飽食時代
――成功だ!
成功だ!
成功した!
わたしは時間の壁を越えた!
ほうぅ――、ふうぅ――。
うむ。落ち着こう。
さて――、わたしがいまいるのはどこか高いビルの屋上だ。眼下には煌びやかな街並み。眩暈がするほどの人の大群。夜だというのにこんなにも人が密集しているとはな。規則正しい生活が徹底されていた現代では考えられないよ。夜に明かりをこんなにも焚いてエネルギーが不足しないものなのだろうか。現代ではなにもかもが解決されていたから、このあと人間たちの文明がどういった経緯を辿るのかは非常に興味深いところではあるが、そんなことよりも住処を探すのが先決だな。
諸君。これからわたしは雑踏に紛れて、街を見て回ってみようと思う。
生活が落ち着いたら再び録音をするよ。
それでは、短いが、ここでいったん記録を止めるぞ。
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―――
―――――
肉やわらか。量多し。甘味強め。骨脆弱。
筋ばって硬い。小柄。辛味あり。
内臓肥大。苦いがうまい。
雑味あり。薬か?
―――――
―――
―
諸君。
無事、住居が確保できたよ。色々と手続きに時間がかかってしまったがなんとかなった。いくつか装飾品を手放して費用を捻出したよ。なかにはお気に入りだったものもあったのだが――、必要経費と割り切るしかないな。
この時代には食人鬼組合がまだ設立されていないらしく。そのあたりも手間取った理由だ。あって当たり前のものだっただけに不思議な気分だよ。失ってはじめてありがたいものだったのだと実感している次第だ。
タイムトラベルが完了してから、これまでにこの時代で食った味については細々と録音しておいた。今後も食うたびに短い記録を残すことにする。
そう。時代と言えば、区分が必要であろうと思う。名前だ。
それで、だが、わたしはこの時代を”飽食時代”と名付けることにした。
名は体を表すというが、体を表す名をつけたつもりだ。最終候補には、食べ放題時代というのもあったのだが、こちらも捨てがたい名であったな。
この時代はなんとも素敵な時代である。いくらでも人が食える。また、人も飽くなき食欲を満たしている。享楽に溢れた世界だ。
街行く人々を観察し、話を聞いているだけで、この時代がいかに食に寛容かがよくわかる。
毎日人間ばかりを食べるわたしと比べ、人間の食生活はなんと豊かであろうか。昨日ディスコで知り合った乙女などはブタの――、と、待てよ。そういえば、説明していないことがあった。諸君らのなかには歴史に詳しいものもいるであろう。そういったものが当然持つべき疑問について解消しておくべきだったな。
現代、ようするにわたしがいまいる飽食時代より未来の話であるが、そうだな、わたしの生まれた時代を”食傷時代”とでも名付けておこうか。食傷時代においては人間が一種類になったように言語もまた一種類であった。過去、言語が分離していたというのは、すこし歴史をかじった者であれば誰もが知っているであろう。まったくもって無意味な不統一なのだが、バベルの塔の赦しを得る以前の時代のこと。仕方がない。
さすがのわたしも過去に数多存在した言語を習得してタイムトラベルに臨むということはできなかった。発声などに関する完全なデータもなかったものなのでね。
そこで役に立つのが”狐狗狸翻訳さん”だ。わたしの自慢の発明品。狐狗狸さんの全面協力のもと開発したもので、あらゆる言語を翻訳して頭のなかに言葉として送り込んでくれるのだ。リアルタイムでの通訳機能も付いている。しかも相手にはわたしが喋っているように聞こえるというのだからこれまたスバラシイであろう。
飽食時代にきてからこの狐狗狸翻訳さんは大活躍。休ませる暇もないというぐらい稼働させ続けているよ。改めて開発協力していただけた狐狗狸さんに感謝を。
そういうわけで言語には不自由していない。
それから食傷時代にはなかった物珍しい物がたくさんあってね。そのなかでも特筆すべきは”いんたあねっと”だろう。”えすえぬえす”の使い方を教わったのだが、これで呼びかければあれよあれよという間に獲物が網にかかってくる。
こんなにも楽な狩りははじめてで戸惑っているぐらいだ。獲物自ら身を投げ出してくるのだよ。それでいていざ食われようとすると驚いた顔をするのだから不思議なものだ。わたし自ら食人鬼を名乗っているというのに、冗談を、などと言ってまったく信じないのだよ。
――おっと、そろそろ記録を区切ろうか。人と会う約束をしていてね。
それではしばしのお別れを。
諸君!
諸君!
聞いてくれたまえ!
わたしはいま非常に憤っている!
