第八十一伝: 選択
<テオボスの村・リラの家>
「ロイ・レーベンバンクの拘束及び殺害。俺達は、お前たちと同じ目的で動いている」
「な、何故……その名前を……」
本来であれば雷蔵たちしか知り得なかったその名前をヴィクトールの口から耳にし、思わず彼とフィルは唖然とする。
いつになく真剣な表情を浮かべるヴィクトールは壁に寄り掛かりながら、再び口を開いた。
「首相から直々の命令だよ。おそらくゼルギウス大統領か誰かが、代表者の会談で話したんだろうねぇ。とにかく、伝えるつもりだったがドタバタしてて伝達できなかったんだ。すまないねぇ、フィル」
「問題ありません。作戦を指示される前に、人工魔獣の襲撃があった事は確かですから。でも次からは隠さないで下さいね? 」
「へいへい。ま、とにかく安心しな雷蔵。俺達がまた助けてやっからよ」
それに、と悪戯な笑みを浮かべながら雷蔵に近づいて彼の両肩を掴む。
「……シルヴィちゃんとも仲直りさせなきゃいけねえしなぁ? 」
「おっ、お主どこでそれを……! 」
「これも首相からだ。お前さん、随分と酷い別れ方したみたいじゃねえか。嬢ちゃんのお兄様が嘆いてたぜ、"彼女の心を盗んでいった"ってな」
「えっ!? 雷蔵さんってシルヴィさんと付き合ってたんですか!? 」
「つっ、付き合ってはいない! ただ……その……気持ちには、気づいていたが……」
「ダメですよ雷蔵さん! たとえ断るとしてもちゃんと向き合ってから別れないと! どんな別れ方したらそんな風になるんですか? 」
フィルからの問いに雷蔵は顔を引き攣らせ、気まずそうに目を逸らした。
こんなところまで成長しているとは、と内心毒づきながら口を開く。
「そ、その……口に睡眠薬を塗ってせ、接吻をし……別れを告げたのだ。一方的に……な」
「はぁっ!? 」
ヴィクトールとフィルが思わず声を上げるほどに、二人は雷蔵に迫った。
「てめっ、俺でもそんな事しなかったわボケ! そんなん後ろから刺されても文句言えねーぞ!? レーヴだったら薬の効果も気合いで引っぺがして追っかけてくるわそんなん! そこはちゃんと受け止めてからシルヴィちゃんも一緒に旅に行くのが先決だろうが! 」
「そうですよ! 僕でさえルシアを川辺に呼び出してキスぐらいで済んだのにそんな事したらシルヴィさん忘れる訳ないじゃないですか! 」
「えっ……お前もそんな事してたの……引くわ……」
「今度は僕に飛び火するんですか!? 」
「うるせえ! だいたいお前は天然過ぎて見てられねえんだよ! 」
表情が二転も三転もするフィルとヴィクトールの様子が何だか可笑しく見え、雷蔵は思わず笑い声を上げる。
取っ組み合いにまで発展しそうになっていた二人は突然笑い始めた彼を素っ頓狂な表情で見つめ、そして笑みを浮かべた。
「笑ってる場合かアホォッ! 一番問題なのはお前なんじゃ! 」
「そ、そこは笑って済ましてはくれぬのか!? 」
「当たり前ですよ! あんなに可憐な人と好き合ってたのに別れを切り出すなんてひどいじゃないですか! この女タラシ! 罪な男! 」
「そうだそうだ! お前は全国の男を敵に回したぞォッ! 」
彼らはベッドの上に座る雷蔵に飛び掛かり、彼を押し倒す。
余程騒音が酷かったのか同じ部屋で横になっていた椛が不機嫌そうな表情を浮かべながら取っ組み合う3人の背後に立った。
「貴様ら……人の睡眠を妨げて騒ごうなどとは良い度胸ではないか……」
「な、なーんか凄い殺気がする……ってうわぁっ!? 」
椛の両腕がすぐ傍にいたフィルの首に絡みつき、女性とは思えないほどの強さで彼を締めあげる。
その様子に気づいた雷蔵とヴィクトールは戦慄し、その場から動けずにいた。
「い、イングリット!?……じゃなかった、落ち着け椛ちゃん! 坊主が青くなってる! 」
