第八十七伝: 小悪魔の微笑み
<交易都市アポ・クトリ・兵士詰め所>
人工魔獣を仕留め切った雷蔵たちはその後シノ・フェイロンと名乗る男性に衛兵の詰め所に呼び出され、暖房の効いたレンガの壁に包まれた個室に集められていた。
ソファや机などの家具が綺麗に並べられている事から客間なのであろうこの部屋の壁に雷蔵は寄り掛かり、その隣にシルヴィがソファに座っている。
再会したと言えど雷蔵とシルヴィの間には気まずい雰囲気が流れており、アポ・クトリに入っても一言も交わす事が出来ていない。
「……まあ、こうなるとは思ってたがねぇ。レーヴ、どうにかなんねえのか? 」
「私に言われてもな……。フィル君はどうだ? 」
「僕もあまりお役には立てなさそうですね……。シルヴィさんと雷蔵さんの間に何があったかは知ってますけど……」
その時、壁に寄り掛かっていたラーズと平重郎がヴィクトール達に歩み寄った。
「一先ず、お互いの状況整理が先じゃねえか? あんたらがどうして雷蔵たちと行動していたのか、そして何故俺たちが雷蔵たちを追っていたのか。そこから話さねえと何も始まらねえと思うぜ」
「若造の言う通りだねェ。こうも他人のもどかしい恋愛見つけられちゃあ、ジジイもたまには本気を出したくなっちまう」
「寝言は寝て言えよ、じいさん」
「落ち着けって、二人とも。おーい、雷蔵、シルヴィちゃん! とりあえずこっち来て話そうや」
ヴィクトールからの呼び出しを受け、二人は顔を一度だけ見合わせながらシルヴィが先に彼らの下へ歩き始める。
雷蔵に紅潮した顔を見せないように彼女は一度たりとも振り向かず、話の輪の中に入り始めた。
「……ナイスだぜ、オークの人」
「んあ? なんか言ったか、ゲイル? 」
「な、なんでもねえ! ま、まず俺たちの立場から説明しねえとな! 」
慌てるゲイルの様子を見て隣のルシアは溜息を吐き、フィルが彼の言葉を代弁するように口を開く。
「ご存知の方もいるかもしれませんが、僕たちはリヒトクライス騎士団に所属する四番隊の一個小隊です。僕らの国、農業共和国イシュテンのミカエラ首相から"ロイ・レーベンバンクの拘束または暗殺"を直々に言い渡されてきました。彼の手掛かりを掴む為に動いていたら雷蔵さん達と偶然出くわし、更にそこには人工魔獣と化した僕たちの仲間とも出会ったんです」
「……ミカエラ首相がロイの存在を知っている理由は? 」
まるで彼らの信憑性を試していると言わんばかりのエルからの質問にフィルは笑みを崩さず答えた。
「そちらのゼルギウス大統領との会談で彼が首相に伝えたからでしょう。その情報は、そちらにも行っている筈ですが」
「……ラーズ、レーヴィン、シルヴィ。この人たちは信用できる」
「最初から信用されてなかったわけね、とほほ……」
「まあまあ。国を跨いでいるわけですから当たり前ですよ」
冗談交じりに泣き真似を見せるヴィクトールをルシアが宥め、ラーズが肩を竦める。
対する雷蔵は話に付いていけず、周囲を見渡すだけで何も話す事が出来なかった。
その隣にいた椛が見かねたのか、彼に話を振る。
「……次は私達の番でいいか。雷蔵、話してやれ」
「せ、拙者か!? ええと……その……ううむ……」
「急に口下手になるな! 私達の経緯を話せば良いだけなものを……! 」
「分かった分かった……。そうだな……。まず拙者たちが一年前、フレイピオスを離れたのは先ほどフィルが言った目的と同じロイを殺す為だ。ゼルギウス……今は大統領だったか、彼から直々に冒険者として同じような依頼を請けたのでな。ゼルギウスはロイを国家の敵ではなく、世界の敵として見ている。だからこそいち早く情報を拡散し、彼に対する対策を講じたかったのだろう」
雷蔵が口を開いた瞬間、隣のシルヴィは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
彼女に構わず雷蔵は話を続けた。
