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昼休み、夢美はクラスメイト達の誘いを断り、朝香の教室へと向かった。
どうやらこのクラスは学食に行く人が多いらしく、まだ昼休みに入ったばかりだというのに人はまばらだった。
その中で一際目立つ髪色の朝香を見つけ、声をかける。
「朝香」
「あ、なんだ。わざわざ来たのね」
朝香は友人と思われる、同じく明るい髪色の女子と二言三言話をすると、弁当を持ってやって来る。
「まさか、お弁当食べるつもりなの?」
「当然でしょ。私は付き添いなんだし、アンタ達の様子を見ながら食べさせて貰うわよ」
「そ、それはかまわないけど」
朝香が弁当を食べられる程平和な話なら、夢美にとっても幸いだ。
「取り敢えず屋上に行きましょう。話は歩きながらするから」
この校舎は5階建てで、夢美達3年の教室は2階にある。
1階と5階は保健室や化学室、それに調理室など、皆が使う教室しかない。
3階は心理達2年の教室があり、4階には1年の教室だ。
3年から編入してきた夢美達は、3階以上の場所には行った事がなかった。
その為、勘を頼りに屋上への階段を探す。
「アイツが心理の親友?」
昨日の一連の流れを話すと、朝香も胡散臭げに顔をしかめた。
「そう。なんでも小学校からの幼馴染みらしいわ。名前は、相模鏡だって」
「相模ねぇ。そんな奴、聞いた事ないけど」
「やっぱりそうよね」
やはり朝香も、その名前には聞き覚えがないようだ。
心理が話していなかったという可能性もあるが、どうも引っ掛かる。
「それで、その相模って奴が心理と西の事を反対してるのね。まぁ、客観的に見たら、その相模の考えが正しいと思うけど」
「朝香までなにを言うの?」
「だってそうじゃん」
朝香はキョロキョロと辺りを見回し、屋上への階段を探しながら言う。
「確かに今は、同性婚とかが認められてるけど。別にゲイでもなんでもない友達が、突然あんな男と付き合うなんて言い出したのよ?友達なら反対するし、止めるんじゃないの」
「だから、それは誤解よ」
確かに晃司は見た目は派手だが、朝香が思っているような人ではない。
人間関係に対しては誠実だし、優しくて思いやりのある人だ。
心理が男と付き合っていたのは驚きだったが、晃司の人柄を理由にして反対するのは間違っている。
「ま、アンタは西を気に入ってるみたいだからアレだけど。きっと叔母さんが知っても反対するんじゃないかしらね」
「……」
何も言い返す事ができず黙り込む。
心理の母親が知っているかどうかはわからない。だが、朝香の言うことも一理ある気がしてきたのだ。
「でも、だからって、当人同士が納得しているのに、口出しをするべきじゃないと思うわ」
「正しくは口出しする権利はあっても、決定権はないって所ね。だけどその相模は、決定権も握ってる感じなんでしょ?それが妙に引っ掛かるのよねぇ」
朝香は話ながら、ずっと辺りを見回していた。が、ついに業を煮やしたらしく、近くを歩いていた1年生を呼び止める。
「ちょっと、屋上ってどう行くか知らない?」
「えっ、屋上……ですか?外にある非常階段からですけど」
「えっ!なんだ、外なの」
探し回って損したわ、と文句を言いながら、1階に戻って靴を履き替える。
「全く。屋上だなんてめんどくさい所に呼び出さないで欲しいわ」
「そうね。そもそも屋上って、普通に入れるのかしら」
前の学校では、屋上への扉に鍵がかかっており、一般生徒は立ち入り禁止になっていた。
何でも事故防止の為らしい。
「まぁ、相模があぁ言ってたんだし大丈夫なんじゃないの?それより夢」
「なに?」
非常階段を見つけると、不意に朝香が怖い顔をして呟く。
「気を付けなさいよ。相手は少なくとも、アンタとは逆の意見なんだからね。アイツ等が元サヤなら面白くないだろうし。どんな因縁つけられるかわかったもんじゃない」
「そうね。わかってるわ」
非常階段はフェンスの様なドアがあった。
恐らく普段は鍵がかけられているのだろうが、今は開いている。
どうやら、鏡はもう屋上にいるらしい。
「念のために、誰か呼べる様にしておいてくれる?」
「勿論。ボタン1つで心理に繋がる様にスタンバってるわよ」
朝香は笑みを浮かべ、電話帳に登録してある心理の電話番号をこちらに見せた。
「ありがとう。じゃあ行くわ」
意気込むと、夢美達は階段を上り、屋上へと向かった。
「あぁ、やっと来た。ちょっと遅すぎだよ」
そこには、やはりすでに鏡が居た。
転落防止のフェンスに凭れ、こちらを見ると苦笑いを浮かべる。
「頼みってなに?」
単刀直入に問うと、鏡は「早すぎ」と呟き、後ろにいる朝香を見た。
「そいつ誰?」
「苫記朝香。私の従姉妹よ」
