第九十五伝: 人間災厄
<機甲帝国ヴァルスカ郊外>
「期間はおよそ半年。その時間で、僕の魔獣たちに対抗しうる手段を講じて頂きたい。かつて三国が戦争を終結させたヴィダーハ平原にてお待ちしております。では、御機嫌よう」
茶色のソファに腰を落ち着けた白衣の男――ロイ・レーベンバンクは狂気の入り混じった笑みを浮かべながら録音媒体を停止させ、掛けていた銀縁のメガネの位置をを人差し指で戻した。
彼の隣に立っていた黒い甲冑を身に纏った金髪の青年、ステルク・レヴァナントが深い溜息を吐く。
「もう解除しても構いませんよ。貴方の呼応の能力は把握出来ました」
「そうか。それで結果は? 」
「上々ですよ。まさか3国の通信機器を全て乗っ取る程の威力とは思っていませんでしたがね」
ロイの居城であったフレイピオスが落ちてから約一年と数か月が経過した後、彼自身もこのヴァルスカ郊外に身を顰めていた。
誰にも見つかる事のない場所を選ぼうと長政たちと共に国中を闊歩した結果、彼が得た新たなラボは既に100年以上前に廃棄された鉱山である。
今では地下の奥深くにラボを構え、こうしてロイは新たな人工魔獣の開発に尽力していた。
雷蔵達がロイの居所を掴むことが出来なかったのは、吹雪という自然の脅威と純粋な距離の差が関与している。
それもその筈、この坑道はヴァルスカの主要都市であるラ・ヴェルエントから数百キロメートル以上離れており近隣の都市も既にここの存在を忘れていた。
そして隣接する創国歴以前の大戦の跡地であるヴィダーハ平原。
この歴史的な場所は太古の怨霊や幽霊の住まう噂のある土地で、同じように人々からは疎遠されていた。
「…………」
「そんな怖い顔をなさらなくても、直ぐにフィル君とは戦わせてあげますよ。その能力が、如何に役に立つかは分かりませんが」
「抜かせ。もうあのような失態は繰り返さん」
「いやぁ、どうでしょうか。油断していると案外やられてしまうかもしれませんよ? 」
瞬間、絶大な殺気が周囲に蔓延しロイは吊り上げていた口角を更に上げる。
いつでも腰の魔力刀を引き抜けるようにソファの手すりから両手を離し、即座に振り上げた。
響き渡る鋼の不協和音と、魔力が衝突するスパーク音。
二つの音がこの録音室の全域に響き、ロイは空いていた左手を振り下ろす。
だが、その刃はステルクに届く事は無い。
既に彼の腕とステルクの剣は両者の間に入った長い黒髪を靡かせる和装の男に止められたからだ。
その男、志鶴長政は涼し気な表情を浮かべながら腰に差していた一振りの刀でロイの魔力刀を受け止め、空いたもう一方の手でステルクの手首を掴んでいる。
長政が強制的に二人の距離を引き離すと、彼の羽織っていた藍色の陣羽織の裾が揺れた。
「宣戦布告をしたのに、早速仲間割れとは良くないよ。俺たちのように意思疎通ができる戦力は限られているんだ。ロイもステルクも、あまり変な真似はしないでくれ」
「おや、すいません。彼があまりにも殺気を放つものですから」
「嗾けたのは其方だろう。下賤な科学者風情が」
「止すんだステルク。君だって無駄な労力は使いたくは無いだろう」
長政が彼の両腕を掴んで剣を仕舞わせると、渋々ステルクはその場に会ったソファに腰かける。
フィル達との交戦以降、彼は妙に殺気だってしまっていた。
「それでロイ、あの宣戦布告は本当なのか? 本当にあんたは人類と戦うつもりで? 」
「無論ですよ。僕も男であり科学者の端くれです。一度言った事は曲げない」
「そうか……。ところで、この前あんたが言ってた新しい戦力というのはどうなんだ? 」
彼の問いにロイは不気味な笑みを浮かべながら、長政の妻である藤香の名を呼ぶ。
