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福松の餅ふみ

 福松が一歳になった日。

 夜明けとともに元気に誰かが飛び起きた。

 土間から小走りで玄関に向かい遠慮なく戸をあけ放つ。

「スパーン!」

私たちの寝室は障子越しなので見えてはいないがそれが誰だかは見当がついている。

 三歳になったカエデだ。

 彼女は数日前から福松の餅ふみを楽しみにしていた。

 おそらく夜明け前から何度も布団から飛び出そうとしていたのをキクに止められてたのだろう。

 ほどなくしてキクの足音も聞こえてきた。


 「母さん、水!井戸!」

 カエデはまだ幼いため井戸に近寄るのを禁じられている、この時代の生活に井戸は不可欠ではあるが子供が落ちたりする事故も少なくない、当然の決まり事だ。

 カエデは朝一番の家事が水くみだという事は知っている、しかし自分ではそれが出来ないため早起きするもただ玄関先でうろうろとキクの到着を待つばかり。

 そしてその次に続くかまどの火おこし、これもまた幼いカエデには禁じられている。

 カエデがいくら張り切ろうと三歳の幼い体ではあまり役には立たない。

 しかしなんとか前に進もうという気概が可愛らしくて私もキクもあれこれと彼女に出来ることを考える。

 だから庭の掃除、食器洗い、といったケガや事故につながらないお手伝いばかり選んであてがっている、洗う食器は塗り物のお椀やお箸だけ。

 いつもならそんなお手伝いでお茶を濁して済んでいたのだがなんだか今日は勝手が違う。

 福松の餅ふみを機にお姉さんとして一段上に上がろうと意気込んでいるようだ。


 程なくして私たちは朝餉に合わせるように起きだして障子を開けた、まってましたと言わんばかりにカエデが寝室兼座敷に上がってくる。

 「芝龍さん、おひいさんおはようございます!若、今日は餅ふみ!」

 今日もカエデは元気だった。

 畳の上でころころと転がっている福松をあやし始める。

 カエデは起きている時、基本的に福松にべったりだ。

 福松の『つかまり立ち』を最初に見つけたのはカエデだ、それ以来丹念に練習に付き合うので福松は早々に『つたい歩き』をこなし今ではよちよちと『一人歩き』もできるようになっている。

 福松はまだ「あー」とか「うー」といった言葉しか話せないがカエデがバンバン大人顔負けの言葉で話しかけている、おそらくカエデ流の教育なのだろう。

 カエデはまるで福松を育てるためかのように成長している、福松に早く言葉を教えたいから自分が言葉を覚えた様な感じでもある。

 

 キクが用意しカエデが配膳を手伝った高膳が座敷に並び「いただきます」という旦那様の挨拶で食事が始まる。

 我が家の朝食は旦那様の好みもという事もあり『おかゆ』に『香の物』といった簡素なもの。

 さらさらと流し込むだけなのでとにかく早い。

 朝食が済み身支度を整えるといよいよカエデのお楽しみの時間となる。

 

 「それでは出かけましょうか?」皆の準備が整ったのを見計らって旦那様が出立を促す、向かうのは実家。

 最近お出かけする時にちょっとした決まり事が出来た、玄関からカエデが手を取って福松と歩くという決まり事。

 簡単そうな話に聞こえるが我が家にとっては大切な決まり事、なにせ福松がまだ小さい。

 一歳になったとはいえ一人歩きはおぼつかない、ゆっくりゆっくりと危なっかしい足取りを皆に間守られながら、カエデに付き添われながら歩んでいく。

 この前は玄関をでて二十歩といった所でぐずり始めたので終了。

 今日はどこまで頑張れるのか皆はらはらしながら見ている。

 よいしょという感じで歩く福松をカエデは急かさずにしっかり付き添う。

 その甲斐あって今日は百歩ほどまでしっかりと歩いた。

 さすがにその後は後ろを歩く私に振り返り『抱っこ』のおねだり、うん十分頑張った。

 奮闘した我が子を抱いて実家に向かうと、相も変わらず垣根の外で父が首を長くして福松の到着を待っていた。


 『餅ふみ』とは一升のお餅を一歳児に踏ませて子の健康を願うという風習。

 『一升の餅』は『一生の食い扶持』を表し、餅ふみをすれば一生食うには困らないといわれている。

 一説によると人が神とつながりを持つ一番最初の行事ともいわれている。

 実家ではすでに餅の仕込みも済んで麻の布に包まれた大きな餅が福松に踏まれるのを待っていた。

 

