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サクラ

 福松が二歳になった、この年カエデに妹が出来た。


 少しばかり肌寒いが温かさを感じる季節、彼女は実家の離れの一室にてお産婆さんに取り上げられる。

 「おぎゃあ」という第一声を体中から絞り出した時にどこからか紛れ込んできた桜の花びらが彼女の頬に張り付いた。

 もちもちとした肌にぴったりと馴染んだ桜の花びらはまるで化粧のようにも見える。

 「あら桜の花がお似合いね」、「可愛いわねサクラちゃん」ついついみんながそう呼んだ。

 その愛らしい呼びかけをキクたち家族ははたいそう気に入ったようで彼女の名は『サクラ』と決定。

 我が家を一層にぎやかにさせてくれること間違いなしのサクラにカエデや福松も大喜びだ。

 キクは産後の肥立ちも良く、ひと月もするとすっかり以前と同じように働き始めた。

 家族が一人増えただけで私たちの生活はまた同じ流れで進み始める。


 この年の冬、良くも悪くも時代の歯車も回り始める。

 この時日本の将軍は徳川三代目将軍の家光公、中国はというと明王朝が清王朝にとってかわられようとしている時期だ。

 もともと明王朝は日本を海賊の国と認識し自国民に渡航を禁じていた。

 何しろ戦国時代には首を取ったの取られたのといった蛮行ばかりであったため中華の王朝では日本を首狩り族のような野蛮人が住む国だと思っていたようだ。

 本来ならば厳守されるであろう渡航禁止令だが明王朝の衰退、そして清王朝の台頭、中華大陸は大きく混乱していた。

 明王朝の役人芝龍さんは今でいう外交官的な仕事を任され明と日本の間を行き来していたがその縁から松浦のお殿様に気に入られ平戸に小さな領地を賜った。

 これを機会に芝龍さんは貿易をはじめ財を成す。

 公にはなっていないが二国間の貿易をほぼ独占したような取引ばかりだったのでいったいどの位の財なのか見当もつかない。

 ただ私が結婚した頃にはもう一介の商人の域を超えるほどの地盤を固めていた。


 そして旦那様(芝龍さん)は新しい事業を構想している、それは『唐人屋敷』の建設だ。

 明王朝に忠誠を誓い地位を得た人々は清王朝になると弾劾されてしまう。

 彼らの地位が高ければ高いほど弾劾の内容は苛烈になり下手をすれば一族郎党まで殺害される恐れもある。

 そういった人々は事前に国外に逃げ場を作っておくものだ、その逃げ場が『唐人屋敷』。

 屋敷と言っても実質『街』と同義で一軒の家を指しているものではない、それなりに大きく千人規模の住民が生活できる空間だ。

 旦那様はこの『唐人屋敷』を長崎に造ろうとしており頻繁に現地の華僑たちと連絡を取り合っていた。

 この時点で長崎に来ている華僑たちはいわゆる明王朝の貴族たちの先兵隊とでもいうような役割を持っている。

 大国の貴族が生き死にをかけて進めていく事業だ、江戸幕府も無碍むげには出来ない。

 しかし江戸幕府としても新たに台頭してきた清王朝と明王朝を天秤にかけるような感じになってしまうのは仕方がないだろう。

 隣の国の争いに巻き込まれても仕方がない、せめてどう転んでも良い様に水面下での支援が中心となる。

 

 ただ私はこの事業が成功する事を知っている。

 なぜなら『唐人屋敷』は名を変え『長崎中華街』として今も残っているからだ。

 そして自分が中華街に設立に縁があるとは思ってもいなかっただけに驚いている。

 

 この段階で旦那様は松浦のお殿様からの口添えですでに長崎の奉行所役人たちとは懇意な仲になっていた。

 長崎でのある程度の融通は利くと思われるがまだまだ五里霧中といった印象も受けている。

 こういった感じで江戸幕府の思惑おもわく、明王朝の思惑、そしてそれに伴うたくさんの思惑が複雑に絡み合い歴史的事業は始まっていった。

 

 ある日の午後、「おひいさん、お話をしてください」とカエデが物語をねだった。

 軽い昼食を取り、福松とカエデに昼寝をさせようと薄い子供用の布団を敷いている時の事だ。

 お腹が膨らむと放っておいても勝手に寝てしまう二人なのだが最近はお昼寝前のお話に夢中だ。

 どれだけ理解してるのかな?と思いながら思いつくままにいろんな物語を言って聞かせている。

 最初は『桃太郎』や『はなさかじいさん』、『金太郎』を繰り返し話していた。

 なんとはなしに土間で家事をするキクや隣の部屋で書き物をしている旦那様も一緒になって聞いているのが常でもある。

 この辺の有名どころの昔話のほとんどが江戸後期から明治あたりに完成された物語だという事は知っていた、当時の平戸には伝わっていなかった事も。

 しかし江戸初期に伝承されている昔話など分かるはずもなくすぐに思い出せる話ばかりしてしまう、これが良くなかった。

 私が知っている物語は長い間人々に語り継がれるうちに極限まで無駄が省かれ洗練されていたのだ、起承転結がぴしゃりとはまった物語は大人の意識も引き付ける。

 特に『桃太郎』が大人の興味を捉えた。

 「マツさん私もきびだんごが欲しいんだけど…」、「おひいさん鬼の宝物って何ですか?」という話を子供が寝静まった後に持ってくる。


 さてどうしよう?

 実は私もきびだんごというものを良く知らない、なんとなくきなこもちをこぎれいに仕立てたものじゃないかなと思ってる。

 「わかりました、近いうちに作ってみます」

 かなり頼りない知識だが自分も興味が出てきたのでそう答えた、あとは試行錯誤でどうにかしよう。

 「ありがとう、楽しみだ」

 よだれが出そうな表情で喜ぶ旦那様の期待に添えるかどうかは別問題。


 鬼の宝物?

 「金や銀でしょうね」

 「はぁ…?」

 キクは私の答えにいまひとつ納得できなかったようだ。

 私としてはキクに「なるほどすごい」と思わせたかったので拍子抜けする。

 なんとなく絵本の挿絵を思い出しながら「他にはサンゴや真珠ね」と続けた所これがキクの琴線に触れた。

 「サ、サンゴに真珠!」途端に目を見開いた表情に変わった。

 「はぁさすがは鬼ですね、サンゴだけじゃなく真珠までもってるなんて」

 ここにきて私はピンときた。

 海と共に生活する人たちにとって価値あるもの物とは山から掘り出す金や銀ではなく海から恵まれるサンゴや真珠なのだ。

 「サンゴや真珠なんて持って帰ったらおじいさんやおばあさん腰をぬかすでしょうね」

 鬼の宝物に納得したキクは物語が終わった後の話まで心配を始める。

 「おひいさん、鬼は真珠をどのくらいもってたんでしょう?」

 なんだか妙な方向で『桃太郎』に関心を示すキク。

 「それはこのぐらいの箱にザラザラというくらいあったようね」

 私は絵本の挿絵を思い出しながら目の前の空間に手振りで箱の大きさを教えた。

 現代でいう所のティッシュペーパーの大きさくらい。

 「そんな箱にザラザラと!」

 キクは絶句した。

 娯楽の少ない時代とはいえ昔話ひとつでここまで盛り上がれる事に驚く私。

 少しばかりやりすぎたような後悔もあるがまあ皆が楽しめたようでもあるし良しとする。

 ただ次回からはもう少し刺激の少ない話を選ばないとキクが興奮するなと思った。

 『桃太郎』より刺激の少ない話ってなんだろう?

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