第九十七伝: 未来、答え、そして――――
<交易都市ラ・ヴェルエンテ・議事堂>
そうして、3日の月日が流れた。
魔道連邦フレイピオスの現大統領、ゼルギウス=ボラット=リヒトシュテインは参謀であるギルベルト・ハンニバルを連れてヴァルスカに入国していた。
高速船で停泊した港から列車でラ・ヴェルエンテに辿り着き、彼は着ていた黒いロングコートの裾を靡かせながら道に降り積もった雪を踏み締める。
「しかし冷えますな、この国は。ジジイには厳しいものです」
「全くだ。暖かい紅茶が恋しい」
ベージュ色のコートに茶色いボーラーハットを被ったギルベルトは、両肩を抱く仕草をしながら口に咥えたパイプから煙草を吹かす。
白い煙が灰色の寒空へと立ち上り、空の彼方へと消えていく。
ロイから人類へ宣戦布告を受け、即座に対応しようと対策委員会を設立したのは約二日前程だ。
無論ゼルギウスに睡眠をとっている暇など無く、第一線で市民の避難場所の確保や政府軍の特設部隊の編成などを行っていた。
「全く、厄介な事をしてくれる。これから国が出来上がるという時に、人類種の敵が姿を現すとはな」
「あの時、彼を殺せなかった私共のミスです。申し訳ございません、ゼルギウス様」
「ギルが謝る事じゃない。今奴は、世界の敵になった。もう、私達だけで手に負える相手じゃなかったんだ」
二人は議事堂のロビーに向かう階段を上がりつつ、ドアマンによって開かれた鉄の扉を潜り抜けるとエントランスの受付嬢に声を掛けた。
「はい、何か御用……って、ゼルギウス大統領ですか!? 」
「あぁ。陛下直々のお呼び出しだ、案内してもらえるだろうか」
妙に頬を紅潮させているフロントの女性に疑問を浮かべつつも、ゼルギウスは正式にヴォルトから送られている議事堂の招待状を見せる。
戸惑い気味の彼女は手元にあった通信媒体を操作しつつ、二人の入場手続きを済ませた。
ゼルギウスは受付嬢から二枚の入場チケットを受け取ると、笑顔を浮かべながらその場を立ち去る。
彼はギルベルトと共に駆動式のエレベーターに乗り込み、二階のボタンを押した。
「貴方もつくづく女誑しですね、皇子」
「何の事だ? 先ほどの受付嬢の事か? 」
「はい。流石、アルフィオ様のご子息と言ったところですな」
「冗談は止せ、ギル。あれはお前の滲み出る男らしさに惚れていたのだ」
彼の言葉が信じられないのか、ギルベルトは眉を顰めながら独り肩を竦める。
階の到着を告げるベルが鳴り響き、機械仕掛けの扉が駆動音と共に開いた。
スーツ姿の二人は暖房の効いた大理石の廊下を歩き続け、角に差し掛かったその時。
「おわっとぉ!? 」
「おや、これはこれは」
金髪のミディアムヘアを揺らす騎士の初老男性と、床に尻餅を着く紫髪の眼鏡を掛けた女性が二人の姿を視界に捉える。
リヒトクライス騎士団現騎士団長、デフロット・ファルダースと国の長であるミカエラ・ウィルソン。
イシュテンを代表するこの二人もゼルギウス達と同じタイミングでこの場に居合わせ、そして彼らと邂逅した。
「驚かせてしまったようだな、首相。失礼した」
「えへへ、イケメンに手を借りるだなんて今日はいい日でありますなぁ」
「ご無沙汰しております、ギルベルト殿。いや、今は"ハンニバル総隊長"と言うべきですかな」
「ほっほっほ。ご冗談を、デフロット団長。私は大統領に付き添う、しがないジジイですよ」
差し伸べた彼の手をミカエラは満面の笑みで握る。
その横ではギルベルトとデフロットが口調こそ穏やかながらも水面下の争いを繰り広げていた。
そんな二人の戦士の光景にミカエラとゼルギウスは互いに視線を交わし、眉を顰める。
「しかし、随分な大移動だったろう。合理的な君がここまで非効率な移動をするとは思っていなかったが」
「ふふん。何せ愛しのフィル君とあのシルヴァーナちゃんが私にご褒美をくれると言ってくれましたからねぇ。そりゃあ私も人間ですし? 欲望には抗えなかったであります」
「……シルヴァーナにはそんな事はさせんからな」
「ああっちょっ! 国交断絶でありますかぁっ!? 嘘です嘘、ウソでありますぅっ! 」
コミカルに表情を二転も三転もする彼女の姿を可笑しく思いつつも、ゼルギウスはポケットに手を突っ込みながら先に会議室へと歩みを進めた。
表面に壁画のようなものが彫られた扉のドアノブに手を掛け、ブラインドが掛けられた窓から光が差す薄暗い部屋に入る。
「良くぞ参られた、異国の長達よ」
「……久しいな、ヴォルト。元気そうで何よりだ」
「うむ。ミカエラ首相も良く来てくれた、イシュテンから足を運ぶのは大変だったろう。この場を借りて詫びる」
「いえ、陛下が謝る事ではありません。問題はあのロイという男であります」
ミカエラとゼルギウスが会議室に入った所で、談笑していたギルベルトとデフロットも部屋に入り正面に座るヴォルトに一礼した。
彼の隣には眉一つ動かさない王室親衛隊の隊長であるエヴァリィが立っており、全員が集まった所で扉を閉め4人をヴォルトの向かいに座らせる。
「時間が余りない。早速本題に入るぞ。今回、余が貴殿らを呼んだのは他でもない。全人類に宣戦布告をした、あのロイ・レーベンバンクという男についてだ。放送を聞いていたとは思うが、余たちに残された時間は約半年。ヴァルスカだけで連中に対抗するのはとてもではないが難しい。力を貸してはくれぬか、二人とも」