「あとは以下の通りだ。ゼルギウスとは度々連絡を取っていたが、まさか回収部隊がお主たちとはな……」
「回収部隊? どういう事だ? 」
「拙者たちが交戦した人型の人工魔獣が、ロイと関わっている可能性が高くてな。先ず彼の手掛かりを得る為に、その魔獣を仕留めて魔力探知を行おうと思ったのだが……」
「それがフィル君たちの昔の仲間で、結果的に取り逃してしまった……という訳か」
レーヴィンの言葉に雷蔵は頷く。
だが、と不敵な笑みを浮かべて鞄の中に手を突っ込み、禍々しい鉄の破片を取り出しながらヴィクトールは雷蔵の言葉を紡いだ。
「無事にそいつを探知できるほどの魔力は手に入れた。あとはこれと同じ魔法術式を探知魔法で探し当て、居所を突き止めるだけだ。そこまでしてから俺たちはアポ・クトリに向かうと、あんた方と合流したってわけ」
「……経緯は分かった。次はこちらの――――」
その時、客間の扉が開く。
長い銀髪を揺らしながらカーキ色の軍服に身を包んだ美形の男が、書類の束を手にしながら部屋に入ってきた。
「時間を取らせてすまない。今しがた、全員の身元が全て判明した。フレイピオスとイシュテンからの正式な派遣部隊だったとは……こちらの調査不足だ。改めて自己紹介させて頂く。俺はシノ・フェイロン。この町の警備隊長を務めている」
「先ほどは助かりました、フェイロン隊長。私はシルヴァーナ=ボラット=リヒトシュテイン。魔道連邦フレイピオスの政府軍直属の特務行動隊の代表であります」
「此方はリヒトクライス騎士団四番隊隊長、ヴィクトール・パリシオであります。お互い五体満足で何よりですな」
彼の腰には柄を覆うような小手守りが付いた軍刀が差さっており、腰には革製のホルスターが装着されている。
シルヴィとヴィクトールの形式的な挨拶に敬礼で答えると、シノは笑顔を浮かべた。
「……と、まあ堅苦しいのはこれで終いにしよう。これから君たちには話があるのでね」
「話? 軍人さんが俺たちになんか様ですかィ? 」
「あぁ。先ほど君たちの身元を確認したら、ヴォルト陛下から直々の連絡があってな。君たちと会って話がしたいらしい。おそらく……"ロイ・レーベンバンク"の事だろう」
「……どうしてその名を? 」
「ヴァルスカ国内でも彼の存在を知っている者は少なからず居る。それも皇帝直々から言い渡されているが、あくまでも上の人間のみだ。まあいい……君達も陛下に用があるのだろう? 」
シノの問いにフィルは頷き、一歩前に出る。
「僕たちはロイを追う手がかりを掴む為に、人型の人工魔獣の足取りを調べていました。ハーヴィン陛下とお話が出来るのなら、更にその調査は前進するはずです」
「そうか……。君たちの事情はともかく、そこの旅の方もよろしいか? 見たところ、彼らに巻き込まれたように見えるが」
彼は雷蔵たち3人に視線を傾けた。
「むしろ此方としても好都合だ。拙者たちは彼女ら同様にゼルギウス大統領の正式な依頼でロイを追っている。目的は何ら変わりない」
「把握した。では明日の朝にこの兵士詰め所に集合してくれ。我々が責任を持って君たちを送らせて頂く。それと既に宿はこちらで手配してある。この後に向かうといい」
「そんな手厚い歓迎を……。感謝します」
「気にするな。君達はこの町を守ってくれた。礼とは言っては何だが、もてなしを受けてくれ。ここには酒や美味い物が沢山ある」
シノの言葉を耳にした瞬間雷蔵や平重郎が酒という単語に反応し、シルヴィや椛が美味い物という言葉に目を輝かせる。
そんな彼らを見たシノは笑みを浮かべながら彼らを客間から外へと出し、11人は共に兵士の詰め所を後にした。
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<交易都市アポ・クトリ市内>
そして吹き荒んでいた吹雪が止み、白い光が煌々と雪に埋もれた都市を照らす昼下がり。
シノが手配していたホテルに荷物を預け、一人外へと繰り出して町の景色を眺めていた雷蔵は深く息を吐いた。
