1-4 「あなたは何年生?」
昔、学生だった人も、現在学生の人も、学校の夢とかよく見ませんか?
校舎の中で、授業を受けている夢以外にも、登校する夢とか、修学旅行や遠足等を含めると、結構な確率で学校関係の夢を見るのではないかと思います。
小学生の頃の夢、中学生の頃の夢、等々。
それらの夢をちょっと思い出してもらいたいのです。
その夢を見ているあなた自身は、周りの生徒と同じ学年でしたか?
「そんなの同じで当たり前じゃないか」と、思われる方もいらっしゃるかと思いますが、よくよく思い出してください。
これが映画のような映像ならば話が早いのですが、夢となると簡単にはいきません。
わたくしの場合、それが小学校の夢でも、高校でも、夢の中のわたくし自身は、現在、その夢を見ていた時のわたくしであると考えます。
小学校の夢を見るときは、「こんなオッサンになって小学校に通うとは……、」と、情けないやら申し訳ないやら、複雑な気分になります。
しかし、夢の中の周りの人は、わたくしを小学校に紛れ込んだオッサン、ではなく普通に、小学校なら小学生相当の扱いをしているように思います。
この状況をシンプルに説明するならば、四十を過ぎて『ときメモ』をプレイしているとして、プレイヤーはアラフォーでも、ゲームの中の藤崎詩織ちゃんは、わたくしを『きらめき高校』に通うクラスメイトとして扱ってくれるようなものです。
そもそも、何故それらの夢を『小学生の頃』とか『中学生の頃』と認識しているのでしょうか?
例えば夢に出てくるクラスメイトが、小学生の頃の同級生だったり、校舎や教室が小学生の頃通っていた建物だから。
そんな状況証拠を積み重ねても、それを以て、あなたが小学生であるとは言い切れないのです。
映画とは違って、夢では貴方が視界には入っていないのだから。
校舎もクラスメイト達も、見たままのモノではないのかも知れません。
それらはあなたの脳が、夢の中の役割に応じて配役し、仮にあなたが高校生だとして、少し『階梯』が低いモノを中学生、かなり『階梯』の低いモノを小学生、『階梯』の高いモノを大学生や社会人、先生などと割り振って、『表示』しているのかも知れません。
便宜上『階梯』という言葉を使いました。
人と云うモノが、一歩一歩高みへと登っていく存在であるべきとの、わたくしの勝手な願いからそう呼びましたが、この概念の扱いを慎重にしないと、わたくしの一連の文章はとても危険なモノになってしまいます。
『レベル』とか『ランク』とか。
そういった言葉では危険が過ぎましょう。
そもそも、一体誰が『階梯』を定めるのか。
それに言及するのも危険です。
何かを学び、一歩一歩と『上がり』を目指す人達が、共に『階梯』を進む。
そういった学びの場所を『学校』と認識するからこそ、我々は学校(学びの場)の夢を多く見るのであり、この世で生きる事自体が『学び』であり、どちらかと云えば、『現実』は予習・復習で、本試験が『夢』ではないかと、わたくしは思うのです。
ここでチョット脱線します。
何度も言及する割に、出典を失念して申し訳ないのですが、『夢の中では脳が知り得ること以外は起こり得ない』という一文について、『学校の夢』を用いて、上記の説の証明が難しい事を説明します。
大層な前書きをしましたが、要は単純で、つまり「幼稚園児が大学生活の夢を見て、それを大学生活と認識出来るのか?」と云う事です。
『夢占い』で『学校の夢』には、何個かの意味があるそうです。
『実生活で突き当たった問題点を象徴し、その問題を克服するために学習の必要性』
とか、
『昔を懐かしみ回帰したい欲求』
などを表すらしいです。
もっともらしいご解説ですが、『実生活の問題点を克服するために、知識や学習を必要とする』のなんて、つまりは全人生それに当てはまると言っても過言ではないので、もしそうなら常に学校の夢を見続ける必要があると云うことです。
『昔を懐かしみ…、』と言われても、では、『未来に憧れ数年後の夢を』見たとして、それは未来だと判るのでしょうか?
夢の記憶は、自分の物差しでしか認識も理解も出来ないのです。
夢を体験させるのも、
それを記憶するのも、
それを思い出すのも、
それを解釈するのも、
おなじ自分の脳です。
よく、夢の中で訳の分からない状況に陥ることが有ります。
もしかしたらそれは、幼稚園児のあなたが、大学生の問題に夢の中で直面しているのかも知れません。
脱線ついでにもう一つ。
例えば夢に身近な人が出てきたとして、後で出てきた当人にいくら確認しても、当然その人はあなたと同じ夢を見ている訳ではないので、その夢の内容をいくら話したところで、話は通じないですね。
そういった夢に出てくる知人達は、現実の知人なら、間違ってもしないような行動や言動をしませんか?
例えば、実際には話し掛けたくも無いような、嫌いだったり恐れている人と、割とフレンドリーに会話したり、あまり面識の無い異性と、恋人のように語らったり。
夢に出てくる登場人物が、現実の当人とは別人だからこそ、そんな変事が起こるのでしょうか?
では、その夢に出てきた知人そっくりの登場人物は、一体誰なのでしょう?
あなたの脳内で生み出された架空の知人なのでしょうか?
それとも夢の世界の得体の知れない住人が、あなたの知人に変身して出演しているのでしょうか?
残念ながらわたくしにも、現時点では明確な答えはありません。
ただ、私達が意識を手放した時に見ている夢とは、私達が思っているような、『脳の棚卸し』なんて言葉で済まされるものではないのではないかと云う、怪しさを感じるばかりです。
さて、次回で、わたくしが「これは試験なのでは?」と疑う夢の一つを紹介します。
数年前の記憶なので曖昧甚だしいのですが、私が「試験なのか?」と、疑い始めるキッカケとなった夢です。
その前に、『試験の夢』の特徴を何個か挙げておきます。
皆様の中にも思い当たるものが有ったとしたら、是非とも感想欄やわたくしのツイッター等で教えて下さい。
サンプルを集めています。
・『課題』に失敗すると、そこで尻切れトンボに夢の場面は終わる。
言い換えれば夢の最後の直前に『課題』があるはずです。
課題は、「ここで問題です」とか言及される訳ではないので、夢を思い返して自分で探すしか、今の所術はありません。
・課題をクリアすると、夢の『出演者』全員が一斉に『演技』を終了し、誉めてくれる。
テレビ版の『新世紀エヴァンゲリヲン』の最終回を激しくしたみたいに、唐突にみんなから祝福を受けます。
抱擁されてその後ワッショイワッショイされます。(ワッショイワッショイって、なんて云うんでしたっけ? 人柱、人間上げ下げ、肩車、……、あっ! 胴上げ!! 胴上げです)
・課題に失敗すると『降格』する。
恐らく降格続きのわたくしは、現在『中学生』っぽい辺りの『階梯』に居るので、オッサンなのに中学生に混じって中学に行く夢を見ます。
ラノベ好きの方々は、ここから上に昇るのは難しいかも知れません。
『中二病』は、確か『伊集院光』が開発した言葉ですが、中二病には克服が難しい課題が有ります。
では、尻切れトンボですが次回に続きます。