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翠の眼の怪盗令嬢

今宵、【ウラヌスの涙】を頂きにあがります。

──『翠の瞳』

 どこまでも黒く深い夜空の闇の中に、ポツンと浮かぶ満月。窓の外に覗く月は腕利きの職人がカットした宝石のように煌びやかに輝き、並の宝物(ほうもつ)では太刀打ちできないほどの値打ちがあると思えた。


 世界に名を轟かせる怪盗(ロマンチスト)ならば、きっと言うだろう。今宵の月は盗みたくなるほどいい月だ、と。


 こんな日は必ず現れる。価値のあるお宝をその手にしようとする、そういう悪い手合いが。


 夜ということもあり外は静寂に包まれているが、カンブル侯爵エドガーの屋敷は物々しい雰囲気であった。普段なら大勢の貴族たちが優雅に踊っているであろう舞踏会のホールは、武器である赤いルビーの指輪を付けた兵士たちで溢れている。

 彼らの他にいるのはメイドの私と、そして年季の入ったスーツを着た男が一人。彼の整えられてない栗色の髪はやたらに乱れ、おまけにかなりの髭面ときた。しかし、その風体のわりに顔立ちはよく、キチンと身なりを整えれば()の覚めるような紳士になるだろうに。


 男は落ち着かない様子で部屋の中央を眺めていた。そこには大理石の台座が置かれ、上にはガラスの覆いが乗せられている。彼は目を鋭いナイフのようにギラつかせながら、中身のないガラスの覆いの中を必死に見つめていた。


 そんなとき、扉が開かれ、赤い髪の貴族が部屋に入ってくる。部屋の中の人間は髭の男を除き、皆一斉に彼へ頭をさげた。


「エドガー様!」


 その男こそこの屋敷の主、エドガー侯爵その人だ。


「首尾はどうなっている、探偵ニーツェ?」


 エドガーは髭の男に鼻息荒く尋ねる。


「カンブル侯、兵の配置は完了しております」

「ああ、そうかい」


 不機嫌さを一切隠さず、八つ当たりのようにニーツェと呼ばれた男へ言葉をぶつける侯爵。その不機嫌な態度は留まることを知らない。


「君の要望通りにありったけの私兵を警備に当たらせているが、これはやり過ぎというものではないかな? 彼らを動かすのだって簡単なことではないのだぞ」

「何をおっしゃいますか! 届いた予告状はご覧になったのでしょう?」

「もちろんだとも」


 侯爵はポケットから小さな紙片を取り出した。


「“今夜、侯爵の持つ『ウラヌスの涙』を頂きにあがります”。こんなもの、何か悪戯かもしれんというのに。来るかわからぬ泥棒のため、ここまでする意味はあるのかね?」

「よくお読みください! それは、かの『翠の瞳』からの予告状です」

「『翠の瞳』?」

「奴らは並の泥棒とは桁違い。狙った獲物は必ず盗み去ってしまう凄腕の怪盗団! 決してやりすぎなんてことはございません。カンブル侯は大切な宝物が奪われても良いと仰るのですか?」

「冗談じゃない! 良いわけあるものか!!」


 小脇に抱えているものをニーツェに見せつける侯爵。それは人の頭ほどあろうかという、大きな大きなダイヤモンドだった。


「このウラヌスの涙は私の命にも等しい品。まぁ、泥棒なぞ来ないとは思うが、万が一にも盗まれては困るから優秀な酔理(すいり)探偵と名高い君を呼んだのだ。そんなことも分からないのか?」

「『翠の瞳』は必ずやって来ます。くれぐれも油断せぬようお願いいたします」

「言われるまでもない! まったく、これだから平民は。能はあれども、生まれが足を引っ張るな」


 侯爵はそう吐き捨てニーツェを跳ね除けると、キョロキョロと周囲を見回しはじめた。察するに屋敷の人間の手を借りたそうにしているようなので、メイドの私が名乗りを上げる。


「いかがなさいましたか?」

「ああ、ちょうどいい。そこの眼鏡のメイド! この、ウラヌスの涙をあの台座まで運べ」

「私がそのようなことを仰せつかって、よろしいのですか?」

「何だ? 使用人の分際で文句があるのか?」

「そんな、滅相もない!」

「いいから、早くしろ」


 思っていたよりもたいそうな任務を任されて困惑してしまう。しかし、侯爵が気変わりすると面倒なので、私はさっさとウラヌスの涙を受け取った。


「ところで、侯爵様」


 そこで、一つ。私は彼に尋ねる。


「何だ?」

「私めの名前は、ご存知ですか?」

「いきなり何を言い出す。屋敷にメイドが何人いると思っているんだ? 一人ひとりの名前なんていちいち覚えるだけ面倒なんでな」


 使用人たちに生活を支えてもらっているのに、何という独りよがりな態度だろうか。でも、いい家の貴族だからといって性格もいいわけではない。一定数、そういう残念な人はどこにでもいるものだ。


「そうですか。しかし、屋敷の使用人の名前はキチンと覚えておくほうがよろしいかと存じます。だって、メイドに紛れた怪盗が目の色を変えて宝物を盗みにくるかもしれないのですから」