「だが妙に嬉しそうなのは何故だ……? まさかフィル……1年という期間で妙な性癖に目覚めたのでは……」
「もっ、椛さん! 当たって……ます……! 当たってます……から!! 」
「当たってる……? ……ッ!? 」
フィルからの言葉に突如椛は顔を赤らめ、彼の首から腕を離す。
その様子をばっちりと目撃したヴィクトールと雷蔵は悪戯な笑みを浮かべる。
「こっ、このッ……思春期男子共がァーッ!! 」
「いやなんで僕まで―ッ!? 」
その叫び声と共に三人は外に放り出され、顔から雪の中へ突っ込む羽目になってしまった。
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<テオボスの村・広場>
「いててて……。あんにゃろう……全力で蹴りやがって……」
「十中八九拙者たちに非があるだろう。後で謝らねばな」
「そうですね……許してくれるかなぁ……」
服に付いた雪を払い落とし、3人は頭を冷やす為に村の中心部へと足を運んでいた。
人工魔獣を撃退した事から少しずつではあるが村に活気が戻ってきているようで、様々な市場が開かれている。
そんな中、3人の下へ真っ直ぐと向かってくる一組の男女が姿を現した。
「あっ、やーっと見つけた! もう、探したんだからね! 」
「ったく隊長もフィルも、すぐ目を離すとどっか行っちまうんだからよ」
「ゲイル! それにルシアも! 」
ルシア、という名前をフィルの口から耳にした雷蔵は座っていたベンチから立ち上がり、二人に近づく。
「もしや……ルシア殿か!? 大きくなったなぁ! 」
「雷蔵さん! どうもお久しぶりです! 」
「なんだ、知り合いだったのか? 」
「うん。そう言えば……この中じゃゲイルが雷蔵さんと初対面なんだもんね」
成長したルシア・マッシュフィリトは後ろで三つ編みにした深紅の髪を揺らしながら雷蔵と握手を交わし、その隣に立つ青髪の青年が明快な笑顔を浮かべながら彼に手を差し出した。
ゲイルと呼ばれたその青年の腰には雷蔵が愛用しているような片刃の剣が刺さっており、雷蔵の目を惹く。
「ゲイル・ウィルバートだ。フィルやルシア、隊長から話は聞いてるよ、あんたが近衛雷蔵さんだな? 」
「如何にも。ところでお主、その刀は……」
雷蔵はゲイルの愛刀を受け取り、白塗りの鞘から浅葱色の柄を手に取って刀を引き抜いた。
青空に浮かび上がった白い太陽の光が銀の刀身に反射し、眩い光を放つ。
「不動守兼光。あんたも刀を使うんだろ? 」
「うむ。しかしこの刀……相当な業物であるな」
「そりゃあ和之生国の刀鍛冶が打った代物だからな! 雷蔵さんの刀も見せてくれよ」
言われるがまま雷蔵は腰に差していた愛刀・紀州光片守長政を腰から引き抜き、目の前のゲイルに手渡す。
刀身が露わになった瞬間、ゲイルの目は途端に輝き始めた。
「すっっげぇっ……」
「あーダメだこりゃ。ゲイルがこの状態になると手が付けられないのよね……」
「はは、まあ良いだろう。減るものでもない。ところでルシア殿、お主も騎士団に入られたのか? 」
肩を竦めて呆れるルシアはフィルの隣に座り、彼の肩を叩いた。
「はい。本当は村でフィルの帰りを待つって約束だったんですけど……その、待ってられなくて」
「最初は驚いたよ。坊主から幼馴染が故郷にいるって聞いてたが、まさか士官学校まで追っかけてくるとは思わなくてな」
「えへへ……。でも、本当に待ってるだけっていうのは嫌だったんです。私もフィルの力になりたかったから」
「ルシア……」
顔を赤くしながら照れ臭そうに笑うフィルとルシアを横目に、ゲイルが雷蔵の下へ刀を返しに来る。
二人を見るなりゲイルは肩を竦め、ヴィクトールの隣に座った。
「まーた始まったよ。この二人はほっといてくれ、時間が経てばイチャつかなくなるからよ」