「具体的にはどうするつもりだ? 力を貸すと言っても、方法は様々だが」
「イシュテンの生産力と人材の豊富さ、フレイピオスの魔法技術力、そしてヴァルスカの工業力を全て結集する」
ゼルギウスの隣に座っていたミカエラがほう、と感嘆の声を洩らした。
「と、言っても簡単にはいかないでありますよ。私が体感したように、イシュテンとヴァルスカでは物理的に離れすぎている。そこに関してはどうお考えで? 」
「フレイピオスに集結させる。ゼルギウス、良いな? 」
「……お前の事だ、どうせ止めても聞かん。存分に使え。その方が、兵の士気も上がるだろう」
「案外すんなりと聞き入れるんでありますなぁ? ま、そうしてくれるなら私の方も文句はないでありますよ」
では、とヴォルトが再び口を開く。
その表情からは若干の曇りが晴れており、不安が無くなったのだと読み取れた。
「ですが、二つほど注意点を。連合軍の編成の際には、必ずロイからの指名があった8人を入れる事と3ヶ国で技術の出し惜しみはしない事。隠し事無い方がお互い良いモノでありましょう? 」
「……ほほう、全てお見通しのようですな。どうされますか、大統領? 」
同じく隣に腰を落ち着けるギルベルトが顎髭を撫でながらゼルギウスに耳打ちをする。
短い溜息を吐いた後、彼は左隣のミカエラに視線を傾けた。
「分かった。何か新兵器の開発や共同で行う事業があるなら、その都度連絡する。それで良いか、首相」
「満点であります。あとは、連合軍の訓練でありますな」
「それに関しては余とゼルギウスに任せて貰おう。国を挙げて奴らに対抗する魔導兵器を開発する。その代わり、人員の統制や兵站の確保などイシュテンに任せても良いか? 」
「……良いでしょう。兵站は戦の要、とは良く言ったものでありますから」
「一つ宜しいでしょうか、陛下」
ミカエラの隣に座っていたスーツ姿のデフロットが、その固く閉じていた口を開く。
「我が国の正規軍であるリヒトクライス騎士団は、古くから剣と魔法を重んじてきた組織です。其処で、不躾ではありますが我が軍にもその新技術をご教授願いたい」
「良かろう。お互いの結束を高められる良い機会だ」
「ははっ、ありがとうございます」
椅子から立ち上がって頭を下げると、向かい側に座っていたヴォルトが深くため息を吐いた。
「次に、奴からの指名があった8人を必ず軍に編成するという事だな。それも受理しよう。あの人員の中には、様々な国の者が多すぎる。シルヴァーナやレーヴィンは勿論、ラーセナル・バルツァーやディニエル=ガラドミア、フィランダー・カミエールも該当する」
「あの男が何故この8人を指名したのか、少し気になるでありますね……」
「そこに関しては、やはり奴なりの目論見があると考えている。これは雷蔵からの情報なのだが、彼らが接触した人工魔獣の一体にフィランダー・カミエールの知り合いがいたと聞く。つまりは……」
ゼルギウスは一呼吸置いたところで、僅かに声音を強める。
その瞬間、部屋の空気が僅かばかり重いものと化した。
「……彼らと関わりのある者が敵に居る、という事です」
隣に座っていたギルベルトが机に両手を置きながら呟く。
そのまま彼は言葉を続けた。
「以前ロイの目論んだフレイピオスの実験で、死者を蘇生する実験を行っているという報告がありました。あの時彼を倒せずに見失ってしまったという事は、あの実験がそのまま今回に使われていると見ても良いでしょう」
「死者の蘇生、か。随分と烏滸がましい事を考えたものだ、あの男は……」
忌々し気な視線を仰ぎながらヴォルトは顔に手を当てる。
ようやく彼の様子が落ち着いてきた所で、口を開いた。
「話が片付いてきた所で、少し良いか。来てもらった所で申し訳が無いが、余は今だけゼルギウスと話がしたい。良いだろうか」
「……分かったであります。デフロットさんギルベルトさん、行きましょう」
「私も同伴いたします、首相」
ミカエラの声と共に副官の三人が会議室を後にし、その場にゼルギウスとヴォルトのみがその場に取り残される。
彼が立ち上がり、背後の窓からブラインドを指で退けて景色を見据えた。
「……二人だけで話すのは、随分と久しいな。ゼルギウス」
「あぁ、そうだな。ヴォルト。シルヴァーナにはもう会ったのか? 」
「うむ。幼い頃からの彼女を知っているが、いい女になったな」
「そんな言い方は止せ。私の大切な妹だ」
ゼルギウスの言葉に、僅かばかり口角を吊り上げる。
「相変わらずの溺愛っぷりだな。……そうすると、あの男の事も認めてはおるまい? 」
「雷蔵の事か。彼の事は、認めた訳ではないが……まあいい。だが珍しいな、お前が男の話題を振るだなんて」
彼の言葉と共に、ヴォルトは少し儚げに視線を俯かせた。
妙に気になりながらもゼルギウスは彼の言葉を待つ。
「……良く聞け、ゼルギウス。そして、出来るならばお前にも協力してもらいたい」
「……内容によるぞ、ヴォルト。もしかしなくても、雷蔵の事だろう」
ヴォルトは頷いた。
「あの男は死ぬつもりだ、目を見れば分かる。彼を止める為に、力を貸して欲しい」