この憤懣やるかたない気持ちを、いますぐに吐き出さずにはいられない!
わたしはかねてより仲間を探していた。この時代を生きる同族に意見を伺いたかったのだ。
食人鬼組合がないこの飽食時代では食人鬼同士での連絡手段もなく、同族を見つけるのは大変な困難であった。しかし相手のほうから”えすえぬえす”を通して呼びかけてくれたのだ。
わたしは喜び勇んで会いにいったのだよ。
それが!
それがだ!
話が嚙み合わないとは思っていたのだ。
骨を食うためにわざわざ鋸を用いたり、頭は食わないといった理解不能の食わず嫌い。食事風景をいちいち撮影したり、死体を保存し、命が抜け落ち切った屍肉を食べるなどという下賎な食屍鬼のような行動。それがこの時代の食事の作法なのかもと思ったが、どうもそうではないらしい。
問いただしてみるとだよ。
なんと!
なんと!
そいつは食人鬼の名を騙る、人間であったのだ!
――すまない。興奮してしまった。
悍ましいことだ。
人が人を食べるなどと、わたしの思考の埒外にもほどがある。食人鬼は食人鬼を食わない。当然のことだ。人も同じだと思っていたが、そうではなかったらしい。いや、これが唯一の例外なのかもしれない。そうであってほしい。
この飽食時代はあらゆるものに満たされている。そして無限の閑暇に呑まれた者がいる。そんな人間が、人の身でありながら食人鬼を名乗るなどという下劣極まる行為に及んだということのようだ。下種だよまったく。まったくもって許しがたい所業だ。余暇で脳が腐ったに違いない。
話を聞けば彼が人を食う目的は芸術であるという。
わたしから言わせれば美とは命の輝き。その輝きの灯火を消して美を創ろうなどとは大いなる矛盾。だが彼は愚かにもそんな当然のことにも気がつかずに、人を食い、食い残した人体を使って、腐り落ちた美を表現しようとしていた。
醜悪だよ。
食う価値のない肉とはこういう輩だ。
当然、わたしは警察機構に通報した。
役人たちはわたしに感謝しきりであったよ。
――はあ、まったく疲れた。
今日の記録はここまでとしよう。
――。
言葉もないとはこのことだ。
残念だ。
前回のニセ食人鬼とは別の食人鬼に会ってきた。今度こそ同族であろうと期待したわたしが馬鹿であった。
また人間だ。
彼女は愛のために人を食うのだという。
思い上がりもいいところだ。身勝手というものだ。
相手を己の血肉とすることが愛というなら、それは自己愛そのものでしかない。自己愛を満たすために他者を犠牲にするなど歪んだ愛に他ならないではないか。
この輩も警察機構に引き渡したよ。役人たちはわたしが前回のニセ食人鬼の逮捕に一役かっているということを知ると、その働きをいたく評価してくれた。そうして、わたしに犯罪者を捜す手伝いをして欲しいと申し出たので、喜んでわたしは引き受けたよ。是非もないことだ。こんな奴らをのさばらせておいてはいけない。
人間は人間に食われるためではなく、精一杯に生きて、わたしに、本物の食人鬼に食われるために存在しているのだから。
よし。
これから ”えすえぬえす”をチェックして街のパトロールに出かけるよ。
では。行ってくる。
何名かの食人鬼に出会ったが全員が人間であった。
人を食ったようなやつとはいうが、まさしくそんな奴らだ。
どいつもこいつも監獄へと送ってやったよ。
同胞はどこにいるのだろうか。
食傷時代などとは名付けてみたが、ほんのすこし現代が懐かしくなっている。
諸君!
いまわたしは危機的状況に陥っている!
警察機構に目を付けられてしまったのだ!
なるほど、たしかにわたしは食人鬼だ。けれど、本物の食人鬼だ。人が人を食う食人鬼と同列に扱われるのは甚だ心外なのだが、そうは言っても彼らには通じなかったよ。
追手が迫る途中ではあるが、これが最後の記録となるやもしれないので、取り急ぎ”やまびこだま九号”に録音をしている。
もう一度タイムマシンを使おうと思う。
タイムトラベルに一度成功したからといって、再度成功するなどという保証はない。発明とは精妙なもの。一度目の成功が偶然だった可能性もある。失敗すれば、これが最後の記録になるというわけだ。
向かうのはこれより過去。過去に向かう。未来、つまりわたしにとっての現代、食傷時代に戻る気はない。まだ調査不足。このような中途半端な状態で味の探求を投げ出したくはない。
時間がない。
さっそくタイムマシンを起動させる。
我が舌の知らぬ食を求めて、いざ行かん!
さぁん!
にぃい!
いぃち!
―――――
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