「そういう訳にはいかねえんだ。お前たちを呼んだのは雷蔵に会わせるためだけじゃないんだよ。もっと真剣な……ステルクの事についてだ」
あの騎士の名前を出した瞬間、緩んでいた空気が一気に張り詰める。
それほど彼らにとってステルクと言う男は大きな存在であったのだろう。
「此処一帯の人工魔獣を使役していたのはステルクだった。幸い、フィルがあいつの兜を外してくれたお蔭で魔力による追尾が出来る」
「っしゃあっ! これであのバカを連れ戻せるって訳だな! 」
「いや、そうとは限らぬ。仮に追跡される事を分かっているのなら、それを踏まえた上で罠を仕掛けるかもしれんな」
「僕もその線が強いと思います。隊長とルシアはどう思う? 」
「私はゲイルに賛成かも。罠を張る前にこっちから仕掛ければ大丈夫じゃないかな? 」
「いや、それではダメだ。リスクを冒す上に得られるリターンが少なすぎる。いくら雷蔵たちと合流して人数が増えたところで、人工魔獣の量には敵わねえ」
瞬間、5人の下に一人の老人と少女が姿を現す。
「――――じゃあ、敢えて罠に嵌ってみるってのはどうだい? 」
「あんたは……」
「霧生平重郎。この若造と嬢ちゃんと一緒に旅してるしがない老いぼれさ」
「じいさん、罠に嵌るってのはどういう意味だ? 」
ゲイルの問いに平重郎は顎を撫で、瞳を閉じたまま顔を彼の方に向けた。
盲目という事がリヒトクライス騎士団の4人に理解されたのか、僅かばかり彼らはたじろいでいる。
「正確には罠に嵌った振りをするって事さァ。どっちかが囮になる必要があるがねェ」
「囮、か……」
罠の正体も掴めていない上に、全員で立ち向かってしまっては多勢に無勢。
作戦会議は大きな壁に阻まれたように見えたが、そこで椛が名乗りを上げた。
「ヴィクトールの幻影魔法と私の忍術で切り抜けられないだろうか。幻影魔法の対象者は? 」
「限界が5人。まあ騙せなくはないが……果たして効果があるかどうかだな」
「ならば私をその対象から外せ。安心しろ、獣の動きなど躱す事くらい造作もない」
「……その隙を突いてステルクを拘束するって事、ですか? 」
「そうだ。私達なら殺しかねん。止めはお前たちが刺せ」
椛の言葉に僅かばかりの緊張感を覚えたフィルは顔を強張らせ、不安げにヴィクトールの方へと視線を傾ける。
「……言ったはずだ、フィル。奴が俺たちを殺しに来るなら、全力で答えなければ俺たちが死ぬ。四の五の言ってる暇はねえんだ。……あいつは、完全に堕ちちまったんだよ」
「それでも、僕はまだステルクに救いの余地があると信じたい! 僕たちが信じられなければ、誰が信じるって言うんですか! 」
「信じるだけじゃ命は救えねえ。それは一番最初に教えたはずだ」
「で、でも……! 」
反抗しようとするフィルの肩を優しく叩き、彼の言葉を雷蔵は遮った。
苦楽を共にしてきた人間を殺さなければいけない状況に、フィルも立たされている。
だからこその制止だった。
「……止さぬか、二人とも。殺すか殺さないかは、今この場で出す答えではない。覚悟が宿らなけらばそれこそ……自分を殺す事になる」
「そういうこった。ひとまず解散にしよう。明後日の朝方にここを出てステルクを追う。……それでいいな、フィル」
渋々フィルは顔を俯かせながら頷き、その場を立ち去る。
彼の後をルシアが追おうとするもゲイルとヴィクトールに引き留められ、その場に立ち尽くす他なかった。
「……拙者たちはそろそろ戻るぞ。リラ殿にも明後日出立する事を伝えねばならん」
「あぁ。……付き合わせちまって、悪いな」
気にするな、とそう告げながら雷蔵は椛と平重郎を引き連れてその場を立ち去っていく。
そんな彼らを見守りつつ、ヴィクトールは巻き煙草を咥える。
「……結局は、俺たちの手で楽にしてやる事しか出来ないんだ」
紫煙が、雲一つない晴天に立ち昇った。




