↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

「騎士に男女なんてない」と婚約者が言うので、その考えを最後まで尊重することにしました

作者: 江合 花果
掲載日:2026/10/06

学園の中庭で、歓声が上がった。


騎士科の模擬戦だった。円形の訓練場の真ん中で、木剣を落とした上級生が尻もちをついている。

勝ったのは、赤毛を一本に結んだ女子生徒だった。


ヴェロニカ・ローデン。騎士科二年。


彼女は木剣を放り投げると、観戦していた男子生徒のほうへ一直線に駆けていった。

そして、勢いよく抱きついた。


「カイル! 見てた!? 一本取ったよ!」

「見てた見てた! すげえじゃん!」


抱きつかれた男子生徒は、ヴェロニカの腰に腕を回して、その場で一回転した。


中庭の端の、屋台で買った揚げ菓子の袋を持ったまま、アリシア・ファルベールはそれを見ていた。


隣で、友人のミレーヌが揚げ菓子をくわえたまま固まった。


「……あれ、婚約者だよね?」

「そうだね」

「あなたの」

「今のところね」


ミレーヌは、揚げ菓子を飲み込んだ。


「今のところって言った?」

「言った」


アリシアは、袋の口を折って閉じた。


   ◇


「カイル」


声をかけると、カイル・グランツはヴェロニカを床に下ろしながら振り返った。


「あ、アリシア。来てたんだ」

「楽しそうだね」

「今日ヴェロニカが上級生から一本取ったんだよ! あの先輩、騎士科の三位だぜ?」

「へえ」


ヴェロニカは、カイルの腕に手をかけたまま、アリシアににっこり笑った。


「ごめんなさい。騎士科のノリって、普通のご令嬢にはびっくりするわよね」

「腕、離さないの?」

「これ?」

「それ」

「ああ、貴族のご令嬢だと、こんなことも気になるのね」

「騎士科じゃ男だ女だって、いちいち気にしないんだよ」


カイルが、当然のように言った。


「騎士に男女なんてないからさ」

「へえ」


アリシアは、カイルの腕に絡まったヴェロニカの指を見た。

それから、二人の顔を見た。


「へえ、だって」


後ろでミレーヌが言った。


「考えてる」

「何を?」

「騎士ってすごいね」

「たぶんそれ、騎士関係ないよ」


   ◇


三日後の放課後、アリシアは学園の図書館裏のベンチで、カイルと向き合っていた。


婚約者同士の週一回の面会である。

アリシアの父、ファルベール伯爵が決めた。将来、伯爵家に婿入りする男が領地の話を何も知らないのは困る、というのが理由だった。


「来週、お父様が王都に来るの。水路の改修の話、一緒に聞く?」

「また水路?」

「また水路」

「俺がいても分からないって」

「将来、あなたも管理するんだけど」

「結婚してから覚えるよ」

「水路は結婚を待ってくれないんだよ」


カイルは、ベンチの背にもたれて空を見た。


「アリシアってさ、考えすぎなんだよ。もっと気楽にいこうぜ」

「気楽に水路が決壊したら困るの」

「決壊しないって」

「去年したよ」

「……したの?」

「したの。その話を来週するの」


カイルは、聞こえなかったふりをした。


アリシアは、膝の上で手帳を閉じた。

本題は水路ではなかった。


「それと、もう一つ」

「ん?」

「他の女性と、ああいう触れ方するの、やめてほしい」

「またそれ?」

「今回初めて言ったけど」

「あれくらい普通だって。騎士科じゃ」

「男性の騎士とも?」

「何で男とやるんだよ」


カイルは、即答した。

即答して、自分の言葉を特に気にした様子もなかった。


アリシアは、黙った。


「……何?」

「もう一回言って」

「何で?」

「いいから」

「何で男と抱き合うんだよ」

「騎士に男女ないんじゃなかった?」

「そういう意味じゃないって!」

「どういう意味?」

「……仲間なんだよ!」

「男も仲間だよ」

「お前、めんどくさいな!」


アリシアは、ゆっくり頷いた。


