第三話 あっしは、しがない旅がらす・上
八雲妖怪奇談
第三話 あっしは、しがない旅がらす
あらすじ
美しい満月に照らされた島根の海岸沿いにて、ハーンは潮流に生きる妖怪、海姫と出会う。
はるか遠く西の地よりやってきたという珍客に、海姫が素性を問いかけると、なんとハーンは自身が吸血鬼であると語った。
ハーンはある男を訪ねて日本の土を踏んだと言うが、それはいったい誰なのか……。夜明け前の海へと帰る海姫に別れを告げ、銀髪の男は束の間の眠りにつく。
――本当に小泉八雲は吸血鬼なのだろうか、楓はますます真相が気になるばかりだった。謎の退魔士と妖怪たちの物語は、読む者をさらなる未知へと誘い込んでゆく。
〈暗い夢〉
――ゴオ〜ン……ゴオ〜ン……――
年代物の古時計が十二の刻限を指し、重厚な低い音を鳴らす。
「……あなた、申し訳ございません……」
小さくも厳かな真夜中の聖堂で、互いに神妙な面持ちをした紳士と淑女が向かい合っていた。
「なぜだ……何故なのだ、ローザ」
右目に片眼鏡を掛けた男性が、美しく凛とした女性のもとへ歩み寄る。頑丈そうな革靴の乾いた足音が聖堂内に響き渡る。うつむいていた女が男の眼を見ようと、ふと視線を移した瞬間――男は手にしていた銀の杭で女の胸を刺し貫いた。
そして男が何か呟くと、女は紅蓮の焔に包まれて膝から崩れ落ちる。激しい猛火に焼け焦げてゆく人影、その骸は灰と化してなお燃え続けている。濃い栗色だった男の髪は、黄金色に染まっていた……。
その様子を扉の陰からじっと覗いていた少年は、味わったことのない恐怖と衝撃でその場からまったく動くことができなかった――
……不快な眠りから、ハーンは目覚めた。勢いよく上体を起こし、激しく息をつく。
海辺の岩場に激しい雨が降り始め、天を覆うほどの入道雲が稲光を走らせ呻いていた。
〈三の話・風雲、旧をなつかしむ〉
――くうねるところ住むところ、風とともに、あっしは居やす――
昼下がり、雨の上がった森の木々に包まれる神秘的な空間。それはそれは壮大に造られた木の神殿が今、目の前にある。
ついに出雲大社へと、ハーンはやってきた。
太古から杵築大社と呼ばれてきたその神殿は、明治四年(一八七一年)に先の名へと改められた。幽玄なる出雲の土地に建立されたこの神社には、日本の国土を司る国つ神こと、大国主神が祀られている。
「これによれば、たしか作法の通りに……」
ハーンは妖奇帖の表紙裏に、探している男から以前教わった“知らせの法”の詳しい手順を英語で書き留めていた。
“あっしと会いたきゃ出雲へ参れ
大なる社の御拝殿、妖奇帖に念込めて
二礼、四拍、一礼す。
さすれば国つ神に代わりて馳せ参ず”
記述の通りに執り行い、ハーンは参拝した。
……暫く待ったが特に何も起こらない。仕方がないので拝殿を仰ぎ見るようにしばし眺めると、出雲大社を象徴する注連縄の見事な大きさに驚かされる。
「日本の神々が地上に造り上げたと伝えられる神殿か、ギリシャのパルテノンとはまた趣が違って雄々しいものだ」
ハーンは神聖なる大社の雄大さにあらためて心打たれた。その後も何かしら知らせがあるはずだと思い、敷地内を散策しつつ四半刻(約三十分)ほど待っていた。すると……。
左目の疼きから妖気の気配にハーンは気付く。振り向き様に忌目を開き空を見上げた。
日が昇った遠方の上空から黒い影が高速でやってくる。影は滑空し始めて高度を下げると、木々の中に急降下してゆく。少し経つと松林の奥から、とても懐かしい人物が姿を現した。
「おう! また会えたな、西のッ」
黒い三角笠を被り、赤茶色の杖を持った三十代ほどの見た目の男がハーンに渋い声を掛ける。
「久し振りだな、驚いたぞ、重蔵!」
