プロローグ
人類史は想像以上に長く続き、科学の発展はある意味終わりを迎えた。
全ての事象は科学的に証明され、悪魔の証明などに代表される不可能である事をも技術的に証明出来る様になった世界。
この世界では知識は単なる情報として脳へ直接、簡単かつ短時間で記憶および定着させる事が出来る様になった。
科学がここまで至ったのには重要な転機・要素がある。それは現実と全く同一の理をもつ世界を現実に、仮想的なものとして創造する事が出来るようになった事である。つまり現実に影響を及ぼすことなくあらゆる実験、研究が行う事が出来た。中には非人道的な事も沢山あったが、それはいつの時代にも存在しそれはまた大局的に見ると進化に必要不可欠な物でもあった。
人工知能が機械などを管理・運用する事で人類は何もしなくても、とうの昔に生活自体は出来るようになった。
病気・健康も常に管理・調整され、突然死などは発生しなくなった。
生まれる前に重大な欠陥などは取り除かれ、自分の死期は判明する。人の細胞分裂回数は個人差がなく一定回数であり、寿命の差というのは時間に対する分裂速度の違いによるものだった。また、一人の人間でも体の部位によって速度に差があるため、意識がしっかりしているのに体が限界を迎えた者、体は丈夫なのに意識があやふやな者が生まれたりする。
だがそれすらも生きている間にテクノロジーにより調整を行うことで、適正な肉体年齢と精神年齢を保つことが出来る。
教育においても個人適正や成長速度に合わせて最も効率よく脳に記録出来る時期に持続的に、人として必要な知識・情報を脳へ刻み込み、遅くても一五歳には完全な大人として、モラルを持った人間になる。
考え方――思考過程に違いはあれど、物事の正否は『大量の情報』を記憶する事で分かれる事は無くなった。よって人類同士での争いは起きなくなっていた。争う人物が両方自分だったらそもそも悩みはするが争いは起きない、そんな感じである。大昔から続いた争い・戦争などという過ちは、ひとえに情報の不足によるものだと現代の科学では証明されている。
人類はずっと人生の大半を費やし、何かをやり続けてきたが、現代では一切何もやらなくて良い。本当の意味で全ての人間が等しく自由を手に入れ、好きに過ごせるようになった。
しかし、人生を満ち足りた気持ちでずっと過ごせるかというとまた別で問題であった。
この世界ではやる事、やりたい事の無い人が多かった。実質、死ぬまで暇潰しをする人生という人も少なくない。好奇心・知識欲などは全て判明しているのでこれ以上入手する事は叶わず、手に入れたとしてもそれは情報として端末で脳に刻むだけ。それで欲求が満たされるはずもない。
現代では、人生の価値、意味とは『その人自身が信念・志を貫き通し、本人の満足のまま命を終える事』と一般的に言われている。他人の評価を得たところで本人が納得しなければ虚しいだけ、という考えである。
基本的な人類の過ごし方はほぼ一つに絞られていた。
現実の情報をある程度制限した上で人工世界へ向かい過ごす、というものである。向かうと言っても人工世界で作られた肉体に精神が入り込むというもので、現実世界の肉体には一切の影響がなく、精神も損傷するという事はない。ある種、昔の人類の生活の再現ともいえるのでとても皮肉なものだ。
人工世界へはカプセル型の装置で行われる。肉体の管理・調整および人工世界へとリンクする機能も持つため、娯楽のの筐体であり医療機器とも言える。
カプセルといえば基本これを指す。人生の大半を遊んで暮らすという意味で、人工世界で過ごす事をゲーム、もしくはカプセルゲームと呼ばれていた。省略してカプゲーとも。
この中では睡眠状態に近い状態になり、現実と人工世界とでは時間の感覚は遥かに異なる。夢を見てる状態に近いだろう。
現実は、物は満たされ何不自由ない世界。しかし心は満たされず、その機会も無いので代わりに人工世界で心を満たす不自由な世界とも言える。
世界を創れる人類は果たして人類のままなのだろうか。それとも神と呼べる存在へ成ったのだろうか。
この事に関してだけは観点によるものなので、科学で決められるものではなかった。
そしてこの緩慢な世界の中でも少しずつではあるが、現実世界で心を満たす事を目指す者が現れ出した。
人類全体の最優先にして最大のテーマが『現実世界で心も満たす事』となる日もそう遠くないかもしれない。
彼もまた、その一人。名前は木島 薫、兄弟はおらず、今年で十五歳になる。
必要な教育は十三歳で終え、その後はいくつかの人工世界へ行き、遊んで暮らしていた。
彼は次の人工世界を選びカプセルへ入った。それは現実の技術情報を全て制限される設定の世界だった。
そこから彼の物語が始まる。