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八雲妖怪奇談  作者: ししど たかまさ
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第四話 幸せな廻りあわせ

  八雲妖怪奇談

 第四話 幸せなめぐりあわせ


 あらすじ

 初めて島根の土を踏み、杵築大社きづきおおやしろを訪れたハーンは旧友の三日月重蔵、そして旅娘のせつと再会した。

 魑魅魍魎ちみもうりょうの百鬼夜行を辛うじて重蔵と制した後、うわばみ寺の御堂にてハーンとせつは明け方まで語らう。

 ハーンが人と妖怪の間の子とはどういうことか、果たしてせつはなぜ一人旅をしていたか。明治を生きる者たちの旅の足跡、とくとご覧あれ。


〈旅の経緯いきさつ

 春が間近に迫る季節。校舎ではまだ肌寒い風が、落ち葉を舞い散らせつつ吹き抜けている。

 彩樫あやかし大学二年生の笹島楓ささしま かえでは歴史学教授の服部久郎はっとり くろうと、校内のラウンジで暖かいコーヒーを飲みながら話し合っていた。小泉八雲の著書『妖怪奇談』についてである。

「先生、首無し地蔵のお話に書かれてた“せつさん”がまた登場してますね」

「ああ、次の話ではハーンとせつの旅の理由について色々と書かれているよ」

 普段通りのゆるやかな調子で教授はそう言うと「続きを読んでご覧」とうながした。楓は本を取り出して、しおりを挟んでおいたページを探す。そして藤色の和紙で出来たしおりを外すと、話の続きに目を移した。


〈四の・雲たゆたう空と秋の桜〉

ーーあやかしの 見ゆる者とのえにし辿りてーー


 朝靄あさもやの中にうわばみ寺の姿が浮かび上がる。気付けばすっかり日は昇っていた。

「それで、日本の妖怪というのは西洋の魔物とはまた癖が異なり……と、話していたら夜が明けてしまったな」

「……すぅ」

 ハーンは夜通し、己の知る魔物や妖怪についての話をせつに語っていた。ふと目をやると、せつは座り込んだまま静かに寝息を立てている。

「疲れもかなりまっていたのだろう」

 眠ってしまったせつをそっと横たわらせると、音を立てて起こさぬようゆっくりと御堂の外へ出た。

 朝焼けの光に照らされ、林に囲われた寺特有の清々《すがすが》しい空気が感じられる。深く息をしているとそばで聞き覚えのある声がした。

「随分盛り上がってたのしそうだったな!」

 御堂の廊下の角に重蔵が笑顔で立っている。昨晩よく休めたのか妖気もすっかり回復し、元気潑剌(はつらつ)といった様子だ。

「せつ殿は眠っている、静かにな」

「おっと、そうか。お邪魔だったか?」

 ハーンはゆっくりと首を横に振る。

「ところで西のよ、積もる話は俺もまだまだ山ほどあるんだがな」

 頭に黒い三角笠を被りながら重蔵が続ける。

「俺はちと用事があるもんで一足先に松江に戻るが、せつが無事に家へ帰れるよう付き添ってやっちゃあどうだ?」

 確かに重蔵の言う通り、先の魑魅魍魎の件もあってここから彼女一人で歩かせるのも忍びない。事実、ほんの数日前に首無し地蔵に襲われたこともあり油断はならないだろう。

「そうだな、後でせつ殿に聞いてみよう」

「それがいい。それと松江に着いたら『尋常じんじょう中学校』って所を尋ねてくれ。俺は今そこで世話になってるからな。それじゃあまたな!」

 言い終わるや否や重蔵は人の姿から、瞬時に本来の大きなカラスーー八咫烏ヤタガラスーーの姿となってあっという間に飛んでいった。

「尋常、中学校か」

 彼方に消えた重蔵の軌跡を追うように、ハーンは青く澄み渡った夏の空をあおいだ。


 せつが起きてから松江へと送り届ける旨を話すと、それはとても心強く有難いことだと聞き入れられた。支度したくを済ませ、住職に一宿の礼と挨拶をして二人はうわばみ寺を後にする。

