かぐや姫
日本最古の物語『竹取物語』。
その主人公である「かぐや姫」は、月の国で「ある罪」を犯し、地球に来ることになりました。
これは、そのかぐや姫が犯した「ある罪」について書かれた物語であります。
白く輝く地の果て、そこに住む人は、千年生きると言われてる。その地に、1つの都があった。その都には、1人の娘がいた。その娘は、たいへん綺麗な娘だった。
その娘は、名前を千土といった。千土姫は、その都を治める王、千土王の娘であった。
「姫様。お勤めでございます」
千土姫は筆を動かすのを止め、部屋の襖の方を見やった。開いた襖の外には、両手を床に添えた女が1人、頭を下げていた。
「糸君か。わかりました。今、向かいます」
千土姫はそう応えた。千土姫は手に持った筆を硯の横に置き、静かに立ち上がった。開け放たれた蔀からは、青い地の星が覗いていた。
廊下に出ると、糸君がまだ頭を下げていた。千土姫は、その横を摺り足で歩いた。白い着物の上に、淡く透けた白い羽衣を纏いながら、千土姫は廊下を歩いた。同じく羽衣を纏った糸君も、姫の後ろを静かに付いてきている。
少し歩いた先に、また他の女が頭を下げていた。その横には、兎が大きく描かれた襖の部屋があった。千土姫が部屋の前に立つと、その女は襖をそっと開けた。
部屋の真ん中には、琴が1つ置かれていた。千土姫は、琴の側に胡座をかくように座った。そして、琴を膝の上に置き、弦の音色を確かめるようにを1つ、また1つと、弾いた。
千土姫は、無言で琴を弾いた。これまで何度も弾いてきた曲を、ただただ黙って弾いた。
しばらくすると、部屋の外から話し声が聞こえてきた。そして、千土王が部屋に入ってきた。
「姫よ。宴に備え、稽古に励んでおるか」
「はい」
千土姫は、王の方を見ずに応えた。
「そうか。望月の宴は、この都に代々伝わる、由緒ある祭事。厳かに執り行うべきものなり。そなたも、しめやかに稽古に従事せよ」
「わかりました」
王は、黙って琴を弾いている千土姫を少しの間見つめて、そして部屋から出ていった。
千土姫は、幼い頃から琴楽の習わしを受けている。小さい頃から幾度となく、この琴を弾いてきた。琴の音を聞くたびに、千土姫には思い出されることがあった。
数年前のある朝、千土姫が宮中の庭の軒先で琴を弾いていると、遠くの方で幾匹かの兎を見つけた。その兎たちは、千土姫の琴の音色を楽しんでいるように、跳びはねながら、こちらを見ていた。
その中の1匹が、おもむろに千土姫の方に近づいてきた。真っ白の小さなやつであった。千土姫は手を止め、その兎に手を差しのべた。兎は、初めは怯えているようであったが、千土姫の手に鼻を近づけ、なにやら様子を窺っていた。そして、自らの顔を千土姫の手に触れさせ、懐いてきた。その日から、千土姫は父と母に内緒で、その兎を可愛がった。
琴を弾く手を止め、千土姫は部屋を静かに出た。部屋の外に居た糸君は、その姿を見て、不安そうに周りの様子を窺った。
「珠や……」
千土姫は囁くように言った。すると、縁側の下から、1匹の兎が、ひょこっと顔を出した。千土姫がそっと手を差し出すと、珠はゆっくり近づいてきた。そして、顔を擦り寄せた。
千土姫は、珠の頭を優しく撫でた。
「姫様、お勤めを⋯⋯」
糸君が小さく言った。
「わかっています」
千土姫は、そう応えた。千土姫は、珠の瞳を眺めていた。
宴の前日の夜、千土姫は部屋で琴を弾いていた。時折、手を休め、部屋から見える青い地の星を眺めていた。
すると、すっと部屋の襖が開いた。千土姫が襖の方を見やると、そこには千土姫の母がいた。
「お稽古は、いかがですか」
「母上様。はい、問題ありません」
「そうですか⋯⋯。先程から、音に乱れがあるようですが」
母の言葉に、千土姫は黙っていた。
母は千土姫のその様子を窺うと、蔀から見える青い地の星の方を見やった。
「あの星のことが、気になりますか」
千土姫は、母の方を向いた。母は、青い地の星を眺めている。そして、おもむろに話し出した。
「あの星は、心を持つ者が暮らすと言われています。あの星に、どのような人々が暮らしているかは、わかりません。私も幼き頃、あの星に憧れを抱いた時がありました。しかしそれは、私が心を手放す前の話です」
千土姫は、母の方を見た。初めて聞く話であった。母は話を続けた。
