偏食時代
過去への跳躍が完了した。
片面が壊れたタイムマシンでも使用に足るというのは研究の余地があるな。もし現代、食傷時代への帰還が叶えば、この経験を糧にして改良を加えたいところだ。
はてさて、これからどうしたものか。
わたしがいるのはジャングルの奥地のようだ。極彩色の花々が咲き乱れ、近くには雄大な河も流れている。
すこし移動しながら録音を続けよう。
よっ。
はっ。
枝が邪魔だな。
青々とした葉が顔に覆いかぶさってくる。
――。
おおう。蛭だ。
このぅ!
わたしは蛭というのが大嫌いでね。どうにも吸血鬼を彷彿とさせるからだ。
ああ。樹上に色鮮やかな鳥がいる。この世のものとは思えない美しさだ。翠玉のような羽衣に、腹は鮮烈な紅。長くしなやかな尾を枝から垂れ下げている。
なんという鳥だろうか?
――。
――ん。これは、動物の足跡か。
かなり大きいな。トラかジャガーか。おそらくそのあたりの肉食獣だろう。
人間はいるのだろうか。
ここまで時を旅してきて、空腹で寿命が尽きるなど想像したくはないな。なんとか人間を見つけなければ。食いつなぐことさえできれば、永遠と変わらない寿命でもって時を過ごし、現在、食傷時代へと帰ることもできよう。
―――。
――。
―。
はあ。
はあ。
疲れてきた。
わたしはインドア派なので、こういった道行には慣れていないのだ。
はあ。
はあ。
自慢の靴が泥で汚れるのは気が滅入るよ。イッポンダタラに作ってもらった特注品なのだ。けれど先の粗食時代でずいぶんぼろぼろになっていたから、いまさら気にするようなことでもないか。
――しかしこれではすっかり記録がジャングル探訪記と化しているな。本来の目的とは外れてしまうが、人間を見つけなければレールを修正することもできない。
――。
おっ?
これは――、人工物だな。
人の顔を模った岩だ。見事な彫刻がなされている。
かなり大きい。わたしの背丈を超えるぐらいの大きさだ。
うーん。
おそらくは誇張されたものだとは思うのだが、この彫刻の縮尺がこの時代の人間と同じであったらどうしよう。つまり、この大きさの頭をした人間、いわゆる巨人がいたら、ということだが。
巨人は人間か?
食人鬼にも食えるのだろうか。会う機会などなかったので、そのようなことを考えたこともなかった。
――探索を続けよう。
陽が暮れる前に落ち着ける場所を見つけたいものだな。
体が大分重くなってきた。
野宿の知識はあるが、実践経験はゼロだ。ここまでの道中で思い知らされたが、わたしにはなかなか厳しい環境だよ。整然と片付いた研究室が懐かしい。
――。
道がある。道幅からして巨人の道ではなさそうだが。
とにかく道に沿って進もう。これを作った人間がいるはずだから。
喋り過ぎで喉が渇いてきた。
血肉が必要だ。
いったんここで記録を終える。
やあ諸君。
わたしはすっかり元気を取り戻した。
人間の集落を見つけたのだ。
巨人はいなかったよ。杞憂でよかった。そもそも巨人などといったファンタジーの存在がいるはずがなかったのだ。我ながらどうかしていたよ。
この地の人々は未開の部族と言えばいいかな。科学は発展していないが、なかなか荘厳な建築物が立ち並んでいて驚かされている。
それからさらに驚くことがあった。
この部族のものたちも人間を食うのだ。
もちろん皆、人間だ。わたしのような食人鬼ではない。
人間が人間を食う。これまでの時代で、その理由は様々であったが、この時代の人々が人間を食う理由はそのなかでも一風変わったものだと言わざるをえないな。
それは、信仰だ。
信仰により人間を食うのだ。
この部族で行われている儀式について説明しよう。
選ばれし一人がある。それが決められた手順を経て、神を模した存在へと昇華する。神の依り代とでも言えばいいかな。そして、最後には神を模した者を殺し食らうのだ。こうして疑似的に人間が神の力を取り込もうとしているのだろう。
食った相手の力を取り込むという考え方自体は食人鬼にも通じるところがある。なにせ我々食人鬼は食った人間の命を貰っているわけだからね。