 そして松江へ向かう道中、歩きながらあれこれと互いの事情を話し合った。

「申し訳ありません、ハーン様。わたしったらせっかくのお話の最中に寝てしまって……」

 せつがそう言い終えると「ふぁぁあ」といかにも眠そうな小さいあくびが出た。

「あ! す、すみません……恥ずかしぃ」

「いや、こちらこそ夢中になってしまい、あいすまぬ……魔のモノ、妖のモノの事となるとつい色々と話したくなってな」

 互いに謝り合った後、妙な間ができて何だか可笑しくなり、二人とも軽く笑いがこぼれる。

「ありがとうございます。一人で黙々と歩くのはちょっと退屈だったもので」

 会話しながらしばらく歩いていると、小さな川の流れる土手が見えてきた。その川を沿う様に松江までの道のりを目指す。

 昨晩、ハーンは己がわば西洋の妖怪ーー吸血鬼ーーの母親と、人間の父親の間に生まれた子であることをせつに告げていた。

「やはり、信じてもらえぬかもしれぬが」

 そう前置きしつつ、ハーンは改めて話し始める。

「母は優しかった。れがまだ子どもの頃に亡くなった」


〈妖怪の子〉

ーーハーンの父、カルロスはイギリス生まれの厳格な悪魔払い師。母、ローザはギリシャ生まれの名家の淑女であった。

 母が死んだのはハーンが十六歳の頃である。

 ローザの死後、驚くべき事実ーー実の母親が人間ではなかったことーーを、遺品の中の手紙でハーンは知った。

ーー愛するラフカディオへーーそうつづられた手紙には、生きている間には家族にどうしても吸血鬼であることを明かせぬ苦悩が滲んでいた。

 まさか自分の母が、血をかてに生き、西洋の伝説として恐れられている魔物だったとは。そしてその子どもとして産み育てられたなど、ハーン自身も手紙を読んでから直ぐに受け入れることなどできなかった。自身が成人に近づくに連れて次第に周りの人間と違うことに気付き始めるまでは。

「ハーン様にそんな御事情があったなんて」

 切なそうにせつがつぶやく。その後ふっと顔を上げて、ハーンの言う“吸血鬼”のことについて触れた。

「その、わたしったら、てっきり“きゅうけつき”って“旧家付きゅうけつき”のことかと……」

ーー旧家きゅうけとは、日本の朝廷に仕える貴族や上級官人を指す“公家くげ”の家柄のことであるーー

「だからハーン様は、何処かの立派な名家に仕えてらっしゃる御方かなと思ったんです」

「ふふ、なるほどな」

 せつの勘違いにハーンは思わず微笑む。

 無論そんなわけはないのだが、“血を吸う鬼”のことだとか、西洋に伝わる魔物のことだなどと言っても、到底信じてはもらえないだろうとハーン自身も思ってはいた。

 しかし、ハーンは己の素性を無理に隠したり、誤魔化したりするつもりもなかった。それはなぜかーー

 ハーンは少年時代に愛する両親を失った。その悲劇こそ、母が自身の正体、すなわち吸血鬼であったことを父に隠していたために起きたものだと考えているからだ。

「わたしは信じますよ! だって、ハーン様が嘘を仰るような御方とは思えませんから」

 とはいえ、実のところ他の人間にこう素直に信じてもらったことはない。話したとしても大抵は冗談に思われるか、変わり者扱いで終わる。それこそ旅先で遭った魔物や、重蔵や海姫のような妖怪の同属相手ならば話は早いのだが。

「怖くは、ないのか」

「なんというか……わくわくします」

 恥ずかしそうに、にこりと笑ってせつはそう言った。


 朝の風が、日の照り出した川辺を撫でる中、せつはふと頭に浮かんだことをハーンに尋ねた。

「そういえば、ハーン様はどうして旅をなさっているのですか?」

 そんなせつの問いにハーンは足を止める。

「それはな……探しているのだ」

 ハーンは深く一息ついて、静かに口を開いた。

「父は、母を殺した」

 その唐突な言葉にせつは緊張した。黙ったままハーンのうれいを帯びた遠い目を見つめている。

ーー少年時代、ハーンは実家の聖堂にて母が父に殺害される現場を扉の陰から目撃した。その時のショックによって左目を失明してしまったのだ。そして、母親が亡くなったその日を最後に父は姿を消した。

