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八雲妖怪奇談  作者: ししど たかまさ
2/6

第一話 我が名はラフカディオ・ハーン

『八雲妖怪奇談 はじまりの話 八雲立つ』を前置きとし、

第一話からストーリーが始まります。


よろしければ、どうぞご自由にご覧ください。



  八雲妖怪奇談

 第一話 我が名はラフカディオ・ハーン


 あらすじ

 明治時代の日本にまつわる様々な話を臨場感あふれる表現で書き記し、後世にも大きな影響を与えるほどの歴史的著書を残した文学者、小泉八雲こいずみ やくも

 彼ののこした妖怪に関する著作のひとつが、実は伝承や創作ではなかったとしたら……。ありのままに見聞きした生の事実録だったとしたら?

 これは、ある古めかしい本から始まった、著作探究の物語である。


――その男、白き刃をたずさえて 金に輝く瞳に映る 黒い影と向かい遇う――

  小泉八雲 著『妖怪奇談』冒頭句より


〈その書、嘘か真か〉

「あっ、服部先生! 大丈夫ですか?」

「うおぉ、重そう!」

 二人の男女が、分厚い本を両手で数冊抱えて運んできた初老の男性に声を掛けた。

 都内に在する彩樫あやかし大学の歴史学専攻生、笹島楓ささしま かえで国木田淳一くにきだ じゅんいちだ。

 洒落た丸メガネがトレードマークの歴史学の教授、服部久郎はっとり くろうはいつものようにゆったりとした口調で生徒たちに返事をした。

「ああ、大丈夫だよ。これだけ運べば終わりだから。すまないね、二人とも 資料室の大掃除を手伝ってもらって」

「いいですよ! この資料室はアタシたちもよく使ってますから」

「じゃあ先生、それも片付けますよ、こっちの棚にと……。ふうー、なんとか日暮れ前に終わったー!」

 大学が冬休みに入る前日、午前中から歴史学の資料室を整理していた三人は、積みあがった本や図鑑などの片付けに夕方近くまで時間を費やした。

「さてと、おかげさまで年越し前の整理もできたし、よかったら私の研究室でお茶でも飲んでいきなさい、お菓子もあるから」

「わーっ、ありがとうございます!」


 教授と生徒たちが一服しながら談笑していると、楓は思い出したように話を切り出した。

「あ、そういえば資料を片付けてたら先生、この本見つけたんですよ」

楓は資料室の中にあった、ある一冊の古びた本を持って来ていた。古風な装丁そうていながら、和と洋の風情ふぜいを感じる奥ゆかしいデザインの書籍だ。

 楓はその本を机に置いた――表題タイトルには『妖怪奇談』と書かれている。

「フム、小泉八雲の書いた本だね、またずいぶん年期の入った本が出てきたね」

――小泉八雲とは、明治時代中期に日本へ渡ってきたギリシャ人、ラフカディオ・ハーンが帰化した際に名乗った氏名である。

 彼はその生涯において多くの文学作品を記し、現代にもそれらは永く語り継がれている――

「面白いですよね。小泉八雲の本って、昔の日本の風土や妖怪にまつわる内容が詳しく書かれてて。……でも、この『妖怪奇談』、こんな著書ってありましたっけ?」

 いったん紅茶を口に運び、再び話し始める楓。

「もちろんアタシも全部の著作を読んだわけじゃないけど、淳一くんは知ってる?」 

「うーん……僕もこのタイトルは知らないなあ」

 お茶うけのクッキーをポリポリかじりながら、淳一も首をかしげている。

「ウム、これはね、私も随分前に読んだばかりだが、懐かしい本だ……」 

 教授が丸メガネを掛け直しつつ、改めて本に目をる。

「八雲の書いた本は原文が英語だから、訳本として出版された著作の中には、この本のように珍しい物もいくつかあるんだよ」

 二人の生徒はなるほどとうなずいた。

「そうなんですね。それにしても、この本も名前からして妖怪がテーマみたいですね」

「八雲の得意とする題材だね。繊細な描写は当時でも群を抜いてるんじゃないかな」 

 教授の言葉に淳一も同意する。

「たしかに。なんかこう不思議なリアリティがあるんだよなぁ」

「そうそう、まるで本物の妖怪や幽霊を見たことがあるみたいよね」

 小泉八雲の書いた物語について、二人があの話が面白いとか、怖かったとか振り返る中、教授は机の上に置かれた『妖怪奇談』に手を伸ばした。

