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母の訪問 改め

 私が出産で死にかけた事はすでに実家だけでなくこの田舎町全体に伝わっている。

 なにせ娯楽の少ない小さな町、そこのお武家様のお嬢様が死にかけるなど悪気がなくとも町人たちの恰好の話題でしかない。

 別段恥ずかしい事でも悪い事をした訳でもないがその当事者としてはなんとなく気にしてしまう。


 少なくとも心配かけた件を実家に詫びるくらいはしなくてはならないと思ってはいる。

 ただまだ実家まで歩いて行けるほどには体力も回復しておらずどうしたものかと思案していた矢先の母の訪問。

 

 「ごめんください」開け放たれた玄関からすいと顔をのぞかせる母と目が合った。

 わずか一週間ほど会ってないだけなのだがその間に起きたたくさんの出来事。

 話すべき事が多すぎてどこから手を付ければよいのかわからなかった。

 ただそんな心配も一瞬にして杞憂になってしまう。

 母の関心は私が抱いていたおくるみに集中、それ以外に何も見えてはいなかった。

 

 「あらあらまあ可愛い、福松君ですか?おばあちゃんですよ、うふふ…」

 母は私からやさしくおくるみを取り上げると満面の笑顔を晒して福松にほおずりする。

 母もまた鼻をくすぐったり匂いを嗅いだりせわしない、猫の親子が毛づくろいをする様となんらかわりない。

 ひとしきり福松を愛でたあと抱えたおくるみをゆする母。


 「お父さんがね…」母が福松を見つめたまま、私に告げる。

 (来た!)これこそが母の訪問の目的、少なからず父からの小言を伝えに来たのだろう。

 「早く福松に会いたいなぁ、だってうふふ…あのお父さんがよ?」と母。

 「え?」私は思わず声が出た。

 「武士たるもの女々しくてはいかん!なんて言ってる口が『会いたいなぁ』」ですって、うふふ…やだ可笑しい」

 よほど可笑しかったのかコロコロと笑い始める。


 てっきり死にかけたのに話もしにこない私に怒っているのかと思いきや、父の心そこにあらず、すでにまだ見ぬ福松に注がれていた。

 お説教が無くなったので安心はしたものの一人娘の身としては寂しくもある。

 「ふうん」そんな私は感心なさげを装った相槌をうつ。


 「でもね、お父さんそれはそれ、これはこれ、であなたの軽率な行動にはずいぶん腹を立ててたのよ」私の心を見透かすかのような母の言葉にぎくりとした。


 「そのお父さんがね、腹立ちを抑え込んでまで私に福松の様子を見に来させたのはどうしてだかわかる?」

 やはり実家ではかなり立腹していたようだし母の訪問もお父さんの差し金だった。

 とはいえ母の聞いてる事が本当にわからない、なぜだろう?


 「答えはキクとカエデ、キクったら皆の前で福松の活躍ぶりを大演説したのよ、まるで鍾馗さまの生まれ変わりだって…おまけにいちいちカエデに同意を求めるの」

 ああ、あれを実家でもやったのか…私はその光景が目に浮かぶようだった。

 「話を振られるとね、カエデもうんうんってうなづくの、それも又可愛くってねぇ」

 母のにこにことした表情で父の怒りはずいぶん治まった事が伝わってくる。

 「あなたあの二人にはちゃんと感謝しときなさいよ、お父さんの機嫌取れるのって世の中にあの二人しかいないのよ」


 確かにそうだ、動けない私に代わり実家とこの家を上手に繋げてくれている。

 「特にカエデ、あの子は昔のキクに似て器量も良いし賢そう、きっと美人になるわよ、福松の世話をやりたがるだろうし結局は福松の腰元になっちゃうのかしらね」

 母も母で先の事を考えてるようだがやはりその中心には福松がいる。

 こんなにちっちゃいのになんという存在感、すごい。

 そんな風に軽いお説教もされながら久しぶりの親子、いや親子孫のひと時を過ごした。

 

