魔法
「なんでや!なんでなんやぁぁ」
哲也はドリンクをあおると、泣きながらジョッキをテーブルに叩きつける。
「めっちゃ上手くいっとったんや!お好み焼きも美味いゆうとったのに、なんで俺じゃアカンのやぁっ」
日曜日の午後。
哲也達は地元の居酒屋に集まっていた。
今日は本人主催の、哲也の失恋慰労会だった。
集まったのはいつものメンバーだが、唯一晃司だけはいない。なんでも今日は心理とデートする事になったからと、ドタキャンされたのだ。
「元気だせよぅ。大丈夫だって。女の子なんて山ほどいるからさぁ」
ほっけ焼きを頼み、一人でかぶりついているのは歩だ。
「だから言っただろ。趣味が合わない女とは長く続かないんだ。女もその事はわかっていたんだろう」
相変わらずバッサリと正論で切り返してきたのは瀬戸。
「そんな事あらへん!俺たちは付き合えば絶対に上手くいったんや!せやのに……せやのに何で俺じゃ駄目なんやぁぁ!夢美ちゃぁぁんっ」
わんわんと大泣きをし、お代わりの烏龍茶をがぶ飲みする。
そんな哲也を、友人達は苦笑いを浮かべながら眺めていた。
──────
「ったく。薄情なやっちゃで……」
まだ嘆き足りず、2件目に行こうと誘ったのだが、明日は学校だからと誰も付き合ってくれなかった。
しかも途中から行けたら行くと言っていた晃司も、結局は姿を現していない。
「友達なんてのはみんな薄情な奴らばっかやでホンマ。俺はこんなに傷ついとんのに!」
文句を言いながら歩いていると、ふと看板が目に止まった。
これは先日、夢美と通った雀荘のものだ。
どうやらいつの間にか、夢美とのデートコースを辿っていたらしい。
「俺はホンマに女々しい奴やな」
今まで何人かの女とは付き合ってきたし、その元彼女達からは振られてばかりいた。
理由は色々で、他に好きな男ができたと言われた事もあれば、男友達を優先するのが気に入らないと言われた事もある。
彼女達とは自分なりに真面目に付き合ってきたし、振られた直後は今日の様に慰労会もした。だが、彼女達の面影を追う様な真似は一度もした事はない。
(なんでか、他の女とはちゃうねん。付き合ってすらいない子やのに)
キスは勿論、手を繋いだ事さえない。
たった2回のデートをしただけの、言うなれば友達よりも浅い関係だ。
それなのに妙に頭から離れない。
(アカンよな。なんでやろ。なんでこんなに)
このままだと自分がストーカーになりそうで怖い。しばらくは晃司のクラスにも行かない様にしようと考えていた時だった。
「クソー!絶対アイツいかさましやがったんだよ!」
「あんなタイミングで国士ツモるなんて、わかるわけねぇだろ!」
雀荘から酒に酔ったサラリーマンの男が何人か飛び出してきた。
そして、店の前に立っていた哲也に勢い良くぶつかってくる。
「痛ぇな!テメェどこに突っ立ってんだよ!!」
ぶつかってきたのはそっちだろうと言いそうになったが、今は深夜だ。それに相手は酔っ払いの社会人。
ケンカを買う必要もないだろうと、ぐっとこらえる。
「すまんなぁ。よそ見してたんや」
「はぁ!?なんだその言い方!ナメてんのか!!」
見た目はただのサラリーマンだが、酔った勢いなのだろう。
すごまれ、胸倉を掴まれる。
(えらい面倒な奴に絡まれよったなぁ。どないしよか)
こちらと失恋したばかりでかなりナイーブな状態だ。できる事なら軽くあしらい、1人悲しみに暮れたい。
だが相手はそれを許してはくれず、ぐいぐいと絡んでくる。
「おい、なんとか言えや!土下座しろ土下座!!」
「なんで俺が土下座せなあかんねん」
あまりの難癖に、思わず本音が漏れてしまった。
その言葉が、相手をさらにヒートアップさせる。
「テメェ!!ぶっ殺してやる!!」
目の前で振り上げられた拳を見ながら、哲也は小さく溜め息を吐く。
鬱陶しいが、とりあえず向こうが先に手を出してくれれば、我慢せずにやり返す事ができる。
(血の気の多いやっちゃなぁ。まぁしゃーない。とりあえず1発殴られてから──)
そんな事を考えていた時だった。
「やめてっ」
「!?」
後ろから聞き覚えのある声がし、慌てて振り向く。
「ゆ、夢美ちゃん」
そこには夢美が立っていた。
手にはリードが握られており、真横には大きなゴールデンレトリバーが座っていた。
恐らく犬の散歩をしていたのだろう。が、夢美の家はここから3駅も向こうの筈だ。
しかもなぜ、こんな真夜中に──。
そんな事を考えていると、夢美はこちらにかけより、酔っ払いと哲也の間に入る。
「やめて下さい!警察を呼びますよ!」
「ちょっ……自分何してん!危ないから下がっときっ」
相手も素面の状態ならば逃げただろう。しかし今は泥酔状態な為、全く動じない。
むしろ女子高生の乱入を喜んでいる。
「おっ。君、可愛いねぇ!これからお兄さん達と遊びに行かない?」
ニヤニヤと酒臭い息を吐きながら顔に触れる。
「っ……!!!」
その瞬間、夢美は小さな悲鳴を上げて手を振り払い、両手で顔を覆った。
「ど、どないしたんや!?」
哲也の目にも、サラリーマン達は頬に少し触れただけの様に見えた。
勿論それだけでも腹立たしい行動だが、決して度が過ぎた事をしたわけではない。
だが夢美の尋常ではない様子に、慌てて肩を掴んで顔を覗き込む。
「なっ……なんやねんこれ」
頬は真っ赤に腫れていた。
自分が一緒にいながら、怪我をさせてしまった。
それを見た瞬間、哲也はサラリーマンの胸倉を掴んで殴りつけていた。
「テメェ等、女の子に何しとんねん!?そんなに死にたいなら俺が相手になったるわ!!!」
突然豹変した哲也に、サラリーマン達は小さな悲鳴を上げる。
そしてやっと哲也の金髪に丸坊主という風貌に気付いたらしく、バタバタと逃げ去って行った。
「夢美ちゃん大丈夫か!?俺のせいで大事な顔に……ちょっと見せてみぃ!」
髪をかきあげると、頬に触れようと手を伸ばす。
「や、やめて!触らないで。私は大丈夫だからっ」
しかし夢美はそれを手で制すると、逃げる様に顔を背ける。
「なんもせぇへんて!ほら、取り敢えず傷を見せてみぃ!」
肩を掴んで引き寄せ、頬に手を添える。
すると、魔法の様にすっと腫れが引いた。
一瞬、見間違いかと思った。だが夢美本人が、その状況に驚愕している。
「う……嘘」
「えっ!?一体なんや?」
光の加減で見えなくなっただけなのだろうかと、頬を両手で包み込む。
夢美は目を丸くしながら、じっとこちらを見つめている。
「一体何が起きたんや!?」
「……」
まるでキスをするかの様な態勢に気付き、慌てて手を離す。
腫れが引いた。
もしかしたら自分には、治癒の魔法を持っているのだろうかと、最近ハマっているゲームの影響で考えてしまった。
勿論、そんな事は有り得ないのだが。
夢美は暫し黙って自分の頬に手をやっていた。
だが不意に振り返ると、リードを掴み、来た道を走り去って行ってしまったのだ。
「夢美ちゃ……」
突然の事に、哲也はただ黙って見送るしかなかった。




