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花喰み  作者: 朝生紬
白桜の少女
4/8

仇姫

 四季華が宗主、桜家(おうけ)が「仇華から生まれた娘」を養女に迎え、四季華の舞手として継子にしたという噂が流れてから、早いもので八年もの月日が流れた。

 桜家はその件に関して依然と黙秘を貫いており、肯定も否定もしなかった。しかし市民の間では沈黙は肯定と見做され、影では桜家の姫を「仇姫」と呼び、蔑んできた。

 桜家の姫は奉納舞の舞手以外で公に姿を見せる事はなく、はじめこそ仇華から生まれた娘を舞手から下ろすよう訴えてきた市民も、千桜の帰華が進むたびに口を閉ざすしかなかった。

 春の桜は、決して絶やしてはならない。桜が絶えればこの国の陽は天岩戸へ落ち、新しい花も芽吹く事なく絶えてしまう。

 勿論、桜の華印を持つ者はなにも千桜と彼女だけではない。彼女が引き取られる前には次期当主に強く望まれていた本家筋の芳野(よしの)という青年も、分家ではあるものの稀代の舞姫「朝映(あすは)」の再来とまで言われた舞手、灰莉(はいり)という少女の名もあった。しかし彼らは皆、件の少女が現れるとその話を全て白紙に戻されたのだ。華印が全てにおいて尊ばれるこの国では、彼女に宿る花を超えるだけの華印を持つ者がいないのが現状なのだった。

 春をもたらす華印と忌むべき血、それを秤にかけて世間は前者をとった。

 けれど、仇姫の蔑称は今もなお、民の間で当然のように流れ、侮蔑の対象となっている。燈汰は彼女の出自について根も葉もない噂だというが、それならばなぜ彼女の出生について桜家は頑に口を閉ざすのか。

 そもそもあれ程の濃い華印を宿す程近い血を持つ者だ、親のどちらかは桜家直系の者である事は間違いない。しかし彼女くらいの年頃の娘が桜家に生まれた話は、桜家に近しい椿家でも話題にのぼった事はなかった。

 彼女が何処で生まれ、また千桜に引き取られる十になるまで何処で育ったのか。彼女の半生にはあまりにも不透明な点が多すぎる。そういった民の不安が彼女への侮蔑へ直結して、(とど)まる事がないのも事実だった。

 燈季は脳裏に八年前のあの光景を思い描く。あの日以降、燈季は神威への入隊の準備や試験の為に、奉納舞の儀には参加出来なかった。

 それでもまだ、鮮明に思い出せる。あの曙光に透ける真珠のような、薄く伸ばした桜貝のような長い髪を。

 幾重にも重ねられた鈴の音を。

 春の空の様な眼差しを。

 この光景を思い出すたびに、胸を占めるのは憎悪と嫌悪、それから焦燥と、一雫の名もなき何か。

 それらを全て振り切るように、燈季は頭を振って自動車のハンドルを握り直して、春領と冬領の境に跨るように作られた「雪解けの社」の春側の屋敷「東風殿」へ車を走らせるのだった。




 ***



 椿家の一族として雪解けの社へは何度か足を運ぶ事もあった。しかし立ち入った事があるのは冬側の屋敷である霜月殿と社の舞台までで、東風殿に来たのはこれが初めての事だった。

 雪解けの社は奉納舞の舞台である社を真ん中に、冬春の屋敷からそれぞれ一本の渡り通路が伸びており、それ以外に舞台へ向かう道はない。舞台の周りには観覧用の席が作られているが、これはまた別の西門と南門を使って入るようになっており、基本的に奉納舞の時以外舞台は頑く閉じられている。勿論、平時は霜月殿から東風殿へ渡ることは叶わない。なので燈季は冬領側から領境の検問を通ってぐるりと大廻りをして、車を走らせること数時間、ようやく辿り着いた正門前に車を停めた。そして訝しげに目を眇める。