「ああ。最後、そこに逃げるんだ」


   ◇


翌日の昼休み、アリシアが食堂でミレーヌと日替わりのシチューを食べていると、向かいの椅子が乱暴に引かれた。


ヴェロニカだった。


「カイルに、何か言った?」

「言ったよ」

「困るんだけど」

「何が?」

「騎士科の人間関係に口出されても困るの。あなた、領政科でしょう?」

「私、カイルの婚約者なんだけど」


ヴェロニカは、ため息をついて腕を組んだ。

その仕草も雰囲気も、さっきまで廊下で男子生徒と話していたときとは、ずいぶんと違った。


「私はね、女として騎士科にいるつもりはないの。騎士なの。男だ女だっていちいち意識される方が、面倒なのよ」

「うん」

「肩を組んだくらいで、いやらしいことみたいに見る方が、むしろ変じゃない?」

「うん」

「そういう男女の見方自体が、私には分からないの」


ヴェロニカは、少し身を乗り出した。


「何でもそういう目で見ているから、いやらしく見えるんじゃない?」


ミレーヌのスプーンが、シチューの中で止まった。


アリシアは、パンをちぎって、口に入れた。

よく噛んで、飲み込んだ。


「なるほど。よく、分かったわ」

「分かってくれた?」

「うん」

「よかった」


ヴェロニカは、満足そうに立ち上がった。

アリシアは、ヴェロニカの背中に向かって、普通に言った。


「試してみる」


ヴェロニカが、振り返った。


「……何を?」


アリシアは、もうシチューに戻っていた。


   ◇


「やめなよ」


その日の放課後、ミレーヌは開口一番に言った。


「まだ何も言ってない」

「顔が言ってる」

「やっぱり?」

「やっぱり」

「でもさ、向こうが『いやらしく見える方が変』って言ったんだよ。じゃあ、同じことを私がやっても、変じゃないってことだよね」

「理屈はそうだけど」

「理屈がそうなら、試さないと」

「……」


ミレーヌは、しばらくアリシアの顔を見ていた。


「やるなら呼んで」

「やめなよって言ったよね?」

「言ったけど、見たいもん」


   ◇


作戦会議は、図書館の奥の閲覧室で開かれた。


アリシア。ミレーヌ。それから、騎士科の男子生徒が四人。

代表は、フェリクス・ハインツ。騎士科二年の首席で、背が高くて、真面目で、少しだけ顔が怖い。


騎士科の真面目な男子生徒たちは、最近困っていた。

ヴェロニカたちの振る舞いのせいで、「騎士科は男女関係がだらしない」という噂が学園中に広まっていたのだ。来月の推薦査定を前に、迷惑この上なかった。


アリシアは、作戦を説明した。


ヴェロニカがカイルにやったことを、翌日、アリシアがフェリクスに同じようにやる。

肩に触れる。腕を取る。距離を詰める。模擬戦に勝ったら駆け寄る。


説明が終わると、閲覧室が静まり返った。


「……嫌なら、本当に断ってね」

「嫌というか」

「うん」

「恥ずかしいです」

「私も」


フェリクスは、天井を見た。


「これ、どこまでやるんです?」

「向こうがやったところまで」

「……結構ありますよ?」

「私も調べて、ちょっと引いてる」

「俺も今、引いてます」


ミレーヌが、手を挙げた。


「ちなみに、大人の許可は取ってあるの?」

「取ってある。お父様経由で、近衛騎士団長に」

「何で騎士団長」

「推薦査定で来週学園に来るし、騎士科のこういう噂、一番気にするの騎士団の人でしょ」


アリシアは、鞄から一通の手紙を出した。


〈面白い。全員同意の上なら好きにしろ アルベルト・ヴァイス〉


ミレーヌは、手紙を二回読んだ。


「本当に近衛騎士団長?」

「父の友達」

「嫌な友達だね」

「父も言ってた」


   ◇


逆実験は、翌日から始まった。


一日目。

朝、廊下ですれ違いざま、アリシアはフェリクスの肩を軽く叩いた。


「おはよう、フェリクス」

「……おはようございます」


フェリクスの肩が、叩かれた形のまま固まった。