互いの顔を見やって安堵し、笑顔で軽く抱き合う二人。実に久方ぶりの再会であった。
男の名は三日月重蔵。異様な現れ方からしてお判りだろうが、この男、妖怪である。地に降りて今は人の姿に化けているが、その実態は日本の妖怪、八咫烏だ。
――東洋は日本の妖怪ヤタガラス(Yata-garasu)。三本足の烏として描かれ、日本神話の中にも神武天皇を熊野国から大和国へと導いた神の使いとの伝説がある――
ハーンの忌目でこそ影を捉えられたが、彼が飛んで来た姿は普通の人間の目には映らなかっただろう。妖怪の多くは、妖気によって己の身を人間から隠す術を持っている。
重蔵は今、見事に人間に化けているが、その実体は謂わば人型の大ガラス。鋭い嘴と背に大きな翼を持つ漆黒の身体が印象的だ。人の姿としては凛々しい顔立ちの青年、渡世人を思わせる青の縦縞模様の外套が実に粋である。
重蔵ことヤタガラスは、ハーンとは訳あって旧知の仲だった。ハーンが西方出身の吸血鬼ということで、重蔵は彼を出会った頃から親しみを込めつつ“西の”と呼んでいる。
「すまんすまん、ちょっと遠くに居たから遅くなった!」
「気にするな、おかげでよい参拝ができた」
ハーンは今年でちょうど四十路となるが、重蔵とはアメリカで二十七歳の頃に初めて出会った。
――今度はぜひとも日ノ本に来てくれ! オレの故郷を見てほしい――
あれから日本のこともよく調べてみたが、これがなんとも奥が深い。西洋にはない神秘に満ちた国……別れ際の重蔵の言葉をずっと忘れずにいた。
それから長い間、世界を巡って退魔士としての旅を続けてきたが、今となってようやく願いが叶った。日本の地にて重蔵と再び顔を合わせるまでに、実に十年以上が経っていた。
「いい面構えだ。あれからほとんど変わってないな、西の!」
「吸血鬼の性質だろうな。おぬしこそ、何一つ変わりないな」
それなりの年月は流れたものの、お互いの顔つきは出会った頃とほぼ同じ、妖怪ならではの再会談義である。
「まッ、日ノ本のことなら、あっしに任せなってなもんよ! 歩きながら四方山話でもしようぜ」
重蔵は風来坊っぽくおどけて見せた。その言葉にハーンも深く頷く。
ハーンたちは出雲での再会に感謝し、大社を後にした。
〈廃刀令〉
「なあ西の、シャレた着流しだな。ソレ、どこで見つけた?」
重蔵はハーンが着こなす服のことに触れる、そんな調子で出雲大社から続く道をのんびりと歩きながら、ハーンのこれまでの旅路でのあれこれを聞いていた。
「横浜港へ着いた時には長旅で背広がかなり傷んでいてな、近くの呉服屋で、ふと目に留まったのだ」
「そういうことか、和服もしっくりくるもんだなぁ、よく似合ってるぜ」
重蔵はハーンの日本に馴染む出で立ちがとても気に入ったようだ。
「そうだ西の、『刀柄の魔除け』は? あれからどうした? よかったら見せてくれ」
それはハーンが重蔵と会って以来、常に持ち歩き続けてきた、日本刀の柄の形をした手製の魔道具のことを指していた。重蔵にせがまれたハーンは立ち止まってゆっくりと魔除けを取り出すと、右手に握りしめて静かに妖気を込めた。
先端から研ぎ澄まされた白き刃がのびる。その魔除けから出る刃は、これまで世界各地を巡ってきた旅において、あらゆる魔物や怪奇との問題を解決する要となったハーン唯一の武器だった。西洋の黒魔術と東洋の陰陽術を独自に組み合わせて編み出した退魔術のひとつ――妖気を結晶化して生み出す退魔刀、白銀乃奇刃――である。
「すごいな! こんなに長くなったのか、だいぶ修練しただろ」
「それなりに、な」
ハーンが妖気を断つと、刃が霧のように散り崩れて消えた。
「オイこら、そこのおーッ‼︎」