「て事はつまり、心理の従姉弟でもあるのか。いとこが揃って同じ高校とか珍しいよな。ま、いっか。調度良いや」
呟くと、鏡はゆっくり立ち上がり、こちらに近付いて来た。
夢美達は無意識に身構える。
「頼みってのは他でもないよ。心理の事」
「私に何をしてほしいの?」
やはり、別れさせる手助けをしてくれという事だろうか。
その内容が一番しっくりくるのだが、昨日の一件で、夢美は自分側の考えではないというのは理解しているはずだ。
にも関わらず、心理の事で頼み事をしてくるなんて。
「言っておくけど、私は心理達の関係には賛成なの。だから、あなたがどんなに言っても──」
「心理と仲直りさせてほしいんだ」
「え?仲直り……?」
意外な返答に拍子抜けしてしまう。
しかし鏡は至極真面目な表情で言う。
「昨日の事で、今、心理に絶交されてるんだ。だから、仲直りできるようにアンタからも心理に言って欲しい」
「絶交って……」
確かに昨日の心理の様子だと、そうなっていてもおかしくはないかもしれない。が、高校2年生にもなって絶交だなんて。
朝香はいつのまにか弁当を広げており、卵焼きを食べながら笑う。
「あはは!絶交ってアンタ達何歳よ?子供じゃあるまいし、ばっかじゃないの」
鏡は朝香を睨むと、小さく舌打ちをする。
「アンタには頼んでないだろ。黙って飯食ってろよ」
「当然よ。私なら頼まれたってごめんだわ。てゆーかアンタって図々しい奴よねぇ」
ウインナーを噛みきると、咀嚼をしながら鏡に歩み寄る。
「心理がキレたのは、アンタが夢美をバカにしたからなんでしょ?その夢美に仲を取り持って貰おうだなんて、ちょっと虫が良すぎんじゃないの?」
「そんなのわかってるよ。だから今朝、謝ったんじゃないか。あの時はついイライラして、八つ当たりしちゃって悪かったと思ったんだ。アンタが心理の身内だって知ってれば、あんな事言わなかった」
「はぁ?じゃあアンタは、相手を見て出方を決める卑怯者ってわけね。そんなんじゃ、ずっと嫌われたままだわ」
「ちょっと朝香」
さすがに言い過ぎだと感じ、思わず嗜める。
「何よ、本当の事じゃない。心理の性格的に、こいつみたいな人間は嫌いな筈よ。だって私も嫌いだし。アンタ、夢美にブスだとか色々言ったそうじゃない。そもそも、そう思ったから口にしたんでしょ?それなのに仲裁を頼むなんて虫が良すぎなのよ。図々しいにも程があるわ」
今日の朝香はいつにも増して毒舌だ。
鏡が怒り出さないかひやひやしたが、意外にも悲しげな表情で目を伏せている。
「なにも、そこまで言わなくてもいいでしょう。相模君だって謝ってくれたんだし、私は気にしていないわ」
「はぁ?何言っちゃってんの」
朝香は弁当箱を置くと、今度は夢美に詰め寄ってきた。
「アンタは甘過ぎなのよ。ブスだのビッチだの言われた癖に、そいつの肩持つなんてどうかしてんじゃないの?お人好しも大概にしなさいよ。コイツは全部、自業自得。身から出た錆びよ。親友だかなんだか知らないけど、目の前で家族をバカにされれば誰だって怒るに決まってるでしょ。アンタもプライドがあるなら怒りなさいよ」
「そんな事言われても──」
確かにあの時は少しだけ腹は立った。だが、勢いに任せてつい口にしてしまったのも分かるし、こうして反省して謝ってくれているのだ。
夢美個人としては、これ以上その事に固執するつもりはない。
だが、夢美以上に怒っている朝香の勢いは止まらない。
「アンタ、相模だっけ?仮にも親友名乗っておきながら、なんで私達の事知らないわけ?小学生からの幼馴染みなら、アンタは私達の後輩よね?だけど知らないんだけど。相模なんて名前、見た事も聞いた事もないけど」
その部分は、夢美も気になっていた所だ。
心理の友人は何人か知っているが、その中に相模鏡という人間はいない。
鏡はぐっと拳を握ると、俯きながら呟いた。
「そりゃ、そうだよ。俺だってアンタ等なんか知らなかった。と言うか、心理と会ったのだってこの高校に入ってからだからな」
「はぁ?」
朝香が眉を寄せ、声を上げる。
「じゃあ何よ。アンタ、ただの高校からのクラスメイトなだけじゃない。それが親友で幼馴染み?よくそんな事言えたもんねぇ」
「違う!」
鏡は顔をあげて叫ぶと、真っ直ぐこちらを見つめて言う。
「会ったのは高校に入ってからだけど、俺たちは小学校からの友達なんだよ!」
「いや、全然意味わかんないんだけど?」
「お前にわかるわけないだろ!心理とは、ずっとメル友だったんだよっ」
「メル友?」
思わぬ所で懐かしい言葉を聞いてしまった。
今ですらアプリでのメッセージのやりとりが主流だが、あの頃はメールでのやり取りが多かった。
あの当時、朝香と夢美はまだ携帯は持っていなかったが、心理は行き帰りが心配だからと、携帯を与えられていたのを思い出した。
