第九十二伝: Reign of Gravity
<雪原>
雷蔵の手には確かに、あの巨人の首を断ち切った感触が走る。
紫色の不気味な血液が切断面から舞い、彼の顔や身体に付着した。
全力で走ったせいか、彼の呼吸は酷く荒れている。
隣に横たわっていた巨人の死体を見据え、愛刀に付着した残り血を胴着の袖で拭った。
「雷蔵! 大丈夫か!? 」
「問題ない。ただあんなに巨大な妖は斬った事が無いのでな」
雷蔵は向かってきたヴィクトールに震えている右手を差し出す。
「お前……」
「問題ない。一時のものよ。他の皆は? 」
「あ、あぁ……。みんな無事だ。幸い兵士さん達の方も死者は出ていないらしいからな」
そうか、と雷蔵は身体を右往左往させながらゆっくりと列車の場所へと戻ろうとした。
安堵感を覚えたのか急に身体に力が入らなくなり、その場で地面に倒れそうになったその時だった。
「無理はしないで下さい。大丈夫ですか? 」
「フィル……すまぬな、歳を取ると思うように身体が動かんのだ」
「まだそんな歳じゃないでしょう。ほら、肩を貸して」
巨人の角をへし折った後のフィルが、雷蔵に肩を貸す。
以前とは見違える程逞しい腕が彼の身体を支え、隣で他の仲間たちを呼ぶフィルの姿に雷蔵は笑みを浮かべた。
「おーい! 雷蔵さーん! フィルくーん! 」
「シルヴィさん! 無事でしたか! 」
「はいっ、お二人とも怪我はありませんか? 」
離れた場所から走ってきたシルヴィが、不安げな視線を二人に向ける。
雷蔵はそんな彼女を安心させるかのように開いていた左手をシルヴィの頭の上に置き、優しく撫でた。
「この通り、問題ない。お主の事も撫でられるであろう? 」
「こ、子ども扱いしないで下さいよ! 私もう成人してるんですから! 」
「あはは、そんなシルヴィさんも可愛いですよ」
「フィル君まで! もう、知らないんだから! 」
少女のように頬を膨らませながら不満を明らかにするシルヴィに笑みを浮かべながら雷蔵は周囲を見回す。
自分たちが何かの陰に覆われている事に気づき、直後全身に殺気が走った。
「ヴィクター!! フィル!! シルヴィ!! 離れろッ!! 」
本能的にそう叫びながら周囲にいた3人の身体を前方へ突き飛ばし、震える右手で愛刀の柄を握り締める。
だがその行動を嘲笑うかのように彼の身体は左方に大きく殴り飛ばされ、雪原に何度も叩き付けられながら大きな岩に身体を預ける事になった。
「ッ!? 雷蔵さん!? 」
「俺が行く!! 嬢ちゃんは自分の身を守る事だけ考えろ! フィル! 嬢ちゃんを頼むッ! 」
「ヴィクトールさん!? 無茶ですっ! 」
揺れ動く視界の中で雷蔵が見たものはあまりにも不気味なものだった。
首から上が消失している巨人が、まだ生きているかのように立ち上がっている。
彼が攻撃を食らったのも、おそらく奴の仕業だろう。
頭を左右に振りながらゆっくりと立ち上がり、雷蔵とヨトゥンは再び対峙する。
(何故だ、確かに首は斬り落とした! だが……! )
そんな事を考えていた彼の眼前に、巨人の左腕が現れた。
想像を絶する速さで横殴りに振るわれた大木のような腕が迫り、思わず雷蔵は目を瞑る。
「早く……逃げろ……雷蔵っ……! 」
「ヴィクター! 」
「何してんだっ……! 早く――――」
その瞬間、腕の侵攻を抑えていたヴィクトールの槍は真っ二つに折られ、爆風のような衝撃を全身に浴びた。
