戻ること禁止の迷路
戻ること禁止の迷路。迷ってしまっても戻ってはいけない。そのまま突き進んで欲しい。
〈言葉の空間〉がある。X軸があり、Y軸があり、Z軸があるということだ。
A「鍔」
B「灌木」
C「珊瑚」
一見何の関係もなさそうに見える(というか、思いついた単語を書いた次第である)この三語はそれぞれ、点A、点B、点Cという座標として、〈言葉の空間〉の中に留まってもらう。
問題:点Aと点Bと点Cを線で結んだときできあがる図形は何か。
解答:愚問
そう、愚問の極みで、解答するのも憚られる。答えは、三角形である。
ということは、「鍔」、「灌木」、「珊瑚」の三語には何かしらの繋がりがあるということだ。しかし、どうも繋がりがあるように見えないのだ。しかし、三角形ができあがるということは、繋がりがあるということなのだ。
その三角形はもしかしたら東京ドーム一個分なみの面積を有した三角形かも知れない。
ハハハハハハ
どこかから笑い声が聞こえてきた。
「『鍔』、『灌木』、『珊瑚』を座標として、三角形をつくろうとするなんて、馬鹿みたい!」
男が指を指して笑った。
僥倖にも、【ここ】は小説の中だ。だから、語り手である【ぼく】は自由にこの作品を操ることができる。
「お? やるのか?」
【ぼく】は、男と対峙した。どういうわけか、男は日本刀を持っている。
「ちょっと待ってくれ。聞いてないぞ、武器を持っているだなんて」
そして、【ぼく】は自分の身体を見て、愕然とした。【ぼく】の身体が灌木のようにみすぼらしかったのだ。そもそも、【ぼく】に身体があっただなんて。
「君は勘違いをしている。この小説の語り手は君ではない。まあ、ぼくでもないがね。では、誰か」
物語世界の外にいる、と【作者】は言ってみる。
「そんな」
【ぼく】は絶望に打ちひしがれていた。日本刀を向けられた【ぼく】は情けなくも震えてしまっている。
「メタい小説だ。ぼくはこういう作品好きじゃないんだ」
ここで関係ない話をするのもどうかと思うが、小説の虚構性を意識し、現実を模倣しない実験的な小説「巨人たち」……おっと、こっちはル・クレジオの小説だった……「虚人たち」というものがあるが、あれは難解な上、長い、読み手のエネルギーを奪う、夢の中にかどわかされる……夢の使者によって? 馬鹿な、筒井康隆によってだ! 彼は、【作者】を不気味で迷路のような場所に誘拐する……。
《「虚人たち」のあらすじ》
同時に、しかも別々に誘拐された美貌の妻と娘の悲鳴がはるかに聞こえる。自らが小説の登場人物であることを意識しつつ、主人公は必至の捜索に出るが……
これだけ読めば、面白そうに思えるだろう?
いやいや、中身をよく見てくれ、とにかく難解なんだ……これはもはや「アンチ・ロマン」の域だ。(【作者】はヌーヴォー・ロマンの作品を読んだことがない 馬鹿! 余計なことを言うんじゃない)。
「今のどういうことだ?」
男は周章狼狽していた。
「【作者】が物語世界の外に存在する真の語り手ではなかったということか?」
【作者】は言った。
「複雑な入れ子構造だ」
マトリョーシカを弄りながら、【ぼく】は呟いた。
「じゃあ、【作者】よりもさらに外に属するのは……もはや【神】じゃないか?」
神は言い過ぎだ、と【神】は言う。
「気に入っているじゃないか!」と【作者】。
(それから、いろいろあって……)
「そうだ。そうだ。ぼくは君を刺すところだったんだ。どういうわけか脱線してしまっていたがね」と、男。
「できれば、一生思い出して欲しくなかった」
「でもね、これは運命なんだ。すべては【神】の下すまま」
(ここで時間を少し戻す)
「デモネ
(ああ、違う。こうじゃない。夢野久作を目指しているわけじゃない)
「然れども、是は定めである。凡ては【神】の趣くままに」
「何故、頓に擬古文になる?」
【ぼく】は謂う。
「是も【神】の思う儘。【神】は此の世界を掌握してゐる」
もはや、【神】はこの擬古文が文法上正しいのかすらわからない状況にあった。
だが、これですべては繋がった。
いや、無理やり繋げたのだ。
でも、繋がればそれでいいじゃないか。
意外にも小さな三角形だった。
小さな服を無理やり着させたような三角形だが、こういう三角形はなかなか見られないものだ、今回ばかりは許して欲しい。
最後の種明かしだ。
点A「鍔」―――日本刀
点B「灌木」―――【ぼく】の身体のメタファー
点C「珊瑚」―――擬古文といえば、「永井荷風」、彼の代表作に「珊瑚集」というものがある。
そうだ。
ここで締めるのもありだが、消化不良の感は否めない。
だから、【ぼく】は男に刺されたのかどうかだけを言っておくよ。
でも、それじゃ芸がないな。
だから、下に少し書いてみるよ。
ぼく ダメだ!
男 仕方ないよ。定めだもん。
ぼく ぼくは嫌だ!
男 叫んでも無駄なんだ。
ぼく ぼくは生きたい!
