1〜3
1.
昼寝から目覚めたのは、命の危機ともいえる熱だった。動物的なヤバさで飛び起き、身体が壊れてしまう程のキレた爆破的全力で戸外に壊れるように逃れた。自分の住むアパートの隣の林が燃え上がり、自宅アパートが火の手に晒されていた。轟々と炎は空気を喰らい竜巻、空すら焼いてしまう程に無法を極め、自分は放心の中唯々、見惚れてしまう程だった。心の心象は無限ではあるが、これ程までの実際の炎の規模の呼吸を感じたことは初めてだった。やがて、自分の住まうアパートも炎に飲まれ、全焼した。不謹慎とも思いながら、しかし自分は何故か心持ち清く、溜飲がさがり、頭の中で、ずっと炎を見ていたかったという思いに囚われていた。他の住居者に怪我人、死人がなく、ほっとはした。消防車、救急車のサイレンがまだ辺りに響いているかのように、界隈はひたすら騒然とした中で妙な静けさに支配されていた。震えてまだパニックから泣いている人、目の中に、唯々、信じられ無いと力が抜け、ぐったりとしている人。蝉の声が聞こえていたのが、残酷でもあった。汗に焦げた匂いが混じり、太陽は真昼の頭上に白々と、消防車の放水跡のアスファルトの気泡がぱちぱちと、事は唯、現実でしか無かった。
「 鳴間さん、じゃないすか?」
眼鏡をかけて、紺のスーツに汗を拭いながら男が話しかけて来た。
「はい、そうですけど、」
「私は角鳥と言うものです。はじめまして、ここ数ヶ月、鳴間さんを勝手ながら探させて頂いてました。」
火事の後で急過ぎるとは思い、たどたどしい雰囲気ではあったが、男から自然な敬意を感じ、素直に応対しようと思えた。
「どういった用件で、」
「実は私の母が鳴間さんのお母様と、友人関係でして、17年前に鳴間さんが行方不明、鳴間さんのお母様が、5ヶ月前に他界されたことはご存知かとは思いますが、私の母が鳴間さんのお母様から手紙を鳴間さんに、どうか渡して欲しいと、受け取り、自分の母から鳴間さんを探して欲しいと頼まれました。こんな中で、声をかけて申し訳ないですが、すいません。」
「自分の母と、」
男に面識は全く無く、呼び起こせるような面影も全く無かった。角鳥という名も全く覚えが無かった。
「こちらが、そのお手紙です。」
男が鞄から取り出した手紙らしきものは、特に珍しいところも無い白い封筒だった。
宛名に、鳴間逸美、と自分の名、裏に、鳴間朱美、と自分の母の名が母の字で書かれていた。
自分は受け取り、礼を述べた。男は、ではお元気で、と軽く会釈し去った。ここで直ぐに開き確かめる気にはなれなかった。今日とりあえず一晩なりどうするか、今後の自分の生活の事の方が念頭にあり、落ち着いたらと思い、昨日から着替え無いままでいるシャツのポケットに手紙を入れ、頭の中でまた炎の激しさを思い返した。轟々と、轟々と、
2.
とりあえず、携帯が無いことにはと思い、携帯をと思ったのだが、身分証も焼失、直ぐには無理だと思い、ポケットに入っていた五千円札で何とかしなければと思った。自分の様な所謂ところの変わり者でも唯一の友人、52歳独身の、こちらもかなりの癖の強い田所という男の家に暫く世話になろうと、電車を乗り継ぎ、田所宅の最寄り駅、以来川駅で下車、久しぶりに訪ねるので記憶を探りながら、30分程歩き田所の家になんとか辿り着いた。田所はそれなりの収入のある、簡単に言うと、絵描きである。自分はあまり田所の絵を好まないが、1枚の画布にコラージュと重々しい油彩の掛け合わせたコントラストは若い人に人気があり、確かに洒脱な感は受ける。専門誌などの表紙、音楽アーティストのジャケット絵など、インパクトを必要とする派手な場に需要があり、実際の収入は聞いたことは無いが、この家を絵のみの収入で建てたのだから相当なものであるとは思う。田所の作品と田所自身の生の風態は容易には結び付きにくい感じがする。難しい気質は別として、唯単に気取りが全く無いところに自分は田所と距離が置きやすく、たまに連れ添って呑みに出掛ける仲である。
チャイムを鳴らして、暫く戸内から返事があり、自分は俺だ、と告げた。
「お、鳴間か、久しぶりやな、どうした?」
自分は火事の一件を話し、暫く世話になりたいと告げた。田所は心良く受け入れてくれ、まあ適当にと、一階のキッチン横の控えみたいな部屋を自分の場所に充ててくれた。田所がニタニタしながら、うまいのあるわな、と瓶入りの焼酎をリビングに持って来た。田所の田舎からの物らしく、ロックで2人で1時間しないで空けた。更に田所は自分に構わずに煽り続けた。田所は酔うと、普段の気難しい雰囲気がくだけ、ただの面白オヤジになる、最後に、ぷわぷわ飛んで〜く、子供のおやつ〜、と訳の分からないことを口走りだし、完全に泥酔を極め、腹を出していびきをかきながら眠ってしまった。自分はありがとう。と眠る田所に、あったタオルケットを掛けてやり、自室として充ててくれた部屋で、角鳥から渡された自分の母かららしい手紙を枕元に置き、眠った。夢を見た。ジクソーパズルの絶対見つからなかった、1ピースが空から落ちてきて、炎のように燃えていて、過去の空洞のような場所がそのパズルの絵柄で、その絵柄の中に自分がいる、という夢だった。起きると強い二日酔いだった。昨晩の残っていた焼酎をリビングでまた飲み、また眠りに着いた。
3.