 そして次の日、また父の機嫌が悪くなる前に一度は実家に顔を出さなきゃいけないなと考えてはいるが、まずは旦那様が戻らない事にはそれもままならない。

 予定では今日戻るはずなのだがどうだろう。

 ふと外の様子を見ると、どんよりとした雲が視界に広がっていた。

 存分に雨をためこんだ雲は裏手の山のいただき近くまで降りてきている。

 こうなってくると雨までは時間の問題だ。


 私は旦那様が航海から戻ってこないかな、と入江を眺める事しか出来ない。

 家を一歩出て眼下に広がる海をただただ眺める。

 そろそろ動けそうではあるものの、産後の肥立ちのため船着き場までの出迎えは旦那様に禁じられている。

 抱っこされた福松は潮の匂いを楽しむかのように鼻をひくひくとさせ腕の中で身じろぐ。


 「風がでてきたかな?」おだやかだった海面はちらほらとうねり、白い波が見え始めた。

 なんとなくだがこれから振り出す雨はそのまま梅雨へとつながりそうで船着き場を行き交う人たちも動きがせわしくなっている。


 雨が降れば風が吹く、風が吹けば海は時化しける。

 漁師たちにとって梅雨の時期は貯えを食いつぶしていく嫌な時期だ。

 できる限り短い方が助かるのだがこればかりはどうなる事か誰にもわからない。

 漁師ではないが海で生活を営む私たちも梅雨の時期は心配事の一つ。


 「雨の前に帰ってこれますかね?」

 家事の手を休め表に出てきたキクがそういった矢先、私は見慣れた船影を見つけた。

 「あ、帰ってきた」

 その船はこの小さな港町には似つかわしくない大きな帆のついた屋形船。

 現代知識を持った私からすれば教科書なんかで見かけた昔の中国船だが地元の船しか知らないこの辺の人たちからするとこの船はかなりの異質な船だ。

 今でこそ行き交う人たちも見慣れた様子だが最初来航した時は大騒ぎだった。


 「うわーずいぶん荷物積んでるようですね、みんな喜びます」

 キクは船の沈み方を見て荷の重さを計っている。


 今回旦那様の航海は梅雨前の買い付けが目的、網や船の修理道具、調味料や種といった品々を手配し、地元の人たちが梅雨の時期でも手持ちぶたさにならないように考えている。

 とはいえそれだけで済むような旦那様ではない事を私やキクは知っている。

 旦那様こと『芝龍さん』は私と知り合うと、出航のたびに『土産物』と称して様々な高価な物を貢いできた、とんでもない『お土産魔』なのだ。


 その『土産物』は私や家族だけではなくキクの一族にまで配られるほどの念の入れよう。

 そして選んでくる品が小憎こにくらしい、じっぱひとからげで選んだような品ではなく、一人づつ時間をかけて丁寧に選んでいるのがありありと伝わるような物ばかり。


 例えばカエデの宝物の『赤いひょうたん』、あれは彼がカエデに渡した『土産物』だ、子供に対する土産だからといって決しておろそかにせず考え抜いた物を選んでくる、もらった方は本当に感激してしまう。

 そういう性分の人なのだ。


 そのうえ、このお土産は旦那様が皆に配るのではない。

 旦那様はこのお土産を全部私の父に収める。

 その後、父の手によってめいめいに配られるという流れになっている、こういう彼の気配りによって我が家は十分すぎるほど円滑に回っているのだ。


 旦那様に言わせると対人関係で一番気を使うのがこういった贈り物を渡す時だそうな。

 ほんのちょっとした表情や言葉でもらう方はたちまち不快になる事も少なくないという。

 ましてや自分は外国人なのでいつ誤解を受けるとも限らない。

 その点、お父さんならそういった機微に長けている、僕が渡すよりよほど喜んでもらえるよ、との事。

 なんとも武家の面子を立てる人だ、豪商とはこうでないとなれないものなのだと思った。


 旦那様の船が帰港し、船着き場が更に活気づき始める。

 荷下ろしの人夫の声が重なり喧騒が増していく。

 船が到着して小一時間ほど経った頃、ようやく荷はそれぞれ収まるべき所に収まったようで旦那様が手ぶらで帰ってきた。

 彼は妻である私や息子の土産も自分ではなく父から配られるように気を使っている。


 さて準備は整った、間をおかないように実家に顔を出さないとお小言では済まなくなりそうだ。

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