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花喰み  作者: 朝生紬
白桜の少女
8/8

客人

 


 鈴の音が夜明け前の闇夜に響く。

 今日も愛刀を片手に、寝起きの姿で燈季は建物の影に腰を下ろして、その舞をぼんやりと眺めている。

 燈季がこの屋敷に来てから毎夜、明け方まで彼女はひとりで舞っていた。彼女が手を振れば鈴が鳴り、足を払えば舞台に降り積もった桜の花弁が舞う。

 見たくないのに、知りたくないのに、燈季は毎晩その場に足を運んでいた。護衛の為だと心に言い訳をして。

(言い訳?……誰に?)

 立てた片膝に置いた腕に顔を寄せて、燈季は自嘲する。

 仇姫。罪人から生まれた忌子の姫君。桜の華印を持つからこそ、殺されることもなく生かされている。舞手以外では決して表舞台に出ることの構わない、憐れな籠の鳥。───それが市井での「咲空」だ。

 彼女は燈季よりもずっとずっと不憫な筈なのに。……そうであればいいと、思っていたのに。

 けれど蓋を開けてみれば、彼女は何にも囚われてなどいなかった。それが、羨ましくて、なんて妬ましいのだろうと、焦げた想いが顔を出す。

 だから夜は嫌いだった。宵闇も暗闇も燈季は好きじゃない。心の奥に留め置いたものを引き摺り出して、抑えが利かなくなりそうな。彼女の舞に、心に、触れる度に自分が自分でなくなりそうな、そんな気がして。


 ぎゅっと愛刀を抱えて縮こまると目の端で東の空がゆっくりと白み始めるのが見える。

 ああもうそんな時間かとふと顔を上げた瞬間。


「────!」

 息を吐く前に、反射的に足が地を蹴っていた。咲空の真上の空が罅割(ひびわれ)れて、何かがずるりと落ちてくる。寸でのところでそれと少女の間に割り込み、白刃でそれを受け止めて力任せに薙ぎ払うも、払われた影は只人思えない動きで何もない宙に張り付いてにたりと笑った。

 形は人だった。とても生気を感じられない青白い腕と、鮮血を凝り固めたような瞳が烏羽の髪から覗く。纏っている衣は光を一寸も通さぬ闇一色で、ガリガリに痩せ細った手足だけが病的に白い。

 咲空を後ろに庇いながら、燈季が刀を構える。紅い三日月は自分に刃を向ける燈季を通り過ぎて、ただ一点を見ていた。燈季など見えていないかのようだ。けれど嫌な汗が背中を伝う。これは、善くないものだと、本能が告げている。

 戦ってはいけない。相対してもいけない。抗ってはならない。力など無意味だ。喉元に見えない刃がかかっている────そんな錯覚に呑まれそうになる。

 ────しゃん!

 刹那、高らかな鈴の音が澱みかけていたその場を一瞬で支配する。舞台の四角にはいつの間にか火が灯り、影を照らすと彼女は緩やかに扇を横へ振る。扇に結わえられていた赤と白の飾り紐が流れて、揺らぐ。

 この場の主は、紛うことなき彼女だった。それの紅い眼が歪む。……鈴の音が嫌いなのか、それとも闇夜でしか生きられないのか。

 やがて陽の光が東から射し込むと、それの輪郭が融けるように曖昧になり、空へ還って行った。

 は、と燈季はようやく肺に溜まった息を吐く。

「今のは……」

客人(まれびと)よ」

 ふっと灯りに息を吹きかけ、事もなげに咲空は言った。燈季が飛び出してきた事にも、影に襲われたことにも特別驚いた様子はない。どうやら燈季が側にいた事に気付いていたらしい。

