幸福な不幸、不幸な幸福
林は降参するときのように、手を挙げ、女にも同じようにするよう、促す。女もしぶしぶ、手を挙げる。
「今回は、失敗だね」
とそそくさと立ち去ろうとする。
「待って!」
さやかは止める。
「待てって言われて待つ泥棒は古今東西どこにもいなかったんだけどなぁ、まあいいんじゃない?監視カメラが正常に働き始めるまで、まだしばらく時間あるし、ちょっとだけ待ってみよっか」
林は共犯者の女に訊く。女は驚いたように見えたが、林の言うことなら、とでも言うようにしぶしぶうなずく。
「で、何?」
「で、なにって...お、お金を...」さやかは一瞬、戸惑う。林の平然とした態度はまるでコンビニ強盗をしていなかったように思え、むしろ街で知人と思って、話しかけたが他人だった時のような気恥ずかしさを感じる。
「ああ、お金ね。お金...」林もその存在を忘れていたかのような態度をとる。がそれすらも彼の計算のうちなのだろうか。
「ああ、これ、ね」林はレジの上を軽くたたく。そこにはいつの間にか封筒がおかれていた。
その様子を不審そうにみているさやかに向かって林が言う。
「これ、店長に僕のいい値で買ってもらったの」
そんなことあるわけない、とさやかは言おうとしたが、林が笑いながらもその瞳にするどい光が帯びていることに気付き、黙りこんでしまった。そんなさやかをしり目に観ながら、林は続ける
「この封筒の中には、けっして人には言えない、店長の隠し事が入っているんだ。それが約二十万って、安い買い物だと思わない?」
さやかは黙って聞いている。
「...君って泥棒は悪だって思ってるでしょ」
「そんなのっ、あたりまえじゃっ」
振りしぼって声をだす。そんなの当たり前じゃない。
「まあ、一般的に言ってもそうだと思うし、君みたいな、わたしは悪人でないと言い切れますってすがすがしい顔している人には絶対そう思うよね。僕の一番嫌いなタイプなんだけど、今日は寛大な気分だから、そんな君にもちょっと教えてあげようと思うんだ。」
ただ喋っているだけなのに、汗が頬をつたうのをさやかは感じる。ふと隣の女の様子を見ると、時間を気にしていらいらしているようにも見えたが、林の言葉を聞き洩らさないようにと神経を張り詰めているようにも見えた。
「でもさ、よく考えると、この資本主義の富だって自然から強奪したものなんだよ?ひどいよね、ああひどいひどい」
「君はチョコレートをかじった時、幸福を感じるかもしれない。でもそのチョコレートのカカオはアフリカの貧しさに耐えながら子供たちがひたすら働いて作ったものだって、知ってる?きみが焼き肉で牛肉をほおばり、生きる喜びにしたっているとき、その牛肉は牛が泣いて牛車にゆられ、屠殺場にいっていることをしっているかい?悲しみを知ろうともしないで『わたしは善人です』ってなんで言えるの?」
さやかはじぶんの立っている地面がぼろぼろと崩れるような錯覚に陥った。これは泥棒の屁理屈だ。そう思って自分というものを再び奮い立たせようとする。
「泥棒の屁理屈なんて聞きたくないだろうけど」
目の前の男は人の心が読めるのか
「ここのコンビニの店長さんは、昔小学生の子供にちょっとしたことをしてね。...でも平然として暮らしている。そんな人物からお金を取るのは、悪?」
「ちょっとしたことって...」
「まあ、そういうことだよね」
さやかの背筋が凍りつく。潤の様子を見に来た時に店長に優しくしてもらったことを思い出す。まさかそんな。吐き気がさやかを襲う。
「う...そ......」
「まあ信じたくなければ、その封筒の中身を見なければいいだけだし」
林はため息をつく。
「そういうことだよ。真実はいつも一つなのかもしれないけど、その真実の見方はいろいろあるよね。」
「...僕もね、小さい頃は正義のヒーローになりたかったんだ」
うなだれているさやかに林はぽつりといった。
