幸福な不幸、不幸な幸福
さやかと無事合流した潤はデート先である美術館に向かうところ
「わりいわりい、あまりにもきれいな花がたくさん咲いてたから、なかなか選べなくって...」
トイレから出てきた潤はまっさきにさやかに謝る。
「で、摘んできた花はどこ?」さやかがいじわるく尋ねる。
「そりゃあ、もちろん」便器の中に。などと言えるわけがない。「いや、摘むのは可哀想になって、鑑賞だけにしたわ」
「そう、お優しいのね」
訳知り顔でお互いに微笑み合う。うまく切り抜けれた、か。
改めて、潤はさやかの服装をほめる。今日のさやかはデートの行き先が美術館だけあって、少々黒模様の、地味な服で着飾っている。が、そのような姿は、大人らしい、と言えなくもない。純粋にかわいらしいと思う。
青天の空の下、彼女の服装は色っぽく見え、そんなことを思うひとときを幸せに思う。先ほどの電車の中はなんてことない、限界をとうに超えた脳が絶望のままに世界をとらえていただけだろう。
二人で仲良く改札へと向かう。改札の前に来た時、はたと潤は立ち止まった。
...ない。
何が?切符が。もしかしたら、幸運も。
おたおたとポケットを探る。そんな様子をさやかは網戸に蝉がついたのをわずらわしく眺めるような目つきで
「今度は何?」と訊ねた。
「き、切符が...」焦る潤。同じポケットを何度もめくり上げては、しまう。
周りの人たちはそれすら駅の風景とでもいうように潤のことは気にもとめず、となりを抜けていく。
見かねたさやかが「タイムアッっっプ!」と胸の前に手でばってんのマークを作り、潤はしぶしぶと駅員のところへ向かう。切符を失くしたことを伝えると、今回だけですよ、次回はちゃんとしてください、としぶしぶと通してくれる。駅員に深々と頭を下げ、外に出る。
「まったく、潤らしい」さやかは笑って許してくれたが、潤は申し訳なさでいっぱいだった。なんども済まない、と美術館に向かいながら謝る。
「いやーだからそんなに気にしてないって。今日は運がついてない日なんじゃない?うんがついてないってわかって安心だよ。ズボンにもね」さやかはおやじが発言したならば、半径十メートル以内に誰も近寄らなくなるような、下手したら、セクハラとして二度と会社に戻れなくなるかもしれない渾身のギャグに、一人でつぼに入っている。うすら笑いで対応する潤は
「いや、でも運はいいんだよ。こうしてデートに来られたことは」とちょっぴりのろけてみる。
さゆりもちょっとははにかんでいるのかも、と期待した潤だったが、彼女ははっと何かに気付いたような顔になり、
「そうか、質量保存の法則か」
と空を仰ぎ見るようなしぐさをした。
いきなり何を言い始めるのか、と伺う潤にさやかは笑いかけ、
「だって、そうでしょ。この私とデートするんだから、それ相応の対価を支払わなくちゃ。というわけで、潤は運が悪いんじゃない。身に余る光栄過ぎたんだよ。わたしとデートするのが。その代償としての下痢、紛失、散財」
まったく。そう思いながら、頭をポリポリと掻く。この人には遠く、及ばない。原始、女性は太陽だった、と誰かが言っていたけれど、原始じゃなく、この人は永遠に輝き続けてそうだ。せめて太陽系の中にでも入れておいてほしい。願わくば、火星として。
そこまで考えて、潤はさやかの最後の一言を思い出す。
「え、さ、さんざいって何?sun 在、太陽、ここにいてます、的な意味?意味はわかないよ、分かりたくもないよ」
「何言ってるの、散財、散々迷惑かけるんだから、財をさやかに。の略でもあるでしょ!どうせ運が悪いことがおきるんなら、先手必勝で先に自分の首を絞めなさいよ。勝って兜の緒を締める、負けてんならなおさらでしょ、ギブミーマネー、スーン!!」
太陽に近すぎた天使は確か羽をもがれたな...自分は金を持ってかれるのか...何も言い返せない潤は一つ、ため息をついた。幸福な不幸、不幸な幸福。