【短編版】お前を愛することはない、だと?
「俺には愛する女性がいる。だから、お前が妻になったとて、お前を愛することはないだろう」
父を急病で亡くし、王位を継いだばかりの若い王。
彼に冷たくそう言われて、王妃となる為に登城した宰相の娘はおっとりと頷いた。
人払いされた謁見の間には二人しかいないとはいえ、とんでもないことを言われている。
「分かりました。でも、私との婚姻を拒否出来るのですか陛下」
「それは……出来ない……。俺はまだ弱く、お前の父である宰相が決めたことを拒否する力はない。それに俺の恋人は貴族令嬢だが地位が低く、現状ではとても王妃として娶ることは許されない」
美しい緑の瞳が、もう一度頷く。
「では……どうなさるおつもりですか?」
娘が不思議そうに首を傾けると、蜂蜜色の長い髪がとろりと肩を流れた。
責められていると感じたのか、若き王は弱り切って眉を下げる。
「お前には悪いが、このまま王妃になってもらう。だが、お前を愛することは決してないし、夫婦の関係にもならない」
「……その後は、どうなさるのです?」
「王には確実に世継ぎを残す為に、二年経っても王妃が身籠らなければ離縁する権利がある。その為に何年掛かっても必ず皆に認められる王となり、お前と離縁して恋人を妃として迎えたいと考えている」
娘は反対側に首を傾けた。
「それは……私に対して、あまりにもひどい話ではないですか?」
娘が冷ややかに言うと、さすがに自覚があるのか王は頷き、深く頭を下げた。
「本当に申し訳ない。代わりに、お前の望みはなんでも叶えよう。どうか、仮初の王妃になってくれ」
そこまで聞いた娘は、ニヤリと笑う口元を扇を広げて隠す。
「……その言葉、二言はございませんね?」
こうして王は、宰相の娘を娶り、王妃とした。
結婚してひと月。
王妃となった娘は、ふんふんとご機嫌で城の中を歩いていた。
真っ直ぐに図書館を目指し、朝から晩まで貴重な文献をずっと読むのが彼女の至福である。
宰相の娘という身分でも読むことの出来る本の範囲はかなり広かったが、王妃ともなればどんな文献でも読み放題。
司書立ち合いの下で扱いに細心の注意が必要な古文書すら、望めば開かれるのだ。これが最高の環境と言わずに何と言おう。
「今日もご機嫌ですね、妃殿下」
他国の民間療法を纏めた本を読んでいた王妃は、突然声を掛けられて眉を寄せた。
「……たった今機嫌が下がったわ、外交官殿」
「おや、お邪魔してしまいましたか」
書架の間に、顔見知りの外交官が胡散臭い笑顔を浮かべて立っている。この男は定期的に王妃の読書の邪魔をしてくるので、塩対応を取ることにしていた。
「分かってるなら声を掛けないでちょうだい。そもそも臣下から王妃に声を掛けるのは不敬よ」
びしっと言ってやったが、彼が思わせぶりにチラつかせた本を見て、王妃は目の色を変える。
「そ、その本はもしや……!」
「王妃様……不敬をしてしまい申し訳ありません。私は御前を下がらせていただきます……」
王妃の目が自分の手元の本に釘付けなのを察しつつ、意地悪な性格の外交官はしおらしいフリをして立ち去ろうとする。
「不敬を許します。さっさとその本を置いていきなさい……!」
「追いはぎみたいなことを仰る」
彼が差し出した本を、王妃は素早くひったくると中身をざっと確認した。
「やっぱり! 西大陸の政治学の本!」
「こんな古い時代の本にまで興味がおありなんですね。愚かさで滅んだ国の文化ですよ?」
「愚かさからは、これが愚かである、ということが学べるわ。良いことも悪いことも両方知っておくことが大事なのよ」
「我が王のように?」
彼はニヤニヤと笑いながら言う。
すごい速さでページを捲りながら、王妃は外交官の言葉を穿った。
「また不敬ね。その首刎ねられたいの?」
「王が王妃を蔑ろにし、別の令嬢と懇ろなことは皆が知っています」
外交官は眉を寄せる。
「……隠す努力ぐらいはして欲しかったのだけれど、何事にも素直なところが我が王の美点ね」
