第九十四伝: 人類種の敵
<ラ・ヴェルエント国立病院・病室>
重苦しい瞼を開け、雷蔵は煌々と彼の全身を照らす白熱電球と対面する。
鬱陶しそうに右手を顔に翳しながら周囲を見回すと、彼の隣には見覚えのある焦げ茶の髪を首元で結んだ男性がベッドの上で胡坐を掻きながら運ばれていた食事を口にしていた。
その向こうに何やら液体の入った袋を吊るした鉄の棒が鎮座している。
自信が病院にいる事をようやく理解した彼は、ゆっくりと身体を起き上がらせた。
突然、両肩に走る神経を突き刺すような痛み。
雷蔵は思わず顔を顰め、目を細めた。
同時に、彼の右手に柔らかい感触が走る。
妙な心地良さを覚え、何度か手を動かした。
「え……ちょっ……あっ」
その時、彼の右隣から悦に入ったようなか弱い女の声が聞こえる。
左隣に座っていた男――ヴィクトールは手にしていたスプーンをベッドの上に落とし、雷蔵の右隣を唖然とした表情で見つめていた。
「と、止め……ひゃぁっ」
恐る恐るその方向へ顔を向けると、そこには頬を紅潮させる大人びた銀髪の美少女――――シルヴァーナ=ボラットが同じく口を開けながら雷蔵を見つめている。
意外にも、この場の沈黙を破ったのは彼女の隣に立っていた金髪の男だった。
「ほう……流石勇士、余が認めた女に手を出すか」
その男――ヴォルトの一言で更に病室は重苦しい空気に包まれる。
雷蔵は不本意ではあるが胸に触れてしまったシルヴィに恐る恐る視線を合わせ、そして右手を離した。
「ち、違うのだシルヴィ! こ、これは決して故意的では……! 」
「らららら雷蔵殿ぉっ!? ひっ、姫様になんてことをっ!? 」
「落ち着けレーヴ殿! ってか拙者怪我人だし! いたたたた!! 」
同席していた長い金髪の女騎士、レーヴィンに詰め寄られながら雷蔵は迫り来る彼女の顔を押し返そうと頬に触れる。
即座にシルヴィの乳房から手を離していたが、彼女は顔を赤らめながら胸を抑えていた。
「せ、責任取って……下さいよ……? 」
彼女の口からその言葉が発せられた瞬間、レーヴィンの手が雷蔵の胸倉を掴む。
「い、いいいいくら雷蔵殿と言えど! これ以上の事は看過できん! お覚悟をッ! 」
「どわぁっ!? レーヴ落ち着け! 流石に王の御前で抜剣は拙い! 」
「ふはははは! 良いぞ! 余は許す! 男女の過ちというのは見物よなぁ! 」
「止めてよォ王様ぁ!? 」
高笑いを上げるヴォルトを一瞥しながらヴィクトールは興奮するレーヴィンを羽交い絞めにし、何とか剣を仕舞わせた。
息を荒げるレーヴィンをヴィクトールが傍に座らせる様子を横目に、雷蔵は深いため息を吐く。
「……失敬。お騒がせした、ヴォルト陛下」
「はは、許そう。我が国を守った勇士の意外な一面も見れた事だ。貴様は近衛雷蔵、という名だったな」
「左様で御座る。このような恰好でお会いする事、お赦し頂けるか」
「構わぬ。そちらはヴィクトール・パリシオか。はるばるイシュテンから良くぞ参られた」
「はっ。直々にお話頂けること、光栄であります」
敬礼した瞬間、包帯を巻いていた右肩に痛みが走ったのか彼は表情を歪め、隣のレーヴィンは不安げな表情を浮かべながら彼の肩に優しく触れた。
「無理はするな。陛下、このままでも宜しいでしょうか」
「許そう。して、余がここまで足を運んだのには理由がある」
ヴォルトの言葉に雷蔵とヴィクトールは首を傾げる。
「イシュテンとフレイピオスの使いの者……それが貴様らであろう。そして、要件は大体把握している。余の宮殿に招いている時間も惜しい、今ここで本題に入るぞ」
「お気遣い痛み入る。先ほど陛下が仰られたように、拙者はフレイピオスの特務行動隊の先遣部隊として入国させて頂いた」
「それは知っておる。余が聞きたいのは、"何を得られたか"という事だ」
「……意思を持ち、言葉を話す人工魔獣と接敵しました」
その場にいたレーヴィンとシルヴィは驚いた表情を見せ、対するヴォルトは顎に手を当てて彼の次の言葉を待つだけであった。
おそらく人型人工魔獣――ステルクの存在もある程度予測していたのであろう。
「厳密には人工魔獣の改造を施された人間、という括りになると思います」
「何? どういう事だ」
「その例の奴は、元は俺の教え子だったんですよ。力を求める事に固執して、自分の道を見失った。ま、その辺の理由は俺よりも部下の方が詳しいでしょう」
でも、とヴィクトールは更に言葉を付け足す。
