粗食時代
――あー、あー。ふう。成功したよ。
とりあえず緊急事態は脱したというところだろうか。
しかし、ここはひどいところだな。埃まみれだ。ひどく柱が傾いでいる。じっと見ていると眩暈がしてきそうだ。
ちょっと待ってくれたまえ。窓を開けてくる。
なんだか外が騒がしいな――。
―――――。
――――。
―――。
――おお、これは。
―。
戦争、か――。
――火が! こちらへと――、向かってくる!
危ない!
―っ!
ど――、どう――かな。――こえるかね?
――ううむ。
たぶん直ったと思うが、まだすこし調子が悪いかもしれないな。なにせこの時代では粗悪な部品しか手に入らなかったものだからね。聞き取り辛い部分があるかもしれないが、許してくれたまえ。
今までの記録が消えていないかも心配だな。しかし、それを確認している余裕はない。なにせ、いまわたしは大変な状況に巻き込まれているのだ。
戦争だ。
わたしの生まれた時代にはなかった暴力の極致。
この時代にきて気づかされた。平和とはスバラシイものだったのだと。あの食傷時代をこれほどまでに好意的に受け入れられたのははじめてだ。
ひどい時代だ。わたしはこの時代の食人鬼に出会った。いまはその者が経営している宿に世話になっている。しかし、この者もやはり本物の食人鬼ではない。人間だ。けれど、飽食時代に会った者たちとは違い、わたしはこの者を強く糾弾する気にはなれない。
――ああ。
呼ばれている。
この話の続きはまた後でしよう。
それではいったん失礼する。
戻った。
この時代の肉をごちそうになってきたよ。なんというか素朴な味と言ったらいいか。そんな形容しか出てこない。
――いや、有り体に言うなら泥くさい味だ。彼らは本当に泥を飲んで暮らしているのだ。だから肉も臭みを帯びようというもの。
戦争による貧困。伝聞で知った気になっていたが、時代に身を投じてみるとまったく違った味わいがあるものだと痛感している。
この時代は言わば”粗食時代”だ。あらゆる食が貧しさを漂わせている。
わたしが知り合った食人鬼。まあただの人間なのだが。この宿の主人は食いたくて同族である人間を食っているわけではない。
貧困だ。他に食うものがないのだ。
人肉が牛や豚の肉よりも安価な世界があろうとは、まったくもって信じがたいことだ。
わたしは戦争が憎いよ。心底忌むべき歴史だと思う。わたしが生まれた食傷時代の人間たちがそれを克服したという事実に喝采を贈りたい。
戦争はやわらかな肉をずたずたに引き裂いて冷たい石のような塊にしてしまう。うま味たっぷりの骨を砕いて、髄液を垂れ流させる。栄養満点の内臓を、病と薬で痛めつけて食えたものではなくさせる。果ては肉の一片すら残さず焼き払い、爆散させ、この世から消し去ってしまう。
愚かだ。まったく愚かだ。
全ての人間には尊厳ある死が与えられるべきだとわたしはつくづく思う。
わたしの胃がひとつしかないのが残念でならない。
――すこし、疲れているようだ。
そうそう。大事なことを言い忘れていた。タイムマシンが壊れてしまったのだ。片面である雲外鏡が破損してしまってね。代替品も手に入らない。研究室で解析しなければ詳しいことは分からないが、過去しか映らなくなってしまった。
まあ、元々未来に飛ぶ気はなかった。それに、わたしは無限の命を持つ食人鬼。本物のね。いざとなれば悠久の時を生きて現代に追いつくさ。その点、心配はしていない。我ながら楽観的かと思うがね。ふふ。
今日はこのあたりで休もうと思う。
味の記録は続けるが、状況については落ち着いてからまた話すよ。
おやすみ。
―――――
―――
―
この時代でわたしができることがないかずっと考えていた。
前線に送られた兵士なども、空腹に負けて人の肉を食っているのだという。
悲惨なことだよ。
凄惨な戦争に肉がダメにされていくのをただ手をこまねいて見ているだけというのは、どうしようもなく苦痛だ。
しかし、いかな偉大な発明家であるわたしでも戦争を止める発明品は持たない。食傷時代ではそもそも争いなどなかったから、致し方ないことではあるがね。
だからだ。
わたしが世話になっている宿の主人のような貧困に喘ぐもの、この貧困をなんとかできないかと考えた。貧困が解決されれば人でありながら人を食う必要などなくなるのだ。
”天狗河童算”というのをご存じだろうか。これもわたしの発明だ。と言っても物質的なものではなく理論、計算方式だがね。
これを使って開発資金を稼いでいた頃が懐かしいよ。この時代でも十分通用するのはすこし試して確認済みだ。まずは宿の主人。それからこの町を足掛かりに、世界に広めていこうと思う。
結果を楽しみに待っていてくれたまえ。
ふぅ――。はぁ――。
――。
振り切れたか?
諸君。
諸君よ。
わたしはどうやら失敗してしまったらしい。
詐欺師だなんだと非難轟々。この時代の人間たちにはわたしの崇高なる理論が理解できなかったらしい。特に上流階級と呼ばれているものたちの執拗な攻撃といったらないよ。
天狗河童算で経済革命が起きようという直前であったのに、残念だ。ああ。まったく残念だ。
おっと!
さあ。時間がない。
また追っ手だよ。もう慣れたものだ。
タイムマシンを起動させる。
過去に逃げるのだ。
成功を祈ってくれ。
行くぞ!
さぁん!
にぃい!
いぃち!
―――――
―――
―