要望
私の目の前で、紫檀さんは抵抗も見せずに応援に来た警官達、目を覚まさないままの令嬢と共に警察署に連行されて行った。
月明かりとは比べ物にならないくらいに輝いていたカンテラに照らされた令嬢の顔に、あたしは見覚えがあった。
女学校の前でちりめんでできた桜色の匂袋を落とした女学生。名は確か芳乃と呼ばれていたはず。
青白く血色を失ってしまった彼女の顔に、匂袋を拾おうとした時の微笑みを向けてくれた、彼女の快活でいて優しそうな顔を思い出す。
月夜の暗さに、紫檀さんに渡したちりめん袋の色が確認できなかったことが悔やまれた。
「送ります」
知り合いだからと、紫檀さんの連行よりもあたしを送ることを優先させてくれた、紺野さんのそのにこやかな微笑みにももはや苛立ちしかないし。
「紺野さん……。
紫檀を逮捕しても何の解決にも至りませんよ」
差し出された手には見向きもせず、つい睨みつけてしまったあたしに彼はカッとほほを赤くした。
「随分と肩を持つじゃないですか」
威圧を感じさせる声には、侮蔑が見え隠れする。
「紫檀はあたしの従兄にあたります。
何か思い違いをされているようですが、親族を悪く言われては良い気はしません」
怒りをあらわにしていた顔には、驚きの中に一瞬安堵に似た感情が走ったように見えた。
建物にさす月明かりが、雲の流れにゆっくりと影を作って行く。
薄暗い辺りをさらに飲み込むような漆黒は、まるで奈落へと繋がる口を開けているように見えた。
そう言えば、さっきの妖魔もまるで月の翳りに合わせて姿をくらましたように感じたけど。
「とにかく、ここで立ち話をしていても始まりません。
こんな夜更けに女性を1人で帰らせるわけには行きませんからね」
咳払いをして心を落ち着けようとしているのが見て取れる。
でも、なんと言われようと家まで送ってもらうつもりは全くない。
「鬼呼神社で祖母が帰りを待っています。
紫檀が戻らないことも伝えないとなりませんから、見送りは遠慮させていただきます」
踵を返したあたしの背中に声がかかる。
「確かに見ましたよ。銀色の髪をした洋装の男。
だが、あなた達も十分におかしい……。
こんな夜更けに木刀を携えての袴姿とは、鬼呼の跡取りはどんな説明をするつもりやら」
やっぱり紺野さんだって不自然だって思ってるんじゃない!
勢いよく振り返ったあたしの視界に入ったのは、彼の勝ち誇ったような笑みだった。