白い刃をかざした現場を見て、ギョロ目の警官が大声を張り上げて走ってきた。その顔立ちは、まるで鬼瓦のようなごつい形相だ。
「キッサマぁ! 廃刀令を知らんのかぁ⁉︎ さあ本官にさっさとその刀を見せ……ろ、ぉお?」
警官はハーンの魔除けをひったくったが、振ったり覗いてみたりするも先ほど見た刃のようなものはどこにも見当たらない。
「ご苦労様ですな! おまわりさん。ですが、あっしらはしがねえタダの旅人です。刀なんざぁ持っちゃいやせんよ」
やたらと不思議がっている警官に、重蔵がにこりと挨拶する。
「見たとこお疲れなようで……錯覚だったんでしょうな。いやいや仕事熱心なお方だ!」
重蔵はさらっとごまかした。
「……も、もういい! さっさと行かんかッ! あやしいヤツらめ、何かあったらすぐしょっぴくからな!」
顔をしかめながらハーンに魔除けを突き返すと、警官は持ち場に戻った。重蔵が言ったように警官の顔付きは職務による疲れからか、もともと険しかろう表情がより沈んでいる風に見えた。
夕暮れ前の木漏れ日が二人の行く道をやんわり照らす。強めの風が吹き、草木のざわめきが辺りに響いている。
「さあて、再会を祝して適当な店で一杯やるか、西の!」
――ぱん、ぱんっ!
出雲大社を後にして暫く歩いた先の食事処で腰を落ち着けると、重蔵は手を叩いて店の者を呼んだ。
「とっくりと冷やっこ、二つずつ頼む!」
互いに盃を重ねつつ二人はあらためて再会を祝した。
呑み始めてからハーンは、日本に着いてから首なし地蔵を鎮めたこと、海姫にもてなされたことなどを話す。
「なかなか満喫してそうだな! どうだ、日ノ本はおもしろいだろ?」
「ああ、着いて早々危うく首を失くしかけたぞ」
ハーンは冗談混じりに返した。
「時に重蔵、よく己れが出雲に来たことがわかったな」
重蔵が“知らせの法”をどうやって受けたのか、ハーンは気になっていた。
「ああ、オレがプレゼントした手帖、役に立っただろ?」
どうやら参拝の際、妖奇帖の念を通じて出雲大社を中継し、重蔵がその妖気を感じ取ったことでハーンの居場所が分かったらしい。なにやら電報を彷彿とさせる仕組みにハーンは感嘆した。
以前の別れ際に、記念にと重蔵からもらった時にはまっさらだった妖奇帖。今までに相見えた世界各地の魔物たちの魔力を封じて長旅の記録としてきた。そこそこ厚みのある手帖なのだが、不思議なことにまるで羽根のように軽い。
「ちょいっと前に、オレもオレで世界を回ってたんだが、やあっぱ酒は日ノ本のに限るなあ。“わいん”ってヤツも悪くはねぇが」
冷やっこを突付きつつ美味そうにぐい呑みをあおり、重蔵は言った。
「ああ、ワインか。たしかに慣れ親しんだ味は互いに恋しいものだな」
酒を酌み交わし、互いの旅話に大いに花を咲かせた後、重蔵が奢ると言って勘定を済ませた。
陽の高い夏の季節、時刻は午の刻(およそ午後六時頃)を少しまわった時分。人気の無いまばらな林道にて、木々を揺らし癒しをもたらす心地よい風が吹いている。
「そういやここ最近、この近くで妙な事件が起きたみてぇでな……」
互いにほどよく酔いの回る中、ゆっくりと歩みながら重蔵は静かに話し始めた。
「数日前、ちょうど今のオレたちの様に酔って店を出て行った二人の男が、朝方にこの辺りの道で倒れてるのが見つかったそうだ。憐れにも二人ともすでに息をしてなかった……」
重蔵の普段の気さくな雰囲気は鳴りを潜め、冷静にハーンへ事件の詳細を語る。
「ところが警官たちが調べてみても、身体には傷ひとつ付いてなかったらしい。それでまあ結局のところ、発作で亡くなったと解決したそうだ」
「二人とも、か……たしかに妙だな」
ハーンは歩きながら少し俯き気味に右手を顎に当ててつぶやく。
