第七十九伝: 交差した点と点
<テオボスの村・大通り>
再び押し寄せる冷気と極小の結晶を目の当たりにした雷蔵は、腕を通していたコートの前を閉める。
履いていたブーツの靴底が降り積もった雪の上で軽快な音を立て、彼を村の広場まで運んだ。
懐に手を突っ込むと、取り出したのは緑色の宝玉。
魔法を起動する方陣を展開し、ある人物に伝達魔法を送信し始める。
『雷蔵か。一体どうしたんだ? 』
「人工魔獣の出現がヴァルスカでも確認できた。しかも、意思を持っている」
ゼルギウスの声が雷蔵の脳内にのみ響き、彼の声音は驚きを隠せないものへと変貌していた。
驚くのも無理はない。
今まで雷蔵やゼルギウスが目の当たりにしてきた魔獣の種類は全て知能を持ったものではなく、本能で人間に危害を加えている個体が多い。
しかし今回討伐を依頼された魔獣は甲冑を身に纏い、そして幾つもの家屋を破壊できる力と人間に対して言葉を駆使する知能を持つものであった。
『ヴァルスカにも既に進行していたか……。それで? その魔獣の外見は? 』
「黒い騎士のような風貌だと依頼人から聞いていた。明日、その魔獣を倒しに行く。……ゼルギウス殿、拙者の憶測を聞いてくれるか」
『話してみろ』
雷蔵は一呼吸を置きながら、脳裏に長政の姿を思い浮かべる。
「まずフレイピオスの研究所で遭遇したロイは、死者の使役の実験を行っていた。確か……不死実験だったか」
『その筈だ。後々回収した奴のレポートにはそう記されている』
「そしてロイは人間の姿を留めたまま死者を生き返らす事に成功し、長政と藤香を実験の本元として扱っている。仮に、ロイが人工魔獣の発生と関わっているのならば……今までの魔獣の発生に納得がいく。そして得た情報によれば、奴は今この帝国に潜んでいる」
『つまり……今回の人型魔獣は……』
首を縦に振り、雷蔵はゼルギウスの言葉を肯定した。
頭に積もっていた雪が落ち、地面に新雪が降り注ぐ。
「ロイの新たな実験個体、と思って良いのかもしれない。もし何か情報や魔獣の一部を得られることが出来たのなら、是非ともそっちに送って解析をして貰いたいんだ」
『分かった。ならば回収部隊が必要だな。君がその依頼を遂行したと同時に向かわせよう』
「忝い。それと……」
少し言葉を詰まらせながら、雷蔵は尋ねた。
「……シルヴィは、どうしている? 」
『つい昨日、特務行動隊の正式なメンバーとして任命されたよ。兄としても大統領としても、鼻が高い』
「そうか……元気そうで、良かった」
安堵の溜息を思わずその場で吐く。
一年前、彼女に別れを突然告げてからなるべく雷蔵はシルヴィの事に関して聞かないようにしていた。
そのことを聞いてしまったら、自らの覚悟が揺らいでしまう気がしたから。
「他の皆は? 」
『ラーズ君とエル君、それにレーヴィンもシルヴァーナと同じ特務行動隊に配属されることになった。クレアやギルは、相変わらずこちらの方で使用人兼護衛として動いてもらっている。安心しろ、雷蔵。皆はお前がいなくとも、力強く生きている』
雷蔵の不安を感じ取ったのか、ゼルギウスの声音は何処か優しかった。
つくづく二枚目な男だ、と内心笑いながら雷蔵は座っていたベンチから立ち上がる。
「そろそろ通信を切るぞ。十分に体が冷えてしまったからな」
『分かった。依頼の成功と君の無事を祈っている』
その言葉と共に通信媒体の魔法は解除され、雷蔵は宝玉を懐に仕舞った。
降り積もった雪を再び踏みしめながら、周囲をパトロールしていた帝都兵に声を掛ける。
彼は依頼書と冒険者の証明書を見せつつ口を開いた。
「どうした? 何か用か? 」
