不安の時間
今度は失敗をしないだろうか。
閑静な住宅街を歩きながら、夢美は浮かない表情で空を見上げた。
こんなに気分は重たいのに、頭上に広がる空は突き抜ける様な真っ青な晴天だ。
それが逆に憎らしく感じてしまう。
「夢」
無意識に溜め息を繰り返していると、隣を歩く朝香が手を握った。
その力は強いが、彼女の表情も同じく浮かない。
「先から溜め息ばかりじゃない。大丈夫よ」
「そうかしら」
励ましてくれているのもわかるし、朝香が言うならきっと大丈夫なのだろうとも思う。だが、どうしても自信が持てなかった。
もし、前の様な事になったらどうしよう。
もし、問題を起こしてしまったらどうしよう。
そんな不安ばかりが廻る。
そんな夢美の様子を見て、朝香は軽く鼻で笑った。
「全く、アンタは気が小さいわね。あたしが大丈夫だって言ってんだから自信持ちなさいって!」
カツを入れる様に背中を叩かれ、思わず前のめりになってしまう。
「あ………ありがとう。そうね。頑張ってみるわ」
叩かれた背中を擦りたいのを我慢し、笑みを浮かべる。
きっと朝香も、同じ様に不安を抱いているに違いない。
それなのに、励ます為にわざと明るく振る舞ってくれているのだ。
いや、もしかしたら、朝香にはもう、絶対的な自信があるのかもしれない。
今の彼女は、夢美から見ても、完璧にこなしているのがわかるから。
今度の学校では、絶対に問題は起こさない。
皆に紛れ、平和に目立たない様に過ごそう。
改めてそう決意し、いつの間にか周囲を歩いている同じ制服の生徒達に紛れ、校門をくぐっていった。
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「えっと、苫記夢美さんと朝香さんね」
2人が訪れたのは職員室だった。
今日、4月5日は新しい学年が始まる月だ。
他校から編入をしてきた2人は、春休みのうちに手続きを済ませ、今日初めてこの学校を訪れた。
教師は用紙を見ると、「あら」とぼやく。
「苗字が同じだなって思ってはいたけれど……。あなた達姉妹なのかしら?」
夢美と朝香は、共に姓は苫記を名乗っている。
どちらも17才の高校3年生だが、見た目が若干似ている為、2卵性の双子だと思われることが多い。
「いえ、私たちは従姉妹同士なんです」
夢美が答える。
苫記家は男ばかりの3兄弟だ。
朝香の父は長男で、夢美の父は次男。
実は3男の息子もこの学校に在籍している。
「なるほど。従姉妹だったのね。じゃあクラスに案内するわ。夢美さんは1組で私が担任。朝香さんは5組で大橋先生が担任なのだけれど──」
そう言いながら、こちらと用紙を見比べる。
今教師が手にしている用紙には、2人の名前や年齢、編入前の学校名等は記載されているが、顔写真はない。
「あなたが夢美さん?」
そう言い、夢美を見る。
「は、はいっ」
思わず表情を明るくさせる。
【夢美】と【朝香】では、どちらかと言えば夢美の方が女らしい名前だ。
つまり教師は2人の見た目を比べ、夢美の方が女らしいと判断したことになる。
『やったじゃない』
教師が朝香の担任を呼びに行った隙に囁く。
『うん』
やっと自分の名前を、見た目のイメージで呼んでもらえた。
夢美が一番懸念していた事が解消され、先程とは打って変わって明るい表情を浮かべた。
「それじゃあ案内するわね。私について来て」
夢美は担任の冴原京子に連れられ、職員室を後にした。
ちらりと朝香の様子を窺うと、何やら大橋教師に説明を受けているらしく、腕組をしながら頷いている。
その様子に小さく笑みを漏らす。
「夢美さんは、前の学校は折笠学園だったのよね?それじゃあ京都出身なのかしら」
「は、はいっ?」
朝香の様子に気をとられていた為、思わず声が上ずってしまった。
冴原教師は小さく笑うと、再度「出身は京都?」と聞いた。
「はい。今までずっと京都に住んでいました」
夢美が通っていた折笠学園は、中高一貫のエスカレーター式の女子校だ。
「そう。あそこは進学校だから、優秀なのね。どうしてうちの学校に?」
確かにエスカレーター式の学校に通っていながら、高校──しかも3年で転校するのは不思議かもしれない。が、まだ顔を会わせてから数分しか経っていないのに、随分と踏み込んだ質問をするなと思った。
「………父親の転勤で」
手の込んだ嘘を吐けば後々面倒な事になるし、かといって本当の事は言えない。
その為、無難な回答をする。
「そう。この時期なのに、単身赴任じゃないなんて、夢美さんの家族は仲が良いのね」
「えぇ、まぁ」
更に家庭環境についてまで干渉するなんて、少々厄介かもしれない。
冴原教師の背中を見つめながら、バレないように小さく溜め息を吐いた。