第九十三伝: 鋼王の威光
<交易都市ラ・ヴェルエント・病院>
現皇帝であるヴォルトの手によって雷蔵たちは救助され、負傷した彼とヴィクトールは早急に市内の病院へと運び込まれる。
緊急治療室の奥へと消えていく二人をシルヴィたちは見守りながら、その扉が閉じていく様子を一瞥した。
「さて……」
赤いガウンの裾を揺らしながらヴォルトは不安げな表情を浮かべるシルヴィの下へ歩み寄る。
「そのような顔を浮かべるな。彼らは国が誇る最高の医師だ、二人も必ず助かる。それよりも……」
彼は笑みを浮かべながら彼女の身体を持ち上げた。
一同がその光景に唖然とした表情を浮かべながらも、彼は一瞥する。
「大きくなったなぁ、シルヴァーナ! 最初は何処からの美女であるか目を疑ったぞ! 」
「お、お戯れを! ヴォルト陛下! 」
「昔のようにヴォルトお兄ちゃんと呼べば良いものを! はっはっは! 」
慌てながら身体を持ち上げられるシルヴィの顔を見つつヴォルトはレーヴィンへ視線を傾けた。
「もしや……貴様は銀騎士か! ほう……! 更に凛々しくなったようだな! 」
「私のような未熟な騎士には勿体無いお言葉であります、陛下」
「はっはっは! その堅物さは昔から変わらんようだな! うむ! 何よりである! 」
声高らかに笑うヴォルトを横目に、疎外感を感じていたフィルは隣のラーズの肩を叩く。
岩のような肩が彼の方に寄り、牙が露わになったラーズの顔がフィルに近づくと、口を開いた。
「……ラーズさん、陛下とシルヴィさんって知り合いなんですか? 」
「らしいな。俺も詳しくは知らねえが、まだフレイピオスが王制を執ってた頃に個人的な関わりがあったらしい。多分、俺の親父やエルの御袋さんの事も知ってるだろうな」
「そこの若い騎士! 心して聞け! 」
耳打ちをしていたフィルの耳にヴォルトの大声が響き渡り、思わず彼は肩を上下させる。
「貴様らはイシュテンのリヒトクライス騎士団の者たちだろう? 先ほどの化け物への一撃、遠くから見えたが見事だった。周りにいる二人の仲間とやらも、中々良い動きをしている。是非とも我が国の新人共に見習わせたいくらいだ」
「は、はいっ! お、お褒めの言葉、光栄でありますっ! 」
「うむ! 苦しゅうない! 」
豪胆な笑い声を上げるヴォルトが次に椛と平重郎の元へ歩み寄ろうとしたその時だった。
彼らのいた病院の廊下の奥からブーツの靴底の鳴る心地良い音が聞こえ、深緑色の裾の長い軍服を身に纏い軍帽を被った水色のボブカットの女性が現れる。
「御歓談の所、失礼いたします。陛下」
「エヴァリィか。何用だ」
「先ほど仰られていた宿の手配が完了致しました。如何為さいますか? 」
エヴァリィ、と呼ばれた女性は敬礼をしながらヴォルトの下へ近づき、真剣な眼差しを彼に向けた。
ヴォルトは一度だけシルヴィたちに目配せをすると、口を開く。
「あの二人の他に怪我を負った者はおらぬか? いないというのなら、これから余の指定した宿に向かってもらうのだが」
「俺は大丈夫です。じいさんや椛は? 」
「問題ない」
彼の言葉にヴォルトは頷き、再びエヴァリィに視線を戻した。
「エヴァリィ・アスコート。直ぐに客人を宿へ持て成せ。これは余からの直々の命である」
「はっ、仰せのままに」
「それとシルヴァーナとレーヴィンは余と共にここに残れ。少々話がある」
「承知しました」
エヴァリィは彼に深く頭を下げるとシルヴィとレーヴィンを除いたフィルたちを連れて廊下の奥へと消え、階段を下っていく靴音が消えていく。
ヴォルトに残るように言われた二人は内心疑問を抱きながらも彼を見つめた。
「……陛下? 」
「そのような口ぶりは止せと言ったろう、シルヴァーナ。それにレーヴィン……いや、レーヴの方も畏まらなくても良い」
「で、ですが……」
「余が構わぬと言っている。……今は数年来の友人として、接して欲しい」
僅かばかり哀愁の籠った表情を浮かべると、ヴォルトは突然シルヴィを強く抱きしめる。