「よく宰相が怒ってきませんね」
「父は、私を王に差し出すことで望む権力を手に入れたから、大満足よ。差し出したものがどう扱われようと気にする人ではないわ」
珍しく怒っているらしい外交官の声を聴きながら、王妃はさらにもうひとページ捲る。どうやら彼は自分の為に怒っているらしく、その響きは心地よかった。
でもこれは利害の一致した婚姻なので、心配は無用だ。
「それは……王妃様は、お辛くないですか?」
「全く辛くないわ。素直な王が、結婚前にきちんと話してくれていたし」
速読して一旦満足した王妃は、ようやく顔を上げる。
そこには、意外なほど真剣な顔をした外交官がいて、緑の瞳を瞬いた。
「なんて顔しているの、らしくない」
「……それで、あなたに利はあるんですか? 図書館の本が全て読めるだけで、あなたは満足なんですか? あなたが望むなら、私が」
それ以上この男に言わせてはいけない、と王妃はさっと話を引き取る。
「まさか。見縊ってもらっては困るわ、外交官殿。私の望みはこの程度じゃないのよ」
それから、トン、と本の表紙を指で弾いて、王妃はにっこりと微笑んだ。
王妃の言うように、宰相は自分の望み通りに政治が出来て上機嫌であり、『王妃を蔑ろにして恋人にうつつを抜かす愚王』それが王の評価だった。
唯一、宰相の嫡男であり王妃の兄が激昂し苦言を呈したが、受け入れられることはなかった。
しかし、結婚からふた月、み月と経つ間に、だんだんと風向きが変わってくる。
王が議会で打ち出す施策が、どれもこれも有効なものばかり、ということが続いたのだ。
しかもきちんと根拠になる資料が用意されていて、それには各国の歴史を引用して成功例と失敗例を示し、我が国の気候や状況などに合わせて適宜取り入れてあったのだ。
愛に溺れる愚王だと断じていた大臣達は、だんだんと王の言葉に耳を傾けるようになっていき、結婚から一年経つ頃には王の施策は全て良好な結果を出し、皆の認める賢君となっていた。
しかし勿論、これには裏がある。
「うううーーーん。本当に、政治って楽しいわ」
頬に手を当てた王妃は、うっとりとため息をついた。
「正しい施策を行い、結果が出る。問題が起こればその都度最適解を導き出して、先の先まで読んで対処する。そりゃあお父様が夢中になる筈よね。良い政策を行えば、民は喜び、国は肥える。イイコトずくめじゃない!」
そう。
王妃が歴史書から仕入れた知識と、生来の政治的発想を合わせて、国にとってもっともよい案を作成し、王に議会で発表させていたのだ。
「政治馬鹿なのは御父上譲りでしたか……確かに今の宰相も地位の割りに富を望みませんね。娘を王妃に、と推挙してきた時は、ついに我欲を出したな、と思ったが、本当にご本人も自分の自由に政治がしたかっただけとは……」
図書館でなりゆきで本運びを手伝わされている外交官は、ぐったりとしていた。もう書棚を何往復させられただろうか、梯子いらずの彼の長身に王妃は大層ご満悦だ。
幸いなのは、王妃が指示する書棚には目当ての本がきちんと収まっているので、無駄に探し回る必要がないことぐらいだ。
「ふふん。そのお役目は私が奪ってやったけどね」
王が見事に良策を議会で発表するので、宰相もそれに従わざるをえないのだ。
勿論ただ王妃の案を伝言ゲームのように言っているだけでは、それこそ宰相に鋭い質問をされて言葉に詰まってしまうだろう。
政策を確実に議会で通す為に、必要書籍の読み込みと提出用の資料作成は王の仕事だった。そうすることで強制的に内容を頭に叩き込み、自分の言葉として議会で説明出来たからこそ、宰相を含めた大臣達は彼を賢君と認めたのだ。
「こんなに我欲のない政治家など、見たことがありません」
今は、その王に渡す必要書籍を選別しているところだった。
王妃は一度読んだ本の場所を全て覚えていて、次はあの棚の一番上、などと外交官に優雅に指示を飛ばす。文字通り、いいご身分である。