「……無人?」

 開かれた門には、人影ひとつなかった。

 社に併設されている屋敷は奉納舞の為だけに造られた、いわば四季華の別宅だ。常時人が暮らすような屋敷ではなく、この地を任せられた始華の領主が管理をする仕来りである。故に冬華の霜月殿は今も無人で、門は硬く閉ざされているはずだ。

 が、訳あって桜家の姫は本宅ではなくこの離宮にずっと住んでいるらしい。四季華の姫君が住う屋敷に、門番の一人も居ないというのはどういう事なのか。

 四季華の一花であり、本日から正式に辞令の下りた護衛であるが他家の敷地に許可なく立ち入って良いものか逡巡したものの、いつまでもこんな所で突っ立っていても時間の無駄だ。失礼する、と一礼して燈季は門を潜った。

 白い玉砂利に真っ直ぐに敷かれた石畳の道を一人で進む。庭の敷地内は手入れが行き届いており、春の花々が美しく咲き誇っている。しかし手入れをしている庭師の姿もなく、とうとう誰とも擦れ違う事なく燈季は東風殿の母屋の玄関まで辿り着いてしまった。

「…………ええ……」

 燈季は困惑していた。仮にもこの国の春を頂く四季華の舞姫が住うお屋敷で母屋に辿り着くまでに人っ子一人居ないというのは、十九年生きてきた中で初めての出来事だった。衛士どころか庭師も、女中も、人の気配がまるでない。屋敷を間違えたか?と訝しんでいると、不意にどこからか声が聞こえた。

 母屋の中からではない。人がいるのかと燈季は不躾だと思いながらも声のする方へ足を向けた。どうやら霜月殿と造りは大きく違わないらしく、母屋を回った先に思っていた通りに大きな中庭があった。

 違うのは庭の中央に、大きな一本の桜木があったことだ。

 屋敷の屋根よりも高く、空へ枝葉を伸ばして咲き誇る薄紅の花が視界を染め上げる。ふわりと柔らかな風にのって甘酸っぱい香りが届く。それが桜の香だと気付くのに、そう時間は掛からなかった。

 その桜の下には湖とも呼べそうな溜池があり、その真ん中に東屋のような舞台があった。二人舞にはやや狭いが、一人で舞うだけなら充分というくらいの広さの舞台で、その舞台に腰かけ、池の方へ足を投げ出している人影があった。

「───……春の明けに萌え出でて、映ゆる生命と、散り行く(ともしび)よ、どうか舞い上がって、降り注いで、夢の続きを見せておくれ」

 ぱしゃん、と少女の白い足が水面を蹴る。

 肌に浮かぶ薄紅の桜が、水飛沫を受けて煌めく。

「夢見の桜よ、包んで、彼の地へ運んでおくれ、空へ還して、また巡り合わせておくれ──……」

 それは、この国に伝わる子守唄のひとつだ。五節から成る歌の春の節で、冬に落ちた燈を神祖の坐す天へ恙無(つつがな)く向かえる事を祈り、また輪廻の果てより再会出来る事を願う唄だった。

 ぱしゃん、とまた一つ水飛沫が舞い上がる。少女は来訪者に全く気付きもしないで、猫の尾の様に足を揺らして水面を引っ掛けていた。初めて聞いた彼女の声音は思っていたよりも少しだけ高くて、淡い桜色を落とした雪の髪も、あの八年前から変わらず。

 そして、ひとつ思うのは。

「……思ってた以上に歌が下手だなぁ……」

「!」

 ぱしゃん!と水面が一際大きく跳ねた。少女は空色の目をまんまるに開いて、背後にいた燈季を見上げる。燈季はその彼女の表情を見て、ようやく先程心の内に留め置いた筈の一言が声に出ていた事に気が付いた。

