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花喰み  作者: 朝生紬
白桜の少女
7/8

目の前のだれか

 

 すこん、という小気味いい音が手元で鳴る。

 綺麗に真っ二つになった薪を退けて、新しい薪を土台に置いてまた斧を重さに任せて振り下ろす。朝餉を食べ終わってからすぐに始めたが、その間に太陽はすっかり燈季の真上まで昇っている。

 燈季がこの屋敷へやってきて、七日が経過していた。

 何もしないでぼんやりと時間を無為に過ごすのは性に合わないので、菜乃羽に何か手伝えないかと打診してみたら初めは「そんなことさせられません」と嫌がられたが、なんとか拝み倒して雑務を幾つか任せてもらった。

 昨日は道場の掃除、その前は庭の草毟り、その前は屋敷中の電球の交換などなど。そして今日は薪割りをと言われ、裏庭でこうして黙々と薪を割っているわけだが。

「……」

 いいのか、これで。いや、何もせずにだらだらとしているよりはずっといいが、燈季は何もこんな雑務をする為にこんな所へ来たわけではない。

 しかし桜姫の護衛といっても、彼女は屋敷の敷地内から出る事は殆どないし、この屋敷を訪ねる者も皆無といっていい。四日目までは夜襲や誘拐の可能性を考えて側についていたものの、すぐにそれが杞憂であることを実感した。

 何より彼女の側には常に、本当に二十四時間と言っても過言ではなさそうな程、傍に慶斗が控えているのだった。ここへ燈季が来た意味は今のところ見出せていない。

「……はあ……」

 台に斧を立てて、その柄の部分に掌と顎を乗せる。燈季の溜息を慰める様に、どこからか鶯の鳴き声が聞こえた。

 神威にいた頃とて、四六時中戦に身を投じていたわけではない。非番の日は同期や友人と食事に行ったり、読書をしたりしてのんびり過ごす事もあった。神威では炊事洗濯などの雑務は、四季華や始華といった身分の者は外華の者がついてこなすのが暗黙の了解のようになっていたが、神威での燈季はまだ入隊して数年の新人であり、部隊の中では周囲より四つ五つ歳下だったので、そういった雑務も進んで引き受けた。兄の燈汰が「良い気分転換になる」と言って洗濯や掃除当番を自らやっていたので、燈季も倣っていたに過ぎないけれど。だから、こういった雑務が嫌いなわけでも不得手なわけでもない。

 だが基本的に鍛錬や任務の日々だった四年間だったものだから、どこかそわそわしてしまうのだ。冷たい水のなかにいたのに、急に微温湯に放り込まれた子犬の気分だった。犬なら突然の温度差で風邪を引いていたと思う。

「護衛さん、薪割り終わりました?」

「あ、はい」

「わ〜!すごい、全部綺麗に割れてる!ありがとうございます、たすかりましたぁ」

「いえそんな、他に仕事はありますか?」

「ん〜……特に急ぎのものはないですね。元々ずっとわたしたちと慶斗さんとでやってきたもので……」

「そうですよね……」

 菜乃羽は困った様に腕組みして何とか仕事がないか頭を捻ってくれたが、どうやら七日目にしてとうとう雑務が尽きたらしい。いや、正確に言えば雑務なんていくらでもあるが、燈季に任せられるような雑務が尽きた、ということだろう。元々これらも燈季の仕事ではなく、菜乃羽たちのものだ。それを無理言ってわけてもらっているだけである。

「では、もうすぐお昼なので、咲空様を呼んできてもらっても良いですか?」

「え、しかし」

 慶斗が側にいるのでは。彼ならそろそろ昼餉の時間だと気付いて、然りげ無く誘導してくれそうだが。そう問うと、菜乃羽はやや罰が悪そうに視線を逸らす。

 あ、これは何かやらかしたな、とすぐに分かった。

「慶斗さんはさっきわたしが塩と片栗粉を間違えて作ったお吸い物を……手直ししてまして……」

「塩と片栗粉を」

「まあでも、似てますよね、塩と片栗粉!」

「いえさすがにそれは無理があると思いますけど」

「生きていれば間違える事もありますよ」

「塩と砂糖くらいはあるかもしれないですが、片栗粉と塩はないと思います」

「あ、それは既に殿堂入りしているので失敗の内に入らないんです」

 謎理論過ぎる。

 拭いた皿の数より割った皿の数の方が多い、というのは彼女の先輩の証言だ。そう思えば塩と砂糖を間違えるくらいは既に殿堂入りする程やってきたに違いない。まだ此処へ来て七日目である燈季ですら、納得してしまうほどだ。