「失礼。拙者は近衛雷蔵と申す者。冒険者として、この国に入国している。一つ質問があるのだが、宜しいだろうか? 」
甲冑の上に防寒具を纏う兵士の首が縦に振られる。
「この村に入って市場の並びを見たのだが、魔法器の充填を行ってくれる店が倒壊してしまったようでな……。どこか、別の場所を知らないだろうか? 」
「それなら帝都兵の詰め所を使ってくれ。緊急時には村民や他の人間に無償で提供しているんだ。それに、その依頼書を見る限りじゃここを襲撃した張本人を倒しに行くらしいじゃないか」
「忝い。恩に着る、兵士殿」
「いいんだ。……俺たちじゃあ敵わないだろうし、見たところあんたの方が断然強そうに見える。不甲斐ないが、頼んだよ」
兵士から詰め所への入所許可証を受け取り、雷蔵は彼に別れを告げた。
その後寒さから逃れるようにリラの家の扉を静かに開け、その奥へと消えていった。
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<シヴセ・ヤ平原北部>
翌日。
永遠に降り注ぐかに思えた雪も止み、青空の中に太陽が煌々と輝いている。
テオボスの村で寒気を防ぐ防寒具と武器に魔法効果を注入する魔法具の補充を行い、雷蔵たちは再び雪原の中を歩いていた。
「その黒い騎士がいるという洞窟はこの辺りか? 」
「おそらく……。だが注意した方が良い。人工魔獣が居てもおかしくはない」
各々の得物から手を離さずに雪原に足跡を付けていく三人の白い息が、虚空を舞う。
防寒具のお蔭で体の芯から温まる事は出来ているが、それでも警戒の糸を解くまでには至らなかった。
彼らが警戒している理由は他にもある。
この雪原という足が取られる環境の中で戦ってしまっては不利な状況に陥る事を恐れていた。
「――――ッ!! 伏せなァ、二人ともッ!! 」
平重郎の声と共に椛と雷蔵の身体は雪原に倒される。
瞬時に彼らの頭上から風を切る音が聞こえ、体勢を立て直しながら得物を鞘から引き抜いた。
「これは……! 」
「人工魔獣だ! しかも飛行型の! 」
舌打ちをしながら雷蔵は隣の椛を起こし、青空を仰ぐ。
空には灰色の体毛と羽を携えた魔獣・キマイラが何体も飛び交っており、三人の身体を緊張に走らせた。
「走れッ!! この数じゃあ敵わないッ!! 」
「分かっているッ!! 」
椛がそう吐き捨てながら極小の魔導核を括りつけた苦無を投擲し、キマイラの目を眩ます為に煙を周囲に漂わせる。
その瞬間を待っていたかのように雷蔵が椛と平重郎の身体を担ぎ上げ、洞窟の方向へ走り出した。
「洞窟まで行けばなんとかなる! 早くしろォッ!! 」
「無茶を言う……! 」
キマイラの口から吐き出される炎を肉薄しながら雷蔵は二人を抱えながら視界に映った洞窟の入り口へ飛び込み、なんとかキマイラ達から逃げ切る事に成功する。
地面に降り立ったキマイラに先ず斬りかかった平重郎が獣の頭を斬り落とした。
「平重郎ォッ! 」
「ちィッ! 数が多すぎる! 何とかなんねえのか! 」
「椛! 」
雷蔵の言葉に応えるかのように椛は幻影魔法の魔導核を結び付けた苦無を地面に投げ、キマイラたちに幻影を見せる。
その隙を雷蔵と平重郎が逃すはずも無く、居合で一気に距離を詰めた。
愛刀・紀州光片守長政の刀身が唸りを上げてキマイラの首へ迫り、太い首根を一刀のもと斬り捨てる。
青い血液が周囲を舞い、雷蔵の首巻を藍色に染め上げた。
「先ずは2体! どうする! 」
「奴らも退いてるぞ! 奥に逃げるのは今しかないッ! 」