「じゃああなた達、去年までずっと、メールで仲良くしていたって事?」
「あぁ。きっかけは、確かなんかの趣味の掲示板だったと思うけど。仲良くなって、5年間ずっとメールしていたんだ。その間、心理とは色々な話をした。親友だって約束もした。だから俺たちは幼馴染みなんだよ!」
「……」
「……」
それならば、この矛盾も理解できる。
鏡はずっと、心理とはオンライン上での付き合いしかなかった。
さすがの夢美達も、オンラインの友達までは把握していない。
偶然かどうかはわからないが、2人が顔を合わせたのがこの学校に来てからという事なら、相模鏡の名前を聞いた事も、顔も見た事もないのは当然だろう。
「取り敢えず過程はわかったわ。それなら私達が知らない親友でもおかしくはないわね。でもどうして、心理はあなたのいう事を聞こうとしていたの?西君とのケンカも、もとはと言えばあなたが反対したせいなのよ」
仮に長い付き合いがあったとしても、そんな人に自分の人間関係の決定権を委ねるだろうか。
「心理がなんて言っていたかは知らないけど……。俺はただ、反対していただけだ。だって心理は男なんだぞ?西はあまり良い噂も聞かなかったし、きっと騙されてるって思ったんだ。おかしいだろ、男同士で付き合うなんてさ」
「それは私も同感だわ」
「朝香っ」
いつの間にか昼食を再開させている朝香を軽く睨む。
「確かに相模君の気持ちもわからなくはないわ。でも、心理達の事は当人の問題なんだから、私達部外者が口を出すべきじゃないと思う。それに西君は、あなたが思っているような人じゃないのよ」
「それはまぁ、わかったけどさ」
鏡は一変し、不貞腐れた様な表情を浮かべる。
「あの2人の様子を見て、マジなんだなってのはわかったよ。だからもう、無闇に反対したりはしないつもり。だけど、絶交されたままなんて嫌なんだよ。せっかく子供の頃からの友達に会えたのに、失うなんて嫌なんだ」
夢美は少し考える。
鏡達の仲を取り持つのは構わない。と言うか、話を聞いているうちに、そうしてあげようという気持ちにはなっていた。
だが、相手はあの心理だ。
警戒心が強く、基本的に身内以外の人間には厳しい。
一度嫌われれば、和解はかなりの難易度で難しい。
それは今までの心理の人間関係を見ていてよく知っている。
「頼むよ。お願いできるのは、アンタしかいないんだ。心理に、俺が謝ったって伝えて欲しい」
「それは勿論伝えるつもりよ。だけど、仲直りできるかっていうと、ちょっと難しいのよ」
きっと心理にこの事を言っても、「だから?」と一蹴されるに決まっている。
かといって、鏡が相談してきたと言ってしまうと──。
(また、女々しい奴だとか怒り出しそうよね。困ったわ)
考え込んでいると、いつの間にか弁当を食べ終えた朝香が口を挟んできた。
「全く、男の友情ってのも中々めんどくさいのね。仕方ないから、私も一肌脱いであげるわ」
「本当か!?」
鏡はぱっと表情を明るくさせる。そのギャップが、少しだけ可愛く見えた。
「そうじゃなきゃ、アンタずっと夢美に付きまとうつもりでしょ?そんなの私も迷惑だから仕方ないわ。心理はね、私によく似てるのよ」
「心理が、アンタに?」
不満があるのか、鏡は僅かに顔をしかめた。
「そーよ。人見知りで警戒心が強くて、一回切り離したらそれまでって所とかね。取り敢えずアンタ素でムカつくから、そこからどうにかしなさいよ」
「な、なにがだよ」
歯に衣着せぬ物言いに、鏡は躊躇ぐ。
「取り敢えず、そのアンタって2人称やめな。私達は先輩よ。私は朝香先輩、夢美は夢美先輩とでも呼びなさい。ため口はまぁ、大目に見てやるから」
朝香はドSモードのスイッチが入ったらしく、言葉の割には嬉々としている。
ほら言ってみなさいよと指示され、鏡は渋々呟く。
「あ、朝香先輩。夢美先輩」
「そうそう。アンタがアンタ呼ばわりして良いのは同級生だけなんだからね。じゃあ取り敢えず心理をここに呼び出すわ」
そう言うと、朝香はおもむろにスマホを取り出して操作する。
「は!?なんで急に……おいっ!」
「待って朝香。順序ってものがあるでしょう。いきなり心理を呼んだりしたらよけいややこしい事になるわよ」
2人は慌てて止めるが、朝香はにやにやしたままスマホをポケットに突っ込んだ。
「残念でした。もう呼んじゃった」
「マジかよ……。最悪だ」
鏡は頭を抱え、その場に座り込んでしまった。
夢美も正直、この流れは良くない気がした。
心理の場合、外堀をしっかり固めてから、時間をかけて懐柔していかなければならない。
しかし朝香はよほど自信があるのか「大丈夫よ」と余裕の笑みを浮かべ、非常階段を見つめていた。