擦れる息との強力な悲鳴が耳に刺さり、起きた。聞こえる先、田所からのものだった。リビングのソファーで田所は発狂していた。自分の腕を自分で嚙みつけて、出血しながら、眼はもう既に人では無く、刺すように速く、一目でもう既にもう正気には戻ら無いと分かった。とりあえず自傷行為を止めなければならないと思い、田所!と呼び付けてみた、そしたら、田所の冷たく沸騰するかのような視神経が急激に無防備な赤ん坊のような表情に変わり、眼は優しく潤み、
「紫蘭町、5-12-5‼︎‼︎うーん、そうなの、紫蘭町、5-12-5なの。」
と、叫ぶような、また狂気故なのか奇妙な柔らかい口調に瞬間に転移し発語した。その後、泡を吹き癲癇を起こし、気絶し、野蛮ないびきをかき出し、昏睡した。暫くは落ち着くのかと思い、狂気の爆発的な瞬発力がいつ起こるかも、分からず、意識レベルをと思い、、飛び付かれ耳でも噛み切られたらと、警戒し、田所には本当に悪いが、リビングのドア付近に立て掛けてあったゴルフ用のパターを逆さまにヘッドを持ち、グリップの方で田所の腹や脛、顔を突いてみた、徐々に突きを強くしていき、常人なら痛みを覚える程の強さで、突いた。完全に昏睡していた。田所ごめん。いびきは尚、獣じみたまま、しかし安定し、暫くは安心出来そうだった。田所は過去に精神病院に近隣住民からの警察への通報により、無理矢理投げ入れられたことが過去に2度あり、精神病院なるものを心底憎んでおり、普段からの田所の言動には全く狂気的なものは含まれてることは全く無く、狂ったにせよ、田所は自分にいつも良くしてくれ、田所自身が極端に精神状態が悪い時でも、心配をかけたくないと気丈に振る舞ってくれていたことは、過去に沢山あり、自分はその事を田所の雑誌のインタビューなどで田所の強い不調時期を後から知ることがあった。田所の一貫した気取りの無い男らしさに自分は大きな敬意があった。だから精神病院にはとても連絡することは出来なく、自分が看なければと思った。大分とパターで田所の状態を確認でき、楽な姿勢にしてやりたく、田所の居向きをソファーの上で仰向けに寝かし直した。田所が、ありがとう、と小さな声で、涙がいきなり溢れ出た。田所の正気は今さっきの狂乱にもしっかり存在していたのだと、パターを使った自分を恥じた。冷え過ぎていた部屋のエアコンを28度に設定し、またタオルケットを田所に掛け直した。田所ならまた、必ず正気に帰れる、鉄の中枢神経を持っていると確信した。ふとリビングのいつもなら眼に入ってるだけの田所が描いたんだろう、横2メートルくらいの壁の大きな絵を見た。田所は自分の絵はたかがの回りものだといつも、自分の絵に対しての価値に何処か冷めた感覚を持っていて、田所自身が柄にも無く自宅リビングにわざわざ飾る絵を自分は初めてまじまじと観覧した。全体的に桃色の印象のその絵に、気付かないでいた自分を恥じた。自分と田所が初めて会って話した公園のベンチの印象派的なタッチの絵だった。大きな楠木が後ろに遠くあり、間違いなかった。田所、今迄ごめんなと、絨毯に落ちてるパターが痛くて痛くて、涙が沢山流れ、自失してしまいそうだった。
暫くし、取り戻してから、思った。田所が発した、シランチョウ5-12-5、番地には間違い無い、自分は部屋の電話元のメモに、シランチョウ5-12-5と残し、自室の枕元の母からの手紙を眺めた、しかし、どうしても開封する事が出来なかった。何故かは分からず、田所のいびきを聞きながら、夕方の日差しが窓から入り込み、埃が光っていた。水槽の中みたいだと思った。