「しかし、興味深い視点だね。どうだろう、もし君たちの感じるようにこの本に記されていることが、まさに八雲が体験した事実そのものだとしたら……」

 教授は楽しそうに二人の生徒に話を続けた。

「ではまずは、『妖怪奇談』冒頭のエピソード〈幽霊滝ゆうれいだき肝試きもだめし〉の話から読み解いて行ってみようかね」


〈幽霊滝の肝試し〉

 一の・幽霊滝の肝試し

――滝に消ゆ、無念に満ちた辞世の句――


 時は明治時代、日本の新たなる世の幕が開けて二十余年の歳月が流れた頃、小泉八雲はまだラフカディオ・ハーンを名乗る来日者であった。

 これより語られる出来事はハーンがアメリカ発の客船に乗り、春に横浜港へ到着してからおよそ三カ月後のことである。


 日本海の荒波を望む島根の地に、黒酒村くろさかむらと呼ばれる集落があった。

 夏が訪れ、せみ響きはじめた蒸し暑い時節、この地に一人旅で来ていたとある士族の娘、せつは大層気立ての良い快活な女性であった。

 しかし、なにかと怖い話を好んで面白がるという嗜好があったため、地元の民たちからは変わり者扱いされることもしばしばあったという。

 旅先の宿場でも、せつは持ち前の明るさで知り合った人たちと夕食後に世間話や怪談で盛り上がっていた――

「……そしたらね、その顔はなんにもないつるっつるのお化けだったのよ!!」

 悲鳴を上げて盛り上がる一同。

「ふふふ! おせつさんのお話、ホント面白いわあ」

「いやあー、ぞくぞくするねえ、けっさくだ!」

 宿に泊まりに来ていた者たちの数名は嬉々としてせつの話を楽しんでいた。

「おお、そうだ! お嬢さん 幽霊滝って知ってるかい」

「えぇ、その話すんのかい……? おやっさん……」

 若者が、浮かぬ調子で年配の男に言った。

「何怖がってんだ、こいつはいい機会じゃあないか。怖いもの好きのお嬢さんにうってつけだろ?」

「幽霊滝? 知らないわ、どんなところなのかしら」

 せつは自分の聞いたことがない不気味そうな話題に目を輝かせている。

「この宿場からちっと離れた参道の先に、細い滝があんだ。昼間にワシも見に行ってきたんだが、そりゃあまあ綺麗なとこだった。天に届くような岩間から流れる滝は絶景だったね!」

「まあ、素敵ねえ!」

「しかしな、ここいらじゃ割とよく聞く話なんだが……」

 男はそうっと身を乗り出し、話を聞いている者たちにささやくように語りかけた。

「幽霊滝って呼ばれてるのはよぉ、夜中に出向くとあの世に迷い込んじまって帰ってこれねえからなんだとよ……それでよ、おめえさんたち、その幽霊滝を目指して今日の夜中に肝試しってのはどうだい!」

 男は得意げに話したが、みんなは静まり返った様子で聞いていた。

「……おやっさん、あそこはさすがにやめといたほうがいいんじゃねえかなぁ、昔っから山神様が住んでるとこだって話も聞くし」

「かあ、さっきからおめえさんはあーだこーだとつまらねえなあ! なあ! 誰か、やってみる気はねえかい? 行ってみるってんなら、今日の宿賃を出してもいいぜ!」

 話を聞いていた者たちは皆そわそわして男から目をそらしていたが、せつは少し考えてから口を開いた。

「そうねえ、昼間にそんなに綺麗なら、星が出てれば夜中はもっと綺麗かも!」

「え? ああ、まあ、そう、なのかねえ……?」

 男はせつの調子に何かずれた感じを覚えつつ、乗り気そうな彼女に話を続けた。


〈低い柱〉

 の刻(およそ午後十時頃)。

「宿から幽霊滝までは昼中に歩いて半刻(約一時間)は掛かるからなあ、暗がりだと行き帰りで一刻半は見ておこうか」

 男はろうそくと行灯あんどんを用意しながらせつに言った。

 結局肝試しはせつだけがやろうと乗り出し、ほかの者たちは宿場から見送りと迎えをすることで話が決まった。

 年配の男によると、滝のそばには小さなほこらがあり、昼間に滝を見てきた際に近くの草花を供えてきたらしい。

「朱色の帯で花を巻いて祠に置いてきたからよ、そいつをお嬢さんが持って帰ってくりゃあ文句なしよ」

――男の言葉を思い出しながらせつは細い川を辿ってどんどん歩いていた。

 山間の夜道を行灯片手に歩くというのは思っていたよりも歩きにくかったが、子どものころに村の男の子たちとこっそり地元の寺の墓場へ肝試しに興じたときのことを思い出してワクワクしていた。

