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福松おひろめ 改め

 「ふう…」何とはなしにため息がこぼれた。

 私が『マツ』に生まれ変わってからバタバタと気ぜわしい日が過ぎた。

 思い返すとようやく一息付けた気がするので現状を確認しておこう。


 まず今は『江戸時代』、そしてお父さんが関ケ原に参加したとの話を聞いているので計算するとすると西暦一六二〇年を少し過ぎたあたりと思われる。

 そして場所は『平戸』、現長崎県北部の島。

 治めるのは水軍で有名な松浦の殿様、そこに仕えてる武家の『田川』が私の実家。


 この辺りで私の中の知識を総動員するとぼやっとした人物が浮かび上がってくる。

 歴史が好き、とはいっても全ての時代や地域を網羅するものではない、どうしてもムラが出来てしまう。

 特に関ケ原や大坂の陣が終わった後というのはあまり熱をもって学んだ記憶がない。

 この後、諸侯はすうっとなりを潜めてしまうので派手さに欠けて記憶に残りにくい。



 ただそんな時代にも気になる英雄がいた事を思い出している。

 それは『鄭成功』、のちに『国姓爺』と呼ばれる英雄。

 時代的、地理的に私はこの人物に関係がある立場だと思われる。

 残念ながら他の英雄たちと絡みがない孤立した英雄なのでどういった人物だったかは記憶にない。

 ただ、いずれ出会うであろう『鄭成功』という名前だけは忘れないようにしようと思う。


 さて、次は本日の重要事項について。

 ようやく体調が戻った私は後回しにしていた『福松のおひろめ』をしに実家に戻る事にした。

 実家では父が今か今かと首を長くして待っているという。

 久しぶりに会う父が福松を見てどんな顔をするのか今から楽しみではある。

 ちょうど梅雨の合間を縫うように今日は雨がやんでいる、この隙に出かけましょうというキクに引っ張られるように旦那様と私は家を出た。


 海沿いの往来は店や民家がつらなり梅雨時でもそれなりの喧騒を醸している。

 どこからともなく聞こえる子供の声やら生活音、そういった音を聞きながらこの社会にいる自分の立ち位置をかみしめる。

 もし転移した先が山奥だったりさびれた農村とかだったらと考えただけで背筋がぞっとする。

 田舎とはいえ裕福な家柄と明るい家族、現状は十分に恵まれている、私はそれを忘れずに生きていかなければならない。

 頭ではそんな事を考えながら転ばぬように足元に気を払う、時折だいた福松の匂いが鼻先をくすぐりそれを楽しみながら歩を進めていった。


 見慣れた垣根に差し掛かる、それは子供のころから慣れ親しんだ垣根、実家をぐるりと囲む子供の背丈ほどの垣根は私たちの家族と世間を隔てる境界線。

 外では強面の父がこの境界線を越えて、帰ってくると幾分やさしくなる境界線。

 そんな事を考えながら先を見ると父がいた。


 玄関の前で落ち着きなくうろうろと待ち構える姿は以前からは想像もできないほどのやさしさがあふれてる。

 もう私へのお小言を心配する必要はなさそうだ。

 「ただいま!」


 …それから小一時間が経過しようとしているが父が独占しているため福松が帰ってこない。

 三つの間を開け放し、使用人のキクたちの家族まで隔てなく準備された高膳。

 皆がめいめいにお祝いの言葉を告げようと頃合いを見計らっているのもおかまいなく父の心は福松にわしづかみされていた。。

 父に抱かれたままの福松が、鼻を鳴らすと可愛い、瞬きをすれば勇ましい、と何をやっても夢中になっている。

 こうやって父を見ると今日のご機嫌はかなり良い。


 しばらくして父が我に返ったのでおごそかに福松のお披露目が始まった。

 とはいっても親戚兄弟使用人といった身内ばかりのお披露目だ。

 父の簡単な挨拶が済めば後は勝手な手酌の飲み会になる。

 そして宴も進んできた頃、父から皆に『旦那様からの土産物』が配られる。

 父が名を呼び、目録を読んで品を渡すというただただ楽しい行事だ。

 旦那様が選んできた様々な土産物は衣類であったり薬であったりだが気持ちがいいほどに収まるべき人に収まっていく。

 「おぉー」やら「ほう」といったにぎやかな騒ぎを肴に酒をすすめる類の親戚行事。

 毎度の事ながら家人かじん全ての好き好みや健康状態を熟知している旦那様にはほとほと舌をまく。

 当然、主人である父も熟知しているので父と旦那様の間で『どれを誰に』といった打ち合わせはやっていない。

 ただ、最後の最後にお土産を渡す人物とその品が不釣り合いなので少しだけ二人の間に確認の目配せが行われていたのを私は見逃さなかった。

 旦那様は父に対して(それでお願いします)といったふうに微笑んで会釈をする。

 父はそれを満面の笑顔で受け止めてこういった。

 「カエデに筆を贈る」

 その瞬間、沸いていた場の雰囲気が静まった。

 キクの家族が大慌てで額を畳に押し付けるようにして固まる。

 「め、めっそうもありません、我々家族はすでに使用人を超えるほどよくしていただいてます、その上に筆などと…」

 キクがそう言うと、キクの家族は平伏したまま口々に「もったいのうございます」と額を畳にこすりつけるばかり。

 「あ、よいよい構うな、『芝龍さん』の心意気じゃ、もらっておいてくれ」

 「もったいのうございます、もったいのうございます…」父の言葉に平伏したキクが嗚咽をもらす。

 この時代、この社会で筆を持たせるという事には特別な意味があった。

 我が家でも筆を持ち諸事指図をするのは父と母のみであり、私もそういう采配をしたことが無い。

 筆を持つというのはただ記録するというだけではなくいろいろ指図をする立場であるという意味合いが強いのだ。

 そもそもそこには『読み書きを教える』事も含まれている。

 これによりカエデ本人が物心つかぬうちからそういう立場で英才教育を受ける事が決まった、スポンサーは旦那様こと『芝龍さん』。

 もちろん実家での立場や位置づけではなくあくまでも我が家での位置づけなのだがキクは感激して泣きっぱなし、しばらく顔を上げることが無かった。

 キクの家族は感情表現がうまい。

 計算的だとかそういう意味ではなく自分が嬉しい、悲しい、怒ってる、そういった感情に打算を含まない。

 感情表現と言ったが『表現』でもなく素のままなのだ。

 カエデ本人はというと父に抱かれた福松から片時も目を離さない。

 父の目録に平伏こそすれどその目は常に福松を追っている、幼いながらも自分と福松には並々ならぬ関係がある事を感づいていた。

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