第七十六伝: 心の在り処
<王都ヴィシュティア>
留置所を後にした雷蔵はそのまま政府官邸を出てから再び王都へ戻る道を歩き始める。
邸宅の門の傍には一人座り込む平重郎が壁に寄り掛かっており、彼が門から外に出るなり顔を向けた。
昼下がりの午後、二人の剣客が官邸の前で鉢合わせる。
「平重郎……」
「忍びの姉ちゃんと話は済んだかい? 」
「あぁ……どうやら彼女も来るらしい。今日の夜中に発つと決めた」
「そりゃあまた随分とお早い出立なこって」
平重郎は歩いている雷蔵の隣を並行して足を進める。
徐に着物の懐から煙管と取り出し、火の点いたマッチを近づけた。
彼の口から紫煙が吐き出され、燻ぶるような煙草独特の匂いが周囲に充満する。
「まあ旅ってもんは人が多いほど楽しいもんだ。今回の旅は、そんな事言ってる暇は無さそうだけどねェ」
「違いない。拙者たちは世界を回るのではなく、人を殺しに行くのだ。……それをお忘れ無きよう、申し上げる」
「若造が老いぼれに説教垂れるもんじゃないよォ。でも本当にいいのかい? 」
何を聞かれているのか分からない、という様子で雷蔵は隣に視線を傾けた。
「王女様の事さァ。お前さんも随分鈍感なんだねェ」
「……シルヴィの事か……。彼女は今大統領の妹として政府から保護されている。それに、彼女の役職もほぼ決まりかけているとの事だ。それを拙者の事情で連れ出し、またあの子を危険に晒す訳にもいくまい」
「あの子の感情を知っても尚、か? 」
平重郎の問いに雷蔵は目線を俯かせ、押し黙る。
煙草の匂いがやけに鼻につき、深く息を吐いた。
隣の平重郎が煙管の吸い口に口を近づけると、白い煙が虚空へ再び消える。
「まあいい、お前さんが決めた事だ。俺みてえな老いぼれが口を出す事じゃねえ」
だが、と平重郎は付け加えた。
「あの子に二度と会えずに死ぬ可能性だってある。それにこの国にいて嬢ちゃんが無事な保証なんてどこにも無ェ。それだけは覚悟しとけよ、雷蔵」
「分かっているさ。……少なくとも、これでシルヴィがロイと再び戦う可能性は低くなる」
「強情なこった」
余計なお世話だ、と言わんばかりに雷蔵は肩を竦める。
二人の足は未だ幾つもの瓦礫に覆われた城下町に差し掛かった。
政府軍の兵士たちの配給によって、今日の分の食糧を渡される被災者。
首からタオルを下げながら瓦礫の撤去作業に励む作業員。
ディアテミスやセベアハの村から送られた医者や看護師。
今や国の全ての人間が王都を復興させようと尽力している。
そんな活気溢れる光景を目の当たりにした雷蔵と平重郎は、城下町広場のベンチに座った。
「一つ、聞いても良いか」
「何でェ」
「何故お主は、拙者についてくることを選んだ? 」
鞘に納められた愛刀を石畳の上に立て、柄頭に雷蔵は手を置く。
同じようにして平重郎も仕込み刀の杖頭に両手を置いており、傍から見れば二人は親子のように見えた。
「……国を捨てた放浪者が国を変えた解放者となり、そして次にどのような結末を遂げるのか年甲斐もなく気になっちまってねェ。この世界を守る守護者か、それとも……」
再び放浪者に戻り、放浪者として死ぬか。
平重郎の言葉は言わずとも、雷蔵には理解出来た。
人間の好奇心と言うものは果てしない。
それこそロイのように他人を犠牲にしてまで己の知の欲求を満たす者もいれば、平重郎のように他人を手助けしつつ見守る人種もいる。
平重郎は雷蔵の肩を優しく叩いた。
「そう気を悪くするな。少なくとも、俺ぁお前さんの味方でいるつもりだ。たとえどんな選択を取ろうとも、それがお前の選んだ道なら好きにすりゃァ良い」
「お主ほどの剣豪が味方に付いてくれるのならば、これほど心強い事はない。感謝申し上げる、鬼天狗・平重郎」
「何でェ、急にしおらしくなりやがって。気持ち悪ィぞ」
「今のお主には言われたくはない」
雷蔵の言葉に平重郎は不敵な笑みを浮かべつつ、軽く彼の肩を小突く。
そうした所で二人はベンチから立ち上がると、彼らに声を掛ける少女が一人。
「雷蔵さーん! 平重郎さーん! 」
「おっ、噂をすればって奴かねェ」
「シルヴィ! もう外に出て平気なのか? 」
突如として現れた銀髪の少女、シルヴァーナ=ボラットは息を切らしながら二人の下へ辿り着いた。