 道は次第に竹林の中の細道に繋がってゆく。しばらく歩くと、道の脇に低い柱のようなものが点々と見え始めた。

 暗がりで何なのかよく見えないので、せつは柱のひとつに行灯を近づける。

 人の形をした石像……。

 整然と並んだ地蔵たちが、せつを見つめるように立っていたのだ。

「ああ、なんだお地蔵様かあ、どうもこんばんわ」

 暗闇の中で地蔵と顔を合わせるも、なんてことはない様子で頭を下げてあいさつした後せつは再び歩きだす。

 半刻ちょっと歩き通し、ついに目の前に細く流れる滝が現れた。

「やっと着いたー、これが幽霊滝かあ。へぇー、たしかにまるで、魂が天に昇る道みたいで幻想的な感じねぇ……」

 流れ落ちる滝のしぶきが、夜風に吹かれて宙に舞う様を見ながらせつはそう言った。

「うーん……星も見えたらよかったんだけどなあ」

 昼間に比べて空は曇り気味で、月明かりもほとんどない。滝の周りはうっすらと霧がただよい、ほの暗い雰囲気で覆われた様子である。

「ええっと……ほこらがあるって、あ! あれかしら」

 滝のそばには男が言っていたように、古木ふるきで出来たさびれた風貌ふうぼうの祠があった。

 台の上にはたしかに朱色の帯に巻かれた草花が置いてある。それを手に取ると、さっそく今来た道を戻ろうとせつは振り返った。

「早く戻らないとみんな心配しちゃうわね」

 来たときよりもやが濃くなり出しており、真夜中の風情を感じる。

 先ほどあいさつして通り過ぎた低い柱が並ぶところまで戻ってくると、生ぬるい風がせつの頬を撫でた。

 ふと見ると首がない――

 長い道に並んでいる地蔵の首がすべて無くなっていたのだ。

 突然のことに呆気あっけに取られていると、妙な音がすることに気付く。


 カツン……カツーン……と金物で石を叩くような音が響いている。

 シャンシャラリン……シャンシャン シャラリン……


「え? 何……鈴の、おと……?」

 辺りを見渡しているとフッと行灯の火が消えた。

 そして……せつの背後には赤い前掛けをした地蔵がひっそりとたたずんでいた。

 首が付いているはずの部分は真っ暗な穴がのぞいている。

 しかし、せつはその気配には気が付かない。

 霊感がない人間には、その姿を直に見ることはできなかったのだ。

 赤い布をまとった石柱は、ぎざぎざの鋸刃のこばの付いた長い錫杖しゃくじょうをせつの首筋目掛けて振り下ろした。


〈死闘 首無し地蔵〉

 地蔵がせつの首を襲う刹那せつな、錫杖が何かによって勢いよく弾かれた。

「きゃあッ! なに!」

 首のない像がせつから一旦離れ、今度は下から振り上げるようにして斬りつける。

 ぎりぃいぃッ……!

 金属がこすれるような不快な音が暗闇の中で鳴り響く。

「伏せていろ! 首がなくなるぞ」

 転んだせつの近くで突如男性の声がした。

しかし行灯の火が消えてしまっていてよく見えない。

 とにかく思いがけないことが起き、せつはこの状況で初めて気が動転した。

 闇の中、刀のようなものが舞って火花が散っている。誰かが何かを追い払おうとしている?

 どうにしても、今はその場でじっと身を固めるほかなかった。

 男が斬撃をいなして地蔵と少し間を置く。

 闇夜の中でも男にはその姿がはっきりと見えていた。よくよく見ると、赤い前掛けにはまるで人間が苦悶する表情のような紋様がいくつも浮かびうごめいている。

 首から流るる鮮血の如き前掛けが不気味に揺らめく。無言のままに、地蔵は男に対して突進を仕掛けた。

 死者の無念のうめき声のような音……。奇妙で不快なざわめき。しずかな夜の竹林に、おぞましいなげきが響き渡る。

 男は、一気に詰め寄りつつ放たれた地蔵の一撃を真正面から刃で受け止めた。

 人ならざる怪力の剣圧に対し、かろうじて踏みとどまる。

「 ……ゥウウウウ 」

 地蔵が長尺の錫杖を力強く押し付けながらうなりはじめた。

「 ……渡セ……ヲ、渡セ…… 」

「何を渡せと言う? 供物くもつか……?」

 不穏な夏の夜風に銀色の髪をなびかせて、男は首のない相手に向かって問い返す。

 闇夜にうっすらと白く浮かぶ刃が、汚れて錆び付いた禍々(まがまが)しい錫杖と鍔迫つばぜる!

