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花喰み  作者: 朝生紬
白桜の少女
2/8

雪解け

 初めて「彼女」を見た時の事を、今も良く覚えている。


 冬領と春領の境にある「雪解けの社」

 二の節の終わりの夜から三の節の夜明けまで、旧季の終わりを告げ、新季を言祝ぐ奉納の舞が行われるこの日、燈季(とうき)は椿家の一族として舞台の最も近い場所で佇んでいた。

 奉納舞はどの季節も古来より大切にされてきた儀式ではあるが、特に冬から春にかけての舞は新たな年の始まりとして、一等特別な儀であった。舞を一目見ようと国中から人が集まり、普段は閑散としている冬領も、この日だけは多くの人でごった返し、屋台や旅芸人などで大いに賑わうのだった。

 幼い燈季としては、屋台で珍しい食べ物を食べれるのは嬉しいけれど、寒空の下、夜通し舞を眺め続けるのは決して楽しい行事とは言い難かった。しかし上の兄がこの日の為に毎日研鑚を積んでいる事を知っているだけに、文句など言えるはずもない。寒さに悴む指を神衣の袖の中に隠していた温石の入った巾着で擦り、兄の出番を待った。

「今年の奉納舞は特に人が多いね」

「そうだね」

「やっぱみんな、あの噂が気になってるんだ」

 燈季のすぐ上の兄、三兄弟の真ん中である燈汰(とうた)はきょろきょろと周囲を見渡してこっそりと燈季にだけ聞こえる声で話しかける。兄の奉納舞を楽しみに来ている客もいるだろうと反論しようとして、少し遠くにいる父がそれに目敏く気付き、視線だけで咎めるので、二人は揃って首を竦めた。

 あの噂、というのは四季華(しきか)一花(ひとはな)、宗主たる「桜家(おうけ)」がとある仇華(あだはな)から生まれた娘を養女として迎えて、舞手の継子に指名したというものだった。

「仇華」とは「咎華(とがはな)」とも呼ばれ、最下層の階級に身を置く者のことだった。重罪を犯した人間が華印を潰されて罪科の証の刺青を入れられる。華印(かいん)の有無が絶対であるこの国において、それは「人」としての権利を全て剥奪されたにも等しい。

 そんな仇華を親に持つ娘が、神聖なこの奉納の儀の舞手を務める。それも、最も重要な大祓の奉納舞の舞手だ。国民の関心が集中するのも無理からぬ事だった。

 華印を持たない母から生まれた子が四季華の長に就くという事例も、長い歴史の中では多くはないが、皆無では無い。しかし仇華から生まれた子が、四季華の舞手になった事例は未だかつて存在しない。

 四季華の中でも最も古く、宗主ともされる桜家が舞手の継子に指名するくらいなのだから、当代の桜の華印を持つ者の中で、最も花数が多いのだろう。

 春を告げる華印か、それとも咎人の血か。

 しかしこれらは桜家が公式に発表したわけではないので、皆噂の「仇華の娘」を見ようと今年の観覧客の数はいつもの倍以上なのだと言う。そして聞くところによると、桜家には脅迫とも取れる文も届けられているらしい。そのおかげで今年の警備隊の配置数も観覧者同様に倍になり、これの影響で随分前から父も親類もぴりぴりしていて、燈季も何度か八つ当たりのように叱責されたのだ。本当に、いい迷惑だ。桜家の千桜(ちざくら)様も一体何を考えておられるのか。父と並んで上座に座る初老の男性を横目で見ながら、燈季は息を吐く。

(まあでも当然か……仇華から生まれた娘、だもんな)

 華印を剥奪される程の重罪を犯した人間が、次代へ種を残すという事自体が元々禁じられている。その娘が生まれたのが罪を犯す前か後かは知らないが、罪に罪を重ねた人間の血を継ぐ人間が舞手だなんて、正直燈季自身あまりいい気分ではない。

