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花喰み  作者: 朝生紬
白桜の少女
5/8

何者にも成れぬ子供

 真っ直ぐに向けられた瞳に浮かんでいたのは、決して友好的な色ではなかった。

 瑞々しい柘榴の果実のような深い赤色から覗いているのは苛立ちとほんの少しの嫌悪。少女を前にして嫌悪感を露わにする人間は少なくない。その理由も理解していたし、仕方のない事だと、とっくに飲み込んでもいた。

 憎んで、恨んで、蔑んで、それで気が晴れるなら、好きにしたらいい。誰かが自分を恨もうと、どんな感情を抱こうと、自分がやるべき事は何も変わらないのだから。

 淡々と。粛々と。

 少女は与えられた役目をこなすだけ。

 けれど逸らされる事なく最後まで、挑むように自分の瞳を見つめ返していた柘榴石の奥にあるそれの名は何というのだろうと、ぼんやりと思った。






 ***



「一つお聞きしたいのですが」

 職務を全うすると言い切った彼を連れて屋敷に戻る途中、不意に燈季が問い掛けた。視線だけで「どうぞ」と促す。

「このお屋敷に、まさかおひとりで……?」

「まさか。他にも一応、居るよ」

「ああ、良かった。誰の気配もなかったので、てっきり……」

「おかしな事を言うね、今もそこに居るのに」

「え」

 ギ、と燈季の顔が固まる。そしてすぐにざあっと血の気が顔から引いていくのを見て、その彼の後ろをつい、と指差す。

 燈季は引きつる顔をゆっくりと、自分の背後へ向けようとして。

慶斗(けいと)

「はい、お呼びですか」

「うっっっっわぁああッ!」

 キィンの耳の奥で嫌な音が鳴った。声の主は突然現れた男に後退り、腰の刀に手を掛けた態勢で固まっている。至近距離であの大声を聞いただろうに、彼は薄い笑顔をたたえたまま客人、もとい今日から同僚である燈季を見ていた。

「彼が、私の付人の慶斗。この家でわからない事があれば、彼に聞いて」

「お初にお目に掛かります、慶斗と申します。これから共に同君へ仕える者同士、仲良くして頂ければ。それと大声はなるべくお控え下さいますよう」

「す、すまない。改めて神威より配属されました、燈季と申します」

「ええ、存じ上げております。椿家の方々には、日頃姫様がお世話になっておりますので」

「ああ……いや、此処ではただの一隊員だ。此方こそ、宜しく頼……む!?」

 朗らかに握手を交わす。一瞬燈季の顔が歪んだように見えたがすぐに慶斗から「菜乃羽(なのは)にはもう引き合わせましたか?」と問い掛けられ、視線をそちらへ移す。まだだ、という意味を込めて首を振る。

「では私が燈季様をご案内しましょう」

「そうだね、その方がいいでしょう。お願いしていい?」

「畏まりました。では、燈季様、此方へどうぞ。まずは使って頂くお部屋へご案内致します」

「ッああ……」

 何故か手をさすりながら、やや距離を取りつつ燈季は慶斗に付いていく。それを見送りながら今回の彼は一体どれくらい保つだろうかとぼんやり思う。

 この屋敷にも、最初はそれなりに使用人が居た。けれど皆「仇姫」に仕えていられるかとある者は怒り、ある者は怯えて、()()()()()()()いつしか居なくなっていた。慶斗は「捨ておけばいいのです、あんな者」と言うけれど、この人数で無駄に広いこの屋敷を維持する事がどれ程大変か。彼らにどれ程無理を強いていのかと思うと、心が痛む。

「あれぇ、咲空様〜おひとりですか〜?」

 考え事をしながら歩いていると前方からのんびりとした声が聞こえた。淡黄の着物をたすき掛けして、ふかふかした寝具を抱えている小柄な少女は咲空を見るなり嬉しそうに駆け寄る。その動きに合わせて彼女の菜の花色の髪がふわふわと揺れた。