「 オモテヲ……オモテヲ渡セエッ!!!! 」

「……ぐっ!」

 深碧色ふかみどりいろの着流しを身にまとい、東洋人離れした端正な顔立ちのその男は突如、これまでにないほどの力で押し飛ばされた。

 膝をついてうずくまったせつが呻きだす。

「……痛ッ! あれ? 首が……」

 弾かれた拍子にせつのそばに寄った男はふと彼女の首筋を見やると、着物の背が血でにじんでいるのが分かった。

「最初の一撃がかすめたか……かなり深い、動くな」

 男はせつの首筋に左手をかざして何かを口ずさみ、切り傷から流れる血を軽くぬぐうように指先を滑らせる。首から手が離れたときにはせつの傷口がきれいにふさがっていた。

「すまぬが、少々頂くぞ」

 男がそう告げた直後、血糊ちのりでべたりと濡れた左手がみるみるうちに乾いてゆく。

 右手に握り締めた刀の表面が薄紅色うすべにいろに揺らめいた。


〈西の洋より来たる者〉

 地蔵が錫杖に付いた鈴を不気味に鳴らし、ゆっくりと近づく。

「 ……何ダ……其方ソノホウハ 」

「申し遅れたな、我が名はラフカディオ・ハーン。西の洋より来たりて退魔を為す者なり!」

「 ……西洋坊主ガ……カマワヌ、コノ女ト オモテヲ捧ゲヨ!! 」

妖霊血界エリュトロス!」

 ハーンが右手に握った刃を素早く前方の地面に振るうと、自身と地蔵の周りを赤黒い鎖のような光の筋が覆った。

「娘よ、宿場に向かって力いっぱい走れ! そう長くはとどめておけぬ」

「あなたは……これって……なんなの!?」

け!!」

 気迫に満ちた男の声に後押しされるように、せつは夢中で駆け出した。

「 グウウウゥッッ!! 」

 逃げるせつを追い撃とうと地蔵は凄まじい力でハーンに斬りかかった。

 石で出来たとは思えぬほどの素早い動きで的確に急所を狙い続ける首無し地蔵。血しぶきのように赤い前掛けは、燃え盛る業火ごうかの如く逆立ち荒ぶっている。

――思った以上の怨念の濃さ、斬撃が確実に重みを増している。だがそれだけではないな、この感覚はどこかで……――

 重い一撃一撃を受け流すのが精一杯であったが、目前の地蔵の面影に対して感じる違和感にハーンは記憶を手繰たぐり寄せるように考察していた。

――祖国においてこのようなたぐいの怪奇と言えば……。そうか、この妖霊怪奇ようれいかいき……言わばデュラハン〈首無し騎士の亡霊〉と似通ったその出で立ち――

「……とすれば」

ハーンは咄嗟とっさに思い浮かんだ。

 瞬撃をかわしつつ地蔵の背後へ回り込み、自ら張った結界をすり抜けると、ある方を目指して全力で駆け出す。

「……先ほどから感じる寂しげな妖気は、やはりそこであったか」

 ハーンは違和感の正体を確信した。

――結界が破られる前に!! ――

 見据えた先は滝のそばにある小さな祠、この場所における唯一のやしろに一閃を放った。

 斬り裂いた台座を覗き込むと、腐った木桶きおけの中にそれはあった。

 ハーンが思案した通り、そこには土ぼこりにまみれ、わびしく収められた頭骨があったのだ。それを左手で掴み上げ、すぐさま向き直り走り出す。

 せつの首を狩ろうと今しがた結界を破った首無し地蔵に向かってハーンは叫んだ。

貴殿きでんの今あらざるところに、かつてありし尊厳を御返ししよう!! いざ、真の姿をあらわせッ!!!」

 ハーンの頭に向かって地蔵が渾身の力で振り抜いた錫杖を白銀の刃でさばきつつ、不気味にのぞかせる深淵しんえんの暗き穴へと黒ずんだ頭骨をあてがった――


〈黒い酒〉

 先ほどまで激しく動いていた地蔵がその場でしずまり、赤い前掛けが蒸発するように闇夜の中を舞い散り始めた。

 その様を見てハーンは胸元からすかさず一冊の手帖を取り出し眼前にかざした。つぶやくように何かの術を口にする。

 鮮血の如く赤い妖気から、数多あまたの淡い光が闇夜へ飛び去ってゆく。

 そして、まっさらな一(ページ)に赤い布が吸い込まれ、墨絵のように染み写った。

「……これで恨みも残るまい」

 冷たい石の像がほのかな輝きを放ち、人影が形作られてゆく。

