、間違いなく間違いなく――全部ですか?」
記館さんの顏からは、すでに笑顔は消えていた。