稀人(まれびと)……?死者の国である常世に住まい、死者の魂を護る者として祀られてきた神に連なる者が何故貴女を襲うのです」

 本来、稀人とは彼岸に住う者。常世と今世との境は四季華の舞手により閉じられており、滅多に此方へ干渉しないが、稀に現世へ降りてくる者もある。それが稀人だ。

 稀人は現世の者ではない。幽世(かくりよ)にて罪人の魂を焼き、罪を(そそ)ぐ焔そのものだ。幽世の焔によって罪科を削ぎ落とし、途方も無い長い年月をかけてようやく罪は許され、河を渡って天へ迎えられる。そう伝えられていた。

 しかしその器に既に魂魄なく、一度(ひとたび)今世へ現れれば生ある者を常世へ引き摺りこもうとする。この国で神隠しというのは、大抵稀人によって常世へ連れて行かれたのだと言われ、またどこかの地域では彼等を祀る一族も在ったのだと聞く。

 そんなものが、どうして。

 燈季の問いに、咲空は淡々とした表情で首を傾げる。

「別に珍しい事じゃない」

「何度も来ているのですか?」

「でも毎日ってわけではないから。さっきのは結界の張り直しの隙に落ちてきただけだし」

「当たり前です!ですがそういった危険があるなら尚の事、何故見廻りが不要なんて言ったんですか」

 思いの外大きな声が出た。少しだけ、春先の淡い空色が見開かれる。

「何故って……一人で追い返せるもの」

「貴女はご自分がどういう立場にいるか、わかっておいでですか」

「変な人ね。私の事が嫌いなのに私に危ない事をするなって言うの」

「貴女を危険に晒さぬようにするのが私の務めです。貴女に何かあれば、私の首が危ういのですよ」

「四季華でも罰せられるの?仇姫を害しても、仇華に落とされるのかしら」

「…………」

 燈季は言葉が見つからなかった。今まで四季華同士の争いは歴史上はひとつもない。他家の華を枯らす事は、即ち四季が巡らぬという事だからだ。

 だが当然、四季華であろうと重い罰が与えられるだろう。良くて死罪。仇華に落とされ、生き長らえる方が余程重い罰だという考えは華を宿したまま死ねばその魂は天へ迎えられ、今世へいつか還るからだった。四季華として温情をかけられるか、いや四季華だからこそ、華を剥奪さえて追いやられるか。

 けれど彼女は仇華の娘だ。少なくとも民衆はそう信じている。故に今まで彼女を弑する動きが皆無だったかと聞かれれば、燈季は否とは答えられない。四季華の、それも舞手への害意など、これまでの歴史では考えられない事だというのに。

 そういう動きがあった、ということは燈季も知っている。けれどその後そういった輩がどういう道を辿ったのかは知らない。咲空が生きているのだから、彼らは失敗し、もしかしたらその場で処断されているのかもしれない。

 だから四季華であろうと罰は受けるだろう。けれど……けれど、彼女を亡き者にしさえすれば、次の舞手となるのはかつて名が上がっていた分家筋の舞姫、灰莉であろう。彼女もまた、咲空程ではないけれど桜家の異能を引き継いでいると聞いていた。

 そう、彼女の代わりはいるのだ。

 少女の脚と額に咲く華印の数が、それを押し留めているだけで。

 もし、何らかの要因で咲空が亡くなった場合、民衆はどう思うだろうか。

 彼女の死を悼むだろうか。憐れみ、魂が星の一粒となって彼の岸へ恙無く辿り着けるように祈るだろうか。

 ────それとも。

 そう至って、燈季は答えるものを失くした。彼女のたっている場所は、思っていた以上に脆いのかもしれない。


「貴方、嘘がつけないひとね」

 押し黙ってしまった燈季に、咲空はゆっくり目を細めた。いつも彼女から逸らされる視線を、いまは燈季の方が先に逸らした。

 東の空から昇る朝陽に照らされて柔らかな光に包まれている少女は、その時初めて、ほんの少しだけ笑ってみせた。

 燈季にはそれが、どうしてか、泣いてるように見えて。




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