 というわけでお願いします!と無理矢理追いやられて咲空の私室までやって来て、燈季は深呼吸をする。意を決して障子の前で呼びかけると、すぐに「どうぞ」という返事が返ってきた。

 一言声を掛けて、障子を開けると彼女は部屋の文机の上の紙に何やら書き込んでおり、その下には書き損じたらしい紙が丸めて捨てられていた。思いの外散らかった部屋に、燈季はやや目を丸める。紙の海から顔を上げた彼女の表情はあまりいつもと変わらないが、目はまだ昼だというのに疲れが滲んでいた。

「……大丈夫ですか?」

「何が?」

「あ、いえ、お疲れのようだったので」

 咲空は少しだけ視線をあげて、燈季を窺うような表情を見せる。燈季が咲空を気遣う言葉を掛けたのが、珍しいらしい。

「別に、疲れてないわ。手紙の返事を書いていただけ。貴方は何しにきたの?」

「そうでした。昼餉がそろそろ出来るそうです」

「ああ、もうそんな時間なの……」

 息を吐いて、しかし肩を回しながら少女は紙の束を傍に避けて軽やかに立ち上がる。そしてさっさと燈季の脇をすり抜けて大広間の方へ歩いていくので、その後ろを続く。

 その背中はどこか嬉しそうで、春風に乗って小さな鼻歌も聞こえる。やっぱり少しだけ音程がズレているのは黙っておいた。

「……姫様は食べる事が好きですよね」

 代わりにそんな言葉が口を出る。咲空は振り向かないが、背中からご機嫌なのがわかる。さっきまで淀んでいた彼女の周りの空気がずっと軽い。それに気付いていないのか彼女は「どうして?」と声だけで問い掛ける。

「あれだけ食べてればわかりますよ。今も嬉しそうですし」

「嬉しそう?」

「はい」

「…………」

 燈季からは咲空の背中からしか窺えないが、その沈黙からは機嫌を損ねたというよりも言葉を探しているように感じた。ややあって、少女は「そうね」と肯定する。

「夕霧のご飯はいつも美味しいし、それに今までは食べられない事も多かったから」

「え?」

 それってどういう事ですか。

 そう問い掛ける前にいつも食事が運ばれる大広間まで辿り着いてしまった。人がゆうに百人は入れるだろう広間の真ん中にぽつんと置かれた卓の上には段々と見慣れてきた二人分の食事が並んでおり、色取り取りの春の野菜と魚の切り身を海苔と鮨飯で巻いた手巻き鮨が並べられている。菜乃羽が誤って片栗粉を入れた汁物は恐らく普通のお吸い物だっただろうが、春菊と卵が追加されたとろみのある汁物となっていて、立派な一品と生まれ変わっていた。

 咲空は自分の席に迷わず座り、燈季も観念したように、彼女の前へ腰を下ろした。

 巻き鮨を口に運ぶ咲空はやはり、いつもの能面のような無表情ではなく、ほんのりと桜色に頰を染めている。本当に食べる事が好きなのだろう、と思って先程の言葉を思い出す。

(食べられない事も多かったから……それは一体いつから、いつまで?)

 桜家の姫君になるまでの経緯を、桜家は公にしていない。隣家であった椿の家にも、彼女の存在を知る者はいなかった。誰を母とし、誰を父とし、どうやって見出されたのか。

 ───彼女は何者なのか。

 そこまで考えて、此処へ来る前に兄に叱られた事を思い出し、燈季は頭を振った。そして軽く三人前の鮨を平らげている咲空と、とっとと食べろ皿が片付けられないと言わんばかりの笑顔をたたえた慶斗を横目に、目の前の食事に取り掛かるのだった。



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