「ご安心を、陛下。自分たちに迷いはありません。この世界を救うのなら……俺は教え子にも手を掛けます」
「ヴィクター……お前……」
ヴィクトールの言葉を受け、ヴォルトはしばらく沈黙した。
彼の目の前にいるこの男は、言葉通り自身の教え子を難なく殺すであろう。
「それで、本当に良いのか」
ヴィクトールは眉一つ動かさず、腕を組む目の前の皇帝に視線を集中させる。
だがその視線は既に鋭さを孕み、空気を一変させた。
「この国で起こった全ての出来事は余の責任であり、余に裁く権利がある。……その教え子とやらの命を背負うのには、その背中は小さすぎる」
「……じゃあ、どうしろって言うんですかい? 」
「余に任せてはみないか。……どうしてもと言うのなら、無理強いはしない。余は寛大である」
「……まあ、今はその言葉で手打ちとしときましょうか」
ヴィクトールとの話を終えた所で、ヴォルトは次に雷蔵の方へ視線を向ける。
「さて、次に近衛雷蔵。貴様に問う。ここに来た本当の目的を申せ」
「……先ほど申し上げた筈ですが」
「志鶴長政。それが貴様の真の目的ではないか、首斬? 」
過去の名前をヴォルトの口から告げられ、雷蔵は思わず虚を突かれた。
隣に座るシルヴィが不安げな表情を浮かべるも、その思いは届かない。
「和之生国は今、ヴァルスカの土地となっている。安心しろ、民や兵には手を掛けてはいない」
「……既に拙者は国を捨てた身。その国とは、何の関係も御座らん」
「だが今の貴様は過去に固執しているようにも見える。話せ。志鶴長政とは何者だ」
雷蔵は視線を俯かせながら拳を握り、深く息を吐いた。
「……その名をご存知であるなら、拙者の過去の職業は既にご存知であると考えられる。長政は拙者の無二の親友であり、拙者が処刑人として最後に首を斬った罪人です。そして彼は今……ロイ・レーベンバンクに蘇生させられ彼の人工魔獣として使役させられている」
「そうか。貴様も既に覚悟を決めた腹積もりであるようだな」
彼の言葉に雷蔵は頷く。
「分かった。今後はその人型の人工魔獣とやらを探し出し、ロイの居場所を突き止めるという流れで良いか? 」
「はい。既にフレイピオスの大統領とイシュテンの首相からも、正式な許可を得ています。陛下からの承認を得られれば、正式に私たちはロイの討伐に乗り出す事が出来ます」
「では許可しよう。正式な手続きは1日ほど掛かる。それまで招待した宿で休んでいると良いぞ、シルヴァーナ」
「はい、ありがとうございます――――」
その時だった。
病室に置かれていた放送器具が突然起動し、砂嵐のようなノイズ音を響かせながら写影媒体の画面が表示される。
画面には研究所のような真っ白な壁が映し出され、灰色の座椅子が鎮座していた。
突然の出来事にヴォルトも虚を突かれ、唖然とした表情でその画面を見つめている。
そして、現れたのは――――。
『どうも、人類の皆さん。お初にお目にかかります、僕はロイ・レーベンバンク。今回は貴方がたにお伝えしたい事があり、急遽この放送をさせて頂く事にしました』
「ロイ!? 」
『なお、この放送は全世界に通じております。放送局の方々にご協力して頂きました』
赤いメッシュの入った長い銀髪を靡かせ、眼鏡のレンズを光らせる優男、ロイ・レーベンバンク。
先ほどから話題に上がっていたこの男が姿を現した。
『あまり時間もありませんから、手短に。皆さんはこの一年で急増した人工魔獣という存在は既にご存知であると思います。兵士や傭兵、冒険者の皆さんは幾度となくこの魔獣共を殺したことでしょう。これは全て、私の実験によるものです』
「実験だと……!? 」
『其処で。私は更に高いレベルの実験を求め、今度は皆さんにも協力して頂こうと思います。私の創り上げた人工魔獣の大群と三国の兵力を集結させた人類では、どちらが強いのか、というね』
彼の言い放った事実上の宣戦布告に、思わず全員が言葉を失う。
つまりロイは、人類種の敵になる事をこの場で宣言したのだ。
『僕は人間が好きです。皆さんなら、必ず期待以上の成果を残してくれる事を期待していますよ』
それと、と画面の中のロイは笑みを崩さずに言葉を続ける。
『近衛雷蔵、シルヴァーナ=ボラット、フィランダー・カミエール、レーヴィン・ハートラント、ラーセナル・バルツァー、ディニエル=ガラドミア、志鶴椛、霧生平重郎。貴方がたが必ず、私達に挑みに来ることを期待しています』