「………」

「……あ、あの」

「……誰?」

 淡々とした表情で、玲瓏とした声音で、彼女は訊ねた。もう少し警戒を持った眼差しを向けられると思っただけに、拍子抜けしてしまう。佇まいを正し、燈季は礼を取る。

「まずは勝手に庭園へ侵入したこと、心からお詫び申し上げます。神威より、本日配属されました燈季と申します。桜家が一の姫、咲空姫とお見受け致しますが」

「ああ、貴方が菜乃羽(なのは)が言っていた護衛の人?」

「はい」

「そう。それで?」

「……それで、とは?」

「いつまでそこに居るのか、と思って。挨拶終わったなら、何処へでも好きに行ったらいいと思う」

「え?」

「何か?」

「いえ、何かと言われましても……あ、あの、先程の失言は、申し訳ありません」

 つい本音が、とは流石に黙っておく。もしかしたら先程の下手発言に気分を害したのかもしれない。此処で何か粗相があれば、ひいては椿家の名にも響く。深々と頭を下げ、燈季は少女の出方を窺う。

 しかし当の咲空は何故目の前の男が頭を下げているのか全くわからないように首を傾げた。

「失言……?」

「……下手と言った事についてです」

「ああ、別に。あまり得意じゃないのは理解ってるから」

「ではどうしてそのような事を?」

「……どうしてって?」

 燈季は困惑していた。この短時間の間に本日二度目である。少女の表情からは何も見受けられず、能面のように動かないまま燈季をぼんやりと見上げているだけだ。

 会話の受け答えが微妙に噛み合わない。ぼやけた返答しか返ってこない事に困惑も段々と苛立ちに変わりつつあった。

「私の失言に気を悪くしたから、何処へでも好きな所へ行けと言ったのではないのですか?」

「……貴方、此処にいたいの?」

「居たいも何も、今日から貴方の警護を仰せつかっているのです。桜姫が何処かへ行けというならいざ知らず、勝手に職務を放棄することは出来ません」

 少女の春空の瞳が、大きく開かれた。どうしてそこで驚くのだ、と問いかけようとして。

「此処、仇姫の屋敷よ。貴方も知らずに来たわけでもないでしょう」

 燈季はそのまま、言葉を失った。

 仇姫。桜家の姫君には相応しくない汚れた蔑称。屋敷から出てこない彼女が、どうしてその名を知っているのか、燈季はすぐに思い当たった。

 門番もいない、衛士も、庭師も、普通なら側に控えているはずの女中の姿もない彼女の周り。

 正直に言えば、燈季だってこんな所来たくなかった。

 仇華は忌むべき者だ。罪科にまみれ、輪廻の理から外れた者から生まれた子など、本来ならば生まれた時に常世へ送られるのが当然であり、常識だった。それでも彼女が此処に生を許されているのは、その桜の華印を持つが故。決して彼女の命が尊ばれたわけではない。

 春をもたらす華印と、忌むべき血。

 尊ぶべきはどちらか、秤に掛けられただけ。

 それを彼女は正しく理解している。それが燈季にもわかって。

(なんで、そんな、当たり前みたいに)

 訳もわからない苛立ちが、燈季の身を焦がす。この屋敷へ配属され、仇姫なんかに仕えられるかとそのまま逃げ出したのであろう衛士や女中達の気持ちは痛いほど理解る。燈季も此処へ向かう間、この辞令が上の間違いであったならと、何度も思った。何処へなりとも行けという彼女の言葉に諸手をあげて喜びたい所だ。

 それなのに。

 ……それなのに。

「知っています。けれど千桜様から貴方の護衛を任されております。私は貴方が不要だと言っても、お側を離れるつもりはありません」

 気が付けばそう言っていた。ああ、本当に、どうしてこんなにも、彼女の言葉に苛立つのだろう。わからない。分からないことに尚更焦燥が増す。まるで何も期待していないような、そんな諦観の瞳が、ただただ腹立たしかった。

 彼女は燈季の言葉に「そう」とだけ頷いて、裸足のまま立ち上がる。春の日差しをはらんだ風が、花弁と一緒に彼女の髪を巻き上げて行く光景が八年前と重なる。

「なら、これからどうぞよろしくお願いします、護衛さん」

「……此方こそ、宜しくお願い致します」

 八年前見上げた淡雪の髪は、近くで見ると思っていた以上に、桜のような色をしていた。

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