目の前で薙ぎ倒された彼の姿に雷蔵は頭の中が真っ白になったような感覚を覚え、全身に走っていた痛みが一時的に消え去る。
「貴様ァッ!! 」
「何突っ立ってやがるッ! 早くあの二人を助けろッ!! 」
ラーズの怒号が周囲にいた仲間たちを突き動かす中、振るわれた左腕目掛けて愛刀を抜き払い、残っていた手首を両断した。
両手を失ったヨトゥンは本能のまま雷蔵を殺そうと、まだ生きていた足を振り上げる。
「しまっ――」
「雷蔵殿っ! くそッ、間に合えェッ!! 」
雷蔵の目には巨人の一挙手一投足がスローモーションに感じられるが、それでも彼の身体は動かない。
ヨトゥンの足裏が雷蔵の頭頂部に到達しそうに思われた、その時だった。
「第一波、撃ェーッ!! 」
女性の勇ましい声が雷蔵の耳に響いた瞬間、幾つもの火薬の炸裂音が周囲に響き渡る。
我に返った様子で銃弾の放たれた方向へ視線を傾けると、紺色の軍服に身を包んだヴァルスカ帝国の軍人たちが列車の残骸を陰に並んでいた。
おそらくヘルガの救援要請がラ・ヴェルエントの兵士たちに届いたのであろう。
「隊長! 雷蔵さん! 」
青年に背後から声を掛けられた瞬間、雷蔵の身体は後方に引きずられていた。
彼がゲイルだという事を確認する間もなく、前方から絶大な殺気を再び感じ取る。
「ルシア! 隊長を頼む! 」
「もうやってるわよっ! ほら隊長、しっかりしてッ! 」
「ッ!? 止せ二人ともッ! 奴はまだ動いているッ!! 」
ヘルガの援護に回っていたゲイルとルシアがこの場に戻ってきたが、既にヨトゥンはルシアとヴィクトール目掛けて足を振り上げていた。
雷蔵の注意も空しく、無慈悲にその足が振り下ろされる。
――――筈だった。
二人を踏み潰そうとしていたその足は彼らの眼前で動きを止め、何かに阻まれているかのように震えていた。
一時の静寂が雪原全体を包む中、一つの足音が彼らの耳に響く。
「騒がしい。全く……此処を何処だと心得る。鋼王たる余の庭ぞ」
赤い毛皮の付いたガウンを羽織り、短く切った金髪の男はガウンの裾を払い、革のズボンと礼服を纏った姿を露わにする。
20代半ばと見られるその男は手にした杖を振り翳すと、巨人の身体は操り人形のように地面に叩き付けられた。
その男は雷蔵やヴィクトール、シルヴィに視線を傾ける。
「ほう……。イシュテンとフレイピオスの者に、その仲間とやらか……」
両手を失ったヨトゥンが再び立ち上がり、既に切断されている首の断面を彼に向けた。
その瞬間、男は声を上げる。
「誰が首を上げよと言ったかッ!! 」
大喝と共に再びヨトゥンの身体は地面に叩き付けられた。
彼の一通りの行動に魔法反応があった事に気づいたエルは、驚きの余り呟く。
「重力魔法……! 」
「うむ。流石と言うべきだな、アイナリンドの娘よ」
離れたエルにも視線を向けながら再び立ち上がろうとする巨人に男は視線を再度傾け、深い溜息を吐いた。
「……余の客人に手を出した事、その命を以て詫びよ。創られたに過ぎない化け物擬きが」
男に向かって真っすぐに足を振り上げる巨人。
だが彼は微動だにせず、その光景を見据えている。
「平伏せよ」
その一言でヨトゥンの身体は凄まじい勢いで叩き付けられ、原型を留めていた身体を四散させた。
飛び散る肉塊と青い鮮血を払いつつ、男はその死体を軽々と踏み越える。
「良くぞ参った、異国の者共よ。余はヴォルト=マナフ=ヴァルスカ。この国を統べる鋼王に他ならぬ」