 それから天涯孤独の身となり、成人する前に西洋を出て諸国を渡ったーー父の消息を追うために。

 しかし、父が母を手に掛けたことを恨んでいるわけではない、ともハーンは言った。純然たる疑問が今もずっと胸の中に残っているのだと。

「一言、ただ一言だけ問いたいのだ……母を愛して、いたのかと」

 鉛の様に重い空気を感じながら「きっと、再会できます」とだけ、せつは口にする。

 哀しげにうつむいているせつの様子を見て、話題を変えようと今度はハーンが問うた。 

「では、せつ殿はなぜ一人旅を?」


〈変わり者の苦しみ〉

 暫しの沈黙が続いた後、せつはすすり泣き始めた。

 どうしたのかと心配してハーンが聞くと、せつは背を向けたまま語り出す。

「笑ってくださいまし。わたし、お話した通り妖怪が大好きな、変な女なんです」

 確かにせつは昨晩、うわばみ寺の御堂でハーンの語る数々の怪奇についての話をとても興味深そうに聴いていた。だが、自身を指して変な女とは一体どういうことなのか。

「昔……たった一度だけ、見たことがあるんです」

 せつは涙を流しつつ、静かに話し始めた。幼い頃に、実家近くの寺にある墓場で確かに妖怪を見たのだと。

 それは親に内緒で、近所の子ども達と一緒に夜こっそりと墓場へ忍び込んだときのこと。

 女の子はせつ一人。ある男の子が突然叫びながら墓場の外へ駆け出し、それを見た他の子たちも一斉に逃げてしまった。何か居たのか気になったせつは、怖がりもせず墓場の奥へと進んでみた。

 するとそこで目にしたものは、不思議な者らのつどいであった。

 ひとつ目小僧、破れ提灯ちょうちんに鬼火など。親が聴かせてくれたお話に出てきたお化け達。夜中にそんな妖怪らに招かれて遊んだというのだ。

 ヘンテコ顔のにらめっこ。聞いたことがないわらべ歌。彼らはとてもにぎやかで、それはもう楽しかったという。

 その後“彼ら”と別れて静かに家に帰ったが、抜け出したことが父親にばれた。それはもう頭が割れる程の大声でこっぴどく叱られたことを今でもよく覚えていると、せつは笑いながら言った。

 その夜の出来事がきっかけで妖怪のことをもっと知りたいと思うようになり、次第に妖怪やら幽霊やらにまつわる絵や物語が書かれた本を探し集めるようになった。その熱の入り様たるや、やがて周りの大人たちもあきれるほどに。

 そのため、近所ではせつは妖怪や怪談好きの変わり者として有名になってしまった。

「ただ……この目で見たのはそれっきりのことでした」

 その日以来、どんなに願ってもあの時のように妖怪の姿を見ることはなかったという。


 幼い頃の思い出を懐かしそうに振り返ると、せつは袖を口元に添えた。そして辛さを押し殺すようにして声を絞り出す。

「ね、変な女でございましょう? だからきっと、旦那様にも見放されたんですね」

 そう言うと、せつはせきを切ったように涙をこぼした。小刻みに身を震わせ、苦しさや虚しさに胸を詰まらせているようだ。

ーー旦那様に見放されたーー

 その出来事の顛末てんまつを、せつはぽろぽろ泣きながら語り出した。

ーーせつは小泉家に生まれて間もなく、遠縁の親戚である稲垣家の養女となってつつましく生きてきた。

 せつが十八歳の頃、ある士族の子息と縁談があり、結婚の運びとなった。その男は稲垣家の婿養子として迎えられたのだ。

 ところが一年経たぬ内に、男は突然一方的に離縁を訴えて出て行ってしまった。

 隣近所では同情の目も勿論あった。けれども陰では家の困窮のせいだろうとか妻の妖怪好きに付き合い切れなくなったんだろうとか、あるいは取り憑かれたのではないかなどと好き放題の言われ様だったようだ。

