【5】白い皿の上の、黒い自分。
「おはようございます!」
言った瞬間、自分の声のトーンが少し高すぎたことに気づいた。
もう二回目の出勤、少しは慣れてきたと思ってた。実際、靴の履き替えもロッカーの使い方も、一通りの流れは把握してる。
でもそれと「仕事ができる」ってことは、全然別物なんだよなあ。
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「今日、アサと同じ披露宴に入るの、僕と……」
「……と?」
「鷲宮さん。多分ここのバイトで1番仕事ができる先輩」
「……へー」
さりげなく反応を薄くしてしまったのは、自覚がある。
“鷲宮さん”――この前、隣の会場で見かけた女の子だ。超美人。すらっとしてて、けれども目が鋭い、怖い。たぶん、俺みたいなやつのこと嫌いだろうな。別にいいけど。
「ちなみに今日、披露宴の会場は『ヴェネツィア・ヴェルディ』。土曜日だからフルコース+デザートビュッフェだよ」
国見は笑顔のまま、淡々と説明を続ける。
あいかわらずイケメンなのに、どこか隙がないやつだ。
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配膳準備が始まると、否応なく気が張ってくる。
前菜とスープの確認、卓番号の把握。
先週よりも資料の字はちゃんと読めるけど、やっぱり意味がわからん。文字って、並べればいいってもんじゃないよね、ほんとに。
「アサ、最初のパン出しお願い。スープ前に、甘いやつ」
「了解です」
卓に置かれてる小皿に、トングでパンを置く。
これくらいなら大丈夫。たぶん。
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シャンパン……じゃない、白ワインを注ぎながら、ちょっとだけ気分が良くなってきた。
昼間の仕事って、こんなに平和だったっけ?
「失礼いたします」
魚料理を配膳しようとしたそのとき、隣からすっと声が飛んできた。
「待って。そのゲスト、さっき出してなかった?」
鷲宮さんだった。目が合うと、ほんの一瞬だけ間を置いてから、静かに、けれど鋭く言葉を落とす。
「二度出しは、絶対にダメ。少し仕事できるからって調子に乗らないで。料理を出す前に国見に確認、何より経験が足りないんだから」
……くっそ、やっちまった。
焦った俺は、無言で料理を下げて、会場の隅に戻った。
怒鳴られるわけじゃないけど、痛い。ああいう叱られ方、マジで効く。
「まあ、気をつければ大丈夫だから」
背後から国見がフォローしてくれる。
優しい声だ。でも、その優しさが逆に刺さる。
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結局、最後のデザートを出し終える頃には、俺の頭の中は自己嫌悪でいっぱいだった。
“女の子に注意された”からムカついたんじゃない。
注意されてムカついてしまった“自分”がいたからだ。
夜の世界では、女の子を「売り物」として見てた。客の前に出す商品。評価されるための道具。
その目線が、完全には抜けきってなかったのかもしれない。
「……はあ、俺ほんとクズだな」
思わず呟いて、誰もいない会場の隅に腰を下ろす。
でも、ふと目に入ったのは、花嫁の父親のスピーチだった。
不器用な言葉で、それとした。夜の世界では見られなかった、“ちゃんとした幸せ”の風景。
やってることは似てる。笑顔を届ける、飲み物を配る、空気を読む。
でも届けている“幸せのベクトル”が違う。夜のそれは、誤魔化しで、代替で、錯覚だった。
「……ちゃんとやんないとな」
俺は小さく、誰に聞かせるでもなく呟いた。
ほんの少しだけ、本気出してみようか。この世界で。