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キクとカエデ 改め

 今日は朝から晴天の中、気持ちの良い風が吹いている。

 もうじき始まる梅雨の事を考えるとやや気分が重くなるのでせっかくのお天気を楽しむつもりだ。


 キクは二歳の娘『カエデ』と共にこの家に越してきた。

 「キク、カエデっていう字は木へんに風の楓でいいの?」なんとなく気になったのでキクに尋ねたところ「おひいさん、女の名前に漢字なんてもったいない、カエデはカエデ!普通の仮名の『カエデ』ですよぉ」と、けらけら笑いながらキクは答えた。


 そう言われれば確かにそうだ、あまり意識した事はなかったがこの時代に漢字名の女性は相当に高貴な家柄でないと記録に残っていない。

 それこそ大名の家系とか将軍の家系でもなければ覚えがない。

 一般の人たちは古い戸籍や帳簿等を見ても女性の名はカタカナばかりだった記憶がある。


 「おひいさん、カエデは若旦那付きの女中です、今から私がしっかり仕込みますのでよろしくお願いします」

 深々と頭をさげるキクを見て、歩きがおぼつかないカエデも頭を下げる。

 キクは福松を若旦那と呼んだ、実の親の私以上に我が家の将来設計を見据えている。

 カエデも福松の事が気になって仕方がない様子だ。

 私はそんな二人が頼もしくもあり「こちらこそよろしくお願いします」と頭を下げた。

 それが嬉しかったのかカエデがきゃっきゃと笑う。


 親譲りの屈託のない笑い声、つられてキクが笑うと私までなんだか可笑しくなって笑ってしまう。


 三人の笑い声に気がついたようで福松も「ぶーぶー」かわいらしい声をあげた。

 「あ、おきた!」福松が起きるのを待ち構えていたカエデはおくるみの中を覗き込む。

 まるで我が子をいつくしむかのように福松の頬に自分の頬を重ねたり、手のひらの匂いをかいだり忙しい。

 私の記憶には無いがおそらく同じ事をキクは赤ん坊の頃の私にやってるんだろうなと思った。


 カエデは一つ宝物を持っている、それは音の出るひょうたん。

 きれいに乾燥させたひょうたんの中に小豆あずきが入っており、振るとさらさらと小気味の良い音がするおもちゃ。


 しかしこれはおもちゃというよりも工芸品に近い逸品。

 乳幼児の手の大きさを考慮し重さもいい塩梅で子供の手によく馴染む。

 そしてこのおもちゃを逸品と言わしめる特徴こそが塗装だ。

 自然界の色合い以外に色彩の乏しいこの時代、そのひょうたんに塗られた真っ赤な色。

 薄く削られた虹色に光る貝殻が表面に張り付けられその赤が更に引き立っている。

 だいの大人でもこのひょうたんを見れば手で触れ、撫でてみたくなるような出来具合だった。


 幼いながらもカエデはこのひょうたんの価値を知っており、めったな事では人前には出さない。

 それが今日はそのひょうたんを惜しげもなく福松に貸し与えている。

 福松がどの程度このひょうたんの魅力を理解したかはわからない。

 ただ福松の胸の上でカエデがひょうたんを転がす度にやさしくさらさらと小豆の音が聞こえている。

 つやつやとしたきれいなひょうたんが口元に来ると福松はお乳のように吸い付いた。


 しばらくカエデと一緒にひょうたんの感触を楽しんだ福松はいつのまにやらまた寝息を立てている。

 カエデはと言うとよだれでべとべとになったひょうたんをたもとで軽くぬぐい、そっと福松の耳元に戻した。


 この様子を私ははたで眺めながらカエデの情に感心するばかりだった。

 彼女にとって、福松の気を引く事は宝物以上の価値があるようだ。


 「あらあらまあまあ…」

 産後からあまり間がないからであろうか、私はなんだか自分一人で福松を育てねばならないような勝手な決まりを自分の中に作っていた。


 もちろん今の段階でもキクや旦那様の手助けがないと立ち行きならない。

 それは別として妙に意固地な気持ちが少しばかりあったのも事実だった。

 しかしこんな幼いカエデですら福松の世話をする事に躊躇がない。

 私も私であまり気を張らず出来ない部分は皆に頼ってよいのだ、という事をカエデに教わるほどに視野が狭くなっていた。

 こういう所は自分を修正するべきだ、という訳で今日もキクに甘えて美味しいものを作ってもらおう。

 今私が住んでる所は小さな港町、家から船着き場まで徒歩一分といった所だ。

 船着き場は入江の中にあり直接外海には面していない。

 少し歩けば潮干狩りのできる砂浜もある。

 そんな環境なので魚介類がめっぽう強い。


 今日の献立は麦の入ったご飯と豆腐の味噌汁、アジの一夜干しと大根のお漬物。


 これを質素と思うなかれ、みそ汁は『アゴ(トビウオの干物)』と昆布で出汁をとりアジは刺身で食べれる鮮度の物をあえて一夜干し。

 現代ならかなり値が張る食事となる事間違いなし。


 この時代なら当たり前だけど、一夜干しは直火で焼くのでいい感じに燻されて香ばしい。

 旬のものが美味しいのは知ってるけど予想をはるかに超えた美味しさに感動する。


 そもそも塩の味が違う事に驚いた、私の知ってる天然塩よりももっと深い味が混ざり合い味が濃い。


 尚、夕餉はアサリの酒蒸しを作るつもりらしく桶で水抜きをしている最中だ。

 使うお酒はどうやら焼酎、味の濃い塩と相性がよいのはわかってる。

 寝床と土間が近いためついつい食べ物に意識が行き食欲を刺激する。


 これは私が食いしん坊と言う訳ではなく出産に伴う燃料補給のようなものだと思う。

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