第八十五伝: 運命の辿り着いた先
<機甲帝国ヴァルスカ領土内>
そうして、約四日間の月日が流れた。
時には晴れ、時には雪の嵐を降らせる雪国特有の気候に四苦八苦しながらも雷蔵達はただひたすらに広い雪原を歩き続けた。
雪原の歩きにくさと気候の変化が激しい事により想像以上に体力が奪われていた彼らは度々暖を取る為に休憩を何度も挟んだ結果、倍の日数を経てようやくヴァルスカで有数の交易都市アポ・クトリに近づいている。
全員が魔導核を埋め込まれたコートを身に纏っているお蔭で凍える事は無かったが、それでも雷蔵たちの身体には疲労が蓄積していた。
乳酸の溜まった足に力を入れながら彼らは現在森林地帯に差し掛かり、森の出口まで迫る。
「これ……本当に近づいてるんだよなぁ……? 」
「文句言わないでくれよ、ゲイル。地図にはそう書いてあるんだからさ」
「そりゃあ……分かってるけどさあ……」
ゲイルが愚痴を口にするのも無理はない。
その隣を歩いていた椛と平重郎が彼に発破を掛けるように臀部を平手打ちした。
「いってえ!? な、何すんだよォ!? 」
「そんだけ騒げるならまだ元気がある証拠だねェ。アポ・クトリに着いたら稽古つけてやるから、早くしなァ」
「ほ、ほんとかじいさん!? 嘘ついたら承知しねえからなっ! 」
「はは、元気なこったァ。しかし、本当にこっちで合ってるのかい? 」
平重郎の問いにフィルは頷く。
「はい。地図の表記にある通り僕たちはいま山沿いを歩いていて、その先に目的地があるはずです。およそ距離にして二日間掛かると書いてありますが、この天候では4日間掛かるのは仕方ありません。それにこの森がアポ・クトリに通ずる最後の森林地帯なので、大丈夫ですよ」
「そうかい。ありがとうねェ、兄ちゃんよォ」
「……私が言うのも何だが、本当に見違えたな。初めて騎士団に居た時とは想像もできない姿だ」
「あはは、椛さんにそう言ってもらえるのは嬉しいです。でも、僕もあの人に……追い付こうと必死でしたから」
自然とフィルの視線が最前列を歩く雷蔵の背中に向けられた。
そんな様子を見ていた椛は肩を竦めながらも彼に近寄り、耳元に口を近づける。
フィルの頬が僅かばかり紅潮するが、彼女は気にも留めずに口を開いた。
「……それはあいつに言ってやれ。その方が喜ぶ」
「はっ、はい……。そ、その椛さん……近いんですけど……」
「フィールゥー? 」
突如として背後から掛かった不満げなルシアの声に、思わずフィルは肩を震わせながら後ろへ振り向く。
ムッとした表情の彼女が睨んでいる光景を目の当たりにしたのか、思わず彼は足を止めてしまった。
「ご、ごめんルシア! これは決して……! 」
「もー! フィルってば天然タラシの癖にすーぐ女の人と仲良くなるんだから! 士官学校の時だって色んな女の子に手出してたじゃない! 」
「ほーう? 教官側から見たらそんな風には見えなかったが……坊主、お前意外とやるじゃないの? 」
「はは、フィルはそういう所も成長したか! 同じ男として少し妬むぞ、こいつめ? 」
「お前が言えた義理か阿呆。雷蔵は早くシルヴィとよりを戻せ」
「ぐっ……! 何も言えん……! 」
椛からの鋭い指摘により雷蔵は顔を顰め、周囲を笑いを誘う。
お互いに会話を楽しんでいたせいか7人はあっという間に森を抜ける事が出来た上、広い雪原へと出た。
一面に広がる雪景色の中心に、鈍色の堅牢な城壁で覆われたドーム型の都市が見える。
天高く建てられた5本の煙突からは白い煙が立ち上り、その周りからも幾つもの暖かな煙がたなびいていた。
交易都市として名高いこのアポ・クトリには陸路でしか行く手段が無いが、それでもヴァルスカ製の質の良い工業製品を求めて何万人もの商人たちがソリや独自の移動方法を駆使してここに訪れる。
活気溢れるその様子に彼らは感嘆の声を上げ、歩き始める足はやがて雪原を駆けていった。
この時期は商人たちも仕入れを終えているのか、関所に並んでいる人間は誰一人としていない。
先ほどの疲労が嘘のように7人はあっという間に辿り着き、関所の衛兵から訝し気な視線を向けられた。
「も、もしや君たち……歩いてきたのかい……? 」
「そうだが……何かおかしい事でも? 」
「い、いやぁ! 君たちのような旅人や冒険者が来るなんて数年ぶりなんだ! 今は商人の方しか来られなくて、こんな雪の中を歩こうとする旅人は少ないんだよ。一先ず、通行証を見せてもらえるかい? 」
陽気な兵士に雷蔵たちは冒険者証明証を彼らに手渡すと、背後にいたヴィクトールたちが何やら別の衛兵と話し込んでいる。
「リヒトクライス騎士団四番隊隊長、ヴィクトール・パリシオだ。今回、共和国の首相からヴァルスカの方へ我々が入国する事を全都市の代表者に伝えられている筈なんだが……確認してもらえるか? 」