三つ編みにしたこめかみを揺らし、ニット製のワンピースを身に纏う彼女の表情からは憑き物が取れたように晴れやかなものとなっている。
10代後半の若者らしい明るい雰囲気を漂わせるシルヴィに、思わず雷蔵から笑みが零れた。
「はいっ! 今さっき政府官邸で特務行動隊の試験を受けてました! 」
「その様子だと上手くいったみたいだな」
「雷蔵さんとの旅で色々サバイバル知識とか会得出来てましたから! 誉めてもいいんですよ? 」
満足げに胸を張るシルヴィの頭を撫でる。
普段は子ども扱いするなと頬を膨らませながら怒るのだが、今の彼女は頬を紅潮させながら視線を俯かせていた。
「そ、それでですね……ら、雷蔵さんにお話があるんです……」
「話か? それならここで……」
「だっ、誰にも聞かれたくない話なんですよっ! もう、まったく鈍感なんだから……」
「す、すまん。なら、今日の夕暮れ時に王城の庭園で集まるのはどうか? あそこなら誰も来る事は無い」
瞬間、シルヴィの表情が普段通りの明るいものへと変わる。
「は、はいっ! 忘れちゃダメですからね! 絶対ですよっ! 」
「分かっておる。拙者が約束を破る男ではないさ」
「えへへ、冗談ですっ。じゃあ、私これからレーヴィンさんとエルさんのところに行ってきますね! 」
「あぁ、ではな」
天真爛漫な彼女を見送り、広場には再び雷蔵と平重郎のみが取り残された。
隣にいた平重郎と目が合い、雷蔵は悲し気な表情を浮かべる。
「お前さん、まさか……」
「……そういう事だ。王城の裏門に集合する。既に椛にも伝えてある事だ。出発は今日の夜。彼女と話をする時間くらいは、と思ってな」
全ては雷蔵が仕組んだ予定だった。
シルヴィに事情を説明しても十中八九反対され、自分も付いて行くと言って聞かないだろう。
長年共に旅をしてきた仲だからこそ理解出来る相棒の性格。
今はそれが、愛おしくてたまらなかった。
「彼女を説得するつもりかい? 」
「いや……そこは、秘密にしておいて欲しい」
雷蔵は一人広場を後にし、平重郎を残して城下町の市場へと姿を消していく。
その背中は、ある覚悟を決めたようにも見えた。
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<ダラムタート城跡・庭園>
そうして数時間の刻が流れ、空は夕闇に染まり切った頃。
旅の荷物を平重郎に預けた雷蔵はシルヴィとの約束を守る為に一人この庭園に足を運んでいた。
椛も釈放の手続きを終えてから王城の裏門に集合する手筈となっており、既に国を出る準備は整っている。
先の大戦によって半壊した王城と庭園は、現在関係者以外は立ち入りが出来なくなっていた。
雷蔵は壊れかけた庭園の屋根を潜り抜け、噴水の縁に腰を落とす。
既に周囲は幾つもの花々が生い茂っており、数か月前に大戦があった事を感じさせない程美しい光景を作り上げていた。
オレンジ色の夕日が茂った草花に反射し、橙色の染め上げている。
そんな中、その草花を掻き分けて足を進める少女が一人。
シルヴァーナ=ボラット。
彼女の絹糸のような長い銀髪と人形のような美しい顔立ちがシルヴィの美貌を映し出し、沈みかけている夕日が彼女の美しさをより一層引き立てていた。
先ほどと同じ服装である事から察するにレーヴィンやエルたちと話し込んでからここに訪れたのであろう。
雷蔵を見るなり彼女は頬を赤くしながら笑顔を浮かべ、一目散に彼の元へ駆けてくる。
後ろめたさを感じながらも立ち上がり、彼女を迎え入れた。
「ま、待ちましたか? 」
「いや。拙者も今、来たところだ」
良かった、とシルヴィは安堵の溜息を吐きながら雷蔵の隣に腰を落ち着ける。
女性ものの香水の匂いが彼の鼻孔を刺激し、薫風と共に包み込んだ。
「い、いきなり呼び出したりしてごめんなさい……。どうしても、聞いて欲しい話があったので……」
「……気にするな。丁度拙者も、君と話がしたかった」
シルヴィの表情が緊張で固まり、雷蔵の両目を一身に見つめる。
赤くなった彼女の頬を一瞥しながら、彼は立ち上がった。
「……君が言おうとしている事は分かる。流石にそこまで……拙者も鈍感ではあるまい」
「ひ、ひぇっ!? じ、じゃあ――――」
彼女がそう言葉を口にしようとした瞬間。
雷蔵は振り向き、シルヴィと向かい合った。
「――――俺はロイを追う。ここにはもう……いられない」