なかなか高尚にも思えるが、わたしとしてはこの信仰には反対だ。
人間が人間を食うことに関しては絶対的に否定しなければならない。人間とは食人鬼に食われてこそ安寧が得られるのだから。
いかん――。前回のジャングル探訪記から、未開の地の文化紹介になってしまった。
重要な記録をしておかねば。
味だ。
この部族の者の味は野生的というか、近代的な香りとはかけ離れている。食べなれない味と表現するしかないだろうか。しばらくすると風味にも慣れると思うのだが――。
いや、しかし――、やはり気になるな。
この地の人々を食人に駆り立てる信仰。
とんだ偏食だよ。うむ。この時代を”偏食時代”とでも呼ぼうか。
ううん。
――結局、話が戻ってすまない。
わたしは思うのだ。肉体は霊魂よりも尊い、と。
肉なくして霊はなし。体なき魂は輝きを失う。
これはわたしの性分か、導いてやりたいと思ってしまう。食人などやめるべきだとね。
なにかできることはないか、すこし考えてみることにする。
今回の記録はここまで。
さて諸君。
わたしはこの集落で宗教家として活動をはじめた。やはり彼らには人間同士で食い合うなどという行為を止めてもらいたいのだ。
彼らの興味を惹くために”逆天邪鬼発生器”を使っての虚偽看破を披露すると、わたしのことは読心術の使い手、超常の力の持ち主であり、呪術の達人であるとの噂が広まりはじめた。
発明の使い道として下の下ではあるが、こうでもしなければ交渉の余地もなさそうだったのでね。
それにしても――、わたしの話を聞くために人が集まってくれるようにはなったが、食人を止めるようにという意見はどうにも理解しがたいようだ。
ここの人間くんは奇妙のひと言に尽きる。これがこの時代全体の思想だとは思いたくはないが――。
集落の外についても情報が欲しいところではあるが、わたしは彼らを導くという目的をまず果たしたい。わたしには時間がたっぷりとある。食事にも不自由していないからね。
続報に期待してくれたまえ。
それでは。
まただ。
まただよ諸君。
またやってしまった。
どうしてなのだろうか。
どうしてわたしたちは理解し合えないのだろう。
牛や豚、鶏と心を通わせる人間というのはいるらしい。
ならば食人鬼であっても人間と心通わせることができるはずだ。
食料にかける愛情は酪農家にも負けない自負がある。
それなのに、どうして――。
彼らの言い分では、わたしは悪魔にとりつかれているのだそうだ。
笑ってしまうよ。
食人鬼が食人を止めて、人間が食人を推進する。まったくあべこべじゃないか。
不可思議な論理構造だ。興味深いね。
わたしは追い立てられジャングルのなかに逆戻りだ。
この時代の生活を経て、いささか逞しくなったものの、野宿というのはやはり不安だ。
ああ、こうしているあいだにも陽が傾いてきている。
記録を終えるよ。
しばらくは野宿の準備で忙しくなりそうだ。
彼らと和解する方法も考えなければ。
では、失礼する。
大変なことが起きた!
未開の地に住む彼らの元に、海を越えた場所からやってきたらしい一団が来訪したのだが、両者がなんと、諍いをはじめてしまったのだ。
どうやら部族のものは、来訪者がわたしの仲間ではないかと勘違いして喧嘩腰だったらしい。
と、言うのも、わたしは研究一筋で血の気の失せた肌。部族のものたちは健康的な小麦色の肌。そして、来訪者は文明人であり、化粧などできちんと顔を整えていたのだ。それが、わたしと似通って見えたのだろうなあ。
いくばくかの責任を感じてしまうが、いまさらどうしようもない。
仲裁できないかと思ったのだが、部族からは来訪者の、来訪者からは部族の仲間だと思われて、どちらからも追われてしまっている。
垂涎ものの血肉の山が積み上がっていたが、わたしも狙われている以上、ここに留まることはできない。
いまも轟音と共に鉛玉が耳元を飛び回っている状況でね。
もう一刻の猶予もなさそうだ。
それでは、タイムマシン起動!
行くぞ!
さぁん!
にぃい!
いぃち!
―――――
―――
―あっ!