彼の胸の奥に渦巻く後悔と喜びの感情。
それはもちろん、一年という時を経て再会したシルヴィに向けられたものだった。
自分は二度と彼女と会わないつもりでここまで進んできた。
なのに運命というものは残酷で、再びシルヴィと巡り合わせる。
テオボスの村でヴィクトールに説得されたと言えど、いきなり普通に接するのは難しい。
「案外、難しいものだな……ヴィクター……女子というのは」
「――――何が、難しいんですか? 」
突如として掛けられた声に、雷蔵は心臓が飛び出す勢いで身体を震わせた。
恐る恐る背後を振り向くと其処には悩みの種であるシルヴィ本人が立っている。
長い時間を掛けて随分と大人になった彼女は以前のような三つ編みを止め、肩甲骨まで伸びた銀の髪を揺らしていた。
顔立ちは幼さを残しながらもその整った鼻筋と顔立ちはより一層美しさを増し、とても10代後半とは思えない。
そんな彼女に見惚れていると、シルヴィは不満げな表情を浮かべながら雷蔵に近づいていた。
「大方……女の子の心は難しい、とか思ってたんでしょう? 」
「べ、別にそんなことは……」
「当たり。雷蔵さん、嘘つくときはいつも目を逸らしますから。変わってませんね、一年経っても」
悪戯な笑みを浮かべながらシルヴィは雷蔵の鼻を人差し指で小突き、彼の隣の柵に寄り掛かる。
「……そっちは、随分と変わったようだな。特務行動隊、だったか? 共に旅をしていた頃とは見違えたように大人になって……」
「えへへ、伊達に修羅場は潜ってませんから。 それに、雷蔵さんだって髭剃って若作りなんかしちゃって。似合いませんよ? 」
「なっ、失敬な! 拙者も髭を剃る暇が無かったから放置してただけよ! 今はそういう暇があるから手入れをしているだけだ! 」
「……でも、無事で本当に良かった。何はともあれ……雷蔵さんが無事でいてくれてたのが一番嬉しいです。私、本当は追うつもりでしたから……貴方のこと」
突然向けられた笑顔に雷蔵は呆気に取られ、シルヴィの顔を見つめた。
首を傾げながら彼を見つめ返す彼女の姿は、まさしく天使と言っても差し支えは無い。
自分が照れている事に気づいた雷蔵は素早く彼女から目を逸らし、身に着けていた首巻で顔を隠す。
「えへへ、ドキッとしました? 」
「し、しとらんっ! ええい、顔を覗き込むな阿呆! 」
「お返しですよーっだ! いつまでも子供扱いされる訳にはいきませんからね! それに……」
再びシルヴィの顔の距離が近づいた。
「……あの時の事、私は忘れてませんから」
顔が真っ赤になるのが自身にも分かるくらい、雷蔵は頬を紅潮させて一気に身体を強張らせる。
小悪魔のような笑みを浮かべながらシルヴィはピースサインを向け、その場を立ち去っていった。
思春期男子のような感情に陥ってしまった事に恥ずかしさを覚えながら雷蔵は柵に一人凭れ掛かる。
瞬間彼の隣にエルやレーヴィン、ヴィクトールやフィルが姿を現し、雷蔵は思わず声を上げた。
「あの時の事って、何? 雷蔵、私気になる」
「そ、そうだぞ雷蔵殿! ま、まさか姫様の純潔を奪う事は……!? あ、でもそれはそれで……」
「いやなに納得してんのよレーヴは……。あの時ってのはな……ごにょごにょ」
「なっ!? そ、それは幾ら何でもキザすぎるぞ!? 」
静かだった辺りは一気に騒々しさを増し、雷蔵は額に手を当てる。
この状況を一番楽しんでいるのは間違いなくヴィクトールだろうと内心彼を恨んだ。
「雷蔵はやるときはやる男。私はそう信じてる」
「お主ら……一体どこから聞いていた? 」
申し訳なさそうな表情を浮かべながら、レーヴィンが口を開く。
「……済まぬ。全部聞いていた」
「ほぁっ!? 」
「雷蔵さん……意外と初心な所もあるんですね……」
「わっ、忘れてくれぇぇぇぇッ!! 」
一気に恥ずかしさの感情が込み上げ、雷蔵は顔を覆う。
その後彼は叫び声を上げながら4人の下を立ち去り、市内の奥へと消えていった。