廊下の向こうで、カイルが足を止めた。


二日目。

昼休み、アリシアはフェリクスの袖を掴んで引っぱった。


「ねえ、それちょっと見せて」

「……どうぞ」

「やっぱりフェリクスに聞くと早いね」


完全にヴェロニカの台詞だった。ミレーヌが、離れた席で机に突っ伏して震えていた。

食堂の入口で、カイルが持っていた盆を傾けた。スープが少しこぼれた。


三日目。

アリシアはフェリクスの腕に、自分の腕を絡めて、中庭を歩いた。


フェリクスは、右腕と右足が同時に出ていた。


「フェリクス。歩き方」

「分かってます」

「直ってない」

「直そうとすると余計に分からなくなるんです」


すれ違ったカイルの顔は、もう笑っていなかった。


その日の夕方、訓練場の裏で、カイルがヴェロニカに言っているのを、ミレーヌが聞いてきた。


「なあ、アリシアのあれ、どう思う?」

「あれ?」

「フェリクスと腕組んでたやつ」

「ああ。ちょっと令嬢としては、はしたないわよね」

「……だよな。男の腕を軽々しく組むとか」

「淑女が聞いてあきれるわよね?」

「一回、ガツンと言ってやらないと、かもな!」

「まあ、私たちも今、組んでるけどね」


カイルは、自分の腕を見た。

ヴェロニカの腕が、しっかり絡まっていた。


「…………」

「…………」

「いや、俺たちは騎士だから」

「そうよ。騎士だから」

「アリシアは騎士じゃないからな」

「そうよ。だから、はしたないのよ」


二人は、うんうんと頷き合った。

腕は、組んだままだった。


ミレーヌは、この話をするあいだ、三回ほど笑いが出て話が中断した。


そして、四日目。

騎士科の模擬戦があった。


フェリクスが、三本先取で上級生を下した。

訓練場の端で見ていたアリシアに、フェリクスがちらりと視線を寄越した。


「……来ます?」


アリシアは、聞こえるか聞こえないかの声で答えた。


「行かないと駄目かな」

「俺は、もう十分だと思います」


後ろから、ミレーヌの声がした。


「行け」


二人は、黙った。


アリシアは、フェリクスのほうへ歩いた。小走りにはなれなかった。

フェリクスの前で一度止まって、深呼吸して、それから、軽く両腕を回した。


一秒もなかった。


「おい!!!!」


訓練場じゅうに、カイルの声が響いた。


フェリクスは、即座に離れた。

両手を上げて、二歩下がった。


「……助かった」


   ◇


「何やってんだ!」


カイルが、大股で訓練場を横切ってきた。


「喜びを分かち合った」

「抱きつく必要ないだろ!」

「騎士同士なら普通なんでしょ?」

「お前は騎士じゃない!」

「フェリクスは?」

「俺を使わないでください」


フェリクスは、もう一歩下がった。


そこへ、ヴェロニカが駆けつけた。


「ちょっと、アリシアさん。さすがに貴族令嬢として、はしたなくない?」

「あなたも、昨日同じようにやってたよ」

「私は騎士だから!」


アリシアは、フェリクスを見た。


「騎士?」

「そう、私たちは騎士候補の仲間です、一緒にしないで!」

「そういう話じゃないでしょう!」

「ずっとその話をしてるんだけど」


カイルが、アリシアの前に立った。


「お前には、俺がいるだろ!」

「私にも、あなたがいるね」

「だから、他の男とベタベタするな!」

「嫌なんだ?」

「当たり前だろ!」


アリシアは、カイルを見た。


「私も、嫌だったよ」


訓練場が、静かになった。


カイルが、口を開けて、閉じた。


「でも、私たちは騎士だから――」


ヴェロニカが言いかけた。


アリシアは、ヴェロニカのほうを向いた。


「そろそろ、別の言い訳ない?」


「別の言い訳とは何だ。言い訳ではない、信念だ」とカイルが言い、「そうよ、私たちは純粋に仲間として」とヴェロニカが続け、「でも男とは抱き合わないんでしょ」とアリシアが言い、「それとこれとは違う!」「何が?」「何かが!」――と、話が三周目に入りかけたとき。


