だから?
「一体何なんだよ」
朝香の言う通り、心理は数分もしないうちに屋上へとやって来た。
朝香が何と送ったのかはわからないが、その表情は明らかに怒っている。
昨日のカフェに来た時の比ではない。
鏡はよほど怖いのか、顔を上げずに地面を見つめたままだ。
「なんだって今度は、夢達と鏡が一緒にいんだ?鏡!テメェ、また夢に何か言ったんじゃねぇだろうな」
「ち、違うのよ。誤解しないで」
夢美は慌てて心理に駆け寄る。
「相模君は、昨日の事を謝ってくれたの。言い過ぎだったって」
「あぁ、そう。だから?」
やはりリアクションは想定していた通りだ。
幸先は悪いが、こうなったらもう、話を進めるより他ない。
「私はもう気にしてないから。だから、相模君を許してあげて」
「はぁ?」
心理は低い声で呟くと、俯いたままの鏡を見下ろす。
「お前さぁ、夢達になに言ったんだよ」
「何も。ただ、謝っただけだ」
よほど怖いのか、心なしか鏡の顔色が悪い気がする。
「本当よ。私は謝ってもらっただけ。でも昨日の様子だと、相模君と心理、ケンカしたみたいになっていたから……。もしそうなら仲直りして欲しいのよ」
我ながら、この流れはうまくいった気がする。
心理も疑うことなく、少しだけバツが悪そうな表情を浮かべた。
「そりゃ、まぁ。多少はそんな感じではあるけど。夢が鏡を許すっていうなら、それはそれで良いよ。でもオレ達の事は別問題だ。夢美には関係ない話だろ?」
「それは──」
確かに心理の言う通り、心理と鏡の友情の問題は夢美には関係ない話だ。
ここで変に食い下がって、疑われるとまずい事になるかもしれない。
取り敢えず今は、鏡が謝った事実だけを伝え、身を引いた方が良さそうだと思った。が、しかし──。
「心理。アンタさぁ、なんでそんな優位に立ってるみたいな顔して怒ってんの?」
朝香の言葉に、再び心理の表情が変わる。
「はぁ?なんだよ。つーか朝香はもとから関係ないだろ。口挟むんじゃねぇよ」
「関係ないけど乗り掛かった船ってやつよ。アンタ、相模と絶交したらしいじゃない。今何歳よ?」
「──鏡っ!!」
心理は怒りを露にし、鏡に怒鳴る。
「やっぱり夢達に言ったんだな!?つーか、夢に昨日あんな事言っといて、よくそんな相談できたもんだな!?頭おかしいんじゃねぇか!」
「ちょっと心理。落ち着いて」
今にも鏡に殴りかかりそうな勢いに、慌てて宥めに入る。
しかし朝香は、更に心理を煽る。
「アンタも人の事言えた義理なわけ?もとはと言えば、アンタが西との事を自分で決めないからこうなったんでしょ。なんで相模が反対したからって、別れるとか別れないって事になんのよ。相模を巻き込んだのはアンタ自身じゃない。アンタは人を巻き込んどいて、人が誰かに相談したらキレるっておかしいんじゃないの?」
「な、何がだよ!つーかなんで朝香まで、晃司との事知ってんだよ!」
「当然でしょ。さっきも言ったけど、私にはもう乗り掛かった船なわけ。アンタと西の下らない痴話喧嘩も、相模とアンタの事もみんな知ってるわ」
「っ……!」
すると、とたんに心理は顔を真っ赤にさせ、夢美を睨んだ。
どうやら、夢美が朝香に話したと思っているらしい。
正にその通りなのだが。
「私にはアンタ達カップルがどうなろうが、相模との友情がどうなろうが関係ないし興味もないわ。でも、はっきり言うと、迷惑なのよね。アンタ達が絶交したら、夢美は自分のせいだって自己嫌悪するでしょうね。そしたら私に愚痴られる。私はそんな興味のない話の愚痴を聞かされる羽目になるわけよ。その迷惑がアンタにわかる?」
「……」
心理は昔から、一方的に捲し立てられると弱い。
案の定、責め口調に押され、何も言えずに立ち尽くしたままだ。
それを確信した朝香は、一気に畳み掛けにいった。
「人間関係は、誰かを巻き込まずには進まないのよ。巻き込んでいないつもりでも、周りでは色々な人が迷惑するの。だからアンタは相模と仲直りしなさい」
夢美は複雑な気分だった。
恐らくこれは、朝香なりの仲裁なのだろうが、口が悪いせいでそう思えない。
幸い心理は、先程よりは勢いを殺がれているようだが、釈然としない様子だった。
「オレと鏡の事は、きっかけは夢美の事かもしんないけど、夢美のせいじゃないだろ。そんなん誰だってわかると思うけど」
「はぁ~。アンタは本当にガキねぇ」
朝香は大きな溜め息を吐くと、押され気味の心理に詰め寄る。
