第八十八伝: Afternoon Break
<アポ・クトリ市内・国立公園>
雷蔵に別れを告げた後シルヴィは単身雪の降り積もった公園へと訪れていた。
一人思慮に耽ろうとすぐ傍に設置されていたベンチの上に積もった雪を手で払い、腰を落ち着ける。
防寒用の毛皮の帽子の位置を直しながら髪を耳へ掛き上げ、深い溜息を吐いた。
無論の事彼女の脳裏に浮かんでいるのは雷蔵の事である。
「……どうした? 少し浮かない顔をしているな」
「ひゃぁっ!? 」
突如として掛けられた声に驚きながら椅子から転げ落ち、シルヴィは地面に尻餅を着いてしまう。
そんな彼女に笑顔を向けながら目の前の女性――――志鶴椛は手を差し伸べた。
「すまんすまん。驚かせた」
「椛さん気配殺すの上手すぎるんですよぉ……いたた」
「元々忍びであったからな……許せ」
彼女の手を握りながらシルヴィは立ち上がり、再びベンチに腰掛ける。
黒い首巻の裾を揺らしながら椛も隣に座ると、彼女は口を開いた。
「……それで? 悩み事か? ……入用なら、雷蔵の阿呆を蹴飛ばして来ても良いぞ」
「そ、そんな事じゃありませんよ! 雷蔵さんにはなにもされてませんから……」
「本当か? あの唐変木は妙に鈍感な所があるから……」
椛の言葉を聞くなり、途端にシルヴィは笑顔を浮かべる。
「うふっ、うふふ……」
「おいおい、本当にどうした? 笑ったり神妙な顔になったり……忙しい奴だな」
「わ、笑わないで下さいよ? そ、そのですね……」
頬を紅潮させながら笑みを崩さず彼女は言葉を続けた。
「……一年前より、更にかっこよくなってるなぁって。あの時言葉が出なかったのも、ドキドキして話しかけられなかったんですよ」
ニヤついた笑みをを恥ずかしそうに隠す一方で、隣には口を開いたまま呆然とした表情を浮かべる椛。
そんな彼女に気が付いたのかシルヴィは慌てて口を開いた。
「そ、そこは笑う所でしょう!? なんでそんな呆れ顔なんですかっ! 」
「こんな顔にもなるわッ! あの時の空気を読み取れなかったとは言わせんぞ!? 」
「いや……それは……雷蔵さんと目を合わすのが恥ずかしくて……」
「乙女か貴様は! ああいや、乙女だったな……。というかだいたい、気を遣わせるだけ遣わせておいてなーにが"更に格好良くなってる"だ! 平重郎でさえも正直どうすれば良いのか分からん表情をしていたというのに、貴様らと言う奴は……! 」
まあいい、と椛は痺れを切らしたように深くため息を吐く。
「それで、奴とは話せたのか? その様子だと出来たようだが」
「はい、ですけど……なんだか小悪魔系女子を意識しすぎちゃって変な感じになっちゃいました……」
「空回りしすぎだろう!? 」
「流石の雷蔵さんも顔を赤くしながら引き攣ってました」
「当たり前だ馬鹿! 」
本当は雷蔵が照れているという事はいざ知らず、二人はまるで漫才のような会話を繰り広げる。
その二人の背後に近づく男女の影が二つ。
「面白そうな話をしてますねぇ、二人とも? 」
「俺も混ぜろよぉ、気になるなぁ」
「ルシアさんにラーズさん!? いつの間に!? 」
「マッシュフィリトはまだしも、バルツァーはそういう事に関して疎そうな……」
椛の言及に対してラーズは自身の胸を叩きながら腰に手を当てた。
得意げなラーズとルシアに対してシルヴィは苦笑いを浮かべ、椛は肩を竦めている。
「おいおい、知らねえのか? 俺、もうプロポーズしてんだぜ。だからその手の事にゃ人より詳しいんだ」
「はぁっ!? 」
「う、嘘でしょ!? だって、特務行動隊の時には一度もそういう素振りは……! 」
「すごーい……素敵……。私もフィルにされてみたい……」
三人に突然詰め寄られるラーズは彼女たちを宥めながら元の位置に座らせた。
「で、相手は誰なんですか? エルさん? それとも別の人? 」
「エルじゃなくてゼルマっていう俺と同じ村の出身の鍛冶屋の娘だ。元々は見合いで知り合ったんだが、お互いに気が合ってな」
「ゼルマさん……私、聞いた事があるような……」
「はは、無理もねえや。あの時あいつに会ったのは雷蔵だけだからな。ま、今度紹介するよ」
照れ臭そうに笑いながらラーズは頭を掻く。
先を越された、と言わんばかりにシルヴィとルシアは内心焦りを感じていた。
「そういえばゲイルと平重郎は? 姿が見当たらないが……」
「あぁ、あの二人なら稽古するって言って兵士さんの詰め所の訓練場にいますよ。さっき約束してたみたいで……」
「ほう……珍しい。雷蔵とも剣を合わせなかった奴が稽古とはな……」
「そうなんですか? 」
ルシアの問いに椛は頷く。
「でも確かに分かるかも。私から見てもゲイル君はかなり才能あるし、刀を使うとなれば尚更ね。ドラゴンが出てきた時に真っ先に向かって行く度胸に加えて、ラーズさんの動きに合わせて行動できる咄嗟の判断力。戦場を経験してないと出来ない芸当だと思う」
「殿を務めるのには持って来いの才能だな。平重郎が動くのも分かるかもしれん」
その時、雪が降り止むと同時にシルヴィの腹から地鳴りのような音が聞こえた。
シルヴィは太陽のように顔を赤らめ、腹部に両手を当てる。
「あはは、食いしん坊なのは昔から変わってないみたいですね。一緒にお昼ご飯食べません? 」
「あ、うぅ……お言葉に甘えて……」
彼女の言葉と共に4人は立ち上がり、公園から繁華街に続く大通りへと消えていく。
一人のオークと3人の女性が肩を並べて歩く様は、珍しくも楽し気だったという。