「珍しいですねぇ、慶斗さんはどうされたんです?」

「新しい護衛の人が来たの。今菜乃羽の所へ案内している」

「ああ〜例の護衛さんでしたか。そういえばさっき桐佳(きりか)金糸雀(かなりあ)が言ってましたね」

「ええ、今日から此処で暮らすから宜しくね」

「かしこまりです〜……あ」

「うん?」

「菜乃羽が呼んでるっぽいです〜寝具持ってこいって」

「ああ、そうか。なら行っておいで」

「ふふふ!今回はどのくらいですかね〜」

 さあ、どれくらいかな、と返す咲空にゆったりと微笑みながら、そのまま小走りに去っていく少女を見送って、咲空は自室への道を戻る。

 その後、自室に戻る頃にまたどこかで叫び声が聞こえた気がしたが、多分気のせいだろう。





 ***




(……まだ手が何か軋んでる気がする)

 握手に差し出した右手をさすりながら、燈季は目の前の背中を睨め付ける。

 慶斗と名乗った男は燈季よりも少しだけ上背があり、歳も恐らく燈季よりも幾つか上だろう。蜜を煮詰めて固めたような瞳と、鼻筋の通った整った顔立ちは甘やかであるが、肩幅や濃色(こきいろ)の羽織りの上からでもわかる体格の良さから美丈夫という言葉がよく似合う男だった。きっちり着込んでいて、肌の見えている部分が少ないので判断がつかないが、言葉の良さと立ち振る舞いから「華持ち」である事は容易に想像が付く。

 丁寧で誠実そうな、落ち着いた人物。そういう第一印象を抱かせるこの男は、しかし握手の際に、思いっきり燈季の手を握り潰そうとした。握力も自分よりあるかもしれない。顔に似合わず怪力だ。

「燈季様、此方が今日から使って頂くお部屋になります。神威では洋室にお住まいだったかと思いますが、この屋敷には生憎と洋式の部屋がなく、どうかご容赦下さい」

 神威の寮が洋式の部屋である事を知っている事に内心、訝しむ。知人に所属の者でもいるのだろうか、或いは。そんな検分するような燈季の視線に気付いているのかないのか、慶斗は相変わらず人好きする微笑みを向けている。

「構いません、生家では畳で過ごしておりましたので」

「それは良うございました。備え付けのものはどうぞ御自由にお使い下さい。また、何か足りないものが御座いましたら私か、これからご紹介させて頂く者へ言いつけて頂ければご用意致しますので」

「お気遣い痛み入ります。しかし慶斗殿、私は客人ではなく護衛として参りました故、どうぞお気遣いなく。椿家の出身の四季華とは言え、私は家を継ぐ地位にありません。先程貴方が言われたように今は同君を頂く身です。どうか同僚として、なんでも言って頂きたい」

「そうですか……では、お言葉に甘えまして一つだけ」

 金の瞳に、焔が宿る。握手を交わした時の、あの痛みが吸い込む息の通った喉に触れた気がした。まるで、喉元に刃を突き付けられたかの様に。

「咲空様への暴言は此処では死だとお思い下さい。あの方を傷付ける者を、()()は赦す事が出来ません。帰華の後、貴方方が敬愛なさる神祖様のお膝元へ無事に辿り着きたければ、その事を胸に留め置き下さいますよう」

 視線で人が殺せるならば、きっと今、燈季は死んでいただろう。

 先程の春の陽気を彷彿とさせる笑顔は消え失せて、菫色の癖毛から覗く黄水晶は真っ直ぐ己の排除すべき敵を冷たく見下ろしている。丁寧で誠実そうな男の顔をした、主人にのみ従順な獰猛な獣がそこに居た。

「成る程、そっちがアンタの本性?」

「さあ、どうでしょう」

「……まあ、流石に四季華の舞姫の付人が凡人(ただびと)ではないことくらいは予想の範囲内だけど」

「凡人ですよ。冬の地に神祖の剣ありとされた誉高い武家、冬椿の御仁に比べたら、私は非力な一般市民ですので」

「冗談。その手でよく言うよ」

 鼻で笑ってひらひらと手を振って見せると慶斗はゆるりと微笑む。手を握ればその手が刀を取る手かそうでないかくらい分かる。彼の手は多くを斬ってきた手だ。ひょっとしたら、燈季よりも多く。