男 人間だれしも生きたいものだ。死ぬまでな。
ぼく 嫌だ。
男 君、少ししつこいよ。
ぼく 嫌だ。
男 わかったよ、君の魂胆が。できるだけ引きのばして、物語の終焉が来るのを待っているんだろう?
ぼく (沈黙)
男 沈黙はイエスとみなす。
ぼく ぼくは……
男 理不尽なのはわかる。勝手にわけのわからない小説の中に入れられて、いきなりぼくに日本刀を向けられて、つくづく災難だな、同情しちゃうよ
ぼく (沈黙)
男 どうやら、この世界は君が死ねば、終わるらしい。言い換えれば、君が死ななければ、物語は終わらない。
ぼく ぼくが死ぬ必要はない。たとえば、君が死んでもいい。
男 ぼくは死なないよ。
ぼく どうして?
男 死なないからさ。
ぼく 理由になっていない。
(突然の終了)
「いったい、どういうことだ!」
【読み手】が怒鳴る。
「仕方ないだろう? 【ぼく】には死ぬ勇気がないんだ。このまま書いても、あと五千字ほどかかるぜ」
【神】は鼻を鳴らす。
「だったら、ぼくが続きを書くよ!」
そう言って、【読み手】は【神】に代わって、続きを書こうとする。
「ちょっと、待って」
ヴォルフガング・イーザーが【読み手】を制止する。
「ちょっと待ってくれ〈内包された読み手〉よ。確かに読書行為の中で現れるテクストの隙間(空所)からあらゆる想像力を掻き立て、補填するのは、私の言うところの『読書行為論』だが……! 作者が書くことを放棄してしまった小説の続きを書いてしまうのは、もはや二次創作の域じゃないか!」
【読み手】はイーザーの声が聞こえていないようだ。仕方あるまい、イーザーは十数年前に亡くなっているのだから。【神】にはイーザーの声がきちんと聞こえているので、【神】こそ真の語り手だということを再認識した。
「なあ、【作者】。君はイーザーの声を聞いたかい?」と、【神】。
「?」
【作者】はバカみたいな顔をして、首を傾げた。彼はもはや【贋作者】だ。もはや【ぼく】と同じ地平にいる存在だ。物語という檻の中で一生騒いでろ。
【神】は同じ地平にいる【読み手】が「できた!」と無邪気な子供のように叫んだのを見て、ふうんと声を洩らした。
ぼく わかったよ。ぼくは死ぬよ。
男 そうだな。
?? 待て!
男 誰だ?
?? 私の名前は「七宮聖斗」!
男 ななみやせいと、だと?
七宮 とうっ!
男 (七宮に蹴られ、十メートル飛ばされる)
ぼく (茫然)
(修正)
エリス (茫然)
七宮 あれ? そんなに力をいれてないのにな。
エリス あなたの名前は?
七宮 はは。さっき名のりましたよ。七宮聖斗です。
エリス 素敵な名前!
七宮 はは。
(修正)
ぼく はは。
エリス あの。助けていただいたお礼をしたいので、家まで来てもらっていいですか?
ぼく 家? どうして?
エリス どうしてって! (顔真っ赤)
ぼく 顔、赤いぞ。
エリス 言わせないでください! (プイ)
「いやあ、書いている途中、七宮に嫉妬してしまいましてねエ」
【読み手】は何の悪びれもなく言う。
イーザーは声にもならない声をあげている。
【神】もイーザーの気持ちが痛いほどにわかった。
「いやあ、この作品はこれからぼくが書いていこうと思います」
【読み手】は、【神】の書いた作品を完全に自分のものにしているようだ。
「まあ、いいんだが。あの、君の名前が太田豊太郎だなんてことはないよな」
一応そんなことを訊いてみた。
「太田豊太郎はぼくの本名です」
【読み手】は言った。
【神】は驚いた。これじゃあ、エリスがかわいそうだと思った。その作品は【神】が引き受け、エリスを救わねばならないという使命が心の中でみなぎった。
「ああ、ぼくは森鴎外じゃないので、エリスは幸せにしてみせますよ」
【神】の心中を察したかのように、【読み手】は言った。
本来ならもっと前に終わる予定だったのに、ここまで書いてしまった。
これにより、【神】は真の語り手だと言えなくなってしまった。(だってそうだろう? 本当の語り手だったら、【読み手】太田豊太郎の心中を知っていたはずだ。そもそも、【神】と【読み手】が対等の位置にいること自体おかしなことだ。真の語り手はもっと超然としている。)
ということで、この作品はもっともっと複雑な入れ子構造だということになる。
小説の終わらし方というのはなかなか難しいもので、【神】……じゃなくて(こいつは『語り手』馘の命を受けた)……真の語り手は、有名な作品を引用しようと思う。(真の語り手に【】をつけないのは、【ぼく】【作者】【神】の轍を踏むことになりそうだったからだ。【】をつけないことで、存在感を薄くしている。自己主張もしなければ、少しミスを犯しても気づかれることはない。とはいえ、物語はもうすぐ終わる。)
『自分が坑夫についての経験はこれだけである、そうしてみんな事実である。その証拠には小説になっていないんでも分る。』
(夏目漱石「坑夫」より)
※「坑夫」は「反小説」として読まれていることがあり、その部分をリスペクトした次第です。
終