「あら、とても取り組み甲斐のある仕事でしょ。国を好きに操るんだから、手段とご褒美が一緒なだけで、我欲まみれよ?」
それを聞いて、外交官は苦笑した。
「その結果が善政なのだから、我が国と我が王は幸福ですね」
元々、膨大な書籍を読み込み、その中から自国に使えるアイデアをピックアップしてアレンジするのは、幼い頃からの王妃の趣味だった。
しかしどれほど有効な政策を思いつこうと、女である彼女の意見は常に無視される。そして宰相の嫡男である兄は優しく誠実だが、父親の才覚を継いではいない。
だというのに当の父でさえ、彼女の案はユニークだと評したが取り合うことはなかった。
そしていつも、女に生まれたことを嘆かれていたのだ。
「王妃になれと言われた時は、あの父親どうしてくれようかと思ったけど、陛下が私の望みを叶えてくださったので、私は今大変満足してるわ」
王妃はにっこりと微笑み、参考文献の山を追加する。
「そうですか……しかし、残念です。せっかく楽しそうな王妃殿下のお姿なのに、私は他国に赴任することが決まったのでしばらく見ることが叶いません……残念です」
「お前……私を見て、面白がっていたということ? 不敬よ、首を刎ねるわよ」
外交官の妙な言い方に、王妃は眉を顰める。
首を掻っ切るジェスチャーを彼女がすると、外交官はしおらしい様子でまた一冊の本を取り出した。
「ああ……そういえばコレを出し忘れていました」
「ああああ、それはひょっとして、幻と言われている南国の医学書……」
チラチラと見えるのは、南国特有の顔料で描かれた表紙。王妃の権力を駆使しても手に入れることが出来なかった本が、今、目の前にあるのだ。
しかし外交官は無情にも本を上着の中に仕舞う。
「首を刎ねられてしまうので、このままでは私の血で汚れて読めなくなりますね……残念です」
「許す許す、刎ねない刎ねない」
「王妃様、ちょっとチョロすぎませんか? 私め、心配です」
本に飛びついた王妃に、さすがに外交官は胡乱な目を向ける。が、彼女は一切気にした様子もなく、食い入るように紙面を見つめた。
そして結婚して二年。
白い結婚だったので当然だが王妃は身籠ることなく、無事に離縁の条件が揃う。
その頃には王を愚かだと罵る者はどこにもおらず、むしろ一人の女性を愛し続けていることさえ評価されるようになっていた。
正直妻のいる身で、それもどうかと思うが。
王妃と王、そしてその恋人は、最後に三人でお茶を飲んでいた。
「王妃様、本当にありがとうございました」
王の恋人の言葉に、王妃は特に感慨もなく頷く。
「あなたも日陰の身のような扱いは、大変だったでしょう?」
「いえ……陛下は私をずっと愛してくださっていましたし、王妃様が折に触れて気遣ってくださったおかげで社交界でもつま弾きになることなく過ごせました」
「それはよかったわ。私、社交に興味がないから知ってる人がお茶会に参加してて欲しかっただけなんだけど」
彼女が茶会に頻繁に招かれ王妃と親しくしている姿を見て、周囲の貴族夫人達も『王妃公認の恋人』を軽視することが出来なかったのだ。知らぬ間に恋の後押しまでしていた王妃である。
するといつもはお気楽な王が、珍しく難しい表情を浮かべていた。
「王妃よ、本当に離縁したら政治の世界からもスッパリ手を引くのか」
「はい。やりたいことは粗方やって、今のところ取り組むべき難題がありませんから」
「問題はいつでも起こる。離縁しても、このまま相談役として残ってもらえないか……」
王妃の徹頭徹尾政治家としての言葉に、つい王は甘えたことを言った。
途端王妃の眉間に皺が寄ったが、彼女が口を開くよりも早く王の恋人が彼を叱った。
「陛下、それはさすがにムシがよすぎますわ。王妃様が私達の無茶な条件を呑んで今まで力を貸してくださっていたのは、双方の利害が一致していたから。これから先は、王妃様が犠牲になってしまいます」