 「おお福松、来たか来たか、カエデもすっかりお姉ちゃんになったな、さあさあ上がりなさい」

 父は私の胸元からさっさと福松を取り上げて、早速の歓待ぶりを見せつける。

 このデレデレっぷりの中に以前の父の面影はない。

 そしてカエデは福松のいる所にそのままくっついていくので私たちの周りから子供っ気が無くなってしまった。

 いささか育児疲れだった私だがここまで子供っ気が無くなってしまうと何とも寂しい、まあ今日はせっかくの行事なので実家のご馳走を楽しむ事にしよう。

 「うん?福松はまた大きくなったか?」

 父は膝の上に座らせた福松のお腹やら頭をもみもみとまさぐっている。

 原始的だが本能的な愛情表現を隠さなくなった、目の中に入れてもいたくないという感じだ。

 父が子供たちをあやしてるのか子供たちが父をあやしてるのかよく分からない。

 ところがお出かけの際の頑張りが堪えたのか父と遊び疲れたのか気が付くと膝上でウトウトとし始めている。

 踏むべきお餅は早くから父の前に準備されていたのだが父は福松とじゃれあうのを優先し餅ふみを後回しにしてしまった。

 

 「お、福松餅を踏め、踏まんと一生飯めしに困るぞ」そういって顔を覗き込んでいるが福松はもう寝息を立て始めた。

 周りの私たちも「あらあら」「まあまあ」といった微笑ましい状況に見えていた。

 ただカエデはこの言葉に過敏に反応した。

 「若!餅!餅を踏まんとダメじゃ」血の気が引いたような顔で福松に訴える。

 しかし福松はすでに意識を失う寸前でカエデの言葉は届かない。

 カクンと福松が眠りに落ちた瞬間カエデが慌ててにじり寄る。

 「若、餅を踏め、踏め!」

 この時、周りにいる大人たちはカエデの誤解を理解する。

 カエデは『餅ふみ』が出来ないと福松が一生飯に困ると本気で思っているのだ。

 それでも寝入ってしまった福松にどうする事も出来ずカエデは泣き始めてしまった。

 

 「うわーん」

 カエデが大泣きに変わった途端、台所で手伝いをしていたキクが飛び出してきてカエデを抱いた。

 「カエデどうしたの?何で泣くの?」

 「若が餅を踏まん、若が飯に困る、うわーん」キクはその場にいなかったがカエデの言葉で状況を理解しこういった。

 「若は飯には困らんよ、もう少し待っとき、若はすぐ起きて餅を踏むよ」

 キクとカエデのやり取りはいつもこんな感じだ。

 その結果が今のカエデという人格を作っている、いや『三つ子の魂百までも』ということわざもあるしカエデは一生こうかもしれない。

 当のカエデの真剣な思い込みには申し訳ないが大人たちにとっては微笑ましい話になるだろう。


 結局しばらくすると福松は目を覚まし餅を踏んだ。

 その度にカエデが大喜びするので何度も何度も踏んだ。

 そんな感じで踏まれた餅は細かく分けられご近所さんに配られ、無事『餅ふみ』は終了する。

 その時のカエデの満足そうな顔を見たら「ああ福松は人に恵まれたな」と痛感した。


 夕方近くになり任務を終えた私たちが帰ろうとすると、見送りに来た母が笑いながらこう言った。

 「カエデは本当にキクにそっくりね、あなたの小さい時にも似たような話があったのよ」だって。

 自分の事はよくわからなかったが、私もそうだったという話。

 キク、カエデありがとう、これからもよろしくね。

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