「自己嫌悪は理屈じゃないのよ。自分に責任がなくたって、原因があれば気にするでしょ。だいたいアンタが相模に怒ってる理由はなに?夢美に暴言吐いたのが気に入らなかっただけでしょ?だったら夢美はもう気にしてないって言ってんだからそれで良いんじゃないの?」
その言葉に、心理はぐっと言葉に詰まる。
そして、不満気な表情でちらりと鏡を見た。
「お前、本当に夢美に謝ったんだろうな」
「あ、あぁ。昨日はついかっとなって、酷いことを言ったから。そうだよな?夢美先輩!」
「え!?あ、そ、そうよ」
呼ばれ慣れない言い方に、思わず声が上擦ってしまった。
心理はそれは特に気にせず、鏡をちらりと見る。
そして、渋々といった様子で受け入れた。
「わかったよ。絶交は取り消す」
「本当か!?あぁ、良かった!」
鏡は嬉しそうな表情を浮かべ、今にも抱きつきそうな勢いだ。
「その代わり、オレと晃司の事にも口出しすんなよ」
「わかった!約束するよ」
「チッ」
心理は終始不満そうな様子だったが、取り敢えずはこれで大体の事は収束しただろう。
初めはどうなる事かと思ったが、やっぱり朝香を連れてきて正解だったかもしれない。
「ありがとう。アンタ──いや、夢美先輩に相談して良かった!」
鏡は満面の笑みを浮かべ、ごく自然に夢美の手を握った。
その瞬間アレルギー反応が出てしまい、反射的に手を振り払ってしまった。
「鏡!お前何してんだよ!」
心理が慌てて2人を引き離す。
鏡は何が起きたのか理解できないらしく、振り払われた状態のまま立ち尽くしていた。
「大丈夫か?夢」
「だ、大丈夫……」
触れられたのは一瞬だったが、範囲が広すぎたのが悪かったのだろう。
手が全体的に腫れているのがわかった。
「俺、何か悪いことしたのか?」
「夢美はね、男がダメなのよ。アレルギーでね」
「アレルギー?」
ぽかんとしながら呟く。
無理もない。
男性アレルギーなんて病名は存在しないし、一般的でもないのだから。
「詳しい事はわかってないけど、男の体臭だとかホルモン?とか男性化粧品とかに過剰反応するのよ。だからむやみやたらに夢美に触っちゃだめよ。あと近付きすぎるのも禁止」
わかった?と問われ、鏡は黙って自分の掌を見つめた。が、朝香の言葉の意味を理解したらしく「わかった。ごめん」と呟いた。
「良いのよ。話していなかったんだから、わかるはずないわ。ごめんなさい、急に振り払ったりして」
このせいで、今までたくさんの友人を傷つけてきた。
それが夢美にとって、何よりも悲しい事だ。
好意を向けてくれた人も拒絶せざるを得ない。
受け入れたいのにそれができないのだ。
「まぁ、取り敢えずこれで全部一件落着かしら?あーあ、昼休み終わっちゃうわねぇ」
朝香が時計を見てぼやく。
初めはただ話を聞くだけのつもりだった為、まさか昼休みを全て使ってしまうとは思っていなかった。
今では、ちゃっかり弁当を持ってきていた朝香が羨ましい。
昼休み終了のチャイムがなり、心理は教室に戻るため踵を返す。
「ほら、行くぞ鏡」
「あぁ。あの、本当にありがとう」
鏡は最後に2人にお礼を言うと、嬉しそうに心理の後について階段を降りていく。
それを見送り、朝香はぽつりとぼやいた。
「まぁ、多分良い奴なのよね。意外と素直だったし」
「そうね。心理が仲良くしていたのもわかるわ」
初めは初対面で罵倒された為、なんて人だと思ったが、よく話してみるとそんな事はなかった。
心理も心理で、なんだかんだで鏡の事は大切に思っている様だ。
「私達も戻るわよ。て言うかアンタ、昼ご飯抜いて大丈夫なの?」
お腹空いてないの?と言われ、その時初めて空腹である事に気付いた。
「お腹は……減ってるわ。でも仕方ないじゃない。休み時間にパンでも食べるわ」
「そう。ならいいけど。全く心理にはいつも迷惑かけられてばかりねぇ」
ぼやきながら、朝香は非常階段を降りていく。
確かに、なんだかんだ、昨日から心理絡みの事に巻き込まれてばかりだ。
なかなか大変な目にもあったが、不思議と嫌な気持ちではなかった。
(やっぱり私、人に頼られるのが好きなのよね)
これも性分なのだろう。
だがもう、二度とあんな事はしないと決めたのだ。
極力、世話焼きは朝香に任せて、自分は大人しくしていなければ。
弁当箱を片手に降りていく朝香の背を見ながら、夢美はあらためてそう思った。