男性ものの高級な香水の匂いが彼女の鼻を刺激するが、今はそれよりも彼の抱擁に驚きを隠せずにいた。
「お、お兄……ちゃん? 」
「良くぞ無事に生き、そして生き残ったな。咎の断罪の顛末を聴いてから、余は生きた心地がしなかったのだ。そして……済まぬ。リヒトシュテイン家が危機に瀕していると知っていながら……余は何もできなかった」
感情の籠った声を聞くなり、シルヴィは彼を抱きしめ返す。
三国間の同盟で取り決められた条約の一つに、不干渉条約というものがある。
国がどのような危機に陥っても、その国の政府や王家自身が救援を他国に求めない限りは互いに干渉を禁ずる、という内容だ。
本来ならば国同士の戦争を防ぐ為に締結された条約であったが、リヒトシュテイン家の没落という事に関しては悪い方向に働いてしまっていた。
「……いいんです。こうしてまた、ヴォルトお兄ちゃんと会えたんですから。それに、お兄様も……生きていた」
「あぁ……シルヴァーナ……! 良かった……! 無事で、本当に……! 」
機甲帝国ヴァルスカの皇帝、ヴォルト=マナフ=ヴァルスカは幼少期から当時魔道連邦フレイピオスの皇家であったリヒトシュテイン家と交流があり、ゼルギウスの妹であるシルヴィとも仲を深めていた。
彼女の身体を自身の胸から引き離すと、今度はレーヴィンの下へ彼は歩み寄る。
「レーヴ……! 貴様のお蔭だ、よくぞ彼女を守った! 貴様こそ騎士の誉れ……真なる騎士よ! 」
「……いえ。私だけの力ではありません。むしろ、私だけでは到底解決できない状況にまで陥っていました。それを救ってくれたのは、先ほど我々と共に戦っていたあのオークの青年とエルフの少女……そして先ほど運ばれた侍です」
何、とヴォルトは眉を顰めながら彼女の肩から手を離した。
「咎の断罪の後、私は必死にフレイピオスから逃げ果せてイシュテンに身を潜める事に成功したんです。でも怖くて、寒くて……何より寂しかった。それを助けてくれたのは……他でもないあの侍、雷蔵さんなんです」
「何と……そうか。余は彼に感謝せねばなるまいな。ならば国を挙げて彼らの治療を行うまで」
手術中と表示された看板を見つめながらヴォルトはその場にあった椅子に腰かけ、手にしていた杖を壁に立て掛ける。
物静かな雰囲気を取り払うかのように彼は再び笑みを浮かべ、シルヴィとレーヴィンに向けた。
「……あの二人は未来の夫となる男どもであろう。そのような二人を死なせてしまっては鋼王の名が泣くというものよ」
「ら、雷蔵さんはそんな人じゃありませんしっ! 」
「夫……ヴィクターが……夫……? ……ふへへぇ」
頬を紅潮させながら全力で否定するシルヴィと騎士に在らぬ惚けた表情で妄想に浸るレーヴィン。
正反対の反応を見せる二人にヴォルトは再び笑い声を上げる。
「あのような雄姿を見せられてしまってはそう思うのが道理であろう? ふはは、しかしシルヴァーナが男を知る歳とはな……」
「ま、まだそこまで行ってませんから! き、キスはしましたけど……」
「はっはっは! ゼルギウスの奴に聞かせたらどんな顔をするのであろうな! 」
「お兄様は関係ありませんっ! どうせ怒るんですから! 」
そんな事を離していると治療を終えた医者の一人がヴォルトたちの下に頭を下げながら近づいた。
身に着けていたマスクを取ると、彼は汗を拭う。
「陛下、お待たせして申し訳ございません。お客人の治療、完璧に終わりました」
「良くやった。それでこそ我が国の誇る医師よ。今日は休みと聞いていたのにも関わらず、いきなり呼びつけたのは済まぬな」
「いえ、他ならぬ陛下からのお呼び出しであります。いつでも申し付けください」
「いや、それでは余の気が収まらぬ。何か褒美を取らせる、心して待て」
礼を述べながら中年の医者は頭を再び下げるとその場を立ち去る。
「さて、余たちも行くぞ。その勇士とやらと話してみたいからな! 」
ヴォルトは満足げな笑顔を浮かべると、治療室の奥へと消えていった。