次の瞬間、長い黒髪を切り揃えた淡い紫色の着物を身に纏った彼女が姿を現した。
藤香は自身の背後に鈍色の甲冑を纏った騎士と大剣を背中に携えた壮年のオークを引き連れ、二人をロイの下に案内すると長政の傍に駆け寄る。
「適合の方はどうでしたか? 身体に違和感は? 」
「……私は確かにあの場で死んだ筈だ。幻か何かを見ているのか……? 」
「いいえ、貴方は確かに生き永らえています。僕が貴方を生き返らせました、ハインツ・デビュラール。貴方の死体を回収し、この場まで連れてきたのですよ」
鎧の男――ハインツは自身の両手に視線を落とした。
目の前に浮かぶ光景が信じられない、と言ったような表情を浮かべている。
一方で、彼の隣にいたオークが口を開いた。
「だが、死者を甦らす魔法は死霊術以外有り得なかった筈だ。お前……一体どんな手を使った? 」
「そこを聴きますか。流石ですね、オークの大英雄……マティアス・バルツァー」
マティアスはロイの言葉を一蹴しながら壁に寄り掛かる。
「いいでしょう、お話します。僕が貴方がたに組み込んだのは魔物たちの体内に流れる源力素を注入し、失われていた生命活動を再起動させました。強いて言うなら、貴方がたは人間ではありません。僕に作られた、人工魔獣という括りになります」
「……ロイ・レーベンバンク、貴様……! 」
ハインツが静かに怒りを露わにしながら腰の騎士剣の柄に手を掛けながらロイに詰め寄ろうとした。
だが彼の身体は地面に縛り付けられたかのように動く事はなく、ハインツは困惑の表情を浮かべる。
「そして、貴方たちの自由は全て僕の手の内にある。下手な抵抗は止した方が良いですよ。またその命を散らしたくなければ、ね」
「くっ……! 」
「……分かった。それで、俺は誰と戦えばいい」
意外にもすんなりと受け入れたのか、マティアスは怒りを露わにすることなくロイに問うた。
「人類すべて、ですよ。無論、他の戦力も用意してあります。意思疎通は難しいですがね」
「大英雄が人類に歯向かう脅威となる、か……。はは、なんたる皮肉か」
「くだらん話はそこまでにしておけ、貴様ら。……レーベンバンク、フィオドールは来ているのか? 」
痺れを切らしたステルクにロイは肩を竦め、再び笑みを浮かべる。
「さあ? 彼は気まぐれですからねぇ、その内来るでしょう」
その時、ロイの眼前に微かな足音が聞こえた。
黒い忍び装束に、すらりと伸びた長身。
だが右腕は不気味なほどに膨張しており、それが機械で作られた義手である事に気づく頃にはフィオドールはロイの前に姿を現していた。
「おや。噂をすれば、ですね。義手の具合はどうですか? 」
「問題ねェ。それで俺を呼びつけた理由は? 下らねえ事だったら殺すぞ」
「怖い怖い。今しがた、人類に宣戦布告をしたところですのでフィオドールさんもご一緒に別の場所へ移動させようかと」
フィオドール・ヴァレンシア。
フレイピオスの王政が崩壊した直後に国を抜け出したものの、ロイたちに捕らえられ失った右腕の義手の装着と同時に源力素を注ぎ込まれた暗殺稼業の男だ。
その目は生気を帯びておらず、まるで死体のように虚空を見つめている。
「……好きにしろ。どうせ終わってた命だ。あの男が殺せるなら……俺はどうでもいい」
「そうですか。では……」
ロイは彼の言葉を一瞥し、白衣の裾を靡かせながら集まった人工魔獣たちに振り返る。
「既に戦いの時は来ました。貴方がたに最適な敵も用意しました。あとは……舞台を用意するだけです。参りましょう。人類の存亡を懸けた、最大の実験へ」
そう言い放つロイの目は確かに、人間のものだった。