「何だと?」


 ──素敵な宝は様々な人間を呼び寄せる。いい人も、その輝きを狙う悪い人も。


 私はかけていた眼鏡の縁に軽く触れた。その途端に、レンズの向こうからの見え方が変わる。


「このように、ね」


 ──かくいう私もその一人。


「緑色の目だと……!? お前!」


 私はメイドの衣装を勢いよく脱ぎ去った。実に窮屈な偽装を解き、ようやく私は本来の正装(すがた)に早変わり。


 そんな私を見て、探偵が叫ぶ。


「黒装束に、黒のストール、そして眼鏡と翠の眼! 出たな、怪盗アンリエット!!」

「怪盗アンリエット……!?」

「ええ、いかにも。初めまして、エドガー侯爵」


 驚く侯爵に軽く手を振ってご挨拶した。彼は私の眼を見て慄いているが、よくあることなので別に気にしない。それよりも、私の知り合いが今日はどんなご機嫌なのか、そちらのほうが気になる。


「またお会いましたね、酔理(すいり)探偵ニーツェ・ショルメ。最近、お酒の調子はいかがでして?」

「アンタらに命より大事なスキットルを盗まれてからというもの、アンタらを捕らえるまでは決して酔わぬと決めているものでな」

「残念、今日もまたヤケ酒で心地よく酔えると思いますのに」

「ふざけるなよ……!」


 名探偵さんもいい加減怒り出しそうだ。ニーツェとのお喋りはこのくらいにしておいて、私は侯爵(ほんだい)と向き合う。


「侯爵、確かにこの宝は頂きましたわ」

「フン。何を言うか」


 侯爵は私の言葉を鼻で笑った。


翠の瞳の怪盗(おまえ)はこの包囲の中にノコノコやってきたんだぞ? どこからどう見てももう終わりじゃないか!」


 確かに、私は兵士たちに取り囲まれている。彼らの視線は私と、そして大きな大きなダイヤモンドに釘付けになって離れそうにもない。


「怪盗め……!」


 兵士たちが指にはめているルビーの指輪が次々に光を放ち出す。彼らは身につけた宝石に自らの魔導(マナ)を共鳴させて、炎の能力(スキル)を発動させようとしていた。

 魔導(マナ)は万物が有する力の源。そして魔導(マナ)は宝石と共鳴することにより増幅し、現象として現れる。宝石の祝福はあまねく人々に与えられ、これを利用すればその輝きは道具とも武器にもなる。


「私のウラヌスの涙は渡さんぞ!」

「ウラヌスの涙、ねぇ」


 しかしながら、そんなふうに息巻いて、必死にこの宝石を守ろうとしている彼らを眺めてから、手元にあるウラヌスの涙に視線をやると、思わず笑ってしまう。


「何がおかしい?」

「いえ、このウラヌスの涙を真剣に守ろうとしてる皆さんが面白くて」

「どの口が言うか。お前のような悪党がいるから、コイツらも働かなければならんのだぞ」

「そうだ! お前たちは、これを狙って予告状を出したんだろう!」

「いえ、私が言いたいのはそういうことではなくて」


 私は彼らの勘違いを訂正して差し上げる。


「よくもまぁ、こんな偽物を必死に守れるものだなということです」


 私の言葉に周囲はどよめく。


「偽物だと!? カンブル侯、いったいどういうことですか! 私はそんなの一言も聞いていませんが?」


 探偵は騒ぎ立て、兵士たちは私の言ったことがどうなのか自分のその目で確かめようとしている。しかし、侯爵だけは一人冷静だった。


「馬鹿なことを。そんなわけあるか。おい、泥棒。お前の目にはこれが偽物に見えているとでもいうのか?」

「ええ、私の()は誤魔化せませんよ」

「何だと?」

「ひと()見れば分かるのです」


 私は瞼を閉じ、意識を瞳に集中させながらゆっくりと目を開く。


 ──眼が冴える。


 視界に澱みが消え、世界がクリアに見える。手に持っている石を見れば、本物のウラヌスの涙が放って然るべき輝きが、この眼に全く映らない。


「あ……ああっ……!」


 私を見て、伯爵は一瞬で顔が青ざめる。そして、彼は腰を抜かし、その場に倒れ込んだ。


「何だ……なぜ目が緑色に光る……! そんなの、神話に伝わる悪き者ではないか……!」

「視えて、いるんですね」


 私は大きく振りかぶって、その手の宝石を床に叩きつける。大した衝撃ではなかったが、石は粉々に砕け細かな破片がキラキラと舞った。


「それなら、ぜひとも教えていただけないでしょうか。私、見たことがないのです。だって、自分で自分の眼は見えませんから」

「なっ、何を言っている!?」

「エドガー侯爵には私のこの眼、どう見えておりますか?」

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[良い点] 私はメイドの衣装を勢いよく脱ぎ去った。実に窮屈な偽装を解き、ようやく私は本来の正装すがたに早変わり。  そんな私を見て、探偵が叫ぶ。 「黒装束に、黒のストール、そして眼鏡と翠の眼! 出…
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