 結局その男は帰ってくることなく、せつの養父もとんでもない無礼者だと日々激昂し、娘の無念を想い嘆いていたーー

 伴侶として至らなかったのか。配慮が足りなかったのか。あれこれ考えてはみたものの、夫が居なくなった事実は変わらない。

 せつは例えようのない情けなさを感じて自分を責めた。また育ててくれた稲垣家の養父母への申し訳なさから深く落ち込んでいた。

 それから二年程が経つも、なお傷心していたせつに、義父が気分を変えるために少し遠くへ行ってみてはどうだと気を利かせたのが一人旅のきっかけだという。

「嬉しかったのでございます。こうして妖怪をよく知る方とお話出来て、ほんとうに」

 さめざめと泣きながら、せつは語り終えた。

 それにしても、これほど妖怪や怪談にきらきらと目を輝かせ、明るく振る舞い屈託なく笑う女性がそのような苦悩を胸に抑え込んでいたとは。

 長い間せつは言葉にしようのない孤独を感じていたのだろうか。

「どうか、こんな私を気になさらず、旅を御続けくださいまし」

 そう言うとせつは背を向けたままその場にうずくまり、申し訳なさそうに小さく頭を下げた。ハーンに迷惑を掛けまいとする精一杯の気遣いであった。

「そうか……わかった」


 黙ってせつの話を聞いていたハーンは、涙しているその背に近づく。

 そして小さく震える肩にそっと手を添え口を開いた。

「案ずるな、己れにも見える」

 胸の内を明かしたせつにそれだけ言うと、彼女が落ち着きを取り戻すまで静かに傍でたたずんだ。

 せつは一層涙があふれ出したが、その心の中は安堵で一杯になっていた。


秋桜コスモス

「綺麗な秋桜コスモスだ」

 ハーンが遠方まで広がる紫の花々を見渡して呟く。

 夏から秋の始めにかけて咲くその花は秋の桜と書き、花言葉はーー乙女の真心ーーとされる。

 ハーンは、時折吹く強い風に晒されながらも健気に咲いているその花のような、せつの己を飾らぬ誠実さに心を寄せた。

 夏の終わりを感じさせる爽やかな風が、小さな花々を揺らし駆けて行く。静かに立ち上がり振り向いた女の顔を見てハーンは温かく微笑むと、せつも涙をぬぐってやわらかな笑みを返す。

 松江に向けて歩み出した二人の背には、小さくなびく淡い紫色の秋桜がどこまでも続いていた。



「二人にそんな理由があったんですね」

 楓がそう言うと教授は何となく嬉しそうな表情でうなずいた。

「どうやら似た者同士だったんだろうね」

 不思議な引き合わせだと教授は言った。

 確かに、生まれた国が違えど互いに妖怪への深い関心を持った二人がこうして出会うとは。人の縁とは何処でどう生まれるかわからないものだなと楓は思った。

「では楓くん、私はこれで一旦失礼するよ」

 席を立った教授を楓が見送る。

「うーん、次の授業まではまだちょっと時間が空いてるけど……」

 ラウンジの時計を見ると、本の続きをじっくり読むには微妙な時間だった。楓はとりあえず、紙コップに残っているコーヒーを飲み終えて一息つく。

 だけど、八雲の母が吸血鬼だなんて。

 楓は心の中でそう思いつつも、何気なく次の頁をめくった。

「あら、何かしら? この絵」

 楓が目にしたのは奇妙な絵だった。何の文章も書かれていない頁のほぼ真ん中に、ぽつんと描かれた何か。

「挿し絵……かな? でも何なんだろう、コレ」  

 見たことのないーー白と黒の色合いの、長い鼻をしたむっくりと丸みのある豚のようなーー動物? の絵だった。

 なんだかユーモラスな印象がして妙に親近感が湧くが、どことなく人を小馬鹿にしているみたいな間の抜けた目付きをしている。

 楓は暫くその絵を眺めてから、後でまた続きを読もうとしおりを挟んで『妖怪奇談』を閉じた。


 八雲妖怪奇談 第四話 幸せなめぐりあわせ

                終わり

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