「んんッ? なんだぁ、アレ」
重蔵は奇妙な様子を目にした。何やら猫かタヌキらしき動物が生い茂った草むらからひょろっと飛び出す。
一匹……と思ったら二ひき、さんひき……四、五、六、七、八、九⁉︎ 気付けば数え切れないほどの何かがワラワラとこちらへ向かってきた――それは小動物などではない。
ヤカンに手足が生えたようなもの、くちばしの付いた野ウサギっぽい形、尻尾が伸びた大きなナスビみたいな塊……。
とにかく、あらゆるかたちをした半透明のモノが溢れかえっている異様な光景である。
「おい西の……オレが酔ってるせいなのか、なんかヘンなもんが山ほど来るんだが」
「いや、おそらく己れにも同じものが見えているぞ!」
強いて言うならばそれは……魑魅魍魎の百鬼夜行であった。
――百鬼夜行(Hyakki-yagyo)。妖怪の群れ、およびそれが行進する様。出逢った者は翌朝には命を落とすと伝えられる――
魑魅魍魎とは、山や川に寄り集まった雑念が変化した、これといった意思なき妖怪を指す。ここでは野生の小動物が混ざり合ったような、或いは雑貨や農具などのガラクタの山が絡み合ったような異形を成していた。
奇っ怪な妖怪の群れが二人のもとへと近寄り、まとわりつこうと手足のようなものを伸ばしてくる――重蔵は最近起きた怪死事件の真相が次第に見えてきた。
「この程度の妖怪じゃあ人間に直接傷を負わせるようなことはねえが……もし生身の人間が大量の妖気に晒され続けりゃ流石に命に関わる」
重蔵の言葉にハーンが返す。
「だとすれば、亡くなったという二人の男はこ奴らにまとわりつかれたのか。それならば目立った外傷が見られなかったという話も頷けるが」
二人が会話している間にも、魑魅魍魎は何処からともなく増えてくる。
「追っ払うぞ、西の!」
「承知‼︎」
不測の事態に酔いも醒めた二人は、半透明の群れが織り成す百鬼夜行へと各々の得物をかざして繰り出した。
押し迫ってきた群れに駆け出しつつ重蔵は杖を振るった。四、五匹の妖怪がすぱっと切り裂かれ、たちどころに舞い散る。
重蔵の杖は、切っ先鋭いまっすぐな刀を隠した仕込み杖であった。ハーンもまた魔除けを抜き放ち、白き刃で妖怪を斬り払ってゆく。
「いったいなぜ、こんなに溢れてくるのだ? 重蔵」
「オレにもわからんぞ! だがこのまま放ってはおけんぜ」
ハーンと重蔵が刀を振るっていると、先ほどの警官が勢いよく走ってきた。
「ほれ見ろお――ッ‼︎ やあっぱりオマエら刀を!」
――ドスッ‼︎
鬼瓦のギョロ目顔に重蔵のワラジがめり込む。
「今取り込み中ッッッ‼︎」
凄まじい速さの蹴りを顔面に受けた警官は鼻血を吹き出しながら後方の茂みに勢いよく吹っ飛んだ。飛ばされた先にあった低木に背をあずけ、そのまま伸びてしまった。
「ちっとの間寝ててくれ、おつかれさんっ」
重蔵はしれっとあしらった。
そうこうしている内にも群れはどんどん草むらの向こうからやってくる。
「次々と来るぞ、重蔵。……どうすれば」
今回は首無し地蔵のときのように何かしら感じ取れる根拠も思い当たらない。
気になるのはこれほどの群れが何処から湧き出してくるのかだ。流石に今はその根拠を探る余裕はない。辺りに人間が居れば危害が及ぶ状況だ。
路地に溢れる妖怪を、ハーンと重蔵は薙ぎ続ける。巣のようなものでも何処かに在るのだろうか。
「くそッ、切りがねえ」
重蔵も手に負えぬ様子でいると、新たに後ろの方から誰かがやって来た。淡い山吹色の着物を着た若い女のようだ。
数で押してくる魑魅魍魎が二人の攻撃の合間を縫うように抜け出す。そして溢れ出た群れが女へとぞろぞろ向かっていった。
女が群れに巻き込まれかける。
