第八十三伝: To love, to him
<大統領府・執政室>
近衛雷蔵。
ゼルギウスの口から放たれたその名を、シルヴィは今一度耳にした。
かつて、彼女が国を取り戻す為に共に旅をした男。
彼女が第二の人生を与えた男。
そして――――。
彼女が今も、愛している男。
思わずシルヴィは唖然としたまま口を紡ぐ目の前のゼルギウスを見つめる。
王城跡の庭園で彼と口づけを交わしてから、一度も雷蔵の行方を知る事が出来なかった。
否、自分でしなかったと言った方が正しいだろう。
行方を調べてしまえば、自分が彼に会いたくなる。
彼との約束を、彼の覚悟を踏み躙ってしまう。
だからこその諦観。
それを貫いていた筈なのに、こうしてまた雷蔵と巡り合う運命をシルヴィは背負っていた。
「馬鹿な……! 雷蔵殿は私達に何も告げずこの国を去ったはずです! それが何故、大統領に関係が……! 」
「……雷蔵は元より、ロイを追うつもりだった。無二の親友を人工魔獣の実験体にされたその恨みと無念を晴らす為にな。だからこそ、君たちを巻き込みたくなかったのだろう。個人的な意思で旅を続けてしまっては、いつか君たちに危険が及ぶ。それを彼は恐れた」
「……良い意味でも悪い意味でも、優しいのね。彼は……」
「馬鹿野郎が……! 」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるラーズを一瞥し、ゼルギウスは再びシルヴィへ視線を向ける。
その双眸は大統領としての厳しいものではなく、妹を気遣う優しい兄のものだった。
「……だから、私は彼の意思を尊重して大統領からの依頼として彼を送り出した。何かあったら、私が責任を負う為にな。シルヴァーナの気持ちもわかるが、私も男としての雷蔵の気持ちも痛いほど分かる。……もし気に入らないようであれば、今ここで私を殴ってくれ」
「わ、私は……」
突然の事で困惑しているのか、シルヴィは思わずその場で座り込む。
すぐさまレーヴィンが彼女に駆け寄り、身体を支えた。
「……大統領。私はこの任務を請ける事に反対します。あまりにも私情が絡み過ぎている。任務に支障を来すのは必然的でしょう」
「エル! お前何てこと言うんだよ! 雷蔵に会える最後のチャンスかもしれないんだぞ! 」
「では彼の為に死ねと言うの? それこそ、雷蔵が悲しむ。私達は彼からシルヴィを託されたのよ。それを守らねば……彼が報われない」
エルとラーズが睨み合うその隣でシルヴィは立ち上がり、一度だけの深呼吸をする。
ラーズの言い放った、最後のチャンスという言葉が頭の中で反芻した。
一年と言う期間を経ても、彼の事は忘れる事が出来なかった。
むしろ、会いたいという想いが増していたことをシルヴィは理解していた。
雷蔵が危機に瀕しているというのなら。
今度は……此方が助ける番だ。
「…………ゼルギウス大統領」
「何だい? 」
「その任務……私たちに請けさせて下さい」
その場にいた全員の視線が彼女に集中する。
「私は彼にたくさんの事を教えて貰ったんです。義を以て忠を尽くす事、恩義を忘れない事……それに、人を純粋に愛する事を。だから……今度は私たちが彼に教えてあげる番だと思うんです。他の人間を頼っていい事……それに彼にはたくさんの味方がいる事を」
シルヴィを愛するが故に、雷蔵は彼女を巻き込まないようにと決別した。
ならば、此度はシルヴィが彼に彼女なりの愛の形を教える。
既に彼女の目からは困惑と迷いは消えていた。
「……分かった。他の者、異論はないか? 」
彼女の答えを待っていたかのようにラーズは笑顔を向け、レーヴィンとエルは苦笑を浮かべる。
そんな彼らの様子を垣間見たゼルギウスは椅子から立ち上がり、真剣な表情を見せた。
「では、出立は明日の明朝、行き先は機甲帝国ヴァルスカの交易都市であるアポ・クトリを第一拠点とせよ。君たちにこの国の……いや、世界の命運が掛かっている。心して、任務に当たれ」
「了解っ!! 」
4人は一斉にゼルギウスへ敬礼した後、執政室を出る。
一人取り残された彼は、窓の外の青空を仰いだ。
するとその時、机の上に置いていた通信媒体が自動的に起動される。
『……随分と仰々しい説明だったでありますなぁ、大統領? 』
「何……。我が妹とその臣下たちには、多大なる迷惑を掛けた。これは王位継承者として、そして兄としての……償いに他ならない」
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<首都ヴィシュティア・城下町通り>
ゼルギウスからの説明を終えレーヴィンたちと別れたシルヴィは市場で買い物を済ませ、大荷物を抱えながら自身の住まう小さな家へと足を運んでいた。
雷蔵を追う旅の支度をするために彼女の抱える袋には野営用の食糧やサバイバル用品、暖を取る為の非常用マッチなど様々な品が入っている。
既に日が地平線の下に沈みかけ、美しい橙色の光が周囲を照らしていた。
人通りが少ない石畳の上を歩いていると、シルヴィの背後から声を掛ける若い声が一つ。
「お、お姉ちゃん! 」
「んん? 私、かな? 」
買い物袋を一度地面に置いてから、後ろを振り返ると先ほど市場でぶつかった少年が一人その場に立っていた。
彼は真剣な表情を浮かべながらシルヴィに近づいていき、隠し持っていた一輪の赤い花を手渡す。
「ぼっ、ぼ、僕と……結婚してくださいっ! 」
「へっ? 」
思わず素っ頓狂な声を上げ、彼女は今一度目の前の少年の顔を見た。
子供ながらも覚悟を決めてここに来てシルヴィに声を掛けたのであろう、彼の目は真っ直ぐと彼女を見つめている。
彼の言葉をもう一度嚙み締め、そして優しく微笑んだ。
「……ありがと。お姉ちゃん……すごく、すっごく嬉しいよ。勇気を出して来てくれたんだもんね」
少年の身体を抱きしめ、そして今一度彼の目を見つめる。
でも、とシルヴィは口を開いた。
「私、これから遠くに行かなきゃいけないの。好きな人を、追いにね」
「……すきなひと、いるんだ」
彼は途端に悲しげな表情を浮かべ、顔を俯かせる。
自分でも残酷なことを言っている事は理解出来た。
それでも、シルヴィは少年の肩を掴んだ。
「うん。でも、今の君はすごくかっこいいよ。お姉ちゃんが言うんだもん、間違いない」
「……ほんと? 」
「本当だよ。……その気持ち、忘れちゃダメ。私との約束だよ、いい? 」
彼女の言葉に少年は頷く。
もう一度彼を優しく抱きしめた後、シルヴィは彼の額にそっと口付けをした。
「……じゃあね。また」
「う、うん! またね、お姉ちゃん! 」
地面に置いた買い物袋を担ぎ上げ、少年にウィンクをしてから彼女は後を立ち去る。
夕日の光を一身に背負いながらシルヴィは、通りの奥へと消えて行った。




