末盧国(まつらのくに)
『お酒』とはすごい嗜好品だと思う。
人がその時に抱いている感情を高めるという点が特に素晴らしい。
悲しい時にはすごく悲しく、うれしい時にはすごくうれしく。
ではすごくうれしい時にお酒を呑むとどうなるの?
その答えが私の目の前で繰り広げられていた。
「芝龍さん、ワシは今日ほど楽しい日はない、ほらほらもっと呑もうじゃないですか」
「旦那様、芝龍さん、カエデは立派な若の女中に育てます、ありがとうございますありがとうございます」
大笑いする父と感極まってさめざめと泣きじゃくるキク。
同じうれしさの中でも表現が正反対になっている。
普段は大笑いするキクだがお酒が入ると泣き上戸?
でも笑いながら泣いてるのがキクらしい。
うちの旦那様は二人に挟まれニコニコしながら呑んでいる。
武家らしからぬ大騒ぎに近所の人も垣根越しに我が家を覗き込んでいる。
するとまあ父がいちいち福松を抱いて「わしの孫が…」と見せびらかしに行く、はだしで。
しかしご近所さんも酔っ払いの相手という感じではなく「ほうほう…」と真剣に福松を覗き込むのだ。
これにはこの地域特有の『言い伝え』が起因している。
この地域に古くから住む人々は、小指の先ほどの小さな緑色のガラス玉を紐に結わえて首から下げている。
我が家はもちろん、キクたちの家族も全員もっている、ご近所さんも港の漁師たちもだ。
人が死ねばそれは孫に、孫が死ねばそれは玄孫に…
そんな形で何代も何代も時代を紡ぐように受け継がれてきた小さな首飾り。
今私がつけている首飾りはひいおばあちゃんが生前つけていた物らしい。
その昔、唐の王様から下賜されたと伝えられているこの首飾りは、一族繁栄を願い地域の象徴となっている。
現代の知識を持っている私から見れば何とも眉唾な『言い伝え』だが私はある事を思い出していた。
私が歴史にのめりこむ原因になった本がある、それは『三国志』、小中学と夢中になった小説が私の歴史好きの原点だ。
さて、この『三国志』の原本は我々が思っているような小説仕立てではない。
魏の国、呉の国、蜀の国といった三か国の歴史をつづった歴史書だ。
有名な『卑弥呼』を記載している『魏志倭人伝』は魏の国の歴史をつづった『三国志』の中の一篇だ。
その『魏志倭人伝』の中に『卑弥呼』や『邪馬台国』以外にも倭の国(日本)について記載された地域がある。
それはここ平戸だ、『魏志倭人伝』に記載された名前は『末盧国』となっているがこれは当時『まつうら』と呼ばれた人々が住んでいたためだ。
驚くべき事に一八〇〇年前の『卑弥呼』と同じ時代を生きていた人々は歴史に埋もれることなく今でも『松浦衆』としてこの地域で生活を営んでいる。
さらに『魏志倭人伝』によると『末盧国』は高価な鮑の漁が盛んだったとの記述もある。
小さくかさばらないガラスの勾玉は鮑との交易にうってつけの商材だったようだ。
江戸時代にはすでに口伝、伝説の類だと思われていたこの事実は、現代に入って遺跡の中から出土されたガラス細工の小さな勾玉と、『三国志』の研究から公となった。
私は自分の胸元に収まったガラス玉をしげしげと眺めながら考えをまとめる。
一五〇〇年もの間、人が身に着けたことにより勾玉はすっかり角が取れただのビーズ玉みたいになっている、しかし当時日本にはない『ガラス生成』の技術は中国大陸との交流があった事を裏付ける大きな証拠でもある。
こういった事もあり平戸に住む『松浦衆』は大陸に対しての意識がなまなかではない。
言い伝えを真に受けるならば少なくとも三国時代から唐の時代まで続いたこの交易は国単位で見ても十分に誇らしい実績だと思う。
『松浦衆』は別段この言い伝えをよそにひけらかしたり自慢したりはしていなかった。
自分たちだけ知っていればそれでよいと思っている、そのため現在まで『末盧国』の正体がぼやけていた。
この首飾りが彼らの団結力に多いな力を与えたのは見て取れる。
よそではだれも持っていない首飾りを自分たちだけが持っている。
これを所有している人間は信頼に値する、仲間だという意識が強い。
時間をかけずに信頼しあえるというのは大きな力だ。
だから海戦がめっぽう強い、当時日本屈指の水軍『松浦衆』の強さの要因でもある。
海戦というのは個人の技量ではない、お互いの仕事をそつなくこなし次の作業を円滑に進めるための気配りや思いやり等も海戦の強さに深く影響する。
さて父が良い感じに酔っている。
父は『松浦衆』の中でも特に異国に興味を示した人物だ。
大切な一人娘の私をあっさりと外国人に嫁がせるあたりずいぶんとさばさばしている。
「武家は窮屈だろう、福松にはいろんな物を見たり学ばせてやりたい」との事。
父は自分がやりたくても出来なかった事を福松にやらせたいのだと思う。
残念ながら父の子は女の私だけ、大海原をまたにかけ…といった冒険なんかを語り合う対象ではなかったようだ。
今までずっと海と共に生活をしてきた父、海を知れば知るほどその先にある大陸にあこがれてしまう。
いっそのこと侍をやめようか?と考えた事もないとは限らない。
水軍主体の武家『松浦衆』では個人の武芸より躁船術や海の知識を重要視している。
家臣団は全員、国内随一の船乗りばかりだ、当然父もそのあたりの漁師や船乗りを凌ぐ技量を持ちあわせている。
ならば得意の操船で商いでもやってみては…
いろいろと時代や立場に挟まれて鬱積したものがあると思う。
ただ『田川家』があるから、苦虫をかみつぶしたような顔をして日々やり過ごしてきたのだろう。
「芝龍さん、あなたの仲間が長崎で造ってる『唐人街《現中華街の事》』はどんな感じだい?そこにはいろんな明の国の交易品があふれてるって話じゃないか、一回見てみたいねぇ」父の顔がほころんだ。
「ワシはここを離れる事ができんが福松ならどこでも行ける。芝龍さん、福松をいろんな所に連れて行ってください、ひとつっところに縛り付けるのはダメだ、人間腐っちまうよ」いつになく多弁である。
「関羽様を祀ったお寺さんにも行ってみたいねぇ、福松が行ったらその話を土産話にしてもらおう」
「長崎あたりでは南蛮人の船も見かけるらしい、今から土産話が楽しみだねぇ」
まだ赤子の福松に今から土産話をねだる父、いったい何年後の話をしてるのだろう。
それでなくともその手の話は旦那様から嫌と言うほど聞いてるでしょうに。
武人であり船乗りの父は夢も二人分だったようだ。
福松に対面してから今まで自分の中で抑え込んでいたものが堰を切ったようにあふれ出していた。
初めて見る父の一面だがこっちの父も父らしいといえば父らしい、大人になったら今日の話をしっかりと福松に伝えようと思う。
「家督は二人目の男の子に継いでもらうかね」と早くも次の孫を催促されたのはなかなかの圧力だ。