彼女の言葉に王妃は満足して、言葉の矛を収める。そうでなければ最後のチャンスなので、王をケチョンケチョンにしていただろう。
「……その通りですよ陛下。素直なのはあなたの唯一の美点ですが、ちょっとはお口を慎みなさいませ」
王妃は軽快に笑い、王の恋人は政治的才覚はないが王をよく愛していて、そして確かに常識人であることを快く思った。いい国母になりそうだ。
先王が急逝した所為で荒れていた国も無事立て直したことだし、ここらで別にやりたいことも出来た王妃である。
国は王と議会の面々で十分に治めていけるだろう。未練はなかった。
「うちの父も年で宰相を引退しましたし、次は兄を宰相として重用なさいませ。平和な国にはぴったりの、真面目で誠実な人です。必ず国にも陛下にもお役にたちましょう」
引き留められるのは自分の仕事の成果を評価されたことで嬉しいが、正直迷惑だった。
王妃の最後の助言に、王はしおしおと萎びる。
「ああ……お前が男だったら、俺はお前を宰相にしたのに」
その言葉は、彼女が父親に百万回言われた言葉である。
一瞬王妃は眦を強くしたが、すぐに微笑んだ。
「……たらればに興味はございませんわ。私は私。性別なんて関係なく、私が優秀である、ということのみお心に刻みなさいませ」
「確かに、そうだな」
素直な王は、王妃の最後の助言を受け入れた。
半年後。
故国とは違う、別の国。別の空の下。
一軒の古書店で、棚の前に蹲ってボロボロの本を吟味している女性のところに、あの外交官が息を切らしてやってきた。
「王妃様……! 私の赴任している国に来るなら一言ご連絡ください、水臭いですよ」
「……旅の途中で通りがかっただけよ。お前の連絡先知らないし」
彼の言葉に、女性は書棚から目を離さずにわざと冷たく言う。
外交官はムッと唇を尖らせた。
「どこに宿をお取りですか?」
「さっきこの国に着いたばかりだから、まだ決めてないわ」
「まさか安宿に泊まるつもりじゃありませんよね? 外交官宿舎には客室もあります、そちらに滞在してください」
勝手に決めて彼女の荷物を持った男に、立ち上がって彼女は抗議した。
「宿賃交渉とかも旅の醍醐味なんだけど?」
「我が国の貴人に粗末な暮らしをさせるわけにはいきません」
「もう貴人じゃないわよ。陛下にたくさん賠償金もらって、今は悠々自適なただの旅人だから、気にしなくていいわよ」
手をひらひらと振ると、力強い手にそれを掴まれる。
あの図書館の中で数えきれないほど言葉を交わしたが、触れ合ったのは初めてであることにお互いが気づいて一瞬目が合った。
この機を逃すようでは、機転のきく外交官は務まらない。
「……実は外交官宿舎の側には、品揃えのいい古書店がありまして……ちょっと入り組んだ場所なので、一人ではたどり着けないかもしれませんねぇ」
「滞在するする。その古書店の営業時間ってまだ間に合うかしら?」
「本当に王妃様、チョロくて心配です……すぐにご案内しましょう」
ようやく書棚から一冊取り出しすくっと立ち上がった女性は、会計を済ませるといかにも大事そうに本の包みを抱えた。
そのニマニマと緩んだ頬を見て、外交官もつい笑顔になる。
「ねぇ、ところで外交官の妻だともっと珍しい国にも行くことが出来ますよ」
「お前、私のことをチョロく考えすぎではなくて?」
二人で古書店に向かう道すがら彼がそう言うと、途端じろっと厳しい視線が向けられる。ここいらでしっかり言っておかねばなるまい。
「とんでもない。私は役に立つ男ですよ、とアピールしているだけです」
「うーん。それで、お前には利があるのかしら?」
ニヤリと笑って彼女は外交官に顔を近づける。美しい笑顔に、彼は快活に笑い返す。
「勿論です。……あなたの名前を気兼ねなく呼ぶことが出来る」
そうして二人は、我慢が出来なくなって、キスをした。
読んでいただき、ありがとうございました!
この短編の続きを、連載として書いていくことにしました。よかったら、そちらの方もよろしくお願いします!