先史時代
――あー、あー、テス、テス。本日は曇天也。本日は曇天也。団子こねこね焼肉日和。んん、おほん。
さて、聞こえるかね。
わたしはいま、途方もない過去にいる。
摩天楼の代わりに巨大な植物が列をなし、原始的な面影だけが詰め込まれた動物たちが我が物顔で地上を闊歩している世界だ。
どうにか”やまびこだま九号”は無事だったので、こうして記録をしているわけなのだが――。
――うむ。
―。
タイムマシンが――、完全に破壊されてしまったよ。流れ弾が直撃して、鏡面が木っ端微塵だ。最後の時間旅行に耐えられたのは奇跡というべきか。
もう時間の旅は終わりだ。ここが終着地点といったところだな。それとも出発地点と言うべきだろうか。
思い返せば色々とあったが、楽しい旅だったよ。
――。
さて、諸君らに言っておかねばならないことがある。
わたしは――、ここで死ぬだろう。
これまでわたしはタイムマシンで未来へと移動することができなくとも、人間を食らい寿命を延長し、死を先延ばしにし続けさえすれば、時間の波に流されて、現代に戻れるという腹積もりであった。
だが――、それは人間が溢れる時代で過ごしていた者の、浅慮な未来設計に過ぎなかったのだ。
この時代にも人間はいる。
広大な大地を駆け回り、巨大な樹木の陰や、暗い洞穴で暮らしている。
毛が抜けきっていないサルに近い姿をしていて、まだ人間の形としては少々不格好ではあるが、人間には違いない。
原始人、というやつだな。ここまで過去のものとなるとまったくの門外漢なので知識はないのだが。そうだな、なんというのだったか。
うーん?
――ピテカントロプスだったか?
違ったような気もするが、まあ、未来に彼らがなんと呼ばれているかなど、この場においてはなんの意味も持たない。
この記録を聞いている諸君らのなかには、なぜわたしが死などと口にしたのか首を傾げている者もいるかもしれない。原始人も人間には変わりない。食料があるなら、食えばいいじゃないかと。
だが、よく考えてほしい。
彼らは決して食ってはならない人間なのだ。
彼らは人間になる。人間という種全体のこどもといったところか。
それを食うということがなにを意味するのか、それがわからぬわたしではない。
わたしとて、分をわきまえているつもりだ。
これから歴史を紡ぐ人間たち。そしてその人間を食べる同胞たち。そのいずれをも滅ぼすことになりかねない。
ちょっと一人をつまみぐい、などというのも許されない。
その一人が未来において、どれだけの命の萌芽になるのか想像もできない。
先食い厳禁というわけだ。
だから、わたしは食を絶つ所存だ。
そうだな。この時代に名をつけるとすれば、いわばわたしにとって”断食時代”といったところか。
うん。
これはいい。
わたし自身への戒めとして断食時代と名付けよう。
人間のように、命を全うしてみようじゃないか。
これもまた研究だ――。
そうさ。
――。
暗くなってきた。これよりわたしは茂みに隠れる。息を潜めていないと野生生物に捕食されるのでね。
それでは。
血肉が食いたい。
常にそんなことを思うようになった。
いかんな。
許されざる食事だ。
わたしは原始人たちの群れからできるだけ離れて生活するようにしている。咄嗟の発作で襲ってしまってはいけないからね。
細々と自然の素材を使って発明などをしているが、児戯同然だ。頭の体操にもならない。けれど、ぼうっとしていると、血肉が食いたいなどいう埒もない考えが浮かんでしまうから、なんのかんのと玩具を作ってみているよ。
この旅を思い返すと、人間の味の再現という当初の目的からずいぶんと離れて、人による人食いの歴史の変遷を辿ったという気がする。
歴史をさかのぼりながら、多くの人間に出会い、食い、様々な文化を体験した。
恐るべき発展。恐るべき増殖だ。
人間の未来は、なんと輝きに満ちたものであることか。
しかし、なにごとも、はじまりというものは、たったひとつの点に違いない。
些細なきっかけが膨大なエネルギーを生み出すのだ。
発明家として、それは身に染みてわかっている。
そのきっかけを摘み取ることがどれだけの大罪かということかもね。
食ってはならない。
食ってはならないのだ。
もしわたしがここで食事をすれば、未来における膨大な数の人の命を散らせることになるだろう。
それを食する同胞たちを飢餓の憂き目に遭わせることにもなる。
――。
――ああ腹が減った。
恥ずかしながら、腹が鳴っているよ。
わたしの腹時計はかなり正確でね。時計はないが太陽の位置を見なくても大まかな時間がわかる。と、言っても未来に合わさった体内時計だ。この過去の時代では自転速度が違うのですこしずつズレていたりするのだがね――。
ふう。
陽が沈む。
美しい光景だ。
夜は静寂が支配する。
わたしも口をつぐむとしよう。
腹の減りがなくなった。
なにか、体のなかで変化が起きている気がする。
肉体が崩壊する前兆なのかもしれないが。
こうなれば、なにか人間以外のものを食べてみようか。
――冗談だよ。
昔、我が身で実験してみたことがある。
食人鬼にとって生きた人間以外の食事はないか、ということをね。食傷時代。老食人鬼の食自慢に飽き飽きしていたわたしはやり返してやりたくて、なにか誰も知らぬ食人鬼にとっての美味がないかと探していたのだ。
人間が食べるようなものも口にした。牛や果物などをね。
結果は惨敗だよ。食えたものじゃない。吐き出してしまった。食に対する冒涜とも言えるこの行為には、申し訳なかったと反省している。我々食人鬼にはたったひとつの食しか与えられていないのだということを、つくづく実感させられた実験だったなあ。
――。
最近になって原始人たちに対して感じていた食欲がなくなってきた。適応というやつだろうか。集団でマンモスなどを狩って食う彼らを見ていると、それに混ざってみるのも一興かと、そんなことを考えてしまうのだ。
彼らと同じく裸同然になって、石の槍を振りかざす。
それも悪くないのかもしれない。
――。
実は”狐狗狸翻訳さん”を使って、すでに何度か彼らと意思の疎通を図ってみたことがあるのだ。なかなか気のいい奴らだ。女原始人のひとりが群れに加わるように長に相談までしてくれた。ありがたいことだ。
もうすこし考えてから結論を出そうと思ってはいるが、重力に引かれるが如く、わたしの心は抗いがたいなにかに動きはじめている。
――。
また、夜がくる。
では。
―――――
―――
―
これは最後のメッセージだ。
彼らと共に生活するにあたってすべての発明品を埋めておくことにした。
ここまでこの記録を聞いてくれた諸君には深い感謝を。
そして諸君らに祝福あらんことを。
わたしは彼らと共に生き、死ぬだろう。
この断食時代で。
それでは失礼させてもらうよ。
さようなら。
よい食事を。
ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
読んで下さった皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
評価やコメントなどをもらえれば嬉しく思います。
よろしければ是非お願いいたします。
あとがきを活動報告に投稿していますので、こちら私のマイページから2023/9/23付けのものをご確認ください。
それではまた別の作品でも出会えることを心より願っております。
2023/9/23の井ぴエetcでした。