椛の言葉と共に3人は洞窟の奥へと走り出し、空中に浮遊していたキマイラたちは雷蔵たちを追わずに雪原の上に降り立って洞窟からは離れていく。
湿り気を伴った洞窟の中へ入った3人は、着ていた防寒具を脱ぎ捨てて背負っていた鞄に仕舞いこんだ。
「逃げ切れたか……。ここの洞窟で合っているのか……? 」
「間違いない。地図にあった場所とリラの言ったところと一致する」
そうか、と雷蔵は相槌を打ちながら洞窟の中を歩き始め、鍾乳洞を一瞥しながら奥へと進んでいく。
次第に禍々しい妖気を感じ取った彼は愛刀の柄に手を掛けながら岩肌の上を歩いていった。
魔物の気配さえしない事が妙に気に掛かりながら、3人は冷や汗を額に浮かべる。
既に不気味さを感じ取っていたのだろう、雷蔵の隣を歩く椛の呼吸が荒いものとなっていた。
「椛……? 」
「気にッ……するな……! 早く……行けッ……」
やがて彼女の呼吸は段々と早まっていき、進めていた足を止めてしまうまでに陥った椛は地面に膝を着いてしまう。
彼女を介抱しようと椛の身体を背負い、安全な場所へ連れて行こうとしたその時だった。
金属の擦れる音が聞こえ、雷蔵と平重郎の身体が凍り付く。
松明から灯された火がその足音の主を映し出し、彼らの神経を張り巡らせた。
黒い甲冑騎士。
間違いなく、雷蔵が目にしたのはそれだった。
聞いていた話とは遥かにその威圧感は凄まじく、平重郎のような達人でさえもその場から動く事が出来ない。
両者の沈黙を解いたのは、決死の表情を浮かべた雷蔵であった。
「ほう……」
「貴様が黒い甲冑騎士とやらか……! 」
「如何にも。貴様が私を殺せる者とやらか? 」
剣を交えながらも言葉を返した事に虚を突かれた雷蔵の眼前に、騎士の手にした黒い西洋剣が現れる。
本能的に危険を察知し、愛刀を目の前に構えて凶刃を防いだ。
「なかなかやる。だが……」
鍔競り合った雷蔵の刀は騎士によって弾かれ、大きな隙を晒す。
胸元を掠り身に纏っていた胴着が切り裂かれると同時に彼は後方へ飛び退き、騎士との距離を取った。
「雷蔵! 」
「平重郎は椛を頼む! 奴は拙者に任せろ! 」
本気を出さねば、この騎士には敵わない。
そう感じ取った雷蔵は咆哮を上げながら黒い甲冑騎士へと斬りかかり、何合も斬り結んでいく。
腰に差した脇差も片手に、長剣だけを手にした騎士と鎬を削った。
(なんだこいつは……!? 剣に生気が全く感じられない……!? )
そんな違和感を感じつつも、縦一文字に振り下ろされた騎士剣を雷蔵は受け止める。
交えた刃の奥で騎士と視線を交わし、その生気の無さを改めて感じ取った。
「……可笑しいか? 私の姿が? 」
「黙れ……! 」
得体の知れない相手と戦うのが不気味に感じられ、雷蔵は思わず刀を握る手を緩める。
そのまま騎士によって剣を弾かれた直後、人間には到底成し得ない速度で剣を振り翳していた。
拙い。
このままでは――――。
黒い騎士剣の刃が刻一刻と迫り来る度、脳裏にシルヴィの姿が思い浮かぶ。
それほど彼女を思っていたのだろう。
今ほど死にたくないと思えた。
その時。
「――――そいつが死ぬのにゃ、まだちょいと早いかもしれないねぇ? 」
眼前で響く金属音と共に、騎士が後方へ着地した地面の擦れる音が聞こえる。
雷蔵が恐る恐る目を開くと、其処には見覚えのある男が二人も背を向けて立っていた。
首まで伸びた茶髪を後ろで縛り、両手槍を構える軽装姿の男。
その隣に立つ、長剣を片手に整髪料で焦げ茶色の髪を整えた青年。
――――フィランダー・カミエールとヴィクトール・パリシオ。
「……お久しぶりです、雷蔵さん。あの時の恩を、返しに来ました」