「そりゃ、泥棒になる気なんてさらさらなかった。子供のうちは諦めなければいつか正義のヒーローになれると信じてた。でもね、そうじゃなかったんだ。」
林はぽつりと言った。
「正義はただの妄想にすぎないんだ」
「正義のヒーローになるためには、人々から憎しみをなくすためにはまず、莫大な金が必要だと思った。でね、清く正しくまじめに生きていれば、きっとその点は神様がなんとかしてくれると思ったんだ。だって世界を平和にしたいって思ってる人間を神様が捨てておくわけがないって思ったんだ。でも、結局はただの妄想にすぎなかった。それはね、大学受験の時に思い知ったよ。こんだけ世界の平和のために私欲を捨てて生きている人間は当然、神は世界平和のために生かしてくれるだろう、世界平和のために日本で一番の教育をうけさせてくれるはずだってね。
今思えば笑っちゃうんだけど、当時はもう必死でね。落ちた時も神に見捨てられて絶望しか無かったよ」
「そのことで気づいたんだ。ああ、別に金を持っていたとしても、日本という自由な国にいたとしても、もし自分がお金持ちになって、世界の戦争をすべて止められたとしても、それが人類の平和には、幸せには通じないんだって。」
「戦争を止めたとしてもね、一時的によくなるのかもしれないけど、また人々はいがみ合うんだよ。事実ね、ヒットラーがしたことはいけないのはわかってることなんだけど、実はヒットラーみたいな皆殺しってのはそれよりまえに行われてたし、
そのあと、カンボジアでも、イランでも行われた。でも、人類はその皆殺しを止められなかったよ。
よりよい社会のために頑張ったとしても結局、人の幸せには関与できないんだ。人の幸せは結局その人自身でしか作れないし。」
そこまで言って、林は息を大きく吸った。
「そこでね、僕は諦めたんだ、正義のヒーローってやつを。いや、諦めたんじゃなくて、見方を変えたのかも。」
「人々にほんの少し、絶望を味わらせるんだ。たとえば、そう、コンビニ強盗とかね。彼らは自分の不運さを呪う、でも、ふしぎなことに自分の知られたくないことを家族や知人に知られなかったことでね、逆に幸運だったとさえ思うんだ。そして改めて、悪行をするのは慎もうとする。これってもう正義の味方のしてることそのものだよね。だから僕はたとえ、月給が安かろうが、人に罵られようが、この仕事をつづけるんだ。ほこりっぽい、誇りをもってね」
「さ、そろそろ監視カメラがちゃんと記録し始めるころだ、それじゃ」
そういって林たちは去って行った。お金は当然のように持ち去られていた。さやかは何も言えなかった。ただ、その場で呆然とするだけだった。
林たちが去って行った後、さやかはふらふらと気絶している潤のもとへ行く。となりにしゃがみこんで、ぺちぺちと頬をたたく。ちょうどよかったのか、潤の目が開いた。かすれた声で、さやかに問う。
「...あの人たちは?」
さやかは安心しきったからだろうか、目から涙がこぼれてきた。無言のまま、首を振る
潤はさやかを抱きしめる。
「さやかが無事でよかった...まあ、おれはさやかに気絶されたんだけど」
そこまできいてさやかは噴き出した。そうだった。潤に手を出したのは全部自分だった。
「...まあでも負けたよ」潤はさやかの髪を手で梳かしながらそういった
「何のこと?」
さやかが訊ねる。
「いや、運命ってあるんだなって。さやかにウィーコントローラーで殴られて、失いつつある、意識の中でそれだけははっきりしたよ」
潤の胸に顔をうずめ、さやかは幸福を感じる。
たしかにあの人の言っていたことは間違ってはいないと思う。でも、そうならば、自分はどうやって正しいものを知れるのだろう?
いいや、その考え方は違う。
「そうよ、私とあなたは運命的なんだから」
この一瞬はすくなくとも私にとって正しい、と確信をもってさやかは、言える。