「共和国から……。分かった、少し関所の中で待っていてくれ。ここでは寒いだろう。コーヒーでも飲むかい? 」
「あぁ、助かる。丁度欲しいところだったんでね」
そう言うと4人は関所へと先に消えていき、雷蔵達を応対していた兵士が目を合わせた。
厚手の黒いコートに手袋を身に着けた彼の肩には鉄製の筒が木製の持ち手によって包まれた小型の武器が提げられている。
「君たちも入るかい? 彼ら、一緒に旅をしてきたんだろう? 」
「お願い申し上げる。しかし、お主の肩から下げているものは……」
あぁ、と彼は相槌を打ちながら雷蔵にその武器を見せた。
持ち手の部分には何やら引き金のようなものが取り付けられており、そのすぐ近くに長方形型の箱が差し込まれている。
兵士は関所に彼らを案内すると、客人用の机の上に筒状の武器を置いた。
「"魔導銃"さ。魔法が作用する反発力を利用して、鉄の弾丸を打ち出す代物だよ。見るのは初めてかい? 」
「うむ……そのような武器がある事も知らなかった」
「人工魔獣が一年前に現れ始めてから、ハーヴィン宰相が急造させて僕たちに配備させたんだ。話によれば、人工魔獣は魔法効果を伴った攻撃でしか倒せないらしいからね。近々、フレイピオスやイシュテンにも完成品を送る予定らしいよ」
「……実用化されていたとはな。噂には聞いていたが……」
兵士は席から立ち上がると4人分のマグカップを手にし、煎りたてのコーヒーが入ったポットを傾ける。
暖かく黒い液体が容器の中に注がれ、手にした瞬間雷蔵たちに温もりを与えた。
コップの縁を傾け、コーヒーを喉の奥に注ぎ込むと濃厚な苦みが口内を支配する。
「おっ、お仲間さんは手続きが終わったみたいだね。それじゃあ君たちも――――」
その時だった。
雪原を揺らがすほどの咆哮と轟音、そして周囲に響き渡る大きな足音。
咄嗟に雷蔵は外を飛び出し、既にその光景を目の当たりにしていた兵士と共に迫る影を見据える。
彼の双眸の先にまず映ったのは、空を舞う飛行型人工魔獣キマイラたちの姿。
連中が追うのは雪の上を走れるように訓練された数匹の四足歩行型の魔物・ヴァルトボアで、上には黒いローブを羽織った男女が跨っている。
雷蔵の隣に立っていた兵士から望遠鏡を奪い取り、その光景を確認しようと筒を覗き込んだ。
先頭を走っていた女のローブのフードがめくれる光景をレンズが映し出す。
絹糸のように美しく長い銀髪。
長い年月を経て、大人の美貌と少女の可憐さを兼ね備えた顔立ち。
彼女の周囲にに立つのは同じく金糸のように長い金髪を靡かせながら騎士剣と盾を構える女性に、杖を手にして魔法を詠唱し始めるエルフの女と、銀色の籠手を装備した巨体のオークの男性。
「……ッ!! 」
その光景に数秒間固まった後雷蔵は望遠鏡を即座に突き返し、一心に関所の外へ駆けだした。
「雷蔵さん!? 」
「馬鹿! 何やってやがるッ! 」
フィルやヴィクトールの制止を無視し、追われている4人の男女の元へ疾走する雷蔵。
椛は舌打ちするとすぐ傍にいた兵士に歩み寄った。
「奴は私たちが連れ戻す! 貴方達は戦闘配備だ! 準備が整うまで時間を稼ぐ! 」
「だ、だが君たちは……!? 」
反対側に居たゲイルやルシア達も各々の武器を取り出しながら、雷蔵を追うようにアポ・クトリとは反対の方向へ向かって行く。
「問題ありません、あの程度の魔獣なら何度も相手にしてきました! 早くしてください! 市民の避難と防衛線を張るんですよ! 」
「わ、分かった! 俺たちが来るまで死ぬなよッ! 」
兵士たちの言葉を背中に受けながら、ヴィクトールとフィルも雷蔵を追走していった。
真っ先に飛び出していった雷蔵の目には男女が乗っていたヴァルトボアがキマイラの吐いた炎によって焼き殺される光景が映り、より焦燥感を煽る。
雪原に投げ出された4人の男女は各々杖や籠手、剣を手にしながら四方に群がる魔獣たちと睨み合っていた。
雷蔵が彼らの下に辿り着く寸前に交戦を始めており、更に走る力を強める。
彼の両隣にフィルとヴィクトールがいる事を確認した雷蔵はそのまま彼らを一瞥し、細剣を握る銀髪の女に飛び掛かろうとしていたキマイラ目掛けて高く飛び上がり、彼女を守るように腰の愛刀・紀州光片守長政を抜き払った。
「ッ!? 誰――――」
刀の柄を握った掌に首を斬り落とした心地の悪い感触が走る。
青い返り血が顔に飛散するも雷蔵は気にせず、彼らの姿に絶句する背後の少女の方へ振り向いた。
――――また、こうして巡り合ってしまうとは。
「…………久しぶりだな、シルヴィ」
「ら……雷蔵、さん…………? 」