 ひりつく空気がお互いの間に流れる。今、燈季が腰に差した刀に指をかければ恐らく、どちらかが散る。そう直感してしまう程に緊迫した空気の中。

「あれ〜あれあれ〜?」

 縁側で丸まって眠る猫のような暢んびりとした声が、突然背後から聞こえてきた。はっとして振り向けば、そこには洗濯物の入った籠が歩いてくる。

 いや、違った。丘を埋め尽くす菜の花色のふわふわとした癖毛を緩く編み込んだ少女が、自分の背丈程もありそうな大きな洗濯籠を抱えて此方へ歩いてくる所だった。

 唖然としていると、ハァ……と微かな息が側でもれる。慶斗はすっかり毒気を抜かれたようで、先程の身を刺すほどの殺気はすっかり霧散していた。

「慶斗さん、もしかしてその方が神威から来られた護衛さんですか?」

「ええ。燈季様、此方が女中の菜乃羽です」

「わ〜!はじめまして〜菜乃羽と言います〜!思ってたより綺麗な方ですねぇ。神威でも随一の剣豪だって聞いてたので、もっと筋肉隆々のゴツいゴリラみたいな人かと思ってました!あ、でも慶斗さんもこんな綺麗な顔して結構な馬鹿力……ぎゃいっ!」

「菜乃羽、そんな一遍に捲し立てるように話すのはやめなさい。咲空様の品位を下げます」

「ううう……ぐーでいった……今絶対脳の細胞死にましたよぅ」

「おや失礼、貴方の草履蟲よりも少ない細胞を死滅させてしまいましたか」

「それもう単細胞生物じゃないですかあ!死滅したらお終いなやつですよ!」

「…………」

 口を挟む隙が一切無い。ぴーぴー鳴く小鳥のような彼女はなんとか慶斗の暴言に応戦するものの、勝敗は目に見えていた。少女の「この慶斗さんの歩く罵倒辞典!あんぽんたん!」というよく分からない悪口によって、言い合いは収束したらしい。あんぽんたんなんて久々に聞いた。どうやら彼女の罵倒の語彙力は決して豊富とは言い難いようだ。

「あ、あの」

「ああ!すみません、わたしったらはしたない所を!ええっと、今お部屋の寝具、洗い立てのを持ってきますので待っていて下さいね!」

「いえ、お気遣いな、ええッ!?」

「ひゃい!?」

 燈季の声に、菜乃羽が文字通り飛びあがる。しかし驚くのも無理もないだろうと燈季は心の中で言い訳の様に思う。

 何しろ小動物のように目をまん丸に見開く菜乃羽の隣に、突然同じ顔の少女が現れていたのだから。

「ど、ど、どこから、いま、え?」

「あら〜どうも〜」

「お、其方が例の護衛君か」

「また増えた!?」

 菜乃羽とは少しだけ違う、淡黄色の着物を襷掛けにした少女は抱えていた寝具を部屋に下ろしておっとりと笑う。その後ろに、また更に同じ顔が覗く。着ている着物の色や髪型に差異はあれど、菜乃羽と全く同じ顔が三つ並んでいた。

「菜乃羽さん、三つ子……です、か?」

「いいえ〜?」

「え、じゃあ何方様(どちらさま)で……」

「おーい、菜乃羽〜今日の夕飯の買い出しだけど……あ?誰だそれ」

「馬鹿、菜乃羽の言っていた護衛だろう。忘れたのか」

「ああ、あれか。千桜様が神威から派遣してきたってやつ」

「…………待ってください、いや待って、状況を呑み込む時間を下さい」

 燈季は困惑していた。

 まさか一日目でこの一文を三回使う事になろうとは思わなかったが。

「菜乃羽さん一体何人に分裂するんですか、原生動物なんですか?」

「わたしはアメーバか何かですか!?」

「やっぱり単細胞生物だったんですね」

「慶斗さんひどい!」

 再び燈季を置いてきぼりにしてぎゃいぎゃい言い合いし始めた菜乃羽と慶斗の後ろで、菜乃羽と同じ顔の少女達が慣れた様に寝具やらを運び込んでいく。夕飯の買い出しがどうだと言っていた、やはり菜乃羽と同じ顔の少女はそんな二人を指差して笑って見ている。

 そんな眩暈のしそうな光景に、燈季は今回の辞令が何かの間違いであってくれたらと、強く思ったのだった。

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