「いかん! 来るなっ」
重蔵が瞬時に本来のヤタガラスの姿に戻り、背中の黒い翼を広げた。女に向かって羽ばたき、そのまま抱えて安全そうな空き地に飛び抜ける。
「きゃああッ⁉︎」
その際、正体を見られぬよう重蔵は妖気によって身を隠した。故に女は何が起きたのかわからぬままに宙に浮いた。女を空き地に降ろしてから奥の木陰まで飛び、重蔵は人間に化けてからすぐ様とんぼ返りする。
「大丈夫か⁉︎ って、なに……せつか?」
「……あ、あれ? 重蔵、さん?」
――重蔵はその女と知り合いだった。彼女の故郷、松江にて人間の姿で暮らしていたためだ。
女の名はせつ。数日前に一人旅を終えて生まれ故郷へ戻る途中、今日の泊まり宿を探し歩いているところであった。
〈黄昏〉
――ごお〜ん……ごおぉ〜ん……――
近くで日暮れ時を告げる鐘の音が鳴り響いた。
「せつ、あの、あれだ! そう、蜂の群れが危ないんだ。ちょっとここで待ってろ!」
「え? あ、はっ、はい」
ともかく今はせつに空き地でじっと待つように言うと、重蔵はハーンのもとへ戻った。討ち漏らした妖怪を逆手に持った仕込み刀で切り捨てながら、相方のそばに駆けつけ声を掛ける。
「まずいぞ、陽が落ちるとコイツら妖気が増してもっと湧き……どうした、おいッ、西の⁉︎」
状況の悪化を懸念した重蔵が呼びかけると、ハーンが立ち尽くしていることに気が付いた。
ああ、黄昏空か……紫とだいだい色の塩梅が綺麗なもんだ――
ハーンの視線の先を見た重蔵は自然とそう思った。
息を呑む程美しい、その神秘的な情景にハーンは視線を奪われてぴくりとも動かない。じっと見つめるは林の先に覗く、山の合間にゆっくりと沈みゆく太陽……。
見開かれた金色の左眼に、燃ゆる夕陽が映り込んでいた。
「……ぅ……あ……ああ、あ……」
ハーンは忌目を押さえて震え始めた。
「ッぁ……ぐっ……ぅうあああああああああっ……‼︎」
けたたましい叫び声に驚いた鳥たちが夕焼け空へと一斉に飛び立った。
激しく震える手で魔除けをぐっと握り込むハーン。その先から伸びた刃が、一際大きく長い刃に変わる。
だがそれは赤く血反吐の様に濁っていた。粗削りな水晶のようにとげとげしく、刃こぼれしてぼろぼろになった鈍刀を思わせる異様な有り様である。
「ぐおおおああああああああッッ‼︎」
息遣い荒く、奇怪な長物によって目の前の魑魅魍魎が一挙に薙ぎ払われた――それでもなお様々な形をした妖怪がとめどなく現れる。
刃が不吉な紅い輝きを放ち、勢いよく振り回される。それは次第に散り崩れて短くなり……。抑えの効かぬままハーンは暴れ続け、やがて勢いよく前のめりに倒れこんだ。
――雨上がりの土の上に、突っ伏したまま動かない。
「どおしたアッ! 西のオッッ⁉︎」
相方の初めて見せた様子に重蔵は驚く。ハーンに組み付こうとする群れを叩き切り、うつ伏せになった彼を素早く担ぎ上げると、せつが待つ空き地へと急いだ。
「すまん、せつ! 相方の介抱を頼む‼︎」
「あの、重蔵さん? こちらは……あぁっ、ちょっと!」
重蔵は一人で群れを払うためにまた駆けて行った。事情がまったくわからないままに、せつは目の前に横たわった男の顔を見た。
「……どなたかわからないけど、なんとかしなくちゃ!」
せつは懐に畳んで仕舞っておいた手ぬぐいを取り出し、土に汚れたその西洋人の頬を優しく拭きながら必死に呼びかける。
「もし! もし! 大丈夫ですか? しっかりなさって」
すると、男はなにやら苦しそうな表情を浮かべて重々しく呻き始めた。
「ぅ……ぁ、ぁぁ……」
「もしっ……あの……どうか、目を、開けてくださいましッッ‼︎」
八雲妖怪奇談 第三話 あっしは、しがない旅がらす・上
つづく