 舞手は努力で成れるものではない。喉から手が出る程その資格が欲しい人間だって、星の数程いるのだ。それなのに、それを持って生まれたのがよりにもよって咎人の娘なんて。

 養女になったのは、ごく最近だと聞いている。つまりそれまでは親元か、養い親の所にいたのだろう。どうせろくな教育もされていなければ、真面な育ち方をしていない粗野な娘に決まっている。兄の邪魔をしようものなら、絶対斬って捨ててやる。……そう思ってこっそり持ち込んだ愛刀は、既に父によって没収されてしまったのだが。

「お、始まるみたいだ」

 燈汰の声に顔をあげると舞台の奥からしゃらしゃらという鈴の音が重なる。燈季は背筋を伸ばして、幾つもの篝火に囲まれた舞台を見上げた。

 袖から滑り出たのは、燈季の一番上の兄である燈慈(とうじ)だ。

 幾重にもなった臙脂色と深緑の神衣に紅榴石をふんだんに使った飾り剣を片手に持ち、旧季の終わりを告げる御使の舞を踊る。飾り剣からは星のような焔が零れ、舞台に設置された松明に火を灯していく。篝火に落ちた影法師が揺らめき、雪に覆われ、凍った大地を解かす。燈季達のやや後ろにいる観覧者から「燈慈様の剣舞はいつ見ても素晴らしい」と声がもれるのを聞いて、兄の血の滲むような努力を知っているだけに、燈季はそうだろうと誇らしげな気持ちで一杯だった。

 ふと囃子の音が変わり、燈慈の横にふわりと、ひとりの少女が現れた。

 まるで春告の風を纏う様に、少女が軽やかに舞台へ舞い降りた瞬間、肺が、肌が、全身が息の仕方を忘れたように思えた。

 燈慈が纏っているものよりも薄手の薄桜と空色の神衣を重ねた少女は、桜の花弁を模した彼女の背丈程もある大幣と扇子を持ち、燈慈の剣舞に合わせるように舞い、共に雪解けと国の夜明けを願い奉る。額には薄紅の華印を際立たせるように朱の紋様が描かれているのがよく見える。風をはらんで膨らむ薄衣から伸びる白い両脚を見て、その場にいる誰もがはっと息を呑んだ。

 桜家の華印は、額と両脚に現れる事が多い。彼女の細い両脚には、まるで桜木が枝を伸ばすように、肌を覆い尽くさんばかりの華印が浮かびあがっていた。花数など、舞台のすぐ下にいる燈季ですら数え切れない程だ。

 いいや、それよりも、目を惹くのは。

 少女の雪にも似た淡い桜色の髪にさされた簪が、細い脚首に結われた鈴が、彼女が動く度にしゃらんと鳴る。

 この時の光景を、一体どんな言葉で表せば正しく伝わるのか。胸に抱いたこの感情を的確に表す言葉なんて、この世界のどこにも存在しないのではないか。そう思う程に。

 兄の剣から溢れる焔が雪を溶かし、風花が白桜の花弁へ変わると冬の御使から春の御使へ舞手が変わる。袖の中で握っていた温石がするりと足元へ落ちたのも気付かずに、燈季は舞台を見つめていた。

 どれ程時間が経っただろう。白む吐息が次第に温かい風に変わり、舞台の向こうから曙光が舞姫の細い絹髪を照らす。

 少女はもう何時間も舞続けていたにも関わらず、疲れを微塵も感じさせない静かな動きで礼を取ると、鈴の音を残して舞台を降りた。そこでようやく、皆我に返ったようにはっとした。

 ──── 新しい年が明けたのだ。

 それまで囃子と鈴の輪唱しか響いていたなかった社に、わっと歓声が上がる。

 その後、恙無く儀式は進み、新年の言祝ぎを冬と春の両家の長が述べる間も、燈季はぼんやりと舞台の真ん中に僅かに残る白桜の残滓を見上げていた。


 これが、八年前の冬の終わり。

 あの日この胸に抱いた花の名前を、燈季は未だに名付けられずにいる。


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