訓練場の入口から、拍手が聞こえた。


ぱち、ぱち、ぱち。


全員が振り返った。


入口の柱に、背の高い男がもたれていた。

灰色の髪を後ろに撫でつけて、近衛騎士団の濃紺の軍服を着ている。腕を組んで、にこにこしていた。


カイルの顔から、血の気が引いた。


「……団長」


近衛騎士団長、アルベルト・ヴァイス。

推薦査定の下見で、今日から学園に来ていた。


「続けていいぞ」

「無理です」


全員の声が、揃った。


   ◇


団長は、ゆっくり訓練場に入ってきた。


査定に来ていた騎士が二人、後ろについてくる。そのうちの一人が、もう一人に小声で言った。


「団長、笑ってるぞ」

「誰か死ぬ?」

「物理的には、たぶん死なない」


団長は、カイルとヴェロニカの前で止まった。


「報告は受けている。騎士科の一部で、騎士には男も女も関係ない、と言う論調で、婚約者を持つ男女が不必要に接触していると」


二人の肩が、跳ねた。


団長は、そこで笑うのをやめた。


「先に、はっきり言っておく」


声の調子が、変わった。


「騎士としての能力を、男か女かで決めるつもりはない。剣の腕も、責任も、訓練も、任務も、私は男女で区別しない」


ヴェロニカが、顔を上げた。


「だが、男と女であることそのものが、消えるわけじゃない。身体の違いも、それに必要な配慮もある。違いを理由に不当に扱わないことと、違いそのものを無視することは別だ」


団長は、二人を順番に見た。


「そして今回の問題は、そこですらない。お前たちは、私的な親密さを『騎士だから』という言葉で正当化した」


カイルが、何か言いかけた。


「騎士団は、仲良しクラブじゃない。贔屓、嫉妬、庇い合い、仲違い。そういうものが命令系統に入り込めば、戦場では人が死ぬ。だから騎士団は、公務と私情を分けられない人間を嫌う」


団長は、間を置いた。


「私も、そういう人間を部下には欲しくない」


訓練場が、静まり返った。


ミレーヌが、アリシアの袖を引っぱった。


「……まともなこと言ってる」

「言ってるね」

「まともな人なの?」

「仕事のときはね」


団長は、ふっと息を吐いた。

それから、またにこにこし始めた。


「さて」


後ろの騎士が二人、そろって一歩下がった。


「ヴェロニカ・ローデン嬢」

「は、はい」

「君は、女として扱われるのが嫌なんだって?」

「……はい」

「なるほど」


訓練場の隅で、騎士科の誰かがつぶやいた。


「……来た」

「何が?」

「団長の『なるほど』」

「逃げた方がいい?」

「もう遅い」


   ◇


「北辺に、第五前哨地という場所がある」


団長は、楽しそうに言った。


「……北辺?」

「うむ。魔獣の通り道を見張る砦だ。今、欠員が一人ある」


団長は、指を折りながら説明した。


「常設の宿舎はない。天幕だ。風呂もない。水は飲用が優先で、身体を拭く分は雨が降るのを待つしかない。用を足す場所は、茂みに穴を掘って魔獣が来ないのを祈りながらする。冬は雪で埋まる。夏は泥で埋まる。魔獣は夜に来る」


ヴェロニカの顔色が、一段ずつ白くなっていった。


「本来なら、女性騎士を送りやすい環境ではない」


ヴェロニカが、一瞬、ほっとした顔をした。


「だが君は、男だ女だと扱われる方が煩わしいそうじゃないか」


ほっとした顔が、そのまま固まった。


「任務については、本当に区別しないぞ。夜襲があれば起こす。魔獣が来れば戦ってもらう。雪でも歩いてもらう。二年務めれば、騎士爵への推薦を考えよう」


ヴェロニカは、口を開けた。何も出てこなかった。


団長は、優しく言った。


「もちろん、断ってもいいぞ」


ヴェロニカは、助けを求めるように周りを見た。


カイルは、目を逸らした。

フェリクスたちは、全員下を向いていた。


最後に、ヴェロニカの目がアリシアに止まった。


アリシアは、さすがに気の毒になって言った。


「……無理しなくても、いいんじゃない?」


ヴェロニカの頬が、ぴくりと動いた。


「……行きます」

「え?」

「行きます!」

「本当に?」

「行くって言ってるでしょう!」

「いや、私に怒られても」


団長が、満足そうに頷いた。


「素晴らしい。では手続きを進めよう」


ミレーヌが、小声でアリシアに言った。


「今の、完全にあなたのせいだよね」

「私、止めたよね?」

「止め方が最悪だった」


   ◇


「さて、カイル君」

「……はい」


カイルは、もう半歩下がっていた。


「君も、素晴らしい考えを持っている」

「何の話でしょう」

「騎士は仲間。男も女もない。喜怒哀楽を、身体で分かち合う」

「そこまでは――」

「言ってた」とアリシア。

「言ってたね」とミレーヌ。

「俺も聞きました」とフェリクス。

「何で全員敵なんだよ!」


団長は、うんうんと頷いた。


「ところでカイル君。君、模擬戦で男の先輩に勝ったことはあるか」

「……あります」

「そのとき、その先輩に抱きついたか」

「抱きつくわけないでしょう」

「なぜ?」

「何でって……」

「騎士に男女はないんだろう?」

「……」

「なるほど」


騎士科の隅で、誰かが「二回目だ」とつぶやいた。


「西方監獄島を、知っているか」

「……はい」


西方監獄島。王国の西の海に浮かぶ、罪人の島だ。

収容された者たちは、有事に備えて兵として鍛えられている。荒くれ者ばかりで、男しかいない。


「管理補佐が、一人足りない」

「嫌です」

「まだ何も言っていないんだが」

「嫌です」


団長は、気にせず続けた。


「あそこの連中は、とにかく仲間意識が強くてね。訓練に勝てば抱き合う。遠征から帰れば担ぎ上げる。宴会では、全員で肩を組んで歌う」


団長は、カイルの肩をぽんと叩いた。


「君にぴったりだ」

「全員男ですよね!?」

「そうだが?」

「いや、それとこれとは違うでしょう!」

「何が違う?」

「何かが!」


アリシアが、小さくつぶやいた。


「出た」

「何かが」


ミレーヌが、復唱した。


団長は、心から不思議そうな顔をした。


「安心しろ。私は、君の思想を否定していない。むしろ尊重している」

「尊重しないでください!」

「わがままだなあ」


   ◇


その後のことは、早かった。


学園は、二人の振る舞いを正式に審議した。

問われたのは、抱き合ったことそのものではなかった。婚約者本人から不快だとはっきり伝えられたのに、「騎士だから問題ない」と言い続けたこと。私的な親密さを、騎士という立場の免罪符にしたこと。同じことをされた途端、自分たちだけを例外扱いしたこと。公私の区別と規律の面で、騎士団への推薦に値しないと判断されたこと。


二人は騎士科の推薦資格を失い、そろって学園を去った。


ヴェロニカには、

近衛騎士団長の裁量で、北辺第五前哨地での二年間の実地勤務を完遂し、勤務評価が基準を満たせば、改めて騎士爵への推薦を検討する、という道が残された。本人は、それを選んだ。本人の言葉を借りれば、選ばされた。


カイルは、アリシアとの婚約を解消された。

グランツ子爵家の当主――カイルの父は、手紙一通で息子に言い渡した。


〈婿入り先まで自分で潰したのだから、今後は自分で何とかしろ〉


行き先は、団長が紹介してくれた。

西方監獄島、管理補佐。


   ◇


審議が終わった日の放課後、アリシアは菓子屋の箱を四つ抱えて、騎士科の控え室を訪ねた。


フェリクスたち四人が、椅子から立ち上がった。

なぜか、全員、少し後ずさった。


「この間は、本当にごめんなさい。それと、ありがとう」


アリシアは、箱を机に置いて、頭を下げた。


「新しくできた店の、限定の焼き菓子。一人一箱」

「……いえ。こちらこそ、噂が消えて助かりました」


フェリクスは、箱を受け取った。受け取りながら、目を合わせなかった。


「推薦査定、団長が『騎士科の首席はまともだな』って言ってたって」

「それは、ありがたいです」

「もう二度と、ああいうことは頼まないから」

「はい」

「本当に」

「はい」


フェリクスは、箱を胸に抱えたまま、もう一歩下がった。


「二度と、やりたくないです」

「私も」

「でも、焼き菓子はいただきます」

「どうぞ」


後ろの三人も、箱を受け取るたびに半歩ずつ下がっていった。

最後の一人は、ほとんど壁に背中がついていた。


   ◇


北辺第五前哨地。


ヴェロニカは、補給の木箱の前に立っていた。

箱は、膝の高さまである。中身は乾燥豆だ。


近くに、髭面の騎士がいた。


ヴェロニカは、髪を耳にかけた。

声を、半音上げた。


「ねえ、これちょっと重くて……」


騎士が、振り返った。


「重い?」

「うん」


騎士は、木箱とヴェロニカを見比べて、真剣な顔で頷いた。


「筋力不足だな」

「え?」

「今日の腕立て、三百回追加」

「三百!?」

「元気な声が出るじゃないか」

「そういう問題じゃない!!」


別の日。


ヴェロニカは、天幕の綱を張り直そうとして、手を止めた。

教官が通りかかった。


ヴェロニカは、もう一度、髪を耳にかけた。


「ちょっと、手伝ってくれない?」


教官が、止まった。


「声が細い!」

「え?」

「腹から出せ!」

「出してます!」

「出てない! 腹筋五百!」

「五百!?」

「今のはいい声だ! でも五百は五百だ!」

「何で!?」


さらに別の日。


「あのぉ、この見張りの順番なんですけどぉ」

「語尾が伸びてる! 気が抜けてる証拠だ! 背筋三百!」

「……」


その翌日。


「見張りの順番について質問があります」

「よし! いい声だ!」


ヴェロニカは、自分の口を押さえた。


その夜、天幕の中で、ヴェロニカは寝袋に潜り込みながら、隣の女性騎士に聞いた。北辺第五前哨地に、女性騎士は彼女を入れて三人いる。

ちなみに、全てヴェロニカと似たようなトラブルを起こし、ここに配属となったらしい。


「……ねえ。ここの人たちって、何で甘えても全然通じないの?」


女性騎士は、寝袋の中で目を開けずに答えた。


「甘える相手を間違えてるからだよ」

「誰に甘えればいいのよ」

「魔獣以外なら誰でもいいけど、全員、腹筋を勧めてくる」

「……」

「寝な。明日、雪かきだから」


   ◇


数か月後、ファルベール伯爵家の王都の屋敷に、団長から手紙が届いた。

伯爵宛てだったが、半分以上がアリシア宛ての内容だった。


〈ローデン嬢は健在。

最初の一週間は毎晩泣いていたそうだが、最近は泣く体力も惜しいらしい。

男性隊員への妙に甘い声は三日で消えた。出すたびに腹筋が増えたからだろう。

最近は、教官の姿を見るだけで、反射的に腹へ力が入るようになったそうだ。

なお本人は、帰還までの日数を毎朝、天幕の柱に刻んでいる。このままでは、本人より先に柱がもたない〉


ミレーヌは、手紙を読んで言った。


「元気そうだね」

「これ、元気なのかな」


   ◇


西方監獄島。


カイルが桟橋に降りたとき、最初に目に入ったのは、筋肉だった。


次に、髭。

胸毛。

筋肉。

また筋肉。


「お前が、新しい管理補佐か!」


身の丈がカイルの頭一つ半大きい男が、カイルの背中を叩いた。


バン!!


「ぐっ!!」

「よろしくな!」


別の男が、横から肩を組んできた。


「歓迎するぜ!」

「近い近い近い!」

「何だよ、仲間だろ?」


カイルは、身をよじって腕から抜け出した。


「俺は管理補佐だ! お前たちとは立場が違う!」

「立場?」


男たちは、顔を見合わせた。


「でも団長が言ってたぞ。新しい管理補佐は、『騎士に男も女もない。仲間なら喜びを身体で分かち合う』って考えの持ち主だって」

「言い方!!」


三日後、訓練で島の部隊が本土の部隊に勝った。


「勝ったぞおおお!!」


男たちが、五人まとめて抱き合った。

カイルは、壁際まで後退した。


「おい管理官!」

「何だ」

「お前も来い!」

「俺はいい!」

「喜びは仲間で分かち合うんだろ!」

「誰から聞いた!?」

「団長!」

「余計なこと全部喋ってる!!」


結局、カイルは捕まった。

六人目として、抱き合いの輪の真ん中に押し込まれた。


正面の男の胸板に、顔から突っ込んだ。

シャツの胸元が、大きく開いていた。


「むぐっ」


慌てて顔を上げた。口の中に、何か残っていた。


「毛! 毛が口に入った!」

「誰のだ?」

「俺が知るか!」


顔をそむけた先に、別の男の顎があった。

立派な髭だった。


「ぶはっ! 今度は髭!」

「吐くなよ、仲間だろ!」

「仲間なら毛を食わなきゃいけないのか!?」

「勝利の毛だ! ありがたく食え!」

「ありがたくない!!」


次の週、遠征帰りの部隊を桟橋で出迎えたら、カイルは担ぎ上げられた。


「管理官が出迎えてくれたぞおお!!」

「下ろせ!!」

「仲間を担ぐのは、島の礼儀だ!!」

「そんな礼儀知らない!!」

「団長が、お前は仲間と喜びを身体で分かち合う主義だって!」

「そういう意味じゃない!!」


島を半周するあいだ、カイルは男たちの肩の上で揺られていた。

暴れるたびに、下の男が「おっと」と担ぎ直した。担ぎ直されるたびに、カイルの顔の位置が変わった。


三度目に担ぎ直されたとき、カイルの顔は、誰かの頭頂部と誰かの肩のあいだに挟まっていた。


「前が見えない!」

「見なくていい! 仲間を信じろ!」

「信じてない!!」


その夜は、宴会だった。


左から肩を組まれた。右からも肩を組まれた。前に座った男が、カイルの杯に酒を注いだ。注ぎながら、カイルの膝を叩いた。


「何で全員、こんなにでかいんだ……」

「何が?」


真後ろから声がした。


「うわああああ!!」


振り返ると、さっきカイルの背中を叩いた男が、きょとんとした顔で立っていた。


「いや、何がでかいのかなって」

「……背が」

「ああ。鍛えてるからな! お前も鍛えるか!」

「鍛えない!」


宴会は、夜明けまで続いた。

カイルは、三回逃げ出して、三回連れ戻された。四回目は、もう逃げる体力がなかった。左右から肩を組まれたまま、八十人分の歌を最後まで聞いた。歌詞は、全部「仲間」と「筋肉」でできていた。


二週目には、カイルは夢にうなされるようになった。

夢の中でも、肩を組まれていた。


三週目には、管理棟の自室の扉に鍵を三つ付けた。

翌朝、扉ごと外されていた。


「鍵がかかってて入れなかったからな!」

「入るな!!」

「仲間に壁はいらねえ!」

「扉はいるだろ!!」


   ◇


ひと月で、カイルは限界に達した。


ある晩、彼は管理棟の机に向かい、震える手で団長に宛てて配置転換の願い出を書いた。


〈西方監獄島勤務について。

隊員間の身体的距離が過度に近く、業務上必要とは思えない接触が多々あります。

私自身、非常な精神的負担を感じております。

配置について、ご再考いただけないでしょうか〉


二週間後、返事が届いた。


便箋の真ん中に、一行だけ。


〈奇遇だな。君の元婚約者も、ほぼ同じことを言っていた〉


カイルは、便箋を持ったまま、動かなくなった。


後ろから、巨大な腕が首に回ってきた。


「手紙終わったか! 飲むぞ!」

「離せ!!!」

「いいから! 今日はあいつの誕生日なんだ! 全員で抱き合うぞ!」


カイルの顔から、血の気が引いた。


「……八十人」


「おう!」

「今日は一人ずつだ!」

「誕生日だからな!」


「もう助けてくれぇぇぇぇ!!」


   ◇


「カイル、十キロ痩せたって」


王都の大通りの屋台の前で、アリシアは団長からの二通目の手紙を読み上げた。

片手に、串焼きを持っていた。


「健康的じゃない?」


ミレーヌが、自分の串焼きにかぶりつきながら言った。


「原因が健康的じゃないと思う」

「あと何て?」

「配置転換の願いを、もう四通出したって。全部、同じ一行で返したって」

「団長、楽しんでるよね」

「楽しんでるね」

「ヴェロニカは?」

「腹筋がすごくなったらしい」

「騎士っぽくなったじゃん」

「本人は全然喜んでないって」

「でしょうね」


二人で、串焼きの最後の一切れを同時に食べた。


そこへ、通りの向こうから、騎士科の制服の一団が歩いてきた。

先頭は、フェリクスだった。


フェリクスたちは、アリシアに気づいた。


全員、反射的に、半歩下がった。


「……まだやるの、それ?」

「身体が覚えてしまいまして」


フェリクスは、目を逸らしながら言った。


「もう何もしないって」

「分かってます」


もう半歩、下がった。


「分かってないよね?」


ミレーヌが、串を持ったまま笑った。


「まあ、何かあるたびに抱きつかれるかもって思ったら、そりゃ距離取るよね」

「しかも、上級貴族で婚約者持ちだし」


「私だって好きでやったんじゃないんだけど」


アリシアは、串焼きの串を屋台の籠に戻して、腰に手を当てた。


「それに、私はもう婚約者もいないんだけど」


フェリクスが、さらに半歩下がった。


「だから下がってるんです」


「どういう意味!?」


(了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
団長みたいな人大好きです(°▽°)
ローデン嬢を応援したくなった
だから下がってるんです!! ……言い得て妙っ!w
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。