「この地に住む民は、幼い頃から心というものを手放す選択を迫られます。しかし、われわれ王族は、その選択をする余地はありません。それは、この都を守らなければならないからです。心を捨て、その代償として不死を得ることができるからです。これは、われわれ王族に代々受け継がれている、いわば宿命なのです」
「⋯⋯そのことは、わかっております」
千土姫は、肩にかけた白い羽衣に手をやった。しばらく、2人は黙っていた。
「宴での、そなたの姿、楽しみにしていますよ」
そう言うと、母は静かに部屋を出ていった。千土姫は、なびく羽衣を纏い部屋を出ていく母の背中を、ただ眺めていた。
宴の朝になった。いつものように、千土姫は琴の稽古に励んでいた。稽古が一段落し、千姫は部屋を出た。糸君が、部屋の外で、周りを窺っている。
「珠や」
千土姫は、そう囁いた。いつもなら珠はすぐ出てくるのだが、今日は千土姫の前に現れなかった。
「珠や⋯⋯。珠や⋯⋯」
千土姫は、何度も名を呼んだ。しかし、珠は姿を見せなかった。
「姫様。父上様が御座しになられます」
「⋯⋯」
千土姫は、黙っていた。そこに、王が現れた。
「姫よ、稽古はどうしたのだ。宴は今日であるぞ」
「はい。少し外を眺めて、休んでおりました」
「そうか、まあ良い。今日のそなたの姿、楽しみにしておるぞ」
そう言うと、王は立ち去った。
千土姫は、ぼうっと外を眺めたままだった。糸君は、千土姫に声をかけることは無く、頭を下げたままだった。
夜になり、宴が始まった。多くの者が、宮中に集まった。皆で、酒やご馳走を囲んだ。
千土姫は、奥の部屋で控えていた。千土姫が静かに過ごしていると、部屋の襖がすっと開いた。糸君だった。
「姫様、番が迫っております」
「⋯⋯わかりました」
千土姫は、静かに立ち上がった。そして、開けられた襖を出て、縁側に出た。縁側を静かに歩く千土姫の後ろから、糸君は黙って付いてきている。
縁側を歩いている途中、外の地面に何やら丸いものが見えた。その元に、糸君が近づいた。
「姫様、珠でございます」
「なに、珠か」
千土姫は襪のまま、外に出た。そして、珠の方に歩み寄った。
「珠。珠ではないか」
千土姫は、珠をそっと抱き上げた。しかし、珠は弱っているようで、少し震えていた。
千土姫は、その場で珠を抱きしめた。弱々しい息づかいが体に伝わってくる。
「姫様。番が迫っておりますゆえ、お急ぎを」
「⋯⋯」
「姫様⋯⋯」
「⋯⋯わかりました」
千土姫は、そっと立ち上がった。
「糸君よ。珠を看ていてくれませんか」
「かしこまりました」
千土姫は、抱いていた珠を糸君に渡した。
千土姫は、宴の行われている大広間の前に着いた。千土姫はその大広間の横にある小さな部屋の襖を開け、中に入った。中は薄暗く、部屋の真ん中に琴が1つ置かれていた。千土姫は、その琴の側に行き、演奏の準備をした。
隣の部屋で千土姫が演奏の準備ができたことを知った王は、大広間にいる者に、姫の演奏の番が来たことを伝えた。皆は、静かに千土姫の登場を待った。
隣の部屋の襖が開いた。そこには、御簾で姿を隠した千土姫が座っていた。大広間は、静まっている。千土姫は、静かに琴を弾き始めた。周りの者は、静かに琴の音色に耳を傾けた。
琴の音色は、美しかった。千土姫が奏でる音に、その場にいた全員が酔いしれていった。演奏は、その場を包み込むように流れていった。
しかし演奏の終盤、千土姫は音を間違えてしまった。周りの者もその事に気づいた。その後も、千土姫はいくつも音を間違えてしまった。
演奏が終わり、千土姫の部屋の襖はすぐに閉められた。千土姫の部屋は、急に暗闇に包まれた。千土姫は、しばらくそのまま座ったままだった。
しばらくして、部屋に王が入ってきた。
「姫よ。今しがたのそなたの様、いかがしたか」
王は千土姫の顔を見つめるなり、そう言った。千土姫は、ただ黙っていた。
「望月の宴は、この地の平穏と、われわれ月の民の繁栄を願う、1年で最も重要な祭事。失態は、許されぬ」
「⋯⋯すみませぬ」
千土姫は、そう呟いた。王は、そんな姫の様子を、ただ眺めていた。
「姫よ。自戒せよ」
そう言うと、王は部屋を後にした。部屋には、また千土姫1人となった。見上げると、格子から青い地の星が見えた。
王が去った後、部屋の襖が再び開いた。糸君であった。
「姫様、部屋にお戻り願います」
「いかがしました」
「珠が⋯⋯」
千土姫は、糸君の言葉を聞いて立ち上がり、部屋を出た。そして、廊下を早足で歩いた。
「姫様、端のうございます」
糸君の声を聞いてか聞かずか、千土姫は歩みを止めなかった。
千土姫は、自分の部屋に着いた。急いで襖を開けると、中には布にくるまれた珠がいた。千土姫は、珠の元へ駆け寄った。
「珠や⋯⋯」
千土姫は、珠を抱きかかえた。珠は、小さく息をしていた。体が冷たくなっている。千土姫は、珠を抱きしめた。
千土姫は、しばらくそうしていた。どれくらいそうしていたか、千土姫自身もわからなかった。ただ、抱きしめた手の中で、珠の命が小さく動いているのを感じていた。
宴の最中の王のもとへ、糸君が駆け寄ってきた。
「糸君、宴の最中だ。無礼であるぞ」
「御門様、ご無礼をお許しください。姫様が⋯⋯、姫様が……」
王は糸君の様子を見て、すぐに宴の場を出た。そして、千土姫が控えている部屋へ向かった。
部屋の中には、うずくまっている千土姫がいた。その様子を見た王は、静かに千土姫に近づいた。
「姫よ、どうしたのだ」
千土姫は、王の声に反応しなかった。ただ、何かを抱きしめるようにその場にうずくまっている。王は、そんな姫の顔を覗き込むように見下ろした。その時、千土姫の瞳から一筋、流れるものを見た。
「そなた。今、その頬をつたうものは何か」
千土姫は、咄嗟に自身の顔を袖で隠した。しかし、王は見逃さなかった。
「千土姫よ。そなた、泣いておるのか」
「父上様。私には、わかりませぬ⋯⋯」
千土姫は、肩を震わせながら言った。
「そなた、忘れたのではあるまいな。月の都が古来から安泰なのは、我々が、心を持たぬが故の成り行き。心にすがり、命を捨てる者は、賤しき者のすることだ」
千土姫は、ただ黙っていた。
「われわれ月の王家の者は、生き続けねばならぬ。それが、われわれの運命なのだ」
王は、改めて千土姫の方を見た。姫は、なにか抱きかかえている。
「姫よ。それを見せよ」
千土姫は、静かに両手を開いた。白く丸い兎だった。しかし、その兎は動かず、ただそこに寝ているようであった。
「姫よ。これは何だ」
「⋯⋯珠でございます」
「こやつに名を付けたか。愚かな者よ。名を付けると情が移ると、戒めておいたものを⋯⋯」
王がよく見ると、姫の近くには、羽衣が落ちていた。
「羽衣を、放したな⋯⋯」
王は、床に落ちた羽衣を見て呟いた。すると、姫は王を見上げて言った。
「父上様⋯⋯。わらわは、わらわは⋯⋯、自由になりとうございます……」
見上げた千土姫の瞳からは、幾筋も涙が流れていた。
「ならぬ。心をもってしまったが故に、生きることに悲しみ、憎み、恨むのが命というものだ。心をもった者が、末にどうなるか、そなたにはわからぬ」
王が話している間、千土姫は俯いたままだった。
「心を持ってはならぬことは、月の都の掟。その掟を破りし者には、しかるべき罰を受けねばならぬ」
王の言葉に、千土姫は何も応えなかった。
遅れて、千土姫の母が現れた。うずくまった姫と、その近くの床に置かれた羽衣が目に入った。
「これは……」
後ろで、そう母が呟くのを王は聞いた。
「……車を持って参れ」
王は呟くように、近くにいた糸君にそう伝えた。糸君は返事をし、すぐにその場を離れた。
「王よ、どうか姫を……」
母は、目の前の王に向かって言った。王は振り向かなかった。
「月の都が今の世まで続いたのは、この掟を遠つ神祖が代々受け継ぎ給われたからに他ならぬ。この掟は、朕にも変えられぬ……」
王は言った。母は黙ったままだった。
「父上様、母上様。心をもちたいと願ってしまった私を、どうかお許しください……」
千土姫は、涙を流しながら、そう呟いた。王は、返事をしなかった。
しばらくして、粗末な御所車が2台、御車寄に停められた。
「車が参られました」
王の元へ戻った糸君が、そう伝えた。そうかと王は言い、静かに千土姫の部屋を出た。母は、黙って王に従い、部屋を出た。
千土姫は、糸君に手を添えられ立ち上がった。姫は、すぐ横で眠っている珠をそっと抱きかかえた。
「糸君よ。珠を、お願いします」
姫は、そう言うと珠を糸君に手渡した。糸君は、黙って頷いた。
姫は糸君を従え、部屋を出た。部屋には、姫の羽衣だけが残されていた。
姫が御車寄に着いた。そこには、王や母、その他の側近たちが取り囲む中、雨眉車が2台、停められていた。糸君は、そのうちの1台の車の後ろに施された青い御簾に手をかけた。王や母に見つめられながら、姫は手前に置かれた台座に足をかけ、車の中へ入った。
車の中は、2畳分の広さで、奥に茵が1つ置かれていた。千土姫はその茵に座り、続いて糸君が手前に座った。糸君は、御簾を下げた。
車の側面に設けられた物見窓から、母が顔を覗かせた。姫は、半蔀を上げた。
「姫よ⋯⋯」
母が、そう呟いた。
「父上様、母上様⋯⋯。お許しください⋯⋯」
姫は下を向き、そう言った。
「さようなら……」
側近が、物見窓の半蔀を下げた。千土姫の姿は、見えなくなった。
「朕もついて行く。お前は、ここに残れ」
黙っている母の側にいた王は、母にそう言うと、側近とともにもう1台の車に乗り込んだ。
「王よ⋯⋯。姫のことを、願い奏します」
王は、黙って頷いた。
「⋯⋯連れてゆけ」
王がそう言うと、2台の車はゆっくりと動き出した。
母は、青い地の国へ向かう車の行方を、ずっと眺めていた。
車が青い地の国へ向かっている道中、千土姫は何も話さなかった。ただ、物見窓から見える青い星を、黙って見つめているだけだった。
車が、動きを止めた。青い地の国に着いた。
糸君が車の後ろの御簾を上げようとすると、姫が話しかけた。
「糸君⋯⋯。そなたには感謝しています。今まで、よく尽くしてくれました」
そう言われ、糸君は、そっと自身の纏っていた羽衣を外した。
「姫様⋯⋯。どうか、ご無事を祈っております⋯⋯」
そう言うと、糸君は千土姫の手にそっと触れた。千土姫の手に、小さな雫がぽたりと落ちた。
「ありがとう⋯⋯」
千土姫は、糸君の手を持ちながら車から降りた。
地の国は、真っ暗だった。そしてそこには、上にまっすぐ伸びた、見たこともない長い柱状のものが幾本も地面から出ていた。
「ここが、青い地の国⋯⋯」
初めて見る景色だった。幼い頃、母からこの地のことは教えられていた。しかし、実際に来てみると、思っていたものとは違っていた。
ともに来ていた王が、車の近くにいた。
「姫よ、こちらへ参れ」
千土姫は、糸君に連れられ、王の元へ歩み寄った。
「ここが青い地の国である。ここにいる者は皆、心をもっている。それはそなたも知っていよう」
姫は、黙って聞いていた。王は続けた。
「心というものが、何であるのか⋯⋯。それは月の国を治める朕には分からぬ。そなたは、その心というものに憧れを抱いた。姫よ。そなたは、この地でこれから二十余年生きるのだ。そして心というものが、いかがなものなのか、とくと見届けよ」
王はそう言うと、口を閉ざした。
千土姫は、黙ったままだった。そしてしばらくして、王に言った。
「王よ⋯⋯、どうかお元気で⋯⋯」
王は、返事をしなかった。そして千土姫の頬をそっと撫でた。すると、千土姫はすっとまぶたを閉じ、眠ってしまった。
王は千土姫の方に手を置いた。姫は、徐々に体がしぼみ、やがて掌に乗るほどに小さくなった。
王は黙ったまま、小さくなった千土姫を両手で包み込んだ。そして、近くにある大きな柱の根本に屈み込んだ。王が両手をその根本に押し当てると、千土姫は吸い込まれるように消えていった。
王は、その柱の根本にそっと右手をあてた。すると、柱の中から溢れんばかりの眩い光が、温かく灯った。
「姫よ⋯⋯」
王はしばらくその場を動かなかった。そして静かに立ち上がり、その場を去った。
暗闇の中に1つ、温かく灯る光だけを残して。
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ある日、竹取の翁という者がいた。
翁は、いつものように竹林に分け入り、竹を取っていた。
すると、深い竹藪の中に1本、根本が光輝くものがあった。
翁が斧でその竹の根本を切ると、中には、それはそれは小さな、光輝く女の子がいた。
翁は、その子を「輝ぐや姫」と名付けた⋯⋯。
※この物語は、フィクションです。また、実在する『竹取物語』の内容を、少しアレンジしています。
お読みくださり、ありがとうございます。
ご感想等ありましたら、よろしくお願いします。