「 ……これは…… 嗚呼ああ、わしの おもてだ……。 ようやっと、ようやっと 見つかった…… 」

 首を納められた地蔵はかつての面影を取り戻した。

 頭を丸め、法衣をまとった屈強そうな体つきの主であった。

「その姿からすると、貴殿は僧兵のようだが」

「 いかにも、其方か わしの面を返してくれよったのは…… わしは面をうしのうた 黒酒くろきを呑んだととがめられ…… 」

「黒酒を呑んだ……?」

 僧は淡々と、ハーンに己の身の上を語り始めた。


 話によると、僧はかつてこの集落で信奉されていた寺社に従事していたが、ある日この地の大名に……「村の豊穣祭に捧げる黒酒(御神酒おみき)を僧侶たちが地元の蔵元から高値で買い取り、夜な夜なこっそり嗜んでいた」とあらぬ疑いをかけられ、従者すべてが打ち首に処されてしまったという。

 誓ってみな黒酒を呑んでなどいなかった、寺社の権威拡大を恐れた地元大名の策謀でしかなかったのだ。

 見せしめとして晒し首の上、僧たちの亡骸は河に流し捨てられた……。

 同胞もろとも受けた惨い仕打ちにより、僧は死後も深い恨みを現世に残し、首無し地蔵の怨霊となって己の首を探し続けた。

 夜の幽霊滝に迷い込んだ者の首を、己の首代わりとしてでも……。


――いわれなき 坊主の宴 黒い酒――


 疑いは晴らされる事なきままに、この地はいつしか黒酒村と呼ばれるようになったと。

「それは、実に無念であったろうに……」

「 さよう…… だが、おかげでもはや怨念も無い 」

 僧は微笑みを浮かべていた。

「 感謝……する 」

 僧は次第に白い影となって滝の方へと流れてゆく。

 鈴の音が、真夜中の空へ儚げに消えていった……。


「う……ぅう~……ん、……うぅ」

「大丈夫かい!」

「お嬢さん! しっかりしなよ、お嬢さん!?」

 そばで何人かの声がして、せつは気が付いた。

「あ、あれ? わたし、目いっぱい走ってて……」

 ほっと息をついて、年配の男が話し出した。

「夜中にワシが寝ぼけながら、かわや(便所のこと)に行こうと外に出たら、あんたが山道の方からふらふら帰ってきて、そのまま倒れこんじまったんだよ」

「ええ? でも、たしか幽霊滝に花を取りに行って……」

「はあ、幽霊滝? 花? なぁに言ってんだお嬢さん」

「そんなところ聞いたことねえよ、ワシらは、なあ」

「おぅ、どこだあそりゃあ?」

「ええ? ……そんな、肝試しに行ったはずなのに……」

 せつは何がどうなっているのかわからなかった。

「まあどこも怪我はないみたいだけどねえ、ほんと心配したんだから……」

 介抱してくれていた女があることに気づいて悲鳴を上げた。

「うわ! おせつさん!? 背中! 背中!!」

「え! 何? て、わああッ!? 血の……染み!!?」


 幽霊滝、それは首無し地蔵が失った“首”を引き寄せようとこの世の者たちを誘い込むための幻影であったのか、それとも……。


〈八雲の謎〉

 本の最初の一項を辿り終えると、楓は少し震えていた。

「先生、アタシ……何だか寒気がします」

「僕もちょっと、怖くなってきました」

 冷めた紅茶を一口飲んで、淳一も気味悪そうにつぶやく。

 二人の様子を見て、服部教授は生徒たちに説明し始めた。

「実はね、この本は小泉八雲が人生の最後に書いた本の中で、最も原典に近い和訳本と言われているものなんだ」

 そう言った後、窓の外を見て教授はハッとして二人に告げた。

「おっと、もうこんなに暗くなってしまったか。もしよかったらこの考察の続きはまた来年にしようか」

「……それにしても、君たちは八雲がいったい何者なのか、さらに知りたくはないかね?」


 八雲妖怪奇談 第一話 我が名はラフカディオ・ハーン


                       終わり



参考文献


小泉八雲(1991)『怪談―小泉八雲怪奇短編集 』.平井呈一 偕成社文庫.

小泉八雲(1986)『怪談/